始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

残暑お見舞い、申し上げます。。

2015-08-28 | 心理学と日々の想い


ここ数日、アクセスしていただき、どうもありがとうございました。

わたしは、なにもできなくて、失礼いたしました。

これから、できるだけ、取材をしたいと思っております。

東京でも、浅草とか、いろいろなところに行きたいです。

青ヶ島にも、行ってみたいです。

書きかけの、白山にも、行ってみたいです。

写真は、某アイヌ系イベントにて、わたしが作成した鹿笛です。

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読んでくださって、ありがとうございます。

2015-08-19 | 心理学と日々の想い



長崎で被爆されて、お連れ合いを亡くされ、ご自身が、愛児2人を残して世を去られるにあたり、反戦の思いをしたためられた、長崎医科大学医師・故・永井隆氏のご遺言をご紹介させていただいた、8年前の当ブログの記事が、今月、突然たくさんの方に読んでいただきまして、びっくりいたしております。

日ごろまったくなじみのない、ツイッターとか、フェイスブックのイイねやら、リンクご紹介とか、なぜだか唐突に広まりまして、とってもびっくりいたしております。

ツイート382件、フェイスブックのイイね、リンクが28000件のようです。

私は、十数年前に、この言葉を元沖縄県知事の大田昌秀氏の講演会のテープを起こすために、肉声で、仕事で伺いまして、十数年たつ今も、深く魂に、離れがたく焼き付いております。

そこで、今回、今まで書き溜めて埋もれていた、当記事に関係のある「ブログ内関連記事」を、リンク張りをしてご紹介しようかとも思ったのですが、やっぱり、違う。。

リンク張り、精一杯、2日はしたけれど、それ以上は、できない。。

それが、いいね!を信じられないほどたくさんくださった、見知らぬ方々への礼儀であろうと、思っている次第です。。

今後とも、時々ではあると思いますが、どうか、ご覧いただき、ご厚誼を賜りますよう、お願い申し上げます。。



ブログ内関連記事

「愛し子よ、愛で身を固めなさい・・長崎の被爆者・永井隆氏の遺言」

「野生の思考・社会・脱原発」カテゴリー全般
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再掲・爆笑問題vs中沢「憲法9条を世界遺産に」(1)・・言葉は世界を変えるためにある

2015-08-12 | 野生の思考・社会・脱原発



http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012021402000030.html
脱原発「グリーンアクティブ」 「格差社会に抵抗 国民戦線」

2012年2月14日 東京新聞朝刊

          ・・・・・

 文化人類学者の中沢新一氏らは十三日、東京都内で記者会見し、脱原発などに取り組む市民団体「グリーンアクティブ」の設立を正式に発表した。

中沢氏は「原発に依存せず、むやみな自由主義や経済格差に抵抗する人々の力を集め、現状の政治を変えていく」と設立趣旨を説明した。

 団体は「緑の日本」と称した将来の環境政党を目指す部門など、四部門で運営される。環境保護と経済成長の両立を目指した「緑の経済人会議」も置く。

具体的な政策では脱原発を柱に据え、消費税増税と環太平洋連携協定(TPP)の推進反対、熟議の民主主義の構築などを訴える。

 中沢氏は「格差社会を助長するTPPなどの政策に抵抗していく。政治や経済を上からの改革ではなく、右も左もない草の根の民意をくみ上げ、変えていく国民戦線をつくる」と強調した。

             ・・・・・


グリーンアクティブという政治組織を作って「日本の大転換」をめざすこととなった中沢新一氏ですが、大変意義深いことと思いますので、いろいろとご著書を読んでみました。

以下にご紹介するのは、お笑いタレント「爆笑問題」の太田光さんとの対談ですが、なかなか面白かったです。

「憲法9条を世界遺産に」というアイデアを発案した太田光氏と、中沢新一氏が敬意を込めて話し合っています。

二人の力量には何の差もなく、いい友人の楽しい会話という風で、読んでいても心地良さをかんじました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。



      *****


        (引用ここから)


中沢  言葉の戦場を戦い抜くのは、ほんとうに難しい。

でも僕は今、多くの仲間たちに呼びかけたい。

言葉は世界を表現するためにあるのではなく、世界を変えるためにあるのだから、いま僕たちが
使っているこの言葉に、世界を変えるための力を取り戻してやろうではないか。


太田  平和の問題というのは、最終的には、人間の持っている愛とはなにかという問題に突き当たると思うんです。

愛が人類を破滅させる危険も十分にある。

愛がなければ戦争も起きませんからね。


 
中沢  あのナチズムの場合でさえ、血が結びあう共同体へのゆがんだ愛情が、ドイツ人をあそこまで連れていってしまった。

ほんとうに微妙なものなんですよ。

真理はいつも危険なもののそばにあって、それを求めると間違った道に踏み込む可能性の方が大きいんです。



太田  今の日本の風潮では、癒しという言葉が流行になって、愛情というものを履き違えていますよね。

人間の愛はもっともっと未熟で危ういものなのに、そうじゃないところに行こうとしているように見える。

誰かを憎んだり、傷ついたりすることはすごく人間的なことなんだけれど、そこを否定して逃げようとしているんじゃないか。

過去の戦争も忘れたふりをしている。

それじゃだめだろうと思う。

戦争や愛情から発生するネガティブな感情を否定することは人間そのものを否定することですよね。



中沢 未熟であること、成形になってしまわないこと、生物学でいう「幼形成熟」ということは、ものを考える人の根本条件なんじゃないですか。

矛盾を受け入れている思想はどこか未熟に見えるんですよ。

たとえば神話がそうでしょう。

神話にはちゃんとした論理が働いている。

しかしその論理は矛盾を受け入れて、その矛盾によって動いています。

そうすると未熟に見えてしまうんですね。

普通の大人はそうは考えません。

現実の中ではっきりと自分の価値付けを決めておかなければいけないという、立派な役目があるからです。

効率性や社会の安定を考えれば、そういう大人はぜひとも必要です。

僕も長いこと、お前はいつまでも未熟だと言われてきました。

しかし自分の内面にそう簡単に否定できないカオスがありますから、そのカオスを否定しないで生きて行こうとしてきました。


中沢 「ギフト」と言うドイツ語は、「贈り物」という意味と同時に「毒」という意味ももっています。

贈り物を贈って愛を交流させることは、同時に毒を贈ることだ、とでもいう意味が込められているんでしょう。

昔の人達は、この世界が矛盾でできていることを前提に生きていました。

だから矛盾を平気で自分の中に受け得入れていた。

絶対に正しいとか、純粋な愛情とか、そんなものは信じていなかったし、あり得ないと思っていたわけですね。

神話を通じて理想的な状況を考えようとしていた人々は、一方でとても現実的なものの考え方をしていた。

そういう思考法が、日本人には一番ぴったりくるんじゃないですか。

マッカーサーはよく言ったものです。
「日本人は精神年齢12才の子供だ」って。

12才といえばハリー・ポッターの年ですね。
その年頃の子どもはよく世界を凍らせるような真実を口にするでしょう?

日本人はそういう存在として人類に貢献すべきなんじゃないかな。



中沢  太田さんは「憲法9条を世界遺産に」というすばらしい発想をどんなシチュエーションで思いついたんですか?



太田  戦争していた日本とアメリカが、戦争が終わったとたん、日米合作であの無垢な理想憲法を作った。

時代の流れからして、日本もアメリカもあの無垢な理想に向き合えたのはあの瞬間しかなかったんじゃないか。

日本人の、15年も続いた戦争に嫌気がさしているピークの感情と、この国を二度と戦争を起こさせない国にしよう、というアメリカ側の思惑が重なった瞬間に、ぽっと出来た。

これはもう誰が作ったとかいう次元を超えたものだし、国の境界すら超越した合作だし、奇跡的な成立の仕方だと思ったんです。

アメリカは5年後の朝鮮戦争でまた降りだしに戻っていきますしね。



中沢 グールドという生物学者は、生物の進化は生物が競争して切磋琢磨している状態の中で行われてきたけれど、そういう抗争に入らないで、ゆっくりと成長を続けた生物、いつまでも“幼児型”を保ち続けた生物が哺乳類として後のち発展することになったと言っています。

日本国憲法に関しても、それと同じことが起こりうると考えるべきだと思っています。

太田さんの言うように、日本国憲法はたしかに奇跡的な成り立ち方をしています。

当時のアメリカ人の中にまだ生きていた、人間の思想のとてもよいところと、敗戦後に日本人の後悔や反省の中から生まれて来たよいところがうまく合体しているんですね。

ところが政治の世界でこんなことが起こるのはめったにないことなんですね。

政治の世界の常識が出現をずっと阻止し続けていた“子ども”がとうとう現れてしまい、それで世界は変わらざるをえなくなった。

そういうものを葬り去りたいという勢力は常に存在してきましたが、かろうじて今まで命脈を保ってきました。

もしこれを簡単に否定してしまうと、日本人は確実になにか重大なものを失うことになるはずです。


      (引用ここまで・続く)

   
        *****


wikipedia「幼形成熟」より

ネオテニー(neoteny)は、動物において、性的に完全に成熟した個体でありながら非生殖器官に未成熟な、つまり幼生や幼体の性質が残る現象のこと。幼形成熟、幼態成熟ともいう。

ネオテニーと進化論

進化論においてネオテニーは進化の過程に重要な役割を果たすという説がある。

なぜならネオテニーだと脳や体の発達が遅くなる代わり、各種器官の特殊化の程度が低く、特殊化の進んだ他の生物の成体器官よりも適応に対する可塑性が高い。

そのことで成体になるまでに環境の変化があっても柔軟に適応することができるとされる。

たとえば脊椎動物の場合、それに近縁な無脊椎動物として重要なものにホヤ類などがあり、それらでは幼生で脊椎動物の基本に近い構造が見いだせる。

このことから、そのような動物のネオテニーが脊椎動物の進化の始まりであったとの説が唱えられた。

しかし異論もあり、たとえばより似通ったナメクジウオに近いものを想定する説もある。

また、そのような現生の動物にこだわらなければ、ホヤの幼生の様な姿の祖先的動物がいたと考えた方が簡単ではある。



関連記事


「ブログ内検索」で

9条世界会議     6件   
中沢新一      12件
日本の大転換     7件
脱原発       15件

などあります。(重複しています)


ブログ内関連記事

「爆笑問題vs中沢「憲法9条を世界遺産に」(2)・・1万年のたましいを引き継ぐ」(3)あり

「身の丈に合った世界と、身の程を知った生活を作れるか?・・「熱い社会」と「冷たい社会」(3)」(1)・(2)あり

「アイヌの作法・・藤村久和「神々と生きる人々」(1)」(3)まであり

「小さな声を聞いていたい・・むつまじく在るためには。。」

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再掲・・青木やよひ著「ホピ族と徴兵拒否の思想」を読む

2015-08-10 | ホピの予言と文明の危機


長崎の被爆者・永井隆氏の遺言を、たくさんの方に読んでいただいております。

この記事は、その一つ前に投稿したもので、当ブログの骨子をなすものです。

2008年、ブログを書き始めたばかりで、写真もリンクもないものですが、写真とリンクをつけて再掲してみたいと思います。


              ・・・・・


広島に原子力爆弾が投下された日が、めぐってきた。。

若き日のあこがれの、青木やよひさんの「ホピの国」(1975年刊)という本を読み返した。


            *****

              
              (引用ここから)


第二次大戦の時期のアメリカで、人口数千人のインディアン・ホピ部族から6人の徴兵拒否者が出て、
裁判にかけられた。

ホピ(平和)の掟を守りつづけてきた部族の一員として、たとえどんな状況下にあろうと
武器をとって人を殺すことはできないと、6人は主張したのだ。


ここに一通の文書がある。

第二次世界大戦後の1949年、ホピ族が発した公式文書である。

それは「ホピインディアン帝国」から、合衆国大統領あてになっている。

つまり、彼らは戦後になっても、自分たちを合衆国国民とは思っていないらしい。

そしてそこには、戦時下に彼らがなにをもって、徴兵拒否の思想としていたかを、うかがい知ることができる。


「我々は、我々自身のやり方で、みずからの運命を決定しようと欲している。

我々は、我らの弓と矢を、だれにも向けようとは思わない。

我らの伝統と宗教的訓練は、いかなるものをも、傷つけ、殺し、苦しめることを禁じている。

我々は、我らの子弟が、戦争のための殺人者となり、破壊者となる訓練を強制されることに抗議する。

この国土における生命の聖なるプランは、偉大なるマサウウによって、我らのために整えられたものである。

この計画を変更することはできない。


いまは人類史のなかで、もっとも危機的な時代である。

いたるところで民衆は混乱している。

いま我々が決定し、今後なすべきことが、各自の民族の運命なのである。

いま我々は、審判の日について語っているのである。

我らホピの予言の光のなかで、審判の日は近づきつつある・・。」



予言といえば、「ホピの書」という本のなかに、ホピの30人のスポークスマンがこもごも語った
言葉の聞き書きがのっていて、その「ホピの予言」と題する章は私たちを考えこまさずにはおかない。

これは、1961年に第三次世界大戦が起こる可能性を予測しながら、語られたものである。


(もし第三次世界大戦がおこったら)

「合衆国は、土地も人民も、原爆と放射能によって滅びるであろう。

ホピ族とその故国だけが、難をのがれる人々のオアシスとして残るであろう。

原爆シェルター(避難所)など作ろうと考えるのは、唯物的な人々だけである。

その心にすでに平和を抱く者は、生命の偉大なシェルターの中にいるのだ。

邪心ある者には、シェルターなどありはしない。

たとえ黒色、白色、赤色、あるいは黄色人種であろうと、イデオロギーによる世界分割に

役割を持たない人は、他の世界において生命を取り戻す用意がある。

彼らはみな等しく兄弟である。」


さて、砂漠の賢者たちの高貴なよびかけに対して、私たちはどう答えられるだろうか?

はたして私たち日本人は、彼らの兄弟の列に加わることができるのだろうか?           


       (引用ここまで・4章「未開から見た文明」より)
 

                  *****


若い日に、ホピ(の魅力)に捉えられて、うめいた時のことを思い出した。

「平和」という思いは、わたしにとっては、いさかいの元凶そのものであるわが身を裁く
「掟」との対峙であり、

わが身の在り方について、おそろしいばかりの強烈さを持って省察を迫ってくるものなのだ。


                  ・・・・・


ブログ内関連記事


「ホピの予言「この惑星を救う生き方」研究(3)・・生き残るためのロードプラン」(1)~(8)まであり

「爆笑問題vs中沢「憲法9条を世界遺産に」(1)・・言葉は世界を変えるためにある」(3)まであり

「身の丈に合った世界と、身の程を知った生活を作れるか?・・「熱い社会」と「冷たい社会」(3)」(1)~(2)あり

「アイヌの作法・・藤村久和「神々と生きる人々」(1)」(3)まであり

「小さな声を聞いていたい・・むつまじく在るためには。。」

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北陸の白山信仰(1)・・菊理(きくり)姫とは、だれなのか?

2015-08-05 | 日本の不思議(中世・近世)


荒俣宏氏の、「サルタヒコは白く輝く朝鮮系の神である」という話を読んで、白い山、白山の信仰について考えてしまいました。

白山は、なぜ「白い山」という名前なのだろうか?

そう思って、前田速夫氏の「白の民俗学へ」を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


                    *****


                 (引用ここから)


柳田国男は、「白は本来忌々しき色であった。日本では神祭の衣か喪の服以外には、以前はこれを身に着けることはなかったのである」と述べている。

白は日常の俗を超絶した聖なる色であると同時に、畏怖の念を呼び覚ます怖い色、タブーの色でもあったのだ。

もう一つは、お隣りの朝鮮半島で人々が白衣を好み、李器の白磁など、白色が目立つことについて、韓国の民俗学者は、「それはむしろ天空信仰に支えられた明るさの色であって、太陽の白光に由来する」、と述べていることが注目される。

「白い」という韓国語は、「日」および「太陽の明るい属性」を意味すると考えられるとし、日本語の「シロ」、「シラ」とも同根である、と述べている。


では、白山信仰は、日本の神話の中では、どのように位置づけられるのか?

「日本書紀・神代の巻」には、次のようにある。

         ・・・

その時に 菊理姫神 また白す(もうす)ことあり

         ・・・

白山の主神に据えられた菊理姫が古文献に登場するただ一つの箇所である。

この後、

         ・・・

イザナギ尊聞きしめて ほめたまふ
すなわち散去(あらけ)ぬ

         ・・・

と続くのだが、この時菊理姫が何と言ったのか、書かれていない。


イザナギが、黄泉の国に愛しいイザナミを訪ね、その腐乱した死体に恐怖して、この世との境の黄泉平坂まで逃げ帰ってきて、イザナミと問答をした直後のことだ。

したがって、これは難問中の難問なのだが、折口信夫の解釈はこうだ。

               ・・・

続く場面がイザナギの禊であることからして、菊理姫は、蘇るために禊を勧めたのであろう。

すなわち、「菊理姫」は「ククリ(潜り)」を意味しており、水中に入って禊をすることであろう。

しれこと(白事)とは、死のけがれを祓うのに、巫女の呪言が必要とされたのである。

               ・・・

こうしてみると、白山信仰は死をめぐる宗教の印象が濃厚で、とりわけ死から再生することに深く関わっていることが看守される。


古代漢字学者・白川静によると、

「白」は古代中国では「どくろの形、その白骨化したもの、つまりしゃれこうべが字源で、葬式を「白事」と称した」という。


白山信仰の歴史は、公式には養老元年(717)、「泰澄開山」をもって始まるが、その発生は有史以前に遡るであろう。

泰澄はむしろ「中興の祖」と言うべき存在で、原始からあった土着の信仰に、仏教、道教、陰陽道など、大陸や朝鮮半島から新たに渡来した信仰を加えて、当時流行の神仏習合思想を注入するとともに、朝廷が望む国家鎮護の役割も加え、中央でも通用する宗教としての体裁を整えたのであったろう。


白山神が都に知れ渡ったのは、中央政府の神祇体制に組み込まれたからだが、その後律令制度が崩れた後もさらに勢力を伸ばした点には、比叡山の果たした役割が大きい。

比叡山を開いた最澄は、近江志賀郡の出身で、父三津首百枝は泰澄の父と同様、やはり渡来人の家系であった。

唐から帰朝した最澄が天台宗を開いたのは、806年。

平安時代末までには、白山と「本末関係」を結んだ。

泰澄の「澄」が、最澄の「澄」と同じであることも、その関係を物語っている。

以後、白山信仰は急激に密教化し、修験道色も濃厚になる。

仕上げとしては858年、比叡山の地主神である麓の日吉山王神社に「客人神」として白山社が祀られたことが挙げられる。


「客人」とはこの場合、「眷属」として外部から招かれたものの意味だが、ここから直ちに想起されるのは、折口信夫がこれを「まれびと」と訓読して、彼の古代研究の中核に据えたことである。

すなわち、折口のいう「客人」とは、時を定めて異郷(他界)から来訪する神の意味なので、白山の女神がやって来たのは他界からである。



話は飛ぶが、江戸吉原の遊郭で「白山神」を祀っていたことは、下の一行から知られる。

青桜にて「客人権現」の宮を信ずるのも おかし
山王一社の「客人権現」は 女なり 
青桜に 女客は入らぬものなり


筆者は、蜀山人こと太田南畝。

傀儡が祀る「百神」や、遊女が祈る「百太夫」が「白山神」に他ならないことを証する貴重な文言で、「客人神」の意味はこれほどに広いのである。

「白山神」の「渡来の神」としての性格も、「客人神」に含めていいだろう。




泰澄をはじめ、白山信仰と縁のある僧侶が秦氏の家系で、白山の主神である菊理姫の顕現の姿を「天衣瓔珞をもって身を飾る」と異国風なことを強調したのは、今来の神としての正体が、当時は公然たる事実だったからではあるまいか。

のちの「白山曼荼羅図」を見ても、忠実に唐風に描かれているし、比叡山の別院である三井寺が、「新羅明神」を鎮守にして、白山権現を祀っていたのは重要である。

地理上の位置ゆえに、古代の北陸は、朝鮮からの表玄関だった。

高句麗が、唐・新羅の連合軍によって滅亡したのは668年。

百済の陥落は、その前の660年である。

すぐ隣りの日本列島に、大量の亡命者が流れ込んだであろうことは、近年、南ベトナムが陥落した折、多くのボートピープルが黒山をなして我が国に流れ込んだことを考えれば、いっこうに不思議ではない。

それ以前からも、何波にも亘って、とうとうたる移住があったことだろう。

一説によると、紀元前3,4世紀から6世紀までの約1000年間に、少なくとも数十万人、最大150万の人々が朝鮮半島や中国大陸から流入したと言われている。

能登、越前、若狭など、上陸地点に近い地域はもとより、大和への経路である近江一帯に、点々と渡来人の里が連なり、そこでは多く十一面観音が祀られている。

菊理姫の「きくり」は「高句麗」がなまったものという説があるくらいだ。


おまけに、白山麓の白峰では「ギラ言葉」といって、「わたし」のことを「ギラ」と呼ぶなど、朝鮮語のなまりが顕著で、郷土芸能のかんこ踊りを見ても、打ち鳴らす「かっこ」やリズムは朝鮮のものだ。

踊りのときに白いハンカチを振るのは、婦人が長い袖を振る古代の風習を今に伝えている。

白峰では、母や妻、近所のおかみさんを呼ぶのに、「イネ」という。

それは韓国語の「エビネ」の音に近い。

泰澄の母の名が「伊野」であったのとも通じて、見逃せない。



                 (引用ここまで)

写真(下)は「白山三社権現画像(中央が白山ひめ)」(同書より)


                   *****


とても興味深い話が次々と書かれていて、驚嘆してしまいました。

著者・前田氏は雑誌「新潮」の編集長を定年退職後、民俗学の探究に取り組んでおられる方だそうです。

白山、一度訪ねてみたいものです。


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「日本の不思議」カテゴリー全般
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「古事記」を古代朝鮮語で読んでみる・半藤一利氏・・聖徳太子(3)

2015-08-01 | 日本の不思議(古代)




聖徳太子についての文章である「古代日本七不思議」の中の半藤氏の文章の続きを、ご紹介し忘れていました。

文芸春秋社刊「古代日本七不思議」に納められている、半藤一利著「飛鳥の幻をタンテイする」のご紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


            *****


          (引用ここから)


712年に太安万侶によって選上されたという「古事記」を、古代朝鮮語で読んでみると、より中身がはっきりしてくる。

まずは、天地開闢。

伊邪那岐神と伊邪那美神が登場。

「岩波古語辞典」には、「互いに誘いあった男女の神の意」とある。

しかしこれを朝鮮語として分解すると、「イザ」は「イド」からの転換と考えられる。

善いとか美しいの意味がある。

「ナ」は「生まれる」・「出る」の意である。

「キ」と「ミ」は、男女を区別する尊敬語で、すなわち「美麗出生の男女の神」となる。


海の神を「大綿津見(おおわたつみ)命」という。

「岩波古語辞典」は、「綿は海の当て字、海をつかさどる神」とあるが、海がなぜ綿なのか、触れていない。

しかし朝鮮語では、海を「パダ」という。

「ツ」は、接続のことば。

「ミ」は尊称であって、神の「ミ」と同じく、「すべて霊威あるもの」、「呪力あるもの」を意味している。

神の、「カ」は、接頭語。

「命(みこと)」の「ミ」もそれにあたり、「コト」は「事」・「言」「もの」。

ここから「ミコトノリ」が出る。

天照大神の直系の神にこれがつく点から見ても、「ミコトノリ」に従った神ということになろう。


「天照大神」の「アマ」は、朝鮮語の「オマ」=「母」から来ている。

「天地創造の母」の意。

「テラス」=「ティル」は、「望む」、「見下ろす」であり、「天地を見下ろす母神」となる。

天照大神の弟が「建速須佐乃鳥命」で、「岩波古語辞典」によると「勇猛迅速に荒れすさぶ男神、嵐神」である。

「たけ」を朝鮮語の「タク」で「勇猛」・「敏捷」、

「はや」を朝鮮語の「ハラ」で「早い」、

「すさ」は「スス」で「喧噪・さわがしい」。

これを合わせると、「勇猛喧噪男命」である。



アメノウズメノミコトは、「岩波古語辞典」は「名義不詳」としているが、「ウズ」とは朝鮮語で「ウス」、「笑い」の意となる。

疑問は氷塊する。

「笑いの神」なのである。


天孫降臨で日向に下ったのが、ニニギノミコトである。

正確な名はえらく長い。

天津日高日子番能ニニギノミコト(あまつひこひこほのににぎのみこと)と申し上げる。

「アマ」と「ツ」は、すでに書いたとおり「天地創造」と接続の言葉で、「天の」というような意味。

「ヒコヒコ」は「ヒウォヒウォ」からきて、「豊かに実る」、すなわち「豊穣」である。

「ホ」=「ポ」=「穂」。

「ニ」は朝鮮語でも「ニ」で、「稲」のこと。

「ニギ」は、これも同じ発音「ニギ」で「熟れる」・「爛熟」となる。

となると、「天豊穣稲穂之熟命」。

この神は、「米の豊穣を司る神」なのであろう。


この米の神の日本上陸を先頭するのが、猿田彦命。

これは「サル」の解釈で、2通りの意味が考えられる。

「サル」の「サ」にアクセントをおけば、「稲」。

「ル」を巻き舌でほとんど発音しないなら、「物事の災いとなる邪気」、「陰気」となる。
「ダ」は前者でいけば「田」「地」。

後者なら「タ」と発音される。

朝鮮語の「分ける」「取り除く」、ということになる。

「農耕の神」と見るか、「悪気や邪気を取り払う神」と見るか?



稗田阿礼は朝鮮半島からの渡来人であったのだろうか?

そうではあるまい。

そう考えるより、太安万侶を中心に編纂官たちは何かを参考にして「古事記」を編んでいったと考える方が自然である。

その何かとは、大化の改新で灰塵に帰したと言われている、聖徳太子・馬子が編纂した「天皇紀」「国記」ではなかったか?

日本列島を作りたまいし神々から、神武以来国家建設の中心となった天皇家の物語が、一人の男・稗田阿礼の記憶から絞り出されたとは、いささか無理な話だ。

手本があった。

そして「序」で言うように、その手本から「嘘を削り、真実を定めた」とする方が良いだろう。

皇祖・皇宗の由来を克明にした「日本書紀」についても、成立の重大な理由の一つが、天孫たる天皇家が日本の首長たる神慮や定めを創作するにあった、という、その最も生々しい原図が、曽我天皇の否定、曽我天皇よりも現天皇の優位を系譜的に創造する必要に発していたと見てよかろう。


           (引用ここまで)


            *****

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