始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

ああ、エルサレム、エルサレム・・「ノアの大洪水」のパラドックス(3)

2015-12-30 | エジプト・イスラム・オリエント


あと一日で大晦日ですね。

ご縁をいただき、この一年、お読みくださいまして、ほんとうにありがとうごさいました。

来年も、どうか 引き続き、お読みいただけますよう、お願い申し上げます。

皆様の、幸多き 新年を 祈念 申し上げます。






引き続き、ノーマン・コーン氏の「ノアの大洪水」のご紹介を続けます。


              *****


           (引用ここから)

人類は事実、生き残った。

これらの工夫のおかげで、人間は大洪水がもう起こらないと確信できるようになった。

洪水後の世界では、洪水以前の混乱が繰り返されることはなくなり、また誤った対策を繰返されなくなった。

地球には安定したバランスが確立された。

そして神々の側でも、教訓を学んだのである。




聖書の物語が、メソポタミアの物語をモデルとしたものではることに疑いの余地はないとしても、両者の意図は、これ以上に違うものはないほど、違っている。

メソポタミアの物語では、人類をおそった災害は、まったく不当に重いものであった。

それは人間の罪深さによって引き起こされたのではなく、神々の短気と無分別によって引き起こされたのである。


ヤハヴェは、エンリルとはまったく違う。

たしかに彼も同じように無慈悲で、同じように人類を皆殺しにしようと決心した。

しかしヤハヴェは、神の打ち立てた法が守られないことに激怒した審判者として、行動している。

そしてヤハヴェは、神々の首長ではなく、唯一の神である。


「旧約聖書」が、伝説上の素材を集め、それを編集した人々の作品であることは、ずっと以前から認められてきた。

作成にあたったと考えられている収集者・編集者の4つのグループのうち、2つのグループが「大洪水」の部分に貢献したと考えられている。

ヤハヴェ記述者にあたる、ドイツ語から「J」として知られる者と、「祭司」を表す「P」として知られる者の2つである。

「J」と「P」との貢献は、組み合わされている。

「J」も「P」も、メソポタミアのモデルに多くを負っており、両方とも、このモデルを作り替えようとしている。

この物語を貫いている価値観は「P」のものであって、それは特定の歴史的文脈を示している。


というのは、「J」の時期は今なお議論されているところだが、「P」が仕事をしていた時期は分かっているからである。


それは、紀元前550年から450年の間である。

このことは、現在我々が知っている「大洪水物語」は、「バビロニア捕囚」の間か、あるいはこの経験の衝撃の下に作られたということを意味する。

それは絶望的な経験であった。

紀元前597年にバビロニアの王がエルサレムを占領したとき、王とその家族、その他あらゆる住民の大部分は、バビロニアへ移住させられた。

数年後、エルサレムの城壁は破壊され、ソロモンの寺院は焼け落とされた。


4世紀にわたって支配してきたダビデ王朝は、ついに途絶えた。

国家は崩壊し、

ユダ王国は、制度的独立の一かけらまで失った。

この災厄の経験は、〝世界秩序そのものの崩壊”と受け止められた。


予言者エレミアは、エルサレムの廃墟を見つめながら、太初の混とん状態へ戻ったありさまを見ていると感じた。

         ・・・

わたしは地を見たが

それは形がなく、 またむなしかった

天をあおいだが、 そこには光がなかった

わたしは山を見たが、みな震え もろもろの丘は動いていた

わたしは見たが、人はひとりもおらず

空の鳥は みな飛び去っていた

         ・・・


こういう文脈のなかで、聖書の「大洪水物語」は解釈されなければならない。

古代近東の文献では、侵略や征服はふつう、神の命による嵐や洪水に象徴化される。

ここでもそうである。



洪水により、荒れ狂う水を抑えるために神が取り付けた「防壁やドア」は破られ、その結果宇宙は混とん状態となる。

ユダとエルサレムと寺院の破壊は、そのことを意味していた。

正義の人ノアとその家族は、その正しさゆえに災害から逃れた、少数のイスラエル人を表しているにちがいない。

それは「旧約聖書」によくあるように、世界にたいする神の意図を実現するために助けられた「残された者」である。

そして「P」の人々は、流浪の人々の共同・・バビロニアにせよ、あるいはユダに帰国して間もなくの頃にせよ・・のために書いているのだから、この「正義の人々」も、その共同体に属しているに違いない。


しかし「正義である」とは、どういう意味なのであろうか?

「P」の人々が書いていた時代は、イスラエルの宗教が変わりつつある時代であった。

ヤハヴェの神は、それまでは単に少数の人々の守護神であったのだが、今や世界、及びそこのすべての被造物の創造主、全人類の審判者、全知全能の唯一の真の神と考えられるようになりつつあった。

このとき以来、「イスラエル人」、あるいはのちの呼び方では「ユダヤ人」の正義とは、なによりも唯一の、真なる神への完全な献身のうちにあることとなったのである。

この新しい種類の宗教は、はじめ流浪の人々の間で栄え、そこからユダへ戻った人々の間で栄え続けた。


祭司の作者たちは、彼らの性質そのものから言って、この宗教の最も情熱的な布教者に含まれていた。

「旧約聖書」の主要部分が、このことを証明している。

そして「大洪水物語」は、そこに含まれているのである。


ヤハヴェの高められた権威を、ノアへの警告ほど高らかに宣言したものは、他にほとんど考え着くことはできない。

              ・・・

わたしはすべての人を絶やそうと決心した。

彼らは、地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを血と共に滅ぼそう。

              ・・・


メソポタミアの物語とのコントラストが、これほど決定的な点は、他にはほとんどない。

「創世記」をつくりあげた祭司の作者たちは、彼等の神を、比類のない権威の地位へ高めようとした。

聖書の、洪水を命じた神は、実際に極めて強烈な印象を与える。

疑問も許さず、理解されることさえなく、孤独のうちに、恐ろしいほどの威厳をもって、彼は、世界とその内にあるすべてのものの、破滅か救済を、決するのである。


「ノアの大洪水」の物語は、メソポタミアへ連れ去れらた、あるいはメソポタミアから帰ったばかりの「ユダヤ人」の経験と熱望を反映して、作り直されたのである。


            (引用ここまで)

写真(下)は、メソポタミアの王(メソポタミア文明展・カタログより)


              *****

コントラストがある、とは言え、一神教の原型が多神教にある、というのは興味深いことだと思います。

その後のユダヤ教が世界に及ぼした影響を考えると、皮肉なことだと思います。

また、大洪水の記憶は、人類に共通して、深く根差しているのではないだろうかと思っています。



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神々の、さまざまな思惑・・「ノアの大洪水」のパラドックス(2)

2015-12-27 | エジプト・イスラム・オリエント



ノーマン・コーン氏の「ノアの大洪水」という本のご紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


               *****


             (引用ここから)


もともとのテキストでは、「大洪水物語」は、人類史のなかの一つのエピソードにすぎなかったように思われる。

現存するテキストの断片では、神々の集まりで、最高神エンリルが行った演説の、最後の部分から始まっている。

エンリルは、彼がいかにして神の法を確立し、天から地上へ王をつかわして、王位を確立し、5つのシュメールの都市を作り、それに名前を与え、それぞれの支配者を定め、シュメー地域全体を支える灌漑施設を作ったかを語っている。


次にテキストの空白部分がある。

テキストは、ここで明らかに、神々がどのようにして大洪水を送り、人類を一掃しようと決めたかを報告している。

信仰あつい王が、壁に近づいて,立ちながら、謙虚に神々からの啓示を求め、神の声を聞き、神の集会の決定を知る。


啓示は与えられる。

「洪水が町々を覆い、「人類の種」は滅びるであろう。。

そして三人の最高神の一言によって、王位もまた、くつがえされるであろう」。。


またテキストの空白部分があって、その後の記述により、私たちは、王がどのようにして、巨大な舟で、嵐と洪水から生き延びたかを知る。


ありとあらゆる破滅的な風と疾風が吹きまくり、

嵐は、町々を席巻した。

嵐が7日7晩、この国に吹き荒れ、

破滅的な風が、巨大な舟を高波の中でゆさぶった後、太陽が顔を出し、地と空を照らし、

王は巨大な舟の入り口を開き、

王は太陽神の前にひれ伏した。

王は多くの牛や羊を殺した。


その後彼は、最高神の前にひれ伏し、神は人類の種を保ち続けた報いとして、彼に神と同じような、永遠の生命を与えた。

最後に、王は、超自然的な王国に落ち着く。




こういう「シュメール版・大洪水物語」は、現体制を強化するという政治的な目的のために作られたように思われる。

体制の中心には、王がいる。

そして物語は、王位が神によって作り出されたということを主張するだけではなく、神に深く帰依し、そのため、大洪水の間は〝安全通行証”を、大洪水の後は、「不死の生命」をもって報いられた王を示しているのである。


王と密接に結びついているのは、祭司たちであった。

そして詩は、彼らの利益にも触れているのである。


神々の集会における開会演説で、エンリルは、

「〝わが人類”の滅亡の後生き残ったものたちは、「聖なる地」に新しい町を作り、神の法の順守と信仰のために働くよう望む」、

と宣言している。

これらのことはすべて、まるで宮廷詩人の声を聞いているかのようである。


紀元前1800年頃、セム系のハムラビがシュメールを含むバビロニア帝国を作り上げた時、征服者たちは、シュメールの宗教や文学をかなり取り入れて、適応させた。

とくに「大洪水物語」は、アッカド人によってとりあげられ、書き改められ、修正され、洗練されたものとなった。


物語では、「大洪水物語」に先立って、人類がどのようにして誕生し、どのようにして神の怒りをかったのか、という物語がある。

もともとは、小さな神々が世界維持するのに必要な労働、特に土地を灌漑するという仕事を行っていた。

しかし仕事を約40年も続けた後、小さな神々は反抗し、仕事を放棄し、実際にその道具を燃やしてしまったのである。

そして彼らは、神々の長で、陸地を領分とするエンリルの家へ行き、その家を取り囲んだ。

エンリルは、神々の集会を招集した。


とりわけ、彼は、エンキという神の助言を求めた。


この神は、地下水を支配し、また策略と才知で有名であった。

エンキの提案は、人間という新しい存在を創り出し、小さな神々の仕事の代わりをさせるということであった。

そして、母神の助けを借りて、この提案は実行された。

粘土と、殺した神の肉と血を混ぜ合わせた「人間」が作られた。

このようにして、人間は神々の召使いとして働くように創り出されたのである。


不幸なことに、この解決は一時しのぎのものにすぎなかった。

1200年もたたないうちに、人間はあまりにも多くなりすぎ、その喧噪が神々には邪魔ものとなった。

エンリルが眠ろうとしたとき、大地は牡牛のようにほえたてた。


はじめエンリルは、神々を説得して疫病を送りこみ、この問題を解決しようとした。

しかし、さらに1200年たつと、人口も喧噪もまた元に戻ってしまった。


今度は、雨を降らせるのをやめた。

これはいくらか効果があった。

しかしまた1200年たつと、エンリルは、やはり眠れなくなった。


怒り狂った神々は、6年間続けて、雨と毎年の洪水を止め、その結果、恐ろしい状況が生じた。

飢えた人々は、隣人同士が殺し合い、親は自分の子を殺して、むさぼり食った。


いずれの場合にも、エンキが救いをもたらした。

エンリルが次々と皆殺し計画を奸計するたびに、エンキはそれを挫折させていった。


エンキには、アトラハシスという熱心な信者がいた。

この名前は、「きわめて賢明な王」という意味である。

彼は神話の中の王で、その治世は4800年続いたと考えられている。

災害の脅威が迫ってくる度に、信心深いこの男は、彼の守護神に祈りを捧げ、その度ごとに、エンキはこれに応えた。

エンキが様々に介入したおかげで、人類は生き残り、それまで同様、勢いよく増え続けていった。


ついにエンリルは、人類を完全に絶滅させる洪水を送ろうと決心した。

しかしエンキはそれをもすりぬける方法を発見した。


かれはアトラハシスに直接情報を伝えず、彼の住んでいる葦の小屋の壁に伝えた。

そして壁は、おそらくそこを通り抜ける壁の音で、そのメッセージを伝えた。


エンキの助言は、「巨大な舟を作り、アスファルトで表面をおおえ」、というものであった。

「ギルガメシュ叙事詩」によると、「小屋を引き倒して、それで舟を作るように」、とされている。

アトラハシスは、一生懸命に仕事に取り組んだ。


彼は王として、この奇妙な行動を長老会議に説明しなければならなかった。

長老たちのために、彼は

「エンリルとエンキが仲たがいをしたので、もはやエンリルの陸地に住むことはできず、地下の水の中の守護神の元へ行くために船出しなければならないのだ」、

と説明した。

こうして彼は舟を作ることになった。

神々は、地上をおおった大洪水に積極的に参加した。

嵐の神は、黒雲の中でゴロゴロと鳴り、他の神々は堤防をあふれさせ、また別の神々は松明をかかげて大地を燃やした。


すべてのものは暗黒と化し、山は水中に姿を消し、人々はすべて溺れ死んだ。

神々自身も恐ろしくなり、犬のように身をすくめてうずくまり、地上から天へ逃れようとしていた。

彼らが頼りとしていた食べ物や飲み物のお供えが無くなったので、彼らは人類の破滅を嘆き悲しんだ。


アトラハシスの舟は、嵐を乗り越えて、7日7晩の後、ある山の頂に止まった。

それからアトラハシスは、外を見て、大地が屋根のように平らになり、人間はすべて粘土と化してしまったのを見た。

もう1週間、彼は待ち、その間、舟は山頂に留まっていた。


それから彼は鳩を放ったが、鳩は戻って来た。

つばめを放った時も、同じだった。

しかそこで、アトラハシスは、舟から出て、羊をいけにえとして神々のために香を焚いた。

神々はそのお香をかぎつけ、まわりに集まってきた。


エンリルは、最初は「人間」というものが生き残ったことに激怒した。

しかし次には人類を絶滅あせようとした浅はかさを、母神やエンキに非難され、それを甘受しなければならなかった。


              (引用ここまで)

写真(下)は、「ハムラビ法典」(メソポタミア文明展・カタログより)


                  ***


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産めよ、増えよ、地に満ちよ・・「ノアの大洪水」のパラドックス(1)

2015-12-23 | エジプト・イスラム・オリエント



クリスマスが近いので、久しぶりにキリスト教ものにしてみました。

「しんがりの思想」の続きは、その次になりますが、きっと「お先にどうぞ」と、どなたもお怒りにならないことでしょう。^^


ノーマン・コーン氏の「ノアの大洪水」という本を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


           *****


          (引用ここから)


「旧約聖書」の「大洪水物語」は、「創世記」の4つの章で詳しく語られている。

新しく創造された大地に、神がアダムを置いてから10世代がすぎた、と物語は語る。

そして人類は非常に「悪者」になった。

人間は悪事をくわだて、悪事を行うことに夢中になっていた。

そして、他の生き物たちも、あまりにもひどい罪を犯していた。


神が世界の状況を見てみると、世界はその住民たちによってまったく痛めつけられ、神もこういう存在を創り出したことを悔やんだほどであった。


1人だけ、正しい男がいた。

それは600才のノアで、彼は 〝神と共に歩み ”、〝その時代の全き人″であった。

神は、ノアにだけ、その意図をこっそりと打ち明けた。


「わたしは地上に洪水を送って、命のある、肉なるものを皆、天の下から滅ぼし去る。

地にあるものは、みな死に絶えるであろう」。


そして神はノアに、こまごまとした指示を与えた。

ノアは木の箱舟をつくり、その内外をアスファルトでおおわなければならなかった。

それに屋根をつけ、3階建てで、各階は部屋に分かれて、横にドアと窓をつける。

舟が完成すると、すぐノアと妻と3人の息子とその妻たちが中に入り、あらゆる種類の鳥と哺乳動物と爬虫類を、一つがいずつ連れて行くこととした。

ノアは、命ぜられたとおりにし、神はその後で、ドアを閉めた。


次いで、大いなる淵の源はことごとく破れ、天の窓が開けた。

雨は降り続き、ついに洪水は地上高くおこり、最高の山の頂上よりも高くなった。

箱舟は、海の表面をただよっていた。

その間、地の上の、動くすべての〝肉なるもの″はみな滅びた。

みな、地からぬぐい去られた。

ノアと共に箱舟にいたものだけが残った。


洪水は長期にわたった。

しかし最後に、神は、洪水を終わらせることに決めた。

すこしずつ、水は引いて、ようやく箱舟はアララトの山の上にとどまった。

偵察に出したカラスは、水が地上から引くのを待ちながら、あちこち飛んでいたが、箱舟には帰ってこなかった。

そこで、鳩を放った。

鳩は、落ち着く所が見つからない、と戻ってきた。

ノアはさらに、もう一度鳩を放った。

戻ってきた鳩は、今度はオリーブの葉を引き抜いて、くちばしにくわえていた。

そこで、ノアは水が引いたことを知った。

神の指示によって、ノアとその家族は箱舟から出て、他の動物もそれに続いた。

次にノアは祭壇を作り、供え物を焼いて捧げた。


神は供え物の焼けるにおいをかいだときに、人間というのは救いようもなく悪いものだけれども、人間のために地上にのろいをかけることは二度としないし、すべての生物を殺すこともしないと、自らに誓った。

これ以後、大災害は起こらないであろう。

それは新しい時代、洪水以後の時代の始まりであった。


新しい世界を始めるために、神はノアとその子孫だけではなく、すべての生き物・・箱舟から出てきたすべての動物と鳥と、そのすべての子孫・・と契約をかわした。

ノアの息子たち、セム・ハム・ヤペテに、彼は仕事を割り当てた。


「産めよ、増えよ、地に満ちよ」。。


彼らはこの仕事を遂行した。

地上のすべての人は、彼らの子孫である。



「旧約聖書・創世記」によって私たちが知っている「大洪水」は、メソポタミアに起源を持つ。

かつてのメソポタミアは、しばしば洪水に荒らされていた。

豪雨と春の雪解けとがいっしょになると、チグリス・ユーフラテス川の堤防は決壊する。

そうなると国土は何百マイルという湖の下に、沈んでしまう。

古代においては、この現象は強力な伝統を生み出した。

かつて、すべてのものをまったく変えてしまうほど圧倒的な洪水があったと信じられていた。

紀元前2800年頃、ウルクの約30キロ北の、古代シュメールの町が、洪水によって荒地となったことが、発掘によって示されている。

文字が刻まれた書板は、紀元前1600年頃のものであるが、それが語っている物語は、口伝の民間伝承として、さらに1000年も前から流布されていたものであった。



           (引用ここまで)

         
             *****

あぁ、なんという、神々の悪意。。

「我、山に向かひて 目を挙ぐ」。。「旧約聖書・詩篇121」


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右肩が下がってゆく時の生きる道・・鷲田清一氏「しんがりの思想」(1)

2015-12-20 | 野生の思考・社会・脱原発




読売新聞の2015・07・16日付で、鷲田清一氏という哲学者の新刊本のインタビュー記事が載っていました。

「「しんがりの思想」」刊行・縮小社会の若者に希望」とありました。

図書館で探して読んでみました。


リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


はじめに」という章に、次のような文章が紹介されていました。

民俗学者・宮本常一氏の、瀬戸内の石工の方の聞き書き文です。

           
              *****



              (引用ここから)


              ・・・

石工は、金を欲しい、いうてやる仕事だが、けっして良い仕事ではない。

ことに冬など、川の中でやる仕事は、泣くにも泣けないつらいことがある。

子供は石工にしたくはない。

しかし自分は生涯それで暮らしたい。

田舎を歩いていて、なんでもない田の石垣などに、見事な石の積み方をしてあるのを見ると、心を打たれることがある。

こんなところに、この石垣を積んだ石工は、どんなつもりでこんなに心を込めた仕事をしたのだろう、と思ってみる。

村の人々以外には見てくれる人もいないのに。

しかし石垣積みの仕事をやっていると、やはりいい仕事がしたくなる。

崩れないような。

そしてそのことだけを考える。

積みあげてしまえば、それきりその土地とも縁は切れるが、いい仕事をしておくと、楽しい。

後から来た者が、他の家の石垣を積む時、やっぱり粗末なことはできないものである。

前に仕事に来た者が、がざつな仕事をしておくと、こちらもつい雑な仕事をする。

また親方請負の仕事なら、経費の関係で手を抜くこともあるが、そんな仕事をすると大雨の降った時は、崩れはせぬかと夜も眠れぬことがある。

やっぱり良い仕事をしておくのがいい。

おれのやった仕事が、少々の水で崩れるものか、という自信が、雨の降る時には沸いてくるものだ。

きっといい仕事をしておけば、それは自分ばかりでなく、後から来る者も、その気持ちを受け継いでくれるものだ。

             
                   ・・・



石工は石垣の跡を歩いて、見事な石の積み方に心打たれ、同じ職工の目に触れたときに恥ずかしくないような仕事をしておきたい、と思った。

この時、石工の言葉は、実に未来の職人に宛てられていた。

これに対して、目先きの法案や利害でなくはなく、何十年か先の世代に見られてもけっして恥ずかしくない仕事を、という、そのような矜持をもって仕事に向かう人がうんと減ったのが、現代である。

未来世代のことを、まずは案じる。

そういう心もほとんど失っているのが、現代である。

私たちは今まだ見ぬ未来の世代に対して、この石工のように「恥ずかしい仕事、みっともない仕事はできない」と、胸をはって言えるだろうか?

かえり見て、懐疑のかけらもなく謳われる空疎なリーダーシップ論ではなく、この石工の、他人にわざわざ訴えることもなく、自らにしみじみ言い聞かせる、このような矜持こそが、激変期に最も必要な眼であろうと思う。

とりわけ私たちは、未来をいくつもの限界の方から考える他なくなった時代にいる。

私たちは今、放射能で自然を修復不能なまでに壊したまま、それを次世代に手渡そうとしている。

また、法外な国の債務を未来世代につけ回して、平気でいる。

さらに次の世代が経済を回すための需要を、「経済成長」の名で先食いしようとしている。

毎年1兆数千億円の社会保障費の「自然増」・・本当はこれは断じて自然のことではなく人為の無策である・・に伴う増税や年金の削減という、過重な負担も、次の世代に強いようとしている。

これが、今のこの国の姿である。


わたしたちは、いつからなぜ、あの石工の矜持を失ってしまったのか?

この国には、今「人口の減少」つまりは「社会の縮小」に伴うさまざまな課題が、今すぐに対応を考えておかなければ取り返しがつかなくなる課題として、立っている。

この事実を前にすれば「経済成長」の掛け声など、どう考えても空言のようにしか響かない。


日本はこれから、先進国の中でいち早く、巨大規模での人口減少という事態に向き合ってゆくことになる。


「右肩下がり」の時代は、社会がまともになってゆくためには悪いことではない。

「右肩上がり」の時代には、次は何を手に入れようかと考えていたわけだが、「右に下がってゆく時代」には、何を最初にあきらめるべきかを考えざるをえない。

絶対に手放してはならないものと、あればよいけれど無くても良いものと、端的に無くてもよいものと、絶対にあってはならないもの。

これら4段階の価値の遠近法にもとづいて、優先順位というものをいやでも常に頭に入れつつ、社会運営にあたらねばらないのである。

そういう社会的な判断を下し、またそれに基づいて行動する力量を、私たち市民は今どれほど持っているか?


市民としての力量は、福沢諭吉が明治のかなり早い時期にその受け身のふるまいを難じて以降、ますます落ちてきているのではないか?

いやそもそも日本社会の近代化の過程で、それを支えるべき市民の力量はなぜ落ちていったのか?


社会が嫌でも縮小してゆく時代、「廃炉」とか「ダウンサイジング」などが課題として立ってくるところでは、先頭で道を切り開いてゆく人よりも、むしろ最後尾で皆の安否を確認しつつ、登山グループの「しんがり」のような存在が重要である。

「退却戦」で、敵の一番近くにいて味方の安全を確認してから最後に引き上げるような「しんがり」の判断がもっとも重要になってくる。



実際、震災復興にあたっても、ひたすら防災のためにハード面での公共事業に取りくむばかりでなく、地域が震災前から抱え込んでいた問題を見据えながら、そこでの日々の暮らしを創造的に再構築する取り組みと結びついた経済活性化策を講じなければならないだろう。

また、もしそうした社会全体への気遣いや目配りができていれば、建築資材と労賃の高騰を招くことで、東北での復興事業を大きく遅延させることが必至な「五輪の誘致」など、誰も発想しなかっただろう。

こういう「全体の気遣い」こそ、本当のプロフェッショナルが備えていなければならないものなのである。

また、良き「フォロワーシップ」の心得というべきものである。

私はこうした心を「しんがりの思想」と呼んでみたい。


               (引用ここまで)

 
                *****


国語の教科書のような文章ですが、ほんとうに、喫緊の課題なので、投稿しようと思いました。


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〝中華民族‴ 復興

2015-12-13 | アジア

 


〝中華民族″復興・・ パトリック・ルーカスさん
                朝日新聞2015・02・25


「中華民族」という言葉が高らかに唱えられる最近の中国。

日中関係の行方がまだまだ不透明な中、戦後70年の今年、日本への風当たりも強まりかねない様相だ。

中国の変化を約30年にわたって見つめてきた米国の文化人類学者、パトリック・ルーカスさんは、中国国内のナショナリズムを、中国語で「民族主義」と語る。

意見を聞いた。

○「偉大なる中華民族の復興」。

習近平政権が強調するこのスローガンからお聞きします。どう見ますか?

●習近平氏の発する言葉は、この20~30年間の中国の最高指導者のなかで、最も民族主義的な色彩が強いものだと言えるでしょう。

彼の言葉には、イメージ的なものも含めて二つの理論が盛り込まれています。

一つは「中国は特別である」ということ。

もう一つは「中国の需要は他者より大事だ」といったものです。

「偉大なる中華民族の復興」とは、我々は歴史上優秀な民族であり、アジアの中心だった元々の地位に戻る、と言いたいのです。

こうした考え方は、とても危険です。

歴史がどうだからといって、そのことで未来を決めることはできないから。


○ナショナリズムについて、あなたは今の中国で高まっているのは〝愛国主義″ではなく〝民族主義″だと、はっきり区別していますね?

●愛国主義には健康的な部分もあり、必ずしも他者を傷つけるわけではありません。しかし、民族主義はそもそもが差別意識であり、他者を必要とする。

そして往々にしてその他者に害を与えます。

「我々は別の人々よりも優れており、特別」、だから、「我々はやりたいことができる」。それが基本理論です。

中国政府の高官や外交官の言葉を思い起こしてみても、「中国の歴史は特別」「中国文明は特別 」「中国の思想は特別」などなど、この種の発言がなんと多いことか。。
    

○民族主義をあおるような言葉が使われる背景を、どう見ますか?

あなたは経済改革が始まった1980年代から中国を研究してきましたね?

●歴史を遡ってみれば、80年代、中国共産党は『破産』しました。

共産党が呼びかける共産主義のイデオロギーを、だれも信じなくなったからです。

私の知る党官僚自身ですら、そうでした。

共産党は、市民の信任を得るため、何か新たなものを必要としました。
 
共産党がまず導入したのは、人々の物質的な要求を満足させる方法。

共産党には欠点もあるけれど、言うことをきいてくれれば誰もが豊かになれますよ、というものでした。

これは悪くありませんでした。

みんなが自転車やミシン、テレビを持つようになりました。

しかし、物質的な欲求をある程度満足させた人々は、もっと多くの物質的な欲求を満足させると同時に、精神的な欲求も満足させたいと思ったのです。

人々は、この社会は不平等だと考え始めました。

権力者や金持ちは、すべてを思いのままにしているが、そうでない人は、すべてにおいて受動的でなければならない、と。


○不平等の問題が、共産党統治を揺るがす最初の危機として現れたということですね?

●そう。もう一つは社会システムの問題です。

人々は、共産党に何も依存していないと思う一方、何も社会的な貢献をしようとしない。指導者が何を言おうが、自分の人生とは関係ないと思ってしまう。

統治を空洞化しかねない、二つ目の危機でした。

共産党は一党支配を変えることができない。

だから、帽子を変え、マスクを変えることにしました。

「共産主義」はいわば淘汰され、「民族主義」が統治に使われ始めたのです。
    
「抗日戦争勝利50周年」の1995年前後、当時の江沢民国家主席は愛国主義教育を強めました。
ここで登場したのが『被害者の物語』。

これは極めて便利なものでした。

なぜならば、西欧や日本から受けた被害の歴史を強調することで「他の民族は堕落しており、野蛮であり、自分たちは善良で無辜である」と言えるから。

この場合の敵は、西欧人であり帝国主義。

さらに日本人と、その侵略行為でした。

「民族主義」と共に、こうした「記憶」が呼び起こされたのです。

「民族主義を広めるのは実はびっくりするくらい簡単です。

理論が簡単、というより空っぽですから。

空っぽの核心によく入れられるのが「歴史」。

これは中国だけでなく、日本などでも同じでしょう。

 興味深いことは、1949年の建国の際に毛沢東たちが訴えたのは、中華民族が立ち上がった「勝利者の物語」だったということです。

80年代まで、統治者は「被害者の物語」を必要としなかった。

中国の庶民たちの記憶もこの点、もやっとしているように見えます。

指導者やエリートが「我々の社会は元々こうだ」と言い出すと、人々はわりと簡単に歴史認識を変えてしまいます。

それだけ民族主義は、統治者にとって使いやすい道具ということなのです。


○2012年の反日デモでは、日本車だとの理由でパトカーまで壊されましたね?

●中国政府も民族主義のパワーが大きくなりすぎて、コントロールできない状況が生じています。

中国政府は対外的に一寸たりとも譲らないといった強硬姿勢を見せていますが、問題は、それでどうやって他の国と付き合っていくかです。

政治はお互いに譲歩するものです。

しかし、外国人に譲歩をすれば、政府も批判を免れなくなっています。
    

○あなたはこうした民族主義が、中国国内の少数民族に与える影響も指摘していますね?

●正確に言えば、中国の民族主義は中国人全体の民族主義ではありません。

「漢族の民族主義」です。

最近の「漢服運動」は、その一つの例です。

以前、中国の伝統服と言えば清朝のものでした。

分かりやすいのは、女性が着るチャイナドレスですね。

でも清朝は満州族が統治者だったから、今やこれらは淘汰され始めています。

私が研究した中央民族大学は中国の56民族が学ぶ学校ですが、その校内でも漢服運動が行われている。

多民族国家である中国にとって危険な動きです。


○ここ数年、新疆ウイグル自治区やチベット自治区で、少数民族と漢族との摩擦が強まっていますね?

●漢族中心の民族主義拡大と、関係があるはずです。

「自分たちの民族の学校を閉鎖するぞ」と言われたり、「ウイグル語を使うな」と言われたりしたら、少数民族は直感として危機感を覚えます。

新疆では、ウイグル族が漢族と結婚すればお金がもらえるという話も聞きました。

いわば「漢族になれ」ということで、少数民族側に受け入れられるわけがありません。


○中国周辺の国や地域にとっても、こうした民族主義の拡大にどう対処するかは大きな課題ですね?

●昨年、台湾や香港で起きた民主を求める動きも、中国の「民族主義」の影響を無視することはできないと思います。

ある中国の学者は「香港人は長年、西洋の奴隷だった」とテレビで発言していました。

多くの香港人も漢族のはずですが、大陸の漢族は香港を下に見ています。

これに反抗しようと考える香港人が出るのは当然のことです。

巨大な隣国で民族主義が高まれば、周辺の人々は圧力を感じます。

日本の状況はよく分からないので、具体的なことは言いたくありません。

でも、中国の「民族主義」の高まりによって、日本の「民族主義」が高まることは自然な流れです。

誤解のないように言っておきたいのですが、中国のすべてが「民族主義」というわけではありません。

「民族主義」だけで中国を定義してはいけません。

「民族主義」は、中国の一側面に過ぎない。

私が中国の「民族主義」を観察しているのは、それを理解しなければ、今の中国を分かることはできないと思うからです。


○「民族主義」一色でない状態が、周囲にいる私たちに見えにくいという悩みがありますね?

●確かに今の中国で聞こえてくるのは、エリートの声と「民族主義」的な言葉ばかりです。

でも、それ以外の言葉も話しやすい開放的な社会になれば、「民族主義」に反対する人が多くを話し出すかもしれません。
    
             ・・・
 
Patrick Lucas 文化人類学者 1964年生まれ。80年代から中国に留学。

中央民族大学(北京)などでの研究を経て2011年、米国学生の中国留学を進める国際教育交流協議会・北京センター長に。

中国少数民族の調査研究をまとめた著書がある。
 

取材を終えて

 ルーカス氏は中国のナショナリズムの動きを文化人類学の視点から研究してきた人物である。

国際的に知られた学者ではないが、流暢な中国語を駆使して、貴州省などで少数民族の文化を現地調査した経験も持つ。

中国で高まる漢族の民族主義が、少数民族を刺激し、さらには日本を含む周辺地域の民族主義に影響を与えていると指摘する。

今年は戦後70年であるとともに、大隈重信内閣が当時の中華民国政府に日本の権益拡大を求めた「対華21カ条要求」から100年にあたる。

要求への抗議を機に、中国では愛国主義と民族主義が混ざった排日運動が高まり、それが日中戦争へとつながる日本の対中強硬論をあおった。

隣り合う国の民族主義が互いに刺激し合うことは避けられない。

同氏の指摘は、我々日本人もまた、民族主義の「負の連鎖」のなかにあることを気づかせてくれる。

東アジアの民族主義の拡大を抑えるにはまず、この自覚こそが求められている。(中国総局長・古谷浩一)
 
キーワード
 <漢服運動> 
中国全人口の9割を占める漢族の伝統衣装を、できるだけ着ようとする文化運動。
漢族の王朝だった明が17世紀に滅びて以降、漢服は忘れられた存在だったが、1990年代から注目されるようになり、最近も特に若者の間で「着ると動きが優雅になる」などと人気が広がっている。

            ・・・・・


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水木しげる氏、93才で亡くなる・・妖怪はさらに妖怪になれようかい?

2015-12-01 | 日本の不思議(現代)


漫画家の水木しげる氏がご逝去されたと聞き、ふしぎな気持ちでいっぱいです。

私も、水木しげる氏が大好きで、何回か紹介記事を書かせていただきましたので、哀悼の意を込めて、過去記事のリンクを張らせていただきます。

お読みいただければ幸いです。

共に、ご冥福をお祈りしたいと思います。

写真は、朝日新聞2015年4月25日「みちのものがたり」シリーズより・境港・加賀の潜戸。


「水木しげるのホピ体験・・ゆったり生きれば、おばけも逃げない」

「ゲゲゲの鬼太郎と、三途の川」

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