始まりに向かって

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愛し合う巫女と狐・・「神と人のはざまに生きる」(6・終)

2017-02-27 | 日本の不思議(現代)


現代の稲荷巫女・三井シゲノさんの言葉の聞き書き、アンヌ・ブッシー氏の「神と人のはざまに生きる」のご紹介を続けさせていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

              *****

            (引用ここから)


ある日のシゲノのお告げの様子である。


ホオオーー ホンーー ホオーー ホン

弁財天 龍王 お世話ずき 白龍・・・ハア

はや鎮まった この貴重な日に 御守護 欠くことなく(意味不明の言葉)・・

かみより受けた 無限のちから・・・

手放さず・・・ハアア  かさねて 祈りを 捧げます ウン

きょうは よい日あがり ウン

前半は やはり つらいものにて ある

後半には 笑うことがあると 信じて 年を迎うべし

なにごとも 心砕かず フウン ただ一筋に 一日は 感謝をして くらす

こころのさとりを ひらくべし

悟りと 感謝 悟りと 感謝

人間の道 かみより さずかったちから

なにごとがやはり さとりをひらけ 

よろこびは かさねてあるが心得

誓いを わすれてはいかん

本年は 十二分の年と 申しよう

十二分努力をし 八分を十分におもえて 喜び、 これが・・・の神

人間のちから・・・

これにかさねて やはり十二分で あるようにして 努力しよう

迎う年は よき年と あれかし ハアア ハン ホオオ

               ・・・


これらの言葉が口より発せられる間、シゲノは合掌した両手を幾度となく頭上高く振りかざすのだった。

時に叫び声を上げ、時にため息をもらしていた。

             ・・・

(シゲノの家でお茶を飲みながら雑談している時)

「たとえば、「白高(しらたか)さん」はよく笑い声を上げる、荒々しい「神さん」です。

この「神さん」が降りてくると、なんであれ、ものを言う前に、決まって豪勢な大笑いから始めるようです。

逆に言えば、私が笑う時には、「白高(しらたか)さん」が憑いていると分かるわけです」。


不意にシゲノの娘が言葉を挟んだ。


「それにまた、「白高(しらたか)さん」だけが見せる、他のことによってもそれとわかります。

うちの「神さん」は、眷属の「神さん」ですが、降りてくると、時おり「オダイ」の身にまったく奇妙な振る舞いが生じるのです。

たとえば「お神酒くれ」と、神前にお供えしたお神酒を欲しがられるといったことが、かつてありました。

すぐに茶碗に並々と注いでさしあげると、それを口に運んで飲む様といったら、意外なものでした。

まるで動物がするかのような具合なのです。

それから、ううわっと雄叫びを上げて、何か食べ物を欲しがられるのですが、その後にお口の中をきれいにして差し上げなくてはなりません。

でないと怒ります。

それが済んで、「オダイ」は「神さん」のお言葉を告げるのです。

こうした光景を目にするたびに、私は驚く以上に、これこそうちの「白高(しらたか)さん」の有様だと、いつも思っておりました。

「白高さん」は荒々しく乱暴な物言いをなさいますが、決して下品なわけではなく、普通の話し方よりもう少し丁寧な言葉遣いをなさいます」。



(シゲノ談)

お勤めやお伺いがうまくいったかどうかを、証し立てるようなことがございます。


たとえば火護摩を焚いて呼び込みをする時、ちょうど私の口を通してその「神さん」が自分の名を告げる瞬間、急に私の体が、座ったまま突然一尺ほど浮き上がることが時々あるのです。

もちろん自分の体がどうやって浮き上がるのかも、それがどれくらい続くのかも私にはわかりません。

と言いますのも、始めるとすぐ私は普通の意識でなくなり、そしてその間の記憶は後では全く無いのです。

自分の体がどうやってまた地に降りるのかもわからないのですが、私としてはそのように体が浮き上がるということは、たとえお供えがたったおにぎり一つしかなかったとしても、お祀りが首尾よく行われたということを、

つまりこの時「神さん」がちゃんと降りたこと、これを待っていた、ということを意味するものなのです。


また、常に同じことが一つございます。

それはまさにその時、私が「神さん」をお呼びして「神さん」がこの私に降りて来られる間に覚える感覚です。

もはや周りにあるもの一切が、分からなくなるのです。

それから何か、音が聞こえてきます

どんな音かと問われれば、町中で銭湯のそばを通る時に、湯気立つ窓から聞こえてくるような音とでも申せましょうか。

まさに湯煙の立ち込める風呂の中のむんむんした熱気越しに漏れてくる、あのたくさんの声の入り混じった、よく聞き取れない音のような、内にこもった響きなのです。

遠くとも、近くともつかない、響き会う声音は、聞き取れることもあれば、聞き取れないこともあるような、そんな老若男女の入り混じった声の木霊がとめどもなく、ふぁ、ふぁ、ふぁ、と湯気の中から響いてくるのですが、その時体全身が震えだすのです。


大体そのように体が震えるのは、年取った「神さん」が何事かを教えようとなさっている時であります。

若くて力のみなぎっている「神さん」の場合は、この両手が一挙に天へ振り上がるや、突如大きな叫び声が、神さんご自身の御心から弾けるように噴き出して、その御名に続けて、お言葉が発せられます。

とは言いましても、その時私は、私の口から出る言葉を自覚しているわけではありません。

                ・・・

シゲノはこのように彼女が「夢のお告げ」と称する状態を語った。

           (引用ここまで)

            *****

夫婦のような「シラタカさん」とシゲノさん。

彼らの生きる世界は、現実のことだと思います。

シゲノさんは、「シラタカさん」に見染められて、嫁に行ったのですね。

そしてそのことを後悔していないのだと思います。


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生きた布袋様・仙台四郎のこと・・七福神の由来(4)

2017-02-24 | 日本の不思議(現代)



「日本人と福の神」のご紹介を続けさせていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

次は、布袋尊についてです。


         *****


       (引用ここから)



「布袋・運命と天候を予知する神」

我が国では「布袋」のことを「ほていさん」と愛称しており、七福神の一柱として信仰しているが、中国では唐代に実在した人物とされている。

禅僧であり、多くの人々から「哄笑仏」として尊称されていたという。

したがって「布袋」は七福神の中でただ一人、実在した人物ということになるが、その生涯はいかにも伝説的である。

「布袋和尚」の伝記で最も信頼できるのは、北宋の1004年に道原が編纂した「景徳伝燈禄」である。

本書は、禅宗史伝の根本的な全集であり、全30巻、その中の第27巻に「布袋和尚伝」が記されている。

その記録によると、次のようになる。

「布袋和尚は、明州・奉化県の人とある。

明州は唐の州名で、今の浙江省の北東部に位置する寧波(にんぽう)である。

寧波は、東シナ海に注ぐ河口港に発展した商業都市であり、日本の遣唐使が上陸した地として知られている。

また、室町幕府の勘合船が寄港するなど、古くから対日貿易港として栄えた地である。

次に、布袋和尚は自ら、名を「けいし」と称したが、氏も族も未詳である。

生まれた場所や家系、つまり氏素性は分からないと記されている。

「布袋和尚」は肥えて、鼻柱にしわを寄せて笑っている。

人々が「布袋和尚」のことを「哄笑仏」と称したのも、このようにいつも笑っていたことによるものと思われる。

次に、腹の大きい様である。

大きく突き出た腹を、今も「布袋腹」と言うが、このような外見を見れば、「布袋和尚」は普通と違って奇異な姿をしており、一般人からすれば異様な風体ということになる。

また、「「布袋和尚」の話すことは、一定の方針がなかった」と記されている。

おそらく、支離滅裂で筋道の通らないことをぶつぶつ話していたものと思われる。

そして「随所で寝伏した」というのは、布袋和尚が世俗を捨てて各地を転々と放浪していたことを示している。

つまり風来人の生活を送っていたのである。

大黒天や大国主命が大きな袋を肩に背負っているように、「布袋」も布の袋を杖にかけて担っている。


「七福神考」によると、ある時人々が、「布袋」が怠けているのを見て、ののしり、持っていた袋を奪い取って、燃やしてしまった。

ところが、翌日、「布袋」はいつものように袋を背負って去っていったという。

「布袋」の袋は、たとえ火で焼こうともすぐに元に戻る不思議な力があったのである。

それは「大黒」や「大国主命」の袋と同じことであると思われる。

    
               (引用ここまで)

                 *****



次に、この「生きた布袋さまの再来」として、明治時代に大変有名であったという、仙台の人「仙台四郎」のことを記した本を見つけましたので、その本を紹介させていただきます。

大沢忍著「不思議な福の神「仙台四郎」の解明」という本です。

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まずは「あとがき」を見てみます。

             *****

          (引用ここから)

あとがき 

人にとって運命的な出会いというものがあれば、私と「仙台四郎」との出会いもその一つであったと言える。

仙台のある取引先から突然「仙台四郎」の写真が送られてきたのを契機として、私はその時初めてそれが地元では有名な「福の神」であることを知らされた。

そしてその茫洋とした姿の中に、実に〝福相″のあることを感じ、丁重にそのその写真を取り扱い、接しているうちに、当然のごとく「仙台四郎」について、より詳しく知りたくなった。

それは奇しくも私の経営する那須の「ホテル西洋館」の東北に位置する縁起として、その経営状況の嬉しい進展と呼応するものであった。

まさに「福の神」の到来であり、少しでもその実際を見極めたく感じていた。


そこで私は畏敬と感謝の念を込めて、仙台での独自の取材を行った。

運よく巡り合うことのできた仙台郷土史家の先生から直接お話を拝聴し、その他いろいろな関係者の方々からもお話を伺い、わたしの取材旅行はおどろくほどにスムーズに進み、これも「四郎さん」のおかげかと思えるほどであった。


そうした私の「福の神・仙台四郎」への取り組みは、二つの方向で実現していった。

一つは、「布袋尊」の再来として、その縁起品を広く紹介し、福を拡散すること。

もう一つは、「布袋尊」に比肩する「仙台四郎」の解釈そのものを紹介することである。

本書を通じ、「福」を求める人々が共感をもって「福の神・仙台四郎」を知ることになれば幸いである。

そしてすでに「仙台四郎」を支持する人々に対して、その神秘の意味を示すことができれば、幸いである。

「福の神・仙台四郎」を通じ、多くの方々に「福」の訪れることを願って止みません。

             (引用ここまで)

               *****


             
「仙台四郎」さんという人のことは、はじめて知りました。

面白いですね。

続きます。
          

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福禄寿は、星の仙人たちである・・七福神の由来(3)

2017-02-22 | 日本の不思議(現代)



七福神について、さらに「日本人と福の神」という本を読んでみました。

「福禄寿」と「寿老人」について書いてあるところをご紹介させていただきます。

いろいろな本を読んでみましたが、一番興味深いと思い、選びました。

古代中国文化は奥が深く、ミステリアスな魅力に富んでいます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


             *****

             (引用ここから)

「福禄寿・寿老人」

「南極老人星」への信仰

七福神の中の「福禄寿」と「寿老人」は、ともに「南極老人星」を神格化したものである。

そのために、しばしばその間に混乱が見られる。

「寿老人」と「福禄寿」の説明には錯綜した説明が展開しており、そのため、両者の間には明白な区別がみられない。

「南極老人星」は、中国の占星術では寿命をつかさどる星とされており、それゆえ「寿星」、「寿老人」などとも言われる。

「南極老人星」が見える時は、天下は太平に治まり、国主や人民の寿命も安泰であるが、

この星が見えない時は、国家に戦乱が続き、国主や人民にも危機が迫ってくると信じられた。


このような思想ないし信仰は古くからあり、中国最初の通史、紀元前91年頃に完成した司馬遷の「史記」に、

「地平線近くに「南極老人」という大きな星があり、この星が現れた時は天下太平である」と記されている。

我が国においても、すでに平安初期には「老人星」が現れると人々も長寿になるという思想が認められる。

ただ、中国も日本も北半球に位置しているので、「老人星」はわずかに、春分の夕方と秋分の明けた頃の南の地平線付近に現れるのみである。


この「南極老人星」は、宋代の頃になると、人格神化するのである。

たとえば1056年~1063年、「南極老人星」が「道士」の姿に化身して市井に現れた、との伝説がある。

この「道士」とは、「道教」の経典を読んだり儀礼を執り行ったりする宗教者のことである。

また、宋代の1086年~1093年に、老人星が一人の老人に化身して現れた、とも言う。


この伝説は、魔訶阿頼耶著「日本七福神伝」や山本亮著「七福神考」に引用されている。

この伝記によると、

宋の元祐の頃、都に背丈がわずか3尺ばかりの一人の老人がいた。

その老人の頭は、胴体と同じ位長かった、とあるから、長頭に短体ということになる。

目は優美で、豊かなあごひげを生やしていたとあり、また質素な衣服を着て、占いを楽しみながら、町をあちこち歩き、金銭が手に入ると、それで酒を買って飲み、頭を叩きながら、「自分は人の寿命を支配する聖人なり」と語ったという。


「寿命を支配する聖人」といえば、ただちに「寿老人」と思われるが、ここには「老人星の化身」と記されているだけであって、「寿老人」とも「福禄寿」とも記していないのである。


「七福神考」には、次のように言う。

「寿老人」は、その形、端正にして、仙老の像であり、「福禄寿」は「長頭短体」にして、最も異相なり」と記してある。

そうすると、一老人は「福禄寿」ということになる。


それでは、「福禄寿」とは、どのような神なのか?

「福禄寿」の「福」は、幸福を意味しており、その幸福も様々あるが、とりわけ家庭の幸福であり、

さらには子孫繁栄までも含んでいる。

次の「禄」は「俸禄」である。

これは官に仕える者に支給される手当のことで、したがって、「禄」には「富貴」の概念も見られ、これを広義に解釈すれば、「財産があって身分の高いこと」と言える。

最後の「寿」は「寿命」である。

「寿命」がいつまでも続くように、という願いが込められている。

このように「福禄寿」は、人間の三大願望といわれる「幸運・富貴・長寿」のことであり、これを換言すれば、したがってきわめて現世利益的である。


しかし「福禄寿」に対する信仰は、決して低俗なものでない。

「福禄寿とは、福人、禄人、寿人の三人を合わせ描ける名なり」と述べられている。

ここに言う「人」とは、「神仙」という意味である。

「神仙(仙人)」は、道教が理想とする人間像であり、よって、「福禄寿」は三つの徳を兼備する、「神仙の中の神仙」なのである。


それでは、「福」「禄」「寿」を授かるには、どうすればよいのか?

その方法や手段を知りたいものである、と、多くの人々はその尊像を守り、その前に酒肴を供えて饗応し、経典を唱えて祈っている。

また「福禄寿」の護符を受けて「肌守り」としている人々もいる。

このようにすれば「福禄寿」を授かり、豊かで楽しい幸福な生活に恵まれると信じている。


ところで、中国の道教では、もう一つの考え方がある。

それは、宗教的、道徳的行為を実践すれば、「福・禄・寿」に恵まれるという考えである。

そのためには、「罪過を告白しながら心身を清めること」、つまり一種の「懺悔法」をするのである。

また、祭壇を設けて祈ることであり、主として「天神」の祭祀が目的となる。


中国の古代では、「天神」と言えばほとんどが「星辰」であり、「福禄寿」の場合は言うまでもなく、「南極老人星」である。


そして、善行を修めて功徳を積み、悪行をなさず、罪過を避けることである。

このように、日常の暮らしの中で心がけることにより、「福・禄・寿」に恵まれるとしている。

さらに「善行」を積んだ家には、良い報いが訪れ、それが子々孫々にまで及んで、多くの人々が幸福になるというのである。

ここには、中国道教の深い幸福観が述べられている。

ややもすると、「福禄寿」に対する信仰は、ひいては「七福神信仰」は、民衆の卑俗な現世利益と片づけてしまいがちである。

しかし、これらの信仰は、深い宗教的・道徳的行為、ないし実践に支えられているのである。


中国人、詳しく言えば「漢民族」は、春節(旧正月)になると、各家で「福禄寿三星図」をかけ、その前に種々の供物を捧げ、「今年こそは「福・禄・寿」に恵まれますように」と祈願をする。

「福禄寿三星」は、「福星」、「禄星」、「寿星」の総称であり、「三福神」とも言っている。

「三星図」は、文字通り「三星」を「三人」に擬人化して描いたものである。



台湾を訪れた時、何種類かの「三星図」を見る機会に恵まれた。

その中で印象に残った一枚は、画面に向かって中央に、ドジョウ髭を生やした天官が威儀を正して立ち、

右側に同じようにドジョウ髭を生やした天官が嬰児を抱いて立ち、

左側に、長頭で白い顎鬚を生やした老人が杖をついて立つ、という図柄であった。

この「三星図」は「年賀」としても人気があり、新年になると「福禄寿に恵まれますように」と願って、戸口に張る風習もある。

台湾で某氏に受けた説明によると、中央が「福星」、右側が「禄星」、左側が「寿星」であるという。

いかにも明快な説明であるが、いささか納得がいかない。

中央の天官が嬰児を抱く図もあり、よく見ていると、それは抱くというよりは、今にも手渡そうとしているようでもある。

また嬰児が手を伸ばしている図もあり、さらに、背後に嬰児の母と思われる高貴な女性が立っている図もあり、その部分に視点を置くと、一つの聖家族のようにも思われる。

杖を突いて立つ老人の杖には、ヒョウタンあるいは巻物が結びつけてある。

また杖の先端が鹿の頭で飾ってあったりする。

「七福神考」によると、この巻物には、人々の寿命の長短を記してあるのだという。

       (引用ここまで・写真(下)は同書より。台湾の「福禄寿三星」の絵)

        *****

韓国の大企業「サムソン」株式会社の「サムソン」も、「三星」の韓国語読みだということを知りました。

明星ラーメン、みたいな感じでしょうか?


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「伊勢神宮・外宮の豊受大神・・隠された神としての北極星」
http://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/f8f8486288cf4d939efa7458aba90169


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イワシより、ボラが先・・節分のヒイラギとイワシ(2)

2017-02-18 | 日本の不思議(現代)


節分に行う「ヒイラギの枝にイワシの頭を刺して家の門戸に置く」という習俗について考えています。

ウィキペディア「ヒイラギイワシ」を見ると、文献に初めて出てくるのは平安時代の紀貫之の「土佐日記」であるということです。

以下に載せます。

                  ・・・・・

wikipedia「柊鰯」より

柊鰯(ひいらぎいわし)は、節分に魔除けとして使われる、柊の小枝と焼いた鰯の頭、あるいはそれを門口に挿したもの。

西日本では、やいかがし(焼嗅)、やっかがし、やいくさし、やきさし、ともいう。

●概要

柊の葉の棘が鬼の目を刺すので門口から鬼が入れず、また塩鰯を焼く臭気と煙で鬼が近寄らないと言う(逆に、鰯の臭いで鬼を誘い、柊の葉の棘が鬼の目をさすとも説明される)。

日本各地に広く見られる。

●歴史と変移

平安時代には、正月の門口に飾った注連縄(しめなわ)に、柊の枝と「なよし」(ボラ)の頭を刺していたことが、「土佐日記」から確認できる。

現在でも、伊勢神宮で正月に売っている注連縄には、柊の小枝が挿してある。

江戸時代にもこの風習は普及していたらしく、浮世絵や、黄表紙などに現れている。

西日本一円では節分にいわしを食べる「節分いわし」の習慣が広く残る。

奈良県奈良市内では、多くの家々が柊鰯の風習を今でも受け継いでいて、ごく普通に柊鰯が見られる。

福島県から関東一円にかけても、今でもこの風習が見られる。


           ・・・・・

今はイワシですが、平安時代には、ヒイラギには「ボラ」が刺されていた、ということです。

そこで「ボラ」を見てみました。

         ・・・・・

wikipedia「ボラ」より

ボラ(鰡、鯔、鮱)は、ボラ目・ボラ科に分類される魚の一種。

ほぼ全世界の熱帯・温帯に広く分布する大型魚で、海辺では身近な魚の一つである。

食用に漁獲されている。

全長80cm以上に達するが、沿岸でよく見られるのは数cmから50cmくらいまでである。


●生態

河口や内湾の汽水域に多く生息する。

基本的には海水魚であるが、幼魚のうちはしばしば大群を成して淡水域に遡上する。

水の汚染にも強く、都市部の港湾や川にも多く生息する。

体長が同じくらいの個体同士で大小の群れを作り、水面近くを泳ぎ回る。

釣りの際の撒き餌に群がるなど人間の近くにもやって来るが、泳ぎは敏捷で、手やタモ網で捕えるのは困難である。

また、海面上にジャンプし、時に体長の2-3倍ほどの高さまで跳びあがる。


●別名

イセゴイ(関西地方)、ナタネボラ(愛媛県)、マボラ(広島県)、ツクラ(沖縄県)、クチメ、メジロ、エブナ、ハク、マクチ、クロメ、シロメなど

日本では高度経済成長以降、沿岸水域の汚染が進み、それに伴って「ボラの身は臭い」と嫌われるようにもなったが、それ以前は沿岸でまとまって漁獲される味のよい食用魚として広く親しまれ、高級魚として扱った地域も少なくなかった。

そのため各地に様々な方言呼称がある。

●出世魚

また、ブリやクロダイ、スズキなどと同様に、大きくなるにつれて呼び名が変わる出世魚にもなっている。

関東 - オボコ→イナッコ→スバシリ→イナ→ボラ→トド

関西 - ハク→オボコ→スバシリ→イナ→ボラ→トド

高知 - イキナゴ→コボラ→イナ→ボラ→オオボラ

東北 - コツブラ→ツボ→ミョウゲチ→ボラ

「トド」は、「これ以上大きくならない」ことから「結局」「行きつくところ」などを意味する「とどのつまり」の語源となった。

「イナ」は若い衆の月代の青々とした剃り跡をイナの青灰色でざらついた背中に見たてたことから、「いなせ」の語源とも言われる。

また、「若い衆が粋さを見せるために跳ね上げた髷の形をイナの背びれの形にたとえた」との説もある。

「オボコ」は子供などの幼い様子や、可愛いことを表す「おぼこい」の語源となっており、また「未通女」と書いてオボコと読んで処女を意味していた。

イナ(鯔)は、ボラ(鯔)の幼魚 18~30cmのもの。

「名吉(みょうきち・みょうぎち・なよし)」などとも。

オオボラ(鮱)は、ボラ(鯔・鰡)の成長しきったものを指す。

●利用

水質の良い水域のものや外洋の回遊個体は臭みが少なく、特に冬に脂瞼の回りに脂肪が付き白濁した状態になる「寒ボラ」は美味とされる。

身は歯ごたえのある白身で、血合が鮮やかな赤色をしている。

刺身、洗い、味噌汁、唐揚げなど様々な料理で食べられる。

刺身などの際は鱗と皮膚が厚く丈夫なので剥ぎ取った方がよい。

臭みを消すには酢味噌や柚子胡椒が用いられる。


      ・・・・・


ボラという魚は、「出世魚」でもあり、かつては高級魚とされていたということです。

ボラの料理を探してみました。

「農文協」出版の「聞き書き・ふるさとの家庭料理・冬のおかず」から、ぼらのなますをご紹介します。


          *****


     (引用ここから)

「ぼらのなます」

ぼらは、いな→てっぽう→ぼら→とど、と成長するにしたがって名前が変わる出世魚で、一尺半ほどのぼらになると、波の上の跳躍が見られる。

一年中捕れる魚であるが、特に「寒ほら」が味がよい。

ぼらのなますは、祷屋(とうや)行事(集落の祭祀を継承する行事)の酒の肴として、また日常のおかずとしてもよく作られる。

煮つけや塩焼きにしても美味しい。


         (引用ここまで)

           *****

なるほど、「ぼら」という魚は、古くから、集落の祭祀の際に作られる料理の材料なのですね?

そこで再び、ウィキペディアで「節分」を調べてみました。

現在でも、伊勢神宮の「正月のしめ縄」には、ヒイラギが取り付けられているということです。

「節分」の起源をウィキペディアで見てみました。

            ・・・・・

「追儺(ついな)」より


追儺(ついな)とは、大晦日(旧暦12月30日)の宮中の年中行事であり、平安時代の初期頃から行われている鬼払いの儀式。

「鬼やらい」(鬼遣らい、鬼儺などとも表記)、「儺(な)やらい」とも呼ばれる。

●歴史

追儺の儀式は、『論語』の郷党篇にも記述があり、中国の行事がルーツである。

日本においては天皇や親王が行う宮廷の年中行事となった。

その後、変遷があり、現在の節分の元となった。


●儀式の概要

方相氏(ほうそうし)と呼ばれる鬼を払う役目を負った役人(大舎人(おおとねり))と、方相氏の脇に仕える侲子(しんし)と呼ばれる役人(特に役職は決まっていない)が20人で、大内裏の中を掛け声をかけつつ回った。

方相氏は玄衣朱裳の袍(ほう)を着て、金色の目4つもった面をつけて、右手に矛、左手に大きな楯をもった。

方相氏が大内裏を回るとき、公卿は清涼殿の階(きざはし)から弓矢をもって方相氏に対して援護としての弓をひき、殿上人(でんじょうびと)らは振り鼓(でんでん太鼓)をふって厄を払った。

ところが9世紀中頃に入ると、鬼を追う側であった方相氏が逆に鬼として追われるようになる。

古代史家の三宅和朗はこの変化について、平安初期における触穢信仰の高まりが、葬送儀礼にも深く関わっていた方相氏に対する忌避感を強め、穢れとして追われる側に変化させたのではないかとしている。


●節分と追儺

追儺は節分のルーツともされている。

この節分においては、鬼を豆によって追い払う。

「節分祭追儺神事」を行う社寺もある。

              ・・・

豆まき一つとっても、いろいろと奥深い歴史が秘められているのだと、感慨を深くしました。

イワシより先に、祝肴としての「ぼら」が用いられていた、ということは、なんだか納得がいくように思いました。

そして、「節分」という季節の行事と、「追儺(ついな)」という宮中行事が混同していったのだということも、納得がいくように思いました。

しかし、それでも、「厄除け」という民俗は、さらに深い謎を秘めているとも思います。


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我らの聖なる水を守れ(2)インディアン・スー族の戦いと沖縄へのメッセージ・・沖縄タイムス

2017-02-12 | 北米インディアン



「沖縄タイムス」に、トランプ政権が強行するパイプライン計画に抵抗する北米インディアンの記事、および、彼らから沖縄の基地闘争をする人々へのメッセージがありましたので、ご紹介します。

                 ・・・・・

「米先住民らの抵抗現場を見た 民主主義の抹殺現場「スタンディングロック」 【金平茂紀の新・ワジワジー通信(23)】
               「沖縄タイムスプラス」2017・02・06


              
アメリカ合衆国第45代大統領にドナルド・トランプ氏が就任した。

ホワイトハウス執務室の椅子に座るや、彼は大統領令を頻発し内外に混乱を引き起こし続けている。

今、世界はトランプ大統領によって引っかき回されていると言っても過言ではない。

僕は、そのトランプ大統領の就任式などを取材するために先月中旬からアメリカへと取材に向かった。


スタンディングロック・スー族居留地のキャンプ=1月、米国ノースダコタ州(筆者撮影)

就任式翌日、全米で「女性大行進(Women,s March)」という大規模デモ行進があった。

いやはや、大変なものだった。

正直に記せば、この女性大行進こそが「歴史的」という形容詞にふさわしい出来事だと実感した。

そのワシントンの数10万人規模のデモ行進の一角に、鮮やかな原色の衣装をまとった米・先住民たちの小集団がいた。

立錐(りっすい)の余地もなく移動がままならない人ごみの中で、僕らは何とか体をずらして少しずつ彼らに近づいていった。

彼らこそ、米ノースダコタ州でダコタ・アクセス・パイプライン(以下、DAPLと記す)という石油パイプライン建設工事に反対して闘っているスタンディングロック・スー族の人々だったのだ。

彼らについてはすでにこの欄で触れてきたが、今回の米国取材で僕らは現地にまで足をのばして、どのようなことが進行中なのかを直接取材することができた。


現地、ノースダコタ州のスタンディングロック・スー族居留地は、州都ビスマークから車で2時間あまり。

現地に近づくにつれ風景が変わっていく。

季節は真冬だ。

雪原以外には何もない白い雪と潅木(かんぼく)のみの世界が広がっていた。

寒い。日本から持っていった携帯カイロをいくつも体に貼り付けて取材にのぞんだ。


先住民たちにとって、この土地および近くを流れるミズーリ川は、先祖代々受け継いできた「聖なる土地・聖なる水」であり、彼らの生き方・世界観の礎となっている。

折から、国連人権理事会傘下の作業部会などが主催する先住民たちからのヒアリングが行われていた。

パイプライン建設に反対する先住民と支援者らの非暴力直接行動に対して、州政府警察、事業主が雇った警備員らが何をしたのか?

それを丁寧に聴き取り、記録していく作業が行われていた。


先住民の生々しい証言が続く。

ゴム弾で撃たれた。

催涙ガスを散布された。

放たれた犬に噛(か)みつかれた。

拘束され大きな檻(おり)に入れられ、腕に番号を刻印された。


ビスマーク市の白人住民多数の社会の反対の声は聞き入れられ、パイプラインのコースが変更されたのに、先住民居留地の近くを通るのならいいのか?

少なくとも現時点では、国連人権理事会はこの問題に重大な関心をもっているようだ。

今現在、現地では工事は止まっていた。

なぜならば、前回この連載で記した通り、オバマ政権下で、工事の許可権限をもつ陸軍工兵隊が、去年12月に環境アセスメントの見直し等を決め、事業主に建設を許可しないという決定を下したからだった。

だが現地に行って先住民たちから話を聞くと、彼らの多くは、これは「嵐の前の静けさ」だと冷徹に認識していた。

そしてその通りになったのだ。

トランプ大統領は就任わずか5日目の1月24日、DAPLを含む石油パイプライン工事の当初計画どおりの工事再開を命じる大統領令を発出したのである。


まさにその日、僕らは現地で取材していた。

何というめぐりあわせだろうか?

「明らかにこの大統領令は先住民たちの顔に平手打ちを食らわせるようなものだ。彼らは環境アセスメントをやる気などさらさらない」(現地にいたアメリカ自由人権協会、ジャミール・ダコワール弁護士の発言)。

先住民が抗議行動の拠点にしているキャンプには、さまざまな意匠に富んだテントが数多く設営されていた。

僕らが訪れた時はせいぜい400人位しかいなかったが、一時は数千人がこのキャンプ地および近郊に結集していたという。


スタンディングロック・スー族の行政庁で歴史編さん部の仕事をしている歴史家ジョン・イーグルさんに話を聞くことができた。

「ここアメリカで主流とされる社会と私たち先住民とでは、〈神聖〉とするものが異なるのです。

私たちの祖先は、この土地から生まれでた。

この土地から、私たちの物語が始まったのです。

アメリカ人のほとんどは、海外から来た人たちです。

私たちの先祖はこの土地に眠っていますが、彼らの先祖たちはここから遠く離れた土地に眠っています。

ですから彼らのこの土地との絆は、私たちが持つ絆とは異なるのです。

土地を守り、水を守るのは私たちの当然の責任だと思っています。

それで私たちは〈水の番人〉と呼ばれるようになったのです。

ですから抗議活動とかデモなんていう軽い言葉は使いたくありませんね」


豊かな知識に裏打ちされた確固とした語り口だった。

実際、イーグルさんの話の内容は、7世代前の先祖たちの予言にまつわるものから、はるか未来の世代への責任など、時間のスケールが桁違いに壮大なのだった。

最も懸念されるのが、パイプラインからの石油漏れだ。

実際かなりの頻度で、石油漏れと環境汚染が起きている現実がすでにある。

「私たちがそれを許したばかりに、子供や孫やひ孫が大惨事に対処しなければならなくなるのです」


イーグルさんは、こちらが切り出す前にすでに沖縄の米軍基地建設に絡んで進行中の出来事のことを知っていた。

「私たちにとって、この世の中にあるものの中で1番の薬は水です。

水は命です。

沖縄の人々にメッセージを持ち帰ってもらえるならば、彼らにこう伝えてください。

彼らが立ち、守っているその土地は、スタンディングロックで私たちが立っているこの土地と同じです。

私たちはそれほど遠く離れてはいません。

心に勇気を持つように、彼らに伝えてください。

私たちは成し遂げることができます。

私は彼らのために祈ります。

この世界でもがき苦しむ全ての人が、共に立ち上がるべきなのです」

はるか遠く離れたノースダコタ州の先住民から、沖縄の人々へのメッセージである。

               ・・・・・

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世間こぞりてエビス、ダイコク・・七福神の由来(2)

2017-02-10 | 日本の不思議(現代)



引き続き、岩井宏實氏著「妖怪と絵馬と七福神」から、七福神の由来を紐解いてみたいと思います。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。                                

お正月といえば七福神、と思って調べ初めたのですが、すでに2月になってしまいました。

室町時代には成立していたとすると、ずいぶん古い信仰と言えると思います。

古すぎて、ほこりをかぶっているような状態ですが、これがなかなかパワフルでもあり、本当に面白いです。


                 *****

               (引用ここから)



このころまた、


一に俵ふまえて、

二ににっこり笑ろうて、

三に酒作りて、

四つ世の中よいように、

五ついつものごとくに、

六つ無病息災に、

七つ何事もないように、

八つ屋敷広めて、

九つ小倉を建てならべ、

十でとうと治まる御代こそめでたかりけれ


という歌が生まれ、旅芸人達がこの歌を歌って舞をして歩いた。

それが「大国舞」で、この「大黒舞」によって「大黒」に対する庶民の信仰がいっそう盛んになったのである。

そしてまた、室町時代末期には「大黒」の授福物語がさまざま語り伝えられた。

また、「大黒天」の神使を「ねずみ」とする信仰も広まった。

「家ねずみ」は古くから霊獣視され、中国では300才の「ねずみ」がいて、卜占をしたという話もある。

だから「ねずみ」はしばしば災害を予知する力を持ち、火事・地震など異変が起きる時はそれを察知して、家から姿を隠してしまうというのである。


この「ねずみ」の信仰を物語る話として、大和下市の「鼠長十郎」の話も語りつたえられた。

この男はたいへん裕福になったが、それはむかし伝教大師が刻んだという「三面大黒天」がこの家に祀られていたからで、

また、その眷属である「ねずみ」にちなんで、自らの名前も「鼠」の字を用いるほど「大黒天」を信仰したからであるというのである。


なお、家家に「大黒天」のお札や神像を柱に祀り込む風もおこり、その柱を〝大黒柱″と称したが、

室町時代末期から桃山時代、江戸時代初期にかけての間に、それに相対する柱を〝小大黒″あるいは〝恵比須柱″と称するようになった。


かように「恵比須」と「大黒天」は、室町時代末期にもっとも流行し、「招福の神」として「世間こぞりて一家一館にこれを安置せずということなし」と言われるほど、この二神の画幅が出回った。

その画幅たるや、まじめな神像もあるが、「大黒天」が「布袋(ほてい)和尚と賭博をしている図や、「恵比須」が「布袋和尚」と首引きをしている図など、おどけた図が多かった。

ということは、庶民に「恵比須」、「大黒天」が親しまれたということであった。


ところで「七福神」の成立以前から、すでに個々の「福神」の信仰は徐々に広まっていた。

竹生島の「弁財天」、鞍馬の「毘沙門天」などはその例である。

「弁財天」はもともとインド神話に現れる河川神サラスヴァティであったが、略して「弁財天」と称された。

サラスヴァティの河の流音が音楽そのものであるとの感覚から、音楽や弁舌の神として信仰され、その信仰が仏教とともに我が国に伝来し、すでに奈良時代から造像されるようになった。

東大寺法華堂の像などはその代表的なものである。

中世になって源頼朝の願意によって相模・江の島にこの神を勧請したことが「吾妻鏡」に見え、その江の島弁財天が室町時代になって福の神として民間に信仰され、

そこから「弁才天」も「弁財天」とされるようになり、「七福神」の中に入れられることになった。


この弁財天が「福神」として「七福神」の一神とされる以前には、「鈿女の命(うずめのみこと)」をあてたこともあった。

「鈿女の命」は、天照大神の岩戸籠りのとき岩窟前で滑稽の態を演じたため、のちに俳優の元祖と仰がれるのであるが、

また天孫降臨に従って、猿田彦命の苦り切った渋面もやわらげたというところから、

のちにお多福面にも見立てられたほどの道化者として、「福神」とも考えられたのであった。

「毘沙門天」は、もともと軍神として国家鎮護の神とされていたのであるが、室町時代末期にいたると、一転して、財産を授ける神として信仰されるようになった。


「布袋(ほてい)和尚」は、他の六神とはいささか趣を異にしている。

物事に拘泥しない風体が室町時代末期の世相と合致し、「布袋和尚」が多くの画幅の題材とされ、人々に受け入れられたのである。

そのさい、〝布袋和尚が弥勒菩薩の分身″とする思想が、「布袋和尚」を福の神たらしめたのであった。

「福禄寿」と「寿老人」は、もと同一の南極寿星化身の仙者であったが、室町時代に別個の仙人として描かれたため、二神に分離したのである。

そして「福禄寿」は背が低く、頭が長くて髭が多く、経巻を結び付けた杖を持ち、鶴を連れている姿にされた。

「寿老人」は頭が細長く白いひげをたらし、杖と団扇を持った短身の老人とされたのである。

そしてともに〝福をもたらしてくれる神″とされ、こうして室町時代末期に「七福神」が勢ぞろいしたのである。


           (引用ここまで)


            *****

最近、わたしは、人の顔を見ると、七福神に見えてくるようになりました。

人間というものの持つ、摩訶不思議さ、なぜそんなに強いのか、生きるとはどういうことなのか、生きるということほどミステリアスな事態はないのではないかと思われてなりません。



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鞍馬山での寒行、少年のような鞍馬天狗を見る・・「神と人のはざまに生きる」(5)

2017-02-07 | 日本の不思議(現代)


引き続き、現代の稲荷巫女・三井シゲノさんの語りの聞き書きを行ったアンヌ・ブッシー氏の「神と人の間を生きる」のご紹介を続けさせていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。 

シゲノさんの証言によりますと、鞍馬天狗は、少年のような姿で飛び跳ねているということです。

サナト・クマラも、少年霊だということですから、これは事実かもしません。     


           *****

          (引用ここから)


私は「寒行」といえば、いつも「滝寺」のお滝と「伏見の稲荷山」の「白滝」へ参っておりましたが、大阪に暮らすようになってまもない頃は、京都の北にある鞍馬山へも「寒行」をしに行っていました。

4、5人のお連れができ、電車で京都まで、それから貴船の山麓まで行き、そこから雪道や氷の張った道を登って、鞍馬山・奥の院の魔王さんに詣でるのでした。

大体、酷寒の2月8日に発ちました。

鞍馬の山奥に3日、時には1週間籠もりました。


私の「白高(しらたか)さん」は、軽薄な振る舞いを許しません。

行は絶対でなければならず、限りがあってはならないのでした。

私は灯したろうそくを一本ずつ左右のひじの上に乗せて、滝に臨み、手で九字を切りました。

すると、ろうそくの炎がぴゅっと燃え立つのでした。

足には藁草履をはき、石の上に立ち、ろうそくの燃え尽きるまで冷水を浴びるのです。

冷えも、ろうそくによる火傷も感じませんでした。


私たちはまた、「龍王さん」の住む池まで足を運びました。

山の中には「行所」というものがありまして、行者のために藁むしろを貸してくれるので、私たちも夜はそこを訪れ、山に向かって北西にむしろを敷かせてもらいました。


たくさんの「お滝」に参りましたが、要は、「滝行」を怠らないことです。

村にいるかぎり、私は毎日「お滝」へ行きました。

私にとって行をするということは、力の限り水をかぶり、食を絶ち、絶対にそれを怠らないことでした。

知っていることは、すべて「白高(しらたか)さん」に教わり、この身一つで学んだのです。

行や祈祷や祭式などについて、誰かに教えを乞いたいと思う度に、決まって「いかんで」と、「白高(しらたか)さん」に止められたのです。


「白高(しらたか)さん」に「オダイ」の心得を教わったのは、「寒行」の最中のことでした。

「寒行」の最中には、「山の神さん」を見ることもありました。


鞍馬の魔王山では、全身全霊で行をしておりますと、ほんとうにおかしな足取りでとっとこたんと石から石へ、飛び移ってゆく魔王さんの姿が見えたのです。

7、8つの少年といった風体で、両足でほんとうに楽しそうに遊んでいました。

ポポポと、飛び跳ねたり、パンパンと手をたたいたり、パッと宙に飛び上がったりと。


また「滝寺」の「お滝」へ行けば、「白高(しらたか)さん」が見えました。

そして、度々飛んでもないことが起こります。

たとえば私が滝に向かって九字を切ると、水が飛び散るのです。

止めどなく流れ落ちる滝に打たれたりすることが、実際にどのような結果をもたらすのかはわかりません。

たんに脳の中の血の巡りが、異常に良くなるだけなのかもしれません。

それで、頭が冴えるのでしょうか?

ともかく確かなことは、日課の滝行をしている間には、驚くほど正確に、翌日、翌々日に起こることがすべて先にわかってしまったのです。
 
         ・・・



その日シゲノは、私(著者)に、かつての「滝寺」の跡地まで足を延ばすよう勧めた。

笹の茂みをかきわけながら、急な坂をよじのぼり、「お滝」の上方にある磨崖仏の彫られた岩に達した。

シゲノから聞いていたとおり、この岩壁は数多の仏像に覆われていたことがわかったけれども、それらはすでに消滅あるいは破損してしまっていた。

立札では、それらの仏像が8世紀のものと推定されていた。

この近辺は一般に「千坊」と称されており、そこに見られる瓦は8世紀に平城京の屋根を覆っていたものと同一のものであることもわかっている。


今一度、私はここでの発見にただ茫然とするばかりだった。

この地は、少なくとも8世紀の昔から、山で修行する行者を惹きつけてきたが、彼らが「滝寺」を建立し、山麓にすむ農民の信仰を仏教と習合させた。

「山の神」は「観音菩薩」とみなされ、「龍神」は「弁財天」とされたが、それらはそれらの古の神々の存在を否定することではなかった。

それどころか、新しい信仰を支える土台とし、またそれらに威光を当て、不滅なものにするものであった。

シゲノが幼い時に見た「滝寺」の堂守たちは、この地の長い歴史の詳細を知る最後の者であった。

言い伝えの奥底に埋もれていたここの山神と水神信仰が、目の見えないシゲノのおかげで、再び日の目を見るに至ったのだ。

この一連の出来事は実に意外なものと言える。


             ・・・


あの「お滝」で、「白高(しらたか)さん」がどのように私に会われたか?

なぜ「白高(しらたか)さん」はあそこにいたのか?

またどういうわけで、この私を「オダイ」としてお選びになったのか?

ということを、「白高さん」は私の口を通して語りました。


「白高(しらたか)さん」が自らおっしゃるには、「自分はかつて伏見の稲荷山の二ノ峯の眷属の白狐で、そこの社で「白高」の名の下に修行をしていた」ようです。

けれども一つ愚かな真似をなさって、そのために琵琶湖の北の竹生島に流されたのです。

「弁天龍王さん」を祀るその島での暮らしは、はなはだ辛いものだったようで、3年の後、ようやく二ノ峯に帰るのを許されましたが、ばつの悪いところに戻るくらいならと、他の地を求めにいった。

そうして旅を続けるなかで、ある日大和の「滝寺」に辿り着いたとのことです。


ちょうどその時、私は「お滝」で10か月間お籠もりをしている最中だったのです。

私の方は、ひたすら滝に打たれている目の見えない女でありましたが、「白高(しらたか)さん」はそんな姿に興味を示されたのでしょうか?

私を「オダイ」に選んだのです。

こうしたことすべては、私の口を通して語られたのです。

まことに不思議なものでした。

こうして私たちは「白高(しらたか)さん」が白狐、雄狐であると知りました。

私はといえば、「滝寺」の「お滝」へ参る時によく、日も暮れる頃、「白高(しらたか)さん」のお姿を目にしますが、それは何かしら不思議なものです。


                ・・・

動物を神々の化身あるいは乗り物とみなすのは民俗宗教の基本要素の一つであるが、これはまた仏教との習合によって更に強調されている。

仏教は、六道輪廻や死者の魂が畜生に生まれ変わる理論を説き、なお禽獣を台座、乗り物にした諸仏諸尊の形象にも満ちて、霊獣、動物霊を取り入れる手法も多く存在している。

中でも「キツネ」は、僧をはじめ修験者達によって修されてきた一連の祈祷修法の中で中心的な位置を占めている。

密教の「茶吉尼天(ダキニテン)法」や、修験の「狐付呪大事」などがその代表的なものである。

シゲノの話を通して、このように単なる動物ではない「狐」という霊獣は、自由自在に身を変じ、異界とこの世の境を飛び越える存在にして、ちょうど「オダイ」と対をなすことが明らかにされる。

神々の序列の中で、全く上位にあるわけでも、全く下位にあるわけでもなく、吉ともなれば凶ともなる、比類なき仲立ち、仲介役。

このような存在をこそ、シゲノは真の師匠とし、また夫、旦那として認め、「オダイ」と一体を成していると確信していた。



           (引用ここまで)

             *****

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イワシの頭も信心・・節分とヒイラギとイワシ(1)

2017-02-04 | 日本の不思議(現代)



昨日は節分でしたので、イワシを焼いてヒイラギに刺して、家の前に置き、太巻き寿司を食べてみました。

しかし、なんとも不思議な取り合わせではないでしょうか?。。

本当は近所の神社の豆まきに行こうと思っていたのですが、行けなかったので、昨年調べた「蘇民将来とヒイラギの由来」などについて考えてみました。


また、ヒイラギと聞くと、クリスマスの方を連想してしまうので、「日本古来のヒイラギと西洋のヒイラギは全く別物である」ということから、学びなおしをしました。

ヒイラギとイワシ、何か変だ、、どうしても懐かしいという気持ちにはなれず、イワシを焼きながらも考え続けました。

ウィキペディアには、「ヒイラギ」は東洋原産のものと、西洋原産のものがあり、日本では〝棘がヒリヒリと痛むことから「ひひらく」という古語として、その名前となった″、とありました。

そして、短歌の季語であることも知りました。

蘇民将来後回し、イワシも後回しで、まずはヒイラギのことを見てみました。

 
              ・・・


wikipedia「ひいらぎ」より

ヒイラギ(柊・疼木・柊木)は、モクセイ科モクセイ属の常緑小高木である。

和名は、葉の縁の刺に触るとヒリヒリと痛むことから、「ヒリヒリと痛む」旨を表す日本語の古語動詞(働き言端)である「疼(ひひら)く・疼(ひいら)ぐ」の連用形・「疼(ひひら)き・疼(ひいら)ぎ」をもって名詞(なことば)としたことによる。

●形態

樹高は4-8m。

葉は対生し、革質で光沢があり、その形は楕円形から卵状長楕円形をしている。

その縁には先が鋭い刺となった鋭鋸歯がある。

また、老樹になると葉の刺は次第に少なくなり、縁は丸くなってしまう。

種小名は「異なる葉」を意味し、この性質に由来する。

花期は11-12月であり、葉腋に白色の小花を密生させる。

雌雄異株で、雄株の花は2本の雄蕊が発達し、雌株の花は花柱が長く発達して結実する。

花は同じモクセイ属のキンモクセイに似た芳香がある。

花冠は4深裂して、径5mmになる。

実は長さ12-15mmになる核果で、翌年6-7月に暗紫色に熟す。

そして、その実が鳥に食べられることにより、種が散布されることになるのである。


●品種

キッコウヒイラギ(亀甲柊)
マルバヒイラギ(丸葉柊)

マルバヒイラギ

●分布

東アジア原産で、日本では本州(関東地方以西)、四国、九州、琉球の山地に分布しているほか、外国では台湾でも見られる。

●人間との関わり

低木で常緑広葉樹であるため、盆栽などとしても作られている。

殖やし方は、実生または挿し木。葉に棘があるため、防犯目的で生け垣に利用することも多い。

幹は堅く、なおかつ、しなやかであることから、衝撃などに対し強靱な耐久性を持っている。

このため、玄翁と呼ばれる重さ3kgにも達する大金槌の柄にも使用されている。

特に熟練した石工はヒイラギの幹を多く保有し、自宅の庭先に植えている者もいる。

他にも、細工物、器具、印材などに利用される。

古くから邪鬼の侵入を防ぐと信じられ、庭木に使われてきた。

家の庭には表鬼門(北東)にヒイラギ、裏鬼門(南西)にナンテンの木を植えると良いとされている(鬼門除け)。

また、節分の夜、ヒイラギの枝と大豆の枝に鰯の頭を門戸に飾ると悪鬼を払うという(柊鰯)。

日本においては、「柊の花」は初冬(立冬〔11月8日ごろ〕から大雪の前日〔12月7日ごろ〕)の季語とされている。


●類似の植物

似たような形のヒイラギモクセイは、ヒイラギとギンモクセイの雑種といわれ、葉は大きく縁にはあらい鋸歯があるが、結実はしない。

クリスマスの飾りに使うのはセイヨウヒイラギであり、「ヒイラギ」とあってもモチノキ科に分類される別種である。

ヒイラギは冬にも緑の葉と赤い実をつける植物なので、不死の象徴と考えられた。

ヨーロッパの異教徒はヒイラギが男、ツタが女と考え、キリスト教以前から祭りに用いられていた。

キリスト教のシンボルになるのは簡単なことで、先のとがったヒイラギの葉は十字架で処刑されたキリストの冠のイバラを表すとされ、赤い実はイバラが皮膚を貫いたとき珠となって落ちたキリストの血になったとされる。

その他、ヒイラギの鋭い鋸歯が特徴的なため、それに似た葉を持つものは「ヒイラギ」の名を与えられる例がある。

外来種ではヒイラギナンテン(メギ科)がよく栽培される。

他に琉球列島にはアマミヒイラギモチ(モチノキ科)、ヒイラギズイナ(スグリ科)がある。

ほかに、鋭い鋸歯を持つものにリンボク(バラ科)があり、往々にしてヒイラギと間違えられる。

また、ヒイラギを含めてこれらの多くは幼木の時に鋸歯が鋭く、大きくなると次第に鈍くなり、時には鋸歯が見えなくなることも共通している。




wikipedia「セイヨウヒイラギ」より

セイヨウヒイラギ(西洋柊)は園芸用に栽培されるモチノキ科モチノキ属の常緑小高木 。別名、セイヨウヒイラギモチ。

●特徴

ヨーロッパ西部・南部、アフリカ北西部、アジア南西部の原産。

葉は長さ5-12cm、幅2-6cmで、若い枝や下の枝では葉の縁が数箇所鋭く尖るが、古い枝や上の枝では刺の数が少なく、葉先のみ尖るが、縁はしばしば全縁となる。

葉は互生する。

雌雄異株。

花は虫媒花、小型で花弁は白く4枚ある。

果実は径6-10mmの核果で赤く熟し、4個の種子を含む。

晩秋に熟すが、非常に苦いので、冬の間も鳥に食べられることは少ない。

冬になる赤い実が美しく、クリスマスの装飾の定番としても使われる。

英語名からホーリー(Holly)とも呼ばれるが、Hollyはモチノキ属の総称としても使われるので、区別するためにEuropean holly、English hollyともいう。

●歴史

常緑で真冬に目立つ赤い実をつけることから、ヨーロッパではキリスト教以前にもドルイドにより聖木とされた。

また古代ローマではサトゥルヌスの木とされ、サートゥルナーリア祭(農神祭)で、知り合いへの贈り物と一緒にセイヨウヒイラギの枝を添え渡していたものを、その直後に当たる12月25日の冬至祭でキリスト教徒がまねたため、後にクリスマスにつきものの装飾となったといわれる。

キリスト教では、キリストの足元から初めて生えた植物とされる。

また、トゲトゲの葉や赤い実はキリストの流した血と苦悩を表す。

そこから別名「キリストの刺」「聖なる木」とも呼ばれる。

さらに花はミルクのように白いためキリストの生誕と結びつき、樹皮は苦いのでキリストの受難を表すとされる。

また、セイヨウヒイラギは魔力があると信じられていて、キリスト教にもそのことが取り入れられ、同じく魔力を持つと信じられていたアイビーとともにクリスマスの飾り付けに用いられる。

悪魔や妖精がクリスマスの期間に悪いことをしないようにと、民家、店、教会、墓地などに飾り付けられたといわれる。

●利用

セイヨウヒイラギ、またはそれを象った造花はクリスマスの装飾に使われる。

園芸用にも人気があり、黄色い実やとげのない葉など、多数の園芸品種が育成されている。

ヨーロッパ以外でも、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドで栽培されたものが野生化している。

材は白く堅いので、細工物、特にチェスの白駒(黒駒は黒檀など)に使われる。

また、魔除けの植物は薬用にも優れていると考えられていて、ローマの博物学者プリニウスは、葉に塩を混ぜると関節炎に効き、赤い実はコレラ、赤痢、腸の病気に、また、血管組織を収縮させる収斂剤になるとした。

●ヒイラギとの違い

日本に在来の「ヒイラギ」は、刺の出た葉の形がよく似ているので混同されやすいが、モクセイ科モクセイ属に属する種で、葉は対生し、実が黒紫色に熟す、全く別の植物である。

             ・・・・・

植物が秘める力、動物が秘める力、鬼と神、善と悪、東洋と西洋、古代と現代、、さまざまな想いがないまぜになって、迫ってくるように感じられます。


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トランプ氏、インディアンの聖地にパイプライン工事を強行(1)・・スー族の反対運動に共鳴広がる

2017-02-02 | 北米インディアン



トランプ米大統領が、就任直後、インディアンの聖地にパイプラインを建設する工事を強行する指示を出したのですが、この記事は、トランプ氏の大統領就任以前のスー族の人々の運動を取り上げた時のものです。

当時の米大統領オバマ氏は、先住民たちの要求を認めて、無理な工事は強行しないと約束していたのですが。。

まずはトランプ氏登場以前の状況の記事をご紹介します。

           ・・・・・

「「聖地が脅かされる」アメリカ先住民族、石油パイプライン建設に抗議行動」
                        
「ザ・ハフィントンポスト」2016・11・15
http://www.huffingtonpost.jp/2016/11/14/dakota-pipeline-protest_n_12975788.html
         
アメリカ・ノースダコタ州とイリノイ州を結ぶ石油パイプライン「ダコタ・アクセス・パイプライン」の建設をめぐり、建設ルート近くの居留地に住むアメリカ先住民スタンディングロック・スー族が抗議を続けている。

彼らは水源のミズーリ川が汚染されることを懸念している。

Facebookのユーザーたちが、アメリカ先住民族の暮らすスタンディング・ロック保留地に「チェックイン」して連帯を示している。

なぜFacebook上で友人たちが突然、ノースダコタ州の先住民居留地「スタンディング・ロック保留地」に集結しているのか不思議に思うかもしれない。

11月2日、160万人以上がFacebookで保留地に「チェックイン」し、数カ月前から石油パイプラインの建設に抗議をするスタンディングロック・スー族とその支持者に連帯を示した。

これは建設会社「エナジー・トランスファー・パートナーズ」がノースダコタ州バッケン地帯からイリノイ州中部の製油所まで1200マイル(約1930km)にわたって建設している、石油を輸送するためのパイプラインだ。

デモ隊は200以上の部族出身の代表者などが参加し、自らを「水の保護者」と名乗り、パイプラインによって聖地や埋葬地が脅かされ、先住民が飲み水として利用するミズーリ川が汚染されてしまうと主張している。

10月31日の早朝、Facebookのユーザーらはスタンディングロックにチェックインし始めた。

彼らはジオタギング(投稿した写真などから位置情報を取得する方法)を使って治安部隊から監視されているノースダコタ州のデモ隊を守るために「チェックイン」することが必要だとするメッセージを再投稿した。

モートン郡の保安官事務所はジオタギングについて「まったくの事実無根だ」と述べている。

デモ隊キャンプの主導者たちは、事実検証サイト「スノープス」に対し、自分たちはSNSの嘆願には関わっておらず、SNSによる監視に効果があるとは思えないと語ったが、連帯を示してくれたことには感謝した。


今も続くパイプラインの抗議活動への関心は高まり、誤った情報が広がっている。

そこでどうしてこうなったのかを検証し、真偽をはっきりさせよう。


●いつ、どうして抗議が始まったのか?


スタンディングロック・スー族がパイプラインに対する抗議を主導している。

パイプラインがミズーリ川を横切ることを承認したアメリカ陸軍工兵司令部を告発した訴訟の中で、スー族は「文化的、歴史的に重要な土地が傷つき、破壊される可能性が極めて高い」と述べ、安全な飲み水の供給が危険にさらされると訴えた。

また建設の一時中止を求めた。

連邦地裁の判事は9月初旬、中止の訴えを退けたが、司法省、陸軍、内務省は同日に「オアヒ湖周辺の陸軍工兵隊所有地またはオアヒ湖地下」から20マイル(約32km)圏内の建設を停止し、この件は引き続き連邦政府機関が調査すると発表した。

それ以降、連邦機関はパイプラインに関してコメントしていない。


● 誰が抗議しているのか?

スタンディングロック・スー族のデモ隊に、他の部族や先住民以外の多くの支持者が加わり、ノースダコタ州のキャンプや連帯を表明して世界中でデモを行うというかたちで参加している。

俳優のマーク・ラファロと公民権活動家のジェシー・ジャクソン牧師もデモに参加した。


● デモ隊は何を求めているのか?

デモ隊はパイプライン建設の完全中止やルートの変更を求めている。

彼らはパイプライン建設現場での事故が近年増加していることを挙げ、水源の安全性が脅かされることを懸念している。

「パイプラインは小さな隙間から石油が漏れ出ることが多く、私たちは漏れているかどうかを知ることができません」と自然保護団体「シエラクラブ」のダグ・ヘイズ弁護士は9月、ハフポストに語った。

「部族の人たちが心配しているのはこういうタイプの問題で、実際そう主張するだけの十分な根拠があります」。

州都のビスマーク付近を通過する最初のルート案が破棄されたことも、こうした懸念の一因だ。

また、スー族と支持者らは、このプロジェクトによって聖地や埋葬地に出る影響を懸念するのもおかしな話だと考えている。


ここは条約で定められたスー族の土地だ。強引に土地を収用するアメリカ政府は国際法に違反している。


● パイプライン開発業者の反応は?

エナジー・トランスファー・パートナーズ社のケルシー・ウォーレンCEOは、9月の書簡で計画を擁護し、文化的な影響について軽視し、抗議者らの水の安全を懸念する声については「何の根拠もない」と述べた。


● 地元当局はデモ隊をどう扱っているか?

抗議が始まってから建設現場では400人余りの逮捕者が出ている。

基本的に不法侵入や暴動に関与した罪で逮捕される。

デモ隊は、警察がトウガラシスプレー、催涙ガス、ビーンバッグ弾(殺傷能力のない散弾銃)を使用していることや、平和的なデモ、パイプセレモニー(先住民の儀式)、そして祈りの輪に武力を行使したことを非難している。

女優のシャイリーン・ウッドリー、記者のエイミー・グッドマン、ドキュメンタリー映画監督のディア・シュロスバーグなど他の著名な支持者らは、デモに参加またはデモを記録したとして逮捕されたり、告訴されている。

3日だけでデモ隊のうち141人が逮捕された。

開発業者の所有する土地でパイプラインのルートを塞いでいた前線のキャンプを当局が撤去したことで暴動が起きたのだ。

しかしデモ隊は1851年に調印されたフォート・ララミー条約のもと、この土地の収用権はスー族にあると主張した。

こうした権力の行使を目の当たりにし、人権団体「アムネスティ・インターナショナル」は治安組織がどのようにデモ隊に応じているかをチェックするため、調査チームを派遣することにした。

また、国連も治安組織が過度な力を使い、人権を侵害しているというスー族の訴えを受けて調査している。


■ 今後どうなるのか?


どんどん寒くなってきたが、デモ隊は熱心にデモを続けるようだ。

ある部族の指導者はガーディアン紙に「最後の抵抗」をする準備はできていると述べた。

しかし治安組織の方も長期戦の準備はできているようだ。

地元紙ビスマーク・トリビューンは3日、ノースダコタ州の緊急対策業務部が抗議に対応するため、追加で400万ドル(約4億1200万円)の資金提供を受けると報じた。

同じ目的ですでに受け取っている600万ドル(約6億1800万円)に加算されるという。

一方、ノースダコタ州エリアのパイプライン建設はほぼ完了し、今すぐにでもミズーリ川まで到達しそうだ。


オバマ大統領は、ダコタ・アクセス・パイプラインの抗議について「当局には慎むべき義務がある」と述べている。

パイプラインの開発業者は、ミズーリ川の地下を掘る許可がすぐにでも下りるのを待っている。

バラク・オバマ大統領は11月1日、動画ニュースサイト「NowThis」のインタビューで、スー族や支持者の懸念に対処するため、アメリカ陸軍工兵司令部はパイプラインのルート変更ができるかどうかを調査していると述べた。

シアトル・タイムズによると、1月1日までにパイプラインが完成し、原油を輸送できなければ、開発業者と輸送業者の契約は期限切れになるという。


「60年代のような反対運動を立ち上げろ」マイケル・ムーア、選挙後2日目にやるべきことを訴える。

            ・・・・・

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