始まりに向かって

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無理しない幸せ・フィジーの「ケレケレ精神」・・日本人に足りないもの

2018-07-26 | アフリカ・オセアニア
ごぶさたいたしました。

なんとか退院して、自宅に戻ってまいりました。

半年前の新聞切り抜きですが、ご紹介したくなりました。

入院して、ゆっくりした時間をすごしたせいか、こういう記事が読みたくなりました。

日本からは遠い国ですが、人間、無理をしないで、がめついことをしないで、人にやさしくすることが、やっぱり一番大切ではないかと思いました。




「おもてなし、無理しない幸せ フィジー「ケレケレ精神」」
                 朝日新聞 2018年11月12日

緑の芝生に大きな木、視界の先には海が見える。

南太平洋の島国フィジー第2の都市、ラウトカ中心部の公園で、平日の昼下がりに家族連れがくつろいでいた。

スリアシ・ブニバカルアさん、ルイサさん夫妻と4人の子どもたち。

夫婦の周りで子どもたちが遊んでいる。

長女のサロメさんが「妹は足が速い。スプリンターよ」と次女のビネさんを指すと、スリアシさんが「早食いの、な」とちゃかし、笑いがはじけた。

フィジーはスイスに本部がある調査機関「WINギャラップ・インターナショナル」の幸福度調査で、2014年と16年、17年に1位になった。

「あなたの人生は幸せですか?」という質問に、17年は94%が「幸せ」と答えた。

世界銀行によると、1人あたり国民所得(16年)は4840ドル(約55万円)で173カ国・地域中88位。

豊かさでは世界の真ん中くらいだが、ルイサさんは「私も幸せ」と言う。


暮らしを覗けば秘訣がわかるかも。

翌朝、教えてもらった携帯番号に電話して訪問したいと頼むと、「もちろん」。小さな平屋の家で迎えてくれた。
 
隣に住む妹一家に、あいさつがてら話をして、戻ってみると、夫妻は昼寝をしていた。

ただ、時間が過ぎていった。

「フィジー人の幸せの神髄を見ましたね。」

この国に住んで10年、フィジー人の「幸福論」の著書がある永崎裕麻さんは、解説する。

「誰でもウェルカム。でも自らのペースを変えることは無い。」のがフィジー流だという。


「日本人は来客前に掃除したり、特別にお菓子を用意したりする。でも、それはもてなしでしはな
く、自分をよく見せるためかも。

負担だから、人をよぶ回数が減る。

交流することは、幸せになることのはずなのに。」

市内で軒先に座って話していた家族も、「幸せ」と言う。

「日本では仕事がなかったら暮らしいていける?フィジーでは大丈夫」。
と2児の母。

「食べ物をあげたりして、助け合うから。一緒に楽しく暮らすんです」。

他人に何かを頼むことを、フィジーでは「ケレケレ」という。

食品や日用品がきれて、ご近所と融通し合うのは当たり前。

誰でも受け入れて助け合うから、将来を心配する必要はあまりない。

肩肘張らない「みんな歓迎」の姿勢は、そのベースにあるようだ。

職場でも、助け合いの精神は生きている。

フィジーの玄関口・国際空港の税関職員は、昨年11月に飛行機に乗り遅れた日本人の男子学生を仕事中にみつけ、自宅に泊めた。

家族もみな歓迎。

学生は2日間過ごす間に、別のフライトを手配できたようだった。

こんな人助けは、7,8人目だという。

「助けることで自分の気持ちも前向きになる。だからハッピーになる」。

元陸軍兵士は、笑いの効用を説く。

1989年、国連平和維持活動でレバノンに派遣された時、フィジーの兵士は「銃を持っても笑顔が絶えない」と評判だったという。

フィジーは敵と戦っていても、笑顔さ。これは冗談だけど。」

笑顔とジョークは人を幸せにする。

「カバ」も欠かせない。

胡椒科の木の根の粉を水に溶かし、盃で回し飲みする風習だ。

鎮静効果があるといい、リラックスする。

昔は歓迎の儀式だった。

だが今はさまざまな場で楽しむ。

「酒は人を騒々しくして、けんかも生むけれど、「カバ」はみんなをひとつにし、平和にする。

取材の後、翌日の夕食に誘われた。

当日午後6時半開始のはずが、妻たちが料理をはじめたのは午後7時。

ご近所持ちよりディナーが始まったのは、午後8時だった。

「これがフィジータイム。」とエティカさん。

夜はゆったりとふけた。

              
              ・・・・・


 吉岡政徳・石森大知・編書の「南太平洋をしるための58章」という本を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

              *****
    
            (引用ここから)

フィジーの首都スヴァ。この町を歩いていると、はてさて自分は今いったいなんという国にいるのだろうと心地よい戸惑いをおぼえることがある。

南太平洋大学はこのような環境にメインのキャンバスを置いている。

この多文化的環境こそ、大学の理念をあらわすものだといえるだろう。

わたしがキャンパスへ出入りしはじめてすぐのころ、あるメラネシア系フィジー人の女の子と親しくなった。
フィジーの観光都市ナンディ近郊出身である彼女は、5年間を教育学の専門学部で過ごし、いまはある政府機関で働く前途有望な若者だ。

あるとき彼女は大学での経験を次のように話してくれた。

「わたしは南太平洋大学で、とても大きなものを得ました。

それはわたしのアイデンティティにかかわってくる話です。

ナンディで育ったということもあるだろうけど、私はそれまで、フィジー人というのは耳に花をさして、「ブラ!」と観光客に笑うことだと思っていた。

あるいはフィジーの儀礼をちゃんと覚えて、フィジー料理をきちんとつくれることだと。

しかしフィジーの歴史は、この小さな島にとどまるものではないと今は思っています。

先祖たちはこの大きな海を渡ってトンガへ行き、サモアへ行き、クック諸島へ行き、私たちはこの壮大な歴史の中で生きているのですよ。

知っていますか?わたしの親友はインド人とサモア人なんです。

(彼女は下宿先でインド系フィジー人、サモア人の女性らと同居していた)

南太平洋という大きな地図を想像できるようになったこと。

これがわたしの大学生活で得た最大のギフトとだと思っています。

            (引用ここまで)

             *****

同じく同書より。

新聞記事にも紹介されていたカバという飲料についての記載がありましたので、ご紹介します。

これはしかし、今の日本では、脱法ハーブになり、試すことはできないようですが。

             *****

            (引用ここから)

「アフター・ファイブの楽しみ・都市部におけるカバ・バー」

首都のポートヴィラは、人口が45000人あまりと小規模ではあるが、地元のメラネシア系の人々をはじめとして、ヨーロッパ系、アジア系の人々が行き交う国際色豊かな町である。

しかしメインストリートを中心とした繁華街は、店が閉まり、日が落ちてくると急速に閑散とした状態になる。

この閑散とした繁華街を尻目に、山の手へと歩いていると、そこには住宅地が広がっている。

帰宅した人々が夕食を食べ、談笑している様子をうかがい知ることができるが、同時にどこかに向かうために、連れだって歩いている人々が意外にいることに気が付く。

彼らは暗い夜道を歩きながら、軒先に電球をともした家があると、そこへ入って行くのである。

よく見ると暗い住宅地の中にこうした電球の明かりがちらほらと点在している。

これがカバを飲ませるカバ・バーなのである。

バヌアツのカバは、ポリネシアで一般的なカバとは製法が異なり、水をあまり混ぜず、カバの根をつぶして、少し水を混ぜた後、樹液を絞り出すという作り方をとる。

冠婚葬祭などの折にカバを飲むことが一般的だった。

ヤシの殻の器に入ったカバを顔に近づけると、目がチカチカする。

匂いを嗅ぐと、吐き気がする。

だから目を閉じて、息を詰めて一気に飲む。

体が宙に浮くような、ふわふわとした酔いの状態になる。

しかしアルコールとは違って騒ぐ雰囲気にはならず、とてもおだやかな心境になり、静かに酔いにひたる。

しばらくしたら、酔いが冷めてくる。

その頃には、再び飲む番が回ってくるのである。

都市部でのカバは、村落のそれより混ぜる水が少し多い。

その分薄くなる。

村落のカバはそれぞれの島によって味も製法も異なる。

都市部では平均化した味が好まれるようになり、その結果、のど越しが水のようなカバが一番好まれることになる。

一杯大体100円程度だが、4,5杯と飲み進んでいく。

しかし次の日までおいておけないので、その日売れるであろう量だけ作るので、それがなくなったら店じまいということになる。

バーの内部はいたってシンプルだ。

奥にカウンターがあり、両側の壁を背にしてベンチがしつらえてある。

それ以外は椅子もテーブルもない。

カバを受け取ったら一気に飲み干す。

店内は薄暗い。

というのは、カウンターにアルコールランプと一つ置いてあるだけだからである。

屋内では電灯をつけないのが、カバの原則である。

アルコールランプの光は柔らかいが暗い。

それがおいてあるカウンターでは様々な作業をすることができる程度に明るいが、それ以外の店内では人の顔がはっきりと分からないくらい暗い。

こうした雰囲気は村落のそれと同じである。


          (引用ここまで)
  
            *****


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人は蝶のように、いのししのように、生きるべきなのではないか?と考える。

2018-07-03 | メディテーション



理性というものは、ほんとうは犯罪的なのではないかと思う。

いわく政治。

いわく経済。

いわく倫理。


たぶんそれらは皆、違う。

隣にいる人が、最高の人なのだ。

たとえそれが殺人犯でも狂人でも売春婦でもだ。


ソクラテスがくしゃみをしているかもしれないが、人類は道を間違えた。

人類も蝶のように、いのししのように生きるべきなのだ。


理性というのはおそらく犯罪的だ。

犯罪と呼ばれているものよりも犯罪的なのだ。


こどもが幼稚園の時、二人ずつ並んで手をつないでいた。

先生は「ペアさん」、と呼んでいた。

それは偶然の組み合わせなのだけれど、なにか神秘的だった。

ペアさんがどこかに行ってしまうと、先生はすぐに気が付いて、「どこにいるのかなあ?」
とみんなで探した。そういう、

そういう、共同体としての、一人一人が感じる"みんな”、というものが、ほんとうにほんとうに大切なのだと思う。



上の写真は、イスラム教徒のお守り。

悪意のある「邪視」から身を防ぐという。

ムハンマドの娘・ファティマの手をかたどったものといわれ、「ファティマの手」と呼ばれる。

イスラエルからの直送品。


わたしはまだ、入院中で、今日は久しぶりに自宅に数時間いる許可をもらいました。

有難いことに、ログイン状態が続いていた。

まる1月ぶりになってしまったけれど、なんとか、記事の更新をさせていただきます。

言葉が足りなくて、誤解をうみそうだけれど、わたしがいつも思い、考えていること自体です。

中沢新一なんかがいつもいっていることと近い。

今月末までには退院します。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。


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