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始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

ただいま!戻ってきました❤❤

2025-03-07 | 心理学と日々の想い


みなさま、こんにちは。

大変長い間(5年間)、投稿ができなかったのですが、本日、無事に戻ってきました。

5年間、脳の病気になり、読むことも、書くこともできなくなっていました。
半年前に、脳の手術をうけて、それらができる体に戻していただきました。

でも、病気中に、パソコンのアドレスやパスワードなど、いろいろなものを、意味もなく変えてしまって、
ブログ内に入ることができず、いろいろ試みたのですが、直らなくて困っていました。

本日、ある方に手伝っていただいたら、おどろいたことに、ブログ内に入ることができるように直りました。

今まで読んでくださったみなさま、コメントをくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました。

これからも、つたないながらも、ローペースで続けていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

VEERA  拝



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ブログが11年目になりました。これからもよろしくお願いいたします。

2018-11-24 | 心理学と日々の想い




皆様、ごぶさたいたしております。


病院は退院したものの、体調が悪くて、ブログを書く気力がでませんでした。


このブログは、10年前の10月1日に開設しました。

なので、今は11年目です。


さすがに体力が落ちたなあと思います。


視力も落ちて、白内障っぽくて、夜中までがんばって書き続けることができず、自分でもがっかりしています。

でも、このブログは、わたしの生きている証なので、書いてゆきたいです。


コメントのお返事もたまってしまって、申し訳ありません。

かならずお返事いたしますので、許してください。

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入院してきます。ブログ運営についての心配事など。。

2018-06-03 | 心理学と日々の想い



4月末に母を亡くしました。

18年に及ぶ介護、というか、母への心尽くしが、わたしにとってあまりにも重かったためかと思いますが、

その後どうしても食事がとれず、食べても消化できなくなり、医師により、入院を勧められました。

しばらく入院してまいります。

今は、呼吸すらも、変な感じで、声が出なくなるのではないかという気もします。


このブログは、わたしにとってとても大切なものなので、退院したら、すぐに続けたいと思っておりますが、

機械音痴のわたしは、このブログのパスワードを忘れてしまいまして、現在はログイン状態なので、継続できているのですが、一度、一定時間がたつ、などの理由で、ログアウトの状態になってしまうと、ブログに投稿できなくなります。

その理屈までは分かるのですが、どうしたら良いのかわからないまま、なんとかやってきましたが、この度入院すると、もしかして、ログアウト状態になったら、復旧までに、さらに時間がかかることが予想されます。


たいへん申し訳ありませんが、なんの更新もされていない場合にも、わたしは継続の意志を持って対処している、と、どうぞ思っていてください。


それでは、再びお目にかかれます日を楽しみにいたしております。

ブログの更新作業ができない場合には、更新ができるようになるまで、「コメント」欄を利用して、発信を続けようかと思います。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。


写真は、モンゴル草原です。


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星が見えるのは、空だけではない・・人は互いに照らしあっている。

2018-05-23 | 心理学と日々の想い



10代、永遠に続くかと思われた人生。

59才の今、静かな時が訪れた。

未来を心配する気持ちがなくなった。

わたしのメールアドレスの一つは英語でミイラなのだけれど、幾世も、死への同化にかけた記憶がある。

今世は家族を持ち、親族の身元引受もやっていて、晩節を汚さないようにしてあげたいなど思い、世間に介入しているが、それだけだな。


世間さまを悪しざまに言うのは好まない。

世間さまあっての自分だ。


人は互いに照らしあって生きている。

星が見えるのは空だけではない。


ブログ内関連記事

「右肩が下がってゆく時の生きる道・・鷲田清一氏著「しんがりの思想」(1)」(3)まであり

「エジプトのミイラ(1)・・バーとカーの戻る場所」(4)まであり

「お盆・施餓鬼・七夕(1)・・地獄と母性」(5)まであり
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死にゆく母との日々

2018-04-28 | 心理学と日々の想い




「チベットの死者の書」の資料は集めているのですが、実母の危篤にあり、分析・記述することができません。

実母の死にあたっては、自然死を選択しました。


今まで、何回も入院しては、老人ホームに戻るために、わたしは命をけずって努力してきました。

なぜなら、介助あり・無しありますが、口から食事をとれないと、老人ホームは受け入れてくれないからです。

胃ろうという選択もありますが。


娘が母に、なんとか、自分で食事をとれるよう、食べさせてあげ、自分で食べられるよう、心をくだいて協力する、ということは、人生のフィルムを逆回転させて見るようなものです。


かつて(前世)、わたしは、、おそらく、父母に、歓喜を持って誕生を受け入れいられ、この世に生を受けました。

そして、母の乳をふくみ、寝息をたてるわたしは、、おそらく、父母の間で、たいせつに見守られたのだとおもいます。


それ以上のことは、もう、人生で、いらない、とすら思います。


ただ、感謝ですし、無力なわたしをゆるしてほしいです。


もう10数年お世話になっている老人ホームでは、「看取り」を希望したら、「〇〇さんの最期なら喜んで看取らせていただきます」と、二つ返事でご了解をいただきました。

担当ドクターの了解も得ています。

ですから、わたしが、母ののどをしめて、殺そう、というわけではありません。


もう、水も飲めなくなって、8日になります。

夜が明けたら、9日目です。

救急搬送していただいて、息を吹き返した10日前に、母とは、ちゃんとお別れのご挨拶を、互いにしあいましたから、あとは、苦しまないで、その時をむかえてほしい、と思うだけです。


ブログ内関連記事

「レモン哀歌(高村光太郎)への哀歌」

「なぜ人を殺してはいけないのか?(1)・・殺すなかれ、の声を聴く」

「嵐山光三郎「死ぬための教養」・・ゆうゆうと死ぬために。。」

「利他的遺伝子・・「自分」と「自分達」は、どう違うのだろうか?」

「自殺は許されるべき選択肢・・ウィリアム・レーネンは語る」

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母が危篤のため、少し更新を遅くさせていただきます。

2018-04-17 | 心理学と日々の想い


すみません。

全くのわたくしごとなのですが、実母が危篤のため、ブログの更新が滞っております。


とは言え、数年前のわたくしでしたら、なにがどうして、どうなろうとも、文章の一つや二つ、なんとかなりましたことを思いますと、母ではなくて、わたくしの、老化現象なのであろうとも思います。


昨年紹介させていただいたことで、一番心に残っていますのは、「ラスコー洞窟展」の研究でした。

なんと、クロマニヨン人(現生人類)は、ものを描写するという行為の最初から、幻覚を描いていたのだ、ということは、とても言葉では言い表せないほどの衝撃でした。

表現ということのパラドックスを思い、心から震撼いたしました。

そして、もし、わたくしのこんなブログが、多少なりとも価値があるとすれば、そのような、本当に人間の文化において価値があることの資料を集積したもの、である以外、なにものでもありません。

これからも、一生懸命に努力いたしますので、どうぞご愛読いただければ、幸いです。


今は、心の余裕がある時には、アボリジニ文化の本を読んでいます。


それは、ドリームタイムというものの上になりたつ文明であり、今の我々の文明とは、全く異なった文明と言えると思います。


ドリーム。。

タイム。。


どちらも、わたくし個人的に申し上げれば、吐き気がしそうな言葉ですが、翻訳の問題もあるかもしれませんし、言わんとすることは、分かると思っております。


わたくしのカテゴリーでいうところの「先住民族」の文明は、どう考えても、本物です。


なぜ、そのような、本物の文明が消えてしまい、今のような、吐き気をもよおすような、あるいは、精神を病んでしまうような文明が、代わりに存在するのか?ということが、当ブログの命題でございます。


当ブログも、10年続けさせていただけました。

いろいろなテーマを経巡るために、あきれておしまいになる方々もたくさんいらっしゃると思いますし、とある特定のテーマのブログとして、好んでいただけることもあるかもしれません。


ほんとうに、至らないことばかりで、泣きたいような気持になることもございますが、どうか今後とも、お読みいただけますよう、尽力いたす所存です。

更新が遅れておりますことを、重ねて、お詫び申し上げます。








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人はそれをシルバー民主主義と呼ぶ・・「少子高齢化社会の民主主義って?」

2018-03-28 | 心理学と日々の想い


半年前の記事になりますが、気になって切り抜いていたものをご紹介します。

リンゴたちの写真は、「一人はみんなのために みんなは一人のために」と言っているように見えたので。。

            *****

  「少子高齢化社会の民主主義って?」    
             読売新聞2017・10・11「論点スペシャル」


          (引用ここから)



「厳しいけど支え合おう・・評論家 樋口恵子」

「日本の社会保障が高齢者に偏っている、というのはそのとおりで、高齢者の一人としては、認めざるをえない。

ただそれは、時代の流れだった、ということも知ってほしい。

戦後、長寿化が進み、日本に初めて大量の高齢者が誕生した。

そのため福祉政策が必要になるのは当然だ。

年金、医療保険、介護保険といった制度があったから世の中がうまく回ってきた。

子どもは、親の扶養から解放された。

自分の子に十分な教育を授けられるようになり、経済的理由で親世代との同居を強いられなくなった。

恩恵は多くの世代に及んでいる。

家計の健全さを支えたのが、社会保障制度だった。

私は70年代後半に大病をした。

治療費はかなりの額に上ったが、実際支払ったお金は驚くほど安かった。

患者の負担を軽減する「高額療養費制度」のおかげだ。

高度な医療を、誰もが受けられる。

なんと良い国に暮しているのかと、涙が出るほどだった。

しかし次の瞬間、背筋がぞっとした。

これでは、いくら国にお金があっても、持つわけがない。

高齢者はますます増えていく。

優遇されすぎではないか?

高額療養費は、今年高齢者の自己負担分が引き上げられた。

国の「審議会」で議論に加わったが、低所得世帯への配慮を要望しつつ、引き上げに賛成した。

辛かったが、介護などの負担も増えている高齢者という立場に、あぐらをかくのは間違っている。

支払い能力に応じた負担を拒みはしない。

経済的余裕がある人も多く、負担する力はあるだろう。

ただ労働する力、健康の力は落ちてくる。

応能負担を経済力だけで論じるのは、いかがなものか?

生物的にだんだんと弱っていく人を、みんなで支えるという基本は忘れないでほしい。

世代間の対立をあおったり、ある世代を攻撃したりするような言い方は不毛だ。

人はかならず年を取る。

今の90才が幸せでなかったら、あなたの未来も幸せではない。

私たちの世代は、平和の恩恵を受けて、長生きもできた。

私たちは、次の世代がいることで暮らしていける。

わたしは、「食い逃げは年寄りの恥」という考えで、子育て支援の活動も続けている。

元気なうちは、なるべく働いて、稼ぐことも重要だ。

異世代を理解するには、「見える化」が大切ではないか?

たとえば若者は介護現場を知らない。

施設を継続的、組織的に訪問し、働く仕組みを作ってはどうか?

地域に文化活動で異世代が交流できる場が増えており、高齢者が参加してみるのもいい。

当事者の意見を聞かずに、物事を進めるのは良くない。

各世代の主張を聞き、粘り強く一致点を見つけていくことが求められる。



「社会保障格差 説明して・・相和女子大特命教授 八代尚宏氏」

衆院選では、消費税を今の8%から10%に引き上げるかどうかが争点になっている。

増税はもちろん必要だが、高齢化で急増する社会保障支出の増加分を抑えない限り、将来の税率を際限無く引き上げなければならない。

税率10%では、焼け石に水なのに、もっぱらその是非を巡って与野党が論争していることに、強い違和感がある。

日本の社会保障費は、大部分が高齢者の年金・医療・介護に使われ、子育てなどへの支出が極端に少ない。

安倍首相の「全世代型社会保障への転換」という考え方自体は正しいが、それならば、子育て支援を増やすだけではなく、高齢者への給付を減らして財源とする必要があるにも関わらず、与野党ともに、たとえば「年金課税の強化」や「医療介護サービスの合理化」などの給付抑制政策をあまり主張していない。

この背景として、政治家が当面の選挙に勝つために、ふえる一方の高齢者の既得権を守ろとする「シルバー民主主義」の影響が指摘できる。

有権者に占める65才以上の割合は、現在すでに約3割となっており、2040年には4割程度に増えると予想されている。

しかも昨年の参院選では70才代の投票率は、20才代の2倍以上だった。

「シルバー民主主義」の傾向は、今後さらに強まっていくのではないか?

日本の社会保障制度は、年金も医療も、まだ少子高齢化が本格化していなかった頃に作られた。

平均寿命が延びるなど、社会環境が大きく変化したのに、特に年金は支給開始年齢の引き上げなどの対応がおくれ、後に生まれた世代ほど不利になる「世代間格差」が大きい。

しかも、国の借金は1000兆円を突破している。

増え続ける社会保障費が、安易に赤字国債で賄われ、後の世代にツケが先送りされ続けたからだ。

欧米では、「社会保障費削減か?それとも増税か?」が主要な政治対立となる。

ところが日本では、「いずれにも反対」という声が大きく、結果として、政府の借金が際限なく増えている。

これはいわば孫名義のクレジットカードを祖父母が使いまくっているような状態だが、そのことがほとんど認識されていない。

今のように、将来に大きなツケを先送りする社会保障制度は、いずれ行き詰まり、維持できなくなる。
年金や医療の給付額がカットされるリスクが大きい。

それなのに政治家と官僚が、高齢者を目先の利益ばかり考えているとみくびり、正確な情報を提供しない。

そこに大きな問題がある。

膨大な借金に依存した年金・医療・介護の厳しい現実を、高齢者が正しく認識すれば、社会保障制度の改革に理解を得ることは可能だ。政治家は、社会保障の「不都合な真実」について、客観的なデータを示して説明すべきだ。



「国の借金 若者と議論を・・NPO法人「ユースクリエイト代表理事 原田健介氏」

大学時代に政治家の事務所で研修し、このままでは社会保障費が際限無く拡大して、将来世代にツケが回されるのに、若年層への配分は少ない、という危機感を持った。

若者と政治をつなぐ活動を始めたきっかけだ。

最近では「18歳選挙権」が実現し、主権者教育が重視されるようになった。

けれども、子どもから、僕らの世代くらいの生の声が、特に国政に届かない状況はあまり変わっていない。

政治家は高齢者に接触する機会が多く、実情も知っている一方で、地域のスポーツクラブで子どもの声を
聞いたり、保育園の送迎に顔を出して保護者と少しでも話をしたり、といった活動をしている人はごく少ない。

政策が高齢者向けに偏ってきたとしたら、こうしたコミュニケーション格差が背景にある。

政党や政治家が、高齢者側にだけ向いているわけではない。

昨年の参院選くらいから、「待機児童問題の解決」や「奨学金の拡充」など、若者向け政策が盛んに取り上げられるようになった。

でも若者との対話が少ない中で、政党・政治家はどこまで本気で将来を考えているのだろうか?

財政の健全化や、莫大な国の借金に関して、とことん議論をしない状況で、「全世代型の社会保障」・「消費増税の凍結」などと言われても、するべき話をとばしているように感じる。

2015年度以降、中学・高校・大学・公民館への出前授業などで、延べ12000人と接し、政治の話をしてきたが、「高齢者の負担を重くすればいい、給付を減らせばいい」という意見は少なかった。

高校では、「高齢者の年金を減らすのはかわいそう。介護も大変」と言う声をよく聞く。

将来負担のことより、親や高齢者が直面する困難を耳にすることが多いからだろう。

生徒同士の話し合いでは、医療や福祉の制度に無駄があるなら、削ろうよ、という方向になる。

若者は、高齢者を対立相手とは思っていない。

ただ「超少子高齢化時代」を担う次世代の意見を政治に反映させる仕組みをいっしょに考えてほしい。

たとえば、選挙で若者がみな投票したとしても、そもそも数が少ないから影響力が限られる。

選挙権年齢・非選挙権年齢の大胆な引き下げも含め、「次世代志向の民主主義」が必要ではないか?

今回の衆院選への若者の反応で目立つのは、「一体政治の世界で何が起きているのか?」という疑問だ。

目につくのが政党の離合集散では、当然だ。

各政党は、公約を下に論争し、「どんな国にするのか?したいのか?」という本質的な選択肢を示してほしい。

  
          (引用ここまで)

            *****

しごくまっとうな意見ばかりで、この記事は半年前のものですが、国会はこの1年、モリカケ論争などに湯水のように時間とお金を注ぎ、国政としてはほんとうに憂うべき事態でした。

このような国の状態を静かに描いたエッセーを、以前ご紹介したので、再掲します。

「しんがりの思想」鷲田清一氏著です。

          *****

         (引用ここから)

未来世代のことを、まずは案じる。

そういう心もほとんど失っているのが、現代である。

私たちは今まだ見ぬ未来の世代に対して、この石工のように「恥ずかしい仕事、みっともない仕事はできない」と、胸をはって言えるだろうか?

かえり見て、懐疑のかけらもなく謳われる空疎なリーダーシップ論ではなく、この石工の、他人にわざわざ訴えることもなく、自らにしみじみ言い聞かせる、このような矜持こそが、激変期に最も必要な眼であろうと思う。

とりわけ私たちは、未来をいくつもの限界の方から考える他なくなった時代にいる。

私たちは今、放射能で自然を修復不能なまでに壊したまま、それを次世代に手渡そうとしている。

また、法外な国の債務を未来世代につけ回して、平気でいる。

さらに次の世代が経済を回すための需要を、「経済成長」の名で先食いしようとしている。

毎年1兆数千億円の社会保障費の「自然増」・・本当はこれは断じて自然のことではなく人為の無策である・・に伴う増税や年金の削減という、過重な負担も、次の世代に強いようとしている。

これが、今のこの国の姿である。


わたしたちは、いつからなぜ、あの石工の矜持を失ってしまったのか?

この国には、今「人口の減少」つまりは「社会の縮小」に伴うさまざまな課題が、今すぐに対応を考えておかなければ取り返しがつかなくなる課題として、立っている。

この事実を前にすれば「経済成長」の掛け声など、どう考えても空言のようにしか響かない。


日本はこれから、先進国の中でいち早く、巨大規模での人口減少という事態に向き合ってゆくことになる。


「右肩下がり」の時代は、社会がまともになってゆくためには悪いことではない。

「右肩上がり」の時代には、次は何を手に入れようかと考えていたわけだが、「右に下がってゆく時代」には、何を最初にあきらめるべきかを考えざるをえない。

絶対に手放してはならないものと、あればよいけれど無くても良いものと、端的に無くてもよいものと、絶対にあってはならないもの。

これら4段階の価値の遠近法にもとづいて、優先順位というものをいやでも常に頭に入れつつ、社会運営にあたらねばらないのである。

そういう社会的な判断を下し、またそれに基づいて行動する力量を、私たち市民は今どれほど持っているか?

社会が嫌でも縮小してゆく時代、「廃炉」とか「ダウンサイジング」などが課題として立ってくるところでは、先頭で道を切り開いてゆく人よりも、むしろ最後尾で皆の安否を確認しつつ、登山グループの「しんがり」のような存在が重要である。

「退却戦」で、敵の一番近くにいて味方の安全を確認してから最後に引き上げるような「しんがり」の判断がもっとも重要になってくる。

こういう「全体の気遣い」こそ、本当のプロフェッショナルが備えていなければならないものなのである。

また、良き「フォロワーシップ」の心得というべきものである。

私はこうした心を「しんがりの思想」と呼んでみたい。

             (引用ここまで)
   
               *****

今、すべての人に関わりがある、とても大切な問題だと思います。


ブログ内関連記事

「右肩が下がってゆく時の生きる道・「しんがりの思想」 鷲田清一氏著」

「利他的遺伝子」・・「自分」と「自分たち」はどう違うのだろうか?」

「才能の交易こそ新しい経済・総理大臣としてゼロ円革命・・2011年に新政府をつくった坂口恭平さん」

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あけましておめでとうございます。

2018-01-06 | 心理学と日々の想い



あけましておめでとうございます。

年末から、黒い女神・黒いマリアについて考えていたのですが、なかなか難しくて、難儀していました。

画像を張ろうと思いましたら、なにやらPCが、「動作を停止した」と申しており、画像も張れません。

これ以上、不具合が生じる前に、新年のご挨拶を投稿することにいたします。


今年も、牛歩のごとき歩みではありますが、あれこれと、考え続けてゆければ、と思っております。

どうか、引き続き、お読みいただければ、まことに幸いでございます。

皆様の、ご健康と、ご多幸を、お祈り申し上げます。


また、ブログ10年間の、うずもれている記事の見通しをよくするために、カテゴリー別に、年代順に、古い記事からリンクを張って並べて「資料集」の体裁をとってみようかとも思っております。

お探しの件に関する言葉を、「ブログ内検索」にて検索しても、それなりに出てくることが多々あるようです。


末筆になりましたが、命を与えられ、生きることを許されている、今という時を、自分にできる、力のかぎりを尽くして、生き抜いてまいりたいと、新年に、あらためて、お誓いを申し上げます。


veera拝
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10月1日から、ブログが10年目に入りました。

2017-10-03 | 心理学と日々の想い


早いもので、今月1日で、このブログも10年目に入りました。

読みにきてくださる皆様に支えられて、今日までくることができました。

心から、感謝申し上げます。


これからも、微力ながら、精一杯勉強して、わたくしに書けるだけのことを書いてゆきたいと望んでおります。

どうか、今後ともよろしくお願い申し上げます。


写真は、春3月に、近所のお餅やさんで作っていた、自家製の、お雛様のひし餅です。

色も美しく、大きさもみごとで、飛ぶように売れていました。


世界は、多難な情勢を見せていますが、皆様の、平安な毎日を、お祈り申し上げます。


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謹賀新年・・眞子さま、パラグアイを訪問・豆腐100万丁の大豆に返礼

2017-01-05 | 心理学と日々の想い



明けまして おめでとうございます。

わたしの住むあたりでは、ここ数日はとても穏やかで、ありがたいことだと思います。

上の写真は、隅田川あたりの梅とカモメの新春風景です。


昨夜、テレビを消そうとしてテレビに近づいたら、NHKで面白い番組をやっていたので、思わず座り込んでメモをとりながら1時間見てしまいました。

「NHK BS1スペシャル「欲望の資本主義 2017・ルールが変わる時」午後9時~110分間

トランプ氏の登場、イギリスのEU離脱、欧米のポピュリズムの台頭、難民問題、世界経済の停滞、人口減少、もろもろの未解決の問題があるが、世界経済の行方は心理学に関わっている、という経済学者の言葉が印象的でした。

トランプ氏のような、あまり政治家らしくない言葉遣いをする人が世界のトップに立つことになることは、これからの世界に、彼が発するような、何とも言えない、非論理的な、人心を逆なでする言葉が行き交うことなるであろうと思われてなりません。

それは、きっとあらゆる人間の心の中の何か、、おそらく心のタガとでも言うようなものが、大規模に外れる事態の引き金になりうるのではないだろうか、と思われてなりません。

いわば、経済という蓑をかぶった心理学的な巨大なエネルギーが、大手をふるってうごめくのではないかと思うのです。

NHKの番組では、そういう問題を歴史学的に遡ろうとしていたように思いましたが、「よくわからない、未曽有の現象だ」と述べるにとどめていました。


番組では、資本主義経済が世界経済の規範となったのが、18世紀のアダム・スミスの「国富論」の登場からであった、と述べていました。

しかし番組では同時に、アダム・スミスは「国富論」を著すよりも前に「人間感情論」という著書を著しており、そこでアダム・スミスは「人間の原理は、個人の利益の追求以前に、他者への共感という特筆すべき性質を有している」と述べている、と解説していたのでした。

わたしはそのことに、たいへん興味をそそられたのでした。


わたしの趣味である新聞切り抜きのストックに、下の記事がありました。

下の記事を見つけた時、わたしは、「利益ではなくて、利益への返礼のリストで世界を見ることができないだろうか?」と思って、切り抜いていたのでした。

たとえば、東日本大震災の時に、世界中で最もたくさんの義援金を送ってくださったのは、台湾でした。

資産の多寡のリストや貿易量の多寡のリストではなくて、むしろそれらとは逆向きのベクトルを持つ、こういうランキングで世界を見ることは、世界の見方を変えるだろうと思うのです。


憎悪からは、憎悪しか生まれないでしょう。

人は、共感し合い、感謝し合う時、心を開き、心を結んでゆくものではないでしょうか?


              ・・・・・



「皇室ダイアリー 「眞子さま 南米一の親日国 訪問」」
             読売新聞2016・10・16


秋篠宮家の長女・眞子さまが先月、11日間の日程で訪問されたパラグアイは、「南米随一の親日国」と言われる。

同国に移住して80年を迎えた日本人やその子孫が、海もなく資源も乏しい小さな国の発展に、大きく貢献したからだ。

日本人移住者は原生林を切り開き、耕作地を広げていった。

やがて大豆の生産技術を確立し、パラグアイを世界有数の大豆輸出国に押し上げた。

野菜の栽培も普及させ、現地の食文化も豊かにした。

眞子さまは、首都アスンシオンで日本人移住80周年の記念式典に臨み、東日本大震災の時、同国から豆腐100万丁分の大豆が届いたことや、同国議会が今年5月、日本人移住80周年の記念式典を開いたことに触れ、謝意を伝えられた。



巡られた移住地では、赤飯や煮物、冷ややっこなどの日本料理でもてなされた。

「お体を大切に」と眞子さまから声をかけられた1世の老人が、涙する場面もあったという。

眞子さまは帰国後に発表した感想で、「困難を乗り越えてきた1世たちが、穏やかな表情でいまの暮らしに感謝している姿が印象的だった」、とつづられた。

パラグアイには、38年前に天皇・皇后両陛下、10年前に秋篠宮さまも訪問されている。

眞子さまが続かれたことで、天皇家3代が訪れた初めての国になった。

           ・・・・・

今年もどうぞよろしくお願いいたします。



wikipedia「アダム・スミス」

wikipedia「アダム・スミス「道徳情操論(道徳感情論)」

wikipedia「ポピュリズム」



ブログ内関連記事

「右肩が下がってゆく時の生きる道・・鷲尾精一氏「しんがりの思想」(1)」(3)まであり

「古代ギリシャに希望の光・・柄谷行人氏インタビュー「民主主義を超える理念を」

「利他的遺伝子・・「自分」と「自分達」は、どう違うのだろうか?」

「フランス「国民戦線」党首に聞く・・国家主義かグローバル主義か?」

「梅も僕も、黒豚もいる 大地かな・・屋久島で豚を飼った山尾三省」

「心理学・日々の想い」カテゴリー全般
「野生の思考・社会・脱原発」カテゴリー全般
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ブログが、9年目になりました。。

2016-10-22 | 心理学と日々の想い




当ブログは、10月1日から、9年目に入りました。

いつも読んでくださって、ほんとうにどうもありがとうございます。


今後とも、皆さまに、読みにきていただけるブログでありますよう、精進したいと思っております。

わたくしの住んでいるところは、公立図書館の本が一人10冊まで借りられます。

わたくしは、大きなリュックをいつも担いで、10冊の本を借りたり、返したりして、日々を過ごしております。


学びたいことはたくさんあります。

せっかく学んだら、書き置いておきたい、と思って、ブログを始めたのが、昨日のことのようです。


去年の新年度のご挨拶には、これからはなるべく取材記事を増やしたい、と書いたように記憶しています。

その後、少しは外の催しや、寺社の風情なども残せるようになったかと思いますが、今年はさらに、いろいろな所に行ってみたいと思っております。


相変わらず、一見なんの脈絡もないことを、あれもこれも、書き継いでいますので、おかしな人だとお思いのことと思いますが、わたくしといたしましては、
様々な事柄は、深いところでは、つながっているように感じています。

脳というものも不思議ですが、外界というものも、同じ程度に不思議なものだと思います。


生きていることは、楽しいと、わたくしは思います。

社会は、生き生きとしていると感じますし、一日一日、年をとってゆくことで、以前には思い至らなかったことにも、すこしは思いが及ぶようになった、と感じることもあります。

お釈迦様もお生きになったであろう、林住期を間近に控えて、真剣に生きなければいけないと、日々自分に言い聞かせております。


至らないことだらけではありますが、今後とも、お読みいただければ、まことに幸いでございます。

どうか9年目も、よろしくお願い申し上げます。


末筆になりましたが、皆さまのご多幸を、心よりお祈り申し上げます。

また、コメントのお返事が遅れがちになりましたことをお詫び申し上げます。

今年度はなるべく早いお返事を心がけますので、ご容赦くださいませ。

                        veera 拝



   写真は、昨年末に出かけた「茅の輪くぐり」の最後に行われた「茅の輪」のお焚き上げの情景です。
  (2016年1月の記事より)


「大祓いの「茅の輪くぐり」(1)・・蘇民将来と、スサノオノミコトと、日本」2016・01・12

「スサノオノミコトから頂いた・・大祓いの「茅の輪くぐり」(2)」2016・01・16
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夢は枯野を かけめぐる。。・・人は夢みているのか、歩いているのか?

2016-08-27 | 心理学と日々の想い



少々忙しくて、ブログの更新が滞ってしまいました。

申しわけありません。

憲法9条については途中だし、その前のお稲荷さんのことも途中だし、コメントのお返事もしていないし、、ああ、なんということでしょう。

それでも、これから先の記事の下書きはもう出来ていまして、これらのお話しの後には、南太平洋、アフリカの習俗の記事を掲載しようと、張り切って準備しております。


用事で忙しくてブログの更新をできない今の心境を、、と思ったら、芭蕉の「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」の句を思い起こしました。

当然、私の心の中は、アフリカに行ったり、南太平洋に行ったりしています、という気持ちをこめたつもりでした。

ところがです。

ネットで調べてみたところ、この句には2つの解釈があるというので、ふうん、、と思ってしまいました。

安居正浩氏という方が解釈を書いておられたので、引用させていただきます。


                 *****


               (引用ここから)



「芭蕉会議・俳句コミュニケーションサイト」

http://www.basho.jp/ronbun/ronbun_2010_10_02.html


2・「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句意

この句は芭蕉の中でも有名なものの一つで、多くの人がその鑑賞を書いている。

この句には「旅」・「病」・「夢」など読み手が共感しやすい言葉が並び、孤独を感じさせる「枯野」もある。

そして句の背景には近づく「死」があり、泣かせどころ満載である。


一般的な解釈は「旅の途中で病床に臥していながら、夢の中ではなお枯野をかけめぐっている(芭蕉事典・春秋社)」となろうか。

これだけだと詠んだ芭蕉の気持ちがはっきりしない。

もうすこし芭蕉に引きつけて解釈すると、


①夢の中ではまだ枯野をかけ廻っているのだけれど、病に倒れた私はもう旅に出ることも出来ない。
 悲しい。


 ②病気になったが、まだ私の夢は枯野をかけ巡っている。早く治ってまた旅に出たいものだ。

との二つの解釈が考えられる。


この句は悲観的なものか、それともまだ未来を見据えたものなのか。

現在では「夢は枯野をかけ廻る」に悲愴な芭蕉の気持ちを読み取ることが多く、前の解釈の方が一般的だ。

ただ私は芭蕉が「病中吟」とわざわざ付けていることから、まだまだ旅は続けたかったのだと思っている。


        (引用ここまで)


         *****



多忙で、ブログの更新は滞っておりますが、、つまり、わたしは無言のうちに10日を過ごしておりますが、、その合間にもわたしは考えごとは続けていまして、そういえば、アフリカの他にも、沖縄のSさんという、ひと昔前に有名だった方に関する本を数冊読み直したり、パン工場の夜勤をしながら幽体離脱して、チチカカ湖の義父のところに行って語り合う女性の本なども読んでいたのでした。

そういう意味では、あいかわらずわたしは、「人が生きるということは、何をしていることなのだろうか?」ということを考え続けているのであり、わたしは今も、もっともわたしらしい時の過ごし方をしている(させていただけている)のだと、改めて思ったりもいたします。

ああ、なんと恵まれた、幸せな人生なのでしょうか?


たぶん、人生は思っているより短いだろう、と思います。

言葉を自由に扱える時間も、もしかしたら、そんなに長くないかもしれません。

多弁でなくなる時が訪れたとして、そしてその先の時間が、もしかしたらまだまだたくさんあるかもしれないけれど、それでもやはり人生は束の間のことでもあるでしょう。

与えられた時間が長くても短くても、わたしは悲観も楽観もしないような気がします。

旅がしたい、という気持ちは、生きているかぎり持っているかもしれませんが、旅に出たり出なかったりすることは、実はわたしにとっては、しょせん同じこと、と思えます。

風景は、向こうからやってきてくれるだろう。。

風が、わたしを運んでくれるだろう。。

人の一生、、かけ廻っているわたしとは、いったい誰なのでしょうか?




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わ。あと1日で。。

2016-02-19 | 心理学と日々の想い





わ。あと1日で、記事の更新が10日止まっちゃう。。

けれど、今わたくしは、ちょっと風邪で、点滴してやっと歩いている中。。

下書きに入れた完成原稿はたくさんあるのに、「ブログ内関連記事」のリンクを張る作業ができなくて、今日も延期。。

思うこと、感じることは、書ききれないほどありますので、どうぞ見捨てないでくださいね^^。

ごめんなさい。

気候が不順なときですので、どうぞ皆さま、お体をお大事になさってくださいませ。
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文化への文化的考察ことはじめ・・カウンターカルチャー研究(1)

2015-10-02 | 心理学と日々の想い


わたしがカウンターカルチャーというものの存在を意識した最初の時はいつだったのだろうかと思い返すと、それは、ごく他愛のない中学生頃、とある小さな新聞記事を読んだ時ではないかと思い返す.

記事は、古くからアマゾン河流域地帯にて外界と隔絶して暮らしている人々の生活を簡単に紹介しており、わたしは、習いたての家庭科の教科書を見ながら、その民族衣装に似せたつもりの服を作ったことをよく覚えている。

焦げたようなオレンジ色のと、茶色の、木綿の服を、同じデザインで2着作った。


中学校から帰ると、その服に着替えて、寝そべって漫画を見たりしていた。

しかし、漫画を見ながらも、わたしは漫画をぜんぜん見ていなかった。

もっと遠い呼び声、もっと近いささやき声、もっと強い火と風と水の誘い声に、聴き耳を立てていた。

そしてその後、そういう人々に似た人々が、アマゾンの奥地まで行かずとも、ちょっとしたところで、静かにしかし決然と生きているようだ、ということに、なんとなく気づくようになった。


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残暑お見舞い、申し上げます。。

2015-08-28 | 心理学と日々の想い


ここ数日、アクセスしていただき、どうもありがとうございました。

わたしは、なにもできなくて、失礼いたしました。

これから、できるだけ、取材をしたいと思っております。

東京でも、浅草とか、いろいろなところに行きたいです。

青ヶ島にも、行ってみたいです。

書きかけの、白山にも、行ってみたいです。

写真は、某アイヌ系イベントにて、わたしが作成した鹿笛です。

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