始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

胸が さける・・・肉体はたましい

2011-03-30 | 心理学と日々の想い
この短文はしばらく前に書いたのですが、直後に東日本大震災が起き、自分のあばら骨の一本ごときで、ものを言う時ではないと思いました。

しかし、これも一つの鎮魂のことだまになればと願い、投稿することにしました。

東日本大震災で被災された多くの方々のご冥福とご回復を、心からお祈り申し上げます。





父が亡くなってしばらくたちました。

疲れからか、咳がでて、病院の抗生物質を続けて飲んでも治らなくて、困っていました。

咳をすると、あばら骨が痛くて、痛くて咳ができないくらいになったので、病院でレントゲンを撮ってもらったら、あばら骨にひびが入っていました。

「悲しみで胸が裂ける、、」ということばが心によぎりました。

あぁ、わたしの骨は、悲しみで切り裂けたんだ。。

心が感じるのと同じように、肉体にも心があるって、本当だなあ、とつくづく思いました。

肉体の神秘を思いました。


父の肉体は消滅したけれど、それもどうだか、あやしいものだと思います。

消滅するわけがない、という、いわく言い難い感じがあります。


色即是空、空即是色。

答えは2500年も前から、はっきりしている。

肉体はたましいなのだ。
だから、たましいは物質でもあるのだ。。

そういう思いが、つのります。
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原発事故は人災なのだろうか?

2011-03-24 | 心理学と日々の想い

老人ホームにいる母は、あまり言葉を発しない。

でも、ときどき、きっちりとしたことも言う。

しかし、のどの筋肉の力が落ちているのだろう、言葉を発する機会は極端に少ない。

そして、ゆっくりと、うなずく。

なにかを話す代わりに、うなずく。

問いへの答えではなく、うなずく。


イエス、と言っているのだと解釈するけれど、イエスより重い思いなのだと思う。

ノーを含んだイエスであり、わたしはお釈迦様を前にしているような気持ちになる。


原発事故は、人災なのだろうか?

それとも神の怒りなのだろうか?

母に聞いたら、なんと答えるだろうかと考える。


「人災よ。
わたしはずっと反対してきた。」
と言うかもしれない。

あるいは、

「人間が傲慢だから、神様が怒っていらっしゃるのよ。」
と言うかもしれない。


しかし、なにも言わないかもしれない、とも考える。

ただ、じっと前を見て、うなずく、母の顔を思う。


原発のような、人間の手に負えないものを、なぜ、人間は、作ってしまったのだろう?

人間の内にある、暗い巨大な破壊衝動が、それを作らせたのだろうか?

それとも、人間を超えた巨大な力が、人間とその生存環境を破壊するようなプログラムを、人間に内蔵したのだろうか?


悪の根源は、いったいどこにあるのだろう?。。

無音の答えが、答えなのだろうか?

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弥勒とアジア(1)・・疑経としての「弥勒下生経」、という視点

2011-03-22 | 弥勒
マニ教、ミトラス教、弥勒信仰のあたりを行きつ戻りつしています。

菊池章太氏の「弥勒信仰のアジア」という本を読んでみました。

著者は、「アジアの弥勒信仰」についてではなく「弥勒信仰のアジア」について書きたいのだ、と語っており、“アジア”なるものへの愛が流れている、魅力的な本でした。

とても柔軟な発想が印象的です。

おおまかに抜粋して引用させていただきます。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


         *****


         (引用ここから)


「弥勒」とは、仏教の教えでは未来に現れる仏である。

中国ではどうか。

「弥勒」については到底一口には言えない。

ある時代には誰の目にも明らかなくらい、おおっぴらに信仰された。

ある時代には目につかないように、かげに隠れて信仰された。

長い歴史の中で、あるいは社会の表で、あるいは裏で、それは信仰されていた。


「弥勒」が菩薩から仏陀になろうとして、この世に現れることを下生という。

この世に下ってきて生まれるからである。


ではこの世に現れるのはいつなのか。

それは想像を絶するような遠い未来のことである。


        (引用ここまで)


           *****


アジアでは、たくさんの巨大な弥勒像がつくられてきた、と著者は語ります。

仏教であって仏教ではない、なにものかを、著者は感受しているようです。




          *****



      (引用ここから)


巨大な「弥勒」像というのは、「弥勒」がこの世に現れた姿である。

その時理想の世界が地上に実現していることを意味した。


あえて言いたい。

東アジアにおける「弥勒」信仰の本質は「弥勒への約束」にも「弥勒下生経」にも関わりがない。


もちろん「弥勒」信仰の出発点は「弥勒への約束」にあった。

しかし「弥勒下生経」に基づく「弥勒」信仰は、ある時東アジアにおいて破たんしたのである。


その時「弥勒」信仰は変わった。

それは6世紀の中国においてであった。


中国には「疑経(インド伝来ではないお経)」と呼ばれる仏教文献がある。


それらのいくつかの「疑経」において、弥勒はまさに、「慈悲的、救済者的、神的」としか言いようのない存在として登場する。


観音や阿弥陀が信仰されるようになるずっと前に、「疑経」の中で、弥勒はすでに「慈悲的、救済者的、神的」な存在として信仰されていたのだ。


偽経に語られた弥勒とは、どのような存在なのか?


    (引用ここまで・続く)


        *****


 wikipedia「疑経」より

「偽経」、あるいは「疑経」とは、中国において、漢訳された仏教経典を分類し研究する際に、インドまたは中央アジアの原典から翻訳されたのではなく、中国人が漢語で撰述したり、あるいは長大な漢訳経典から抄出して創った経典に対して用いられた、歴史的な用語である。

中国撰述経典という用語で表現される場合もあるが、同義語である。


「偽経」あるいは「疑経」として認定された経典類は、経録中で「疑経類(偽経類)」として著録され、それらは「大蔵経」に入蔵されることはなかった。

それに対して、正しい仏典として認定されたものは「真経」として、「大蔵経」の体系を形成することとなった。

しかしながら、「偽経」あるいは「疑経」と認定され、「大蔵経」に入蔵されなかったとは言え、これらの経典群が消え去ることはなかった。

むしろ、盛んに読誦され、開版されて、今日まで伝わる経典は数多い。

『父母恩重経』、『盂蘭盆経』、『善悪因果経』など、今日も折本形式で発売されている偽経類は、多く見られる。

多くの経本に収録されている『延命十句観音経』なども偽経の一つである。


このことは、「偽経(疑経)」というレッテルを貼られていても、時機相応の教説を説く、これら中国で撰述された経典類が、漢字文化圏において受容され得る力を持ち続けている証左となるものと考えられる。


「現在の日本のある宗派の所依の経典、つまり根本聖典が、偽経(疑経)であるから、当該の宗派の立場は仏教の異端である」と、別の宗派からの非難がなされることがある。

しかし、仏教経典と呼ばれるものが釈迦の教説をそのまま伝えているのではないことは、経典研究の結果[要出典]、明らかとなっている。

東晋の釈道安の時代には、雑多に翻訳された漢訳経典を整理する上で「真経」と「偽経(疑経)」とを厳に区分することは、最優先事であった。


比較的最近に発表された「偽経」にまつわる説としては『般若心経』が中国撰述であるという説がある。

米国のジャン・ナティエ(Jan Nattier)は、鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』などに基づき、玄奘が『般若心経』をまとめ、それを更にサンスクリット訳したという説を1992年に発表している。



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マニ教研究・その6・・中国での盛衰

2011-03-18 | マニ・ゾロアスター

マヤの文明とはテーマは異なりますが、「マニ教は、中国ではどうなったか?」ということも調べているので、また話を戻します。


前回までの関連記事で見てきた弥勒信仰に見られる「弥勒」とはなにか?

キリスト教以前の古い神格「ミトラ神」は、その後どうなったのだろうか?、といったことを追求しています。


ペルシアの宗教であるマニ教がペルシアから中国まで伝播していったことと、ミトラ=マイトレーヤ=弥勒という神格の伝承とは、どのような関わりがあったのか、あるいはなかったのだろうか、といったことが気になっています。


大貫隆氏の「グノーシス・ねたみの心理学」という本に、マニ教の歴史が書かれていましたので、少しだけ紹介させていただきます。

筆者の論点は、マニ教はペルシアの独自のグノーシス型宗教であり、キリスト教とは全く異なる、ということだと思います。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。



      *****


(引用ここから)


ペルシア王はマニの処刑後〈3世紀)、帝国全体でマニ教の弾圧を開始した。


マニ教徒達はオクスス河を超えて避難し、サマルカンドを中心とするゾグドニア地方に定着した。

おそらく3世紀のことと推定される。


その後570年ごろ、ゾグドニアのマニ教共同体が、バビロンの主教会から分離独立して分派を形成した。


ゾグド語を話すマニ教徒の商人たちが、サマルカンドから高地アジアと中国への布教を展開した。


その後9世紀の半ばまで、断食と位階制に関する問題に端を発して、二つの教派の間で分裂が続いた。


その間、現在のイラン・アフガニスタン・西トルキスタンにわたる政治的覇権はササン朝ペルシアからウマイア朝イスラム帝国を経てアッバース朝に移っていった。


その際、特にウマイア朝のイラク総督は、マニ教徒に対して寛容な政策をとり、マニ教徒を受け入れた。


その間に、マニ教はウイグル王国を経由して、中国まで伝播した。


マニ教の僧侶が「武宗」朝の則天武后の中国の宮廷にはじめて登場したのは694年であった。


その後、唐の「玄宗」皇帝のとき、北京にマニ教の教会が建設された。


731年には「玄宗」皇帝がマニ教を導入する意図で、マニ教の教理要綱の中国語訳を命じた。


これが「摩尼光仏教法儀略一巻」である。


内容は25編の讃歌からなり、パルティア語のマニ教詩を、当時の中国の仏教社会の中へ適応させたものであったと言われる。


しかし、「玄宗」は732年には一転してマニ教禁止と追放を命令した。



中国とは対照的に、ウイグル王国はマニ教にたいして好意的だった。


そもそもウイグル族は当初モンゴル高原にいて、後にトルキスタンに移動したトルコ系民族である。


諸部族は連合して遊牧国家「トッタン」を組織した。


744年には、そのうちの一つであったウイグルが王国として成立する。


東ウイグル王国は遊牧領内にいくつかの都城を建設し、支配階層の都市定住化を進め、トッタン文字、古代トルコ文字、ゾグド商人から伝わったゾグド文字を加えてウイグル文字を開発するとともに、マニ教も受け入れた。



唐の「安史の乱」にさいして、唐側に援軍を派遣して、757年、長安と洛陽の奪還に貢献した。


第3代王は、洛陽でマニ教の伝道師と知り合い、みずから改宗したうえで4人のマニ教僧を連れ帰り、マニ教を正式に認可した。


807年には、ウイグルが中国領内の洛陽にマニ教寺院を建立した。


しかし東ウイグル王国は内乱などにより840年に終焉を告げ、それによって、中国におけるマニ教はウイグルという後ろ盾を失った。


それを待っていたかのように、中国では皇帝「武宗」がマニ教の寺院を閉鎖し、動産の没収と焚書を命令した。(843年・845年)


崩壊した東ウイグル王国の主力部分は天山地方に移動し、タリム盆地のオアシス都市を制圧して、849年、西ウイグル王国を建設した。


この王国は13世紀まで存続した。


その最初の2世紀間はマニ教を国教とした。


ただし、それ以降は伝統的仏教に回帰し、マニ教寺院も仏教寺院に改造された。


          (引用ここまで)



        *****



マニ教は、中国に受け入れられた時期もあったけれど、ウイグルとの関わりの方が大きく、中近東系の文化だったということは言えるかもしれません。

中近東の文明のエッセンスが、東洋の文明のエッセンスと深いところで交わっているのではないか。
それが知りたいものです。


後の時代の中国の「白蓮教の乱」は、弥勒信仰と関わりがあるように思われるのですが、当時の具体的な信仰の資料がありそうで、なかなかありません。

「白蓮教の乱」とマニ教には、どのような接点があるか、あるいはないか、大変興味深く思うのですが。。

弥勒の調べものを、少し続けたいと思います。




 wikipedia「ウイグル文字」より


アラム系の文字であったソグド文字を改良して作成されたもので、ソグド文字の草書体から派生したとみられている。


フェニキア文字に遡るアルファベットのグループにおいて、現行のヘブライ文字やアラビア文字などと同様にアラム文字の系統に属する文字である。


アラム文字やその系統に属すソグド文字の文章は、ギリシア文字やラテン文字の文章とは異なり、文字を右から左へ書く。


このため、ウイグル文字で文章が縦書きされた場合、一般的に中世ウイグル語の文章などは、アラム文字系の文章が左へ90°倒立するかたちになるため、行は漢文などとは逆に左から右へ書かれることになる。


一般的に、「当初はソグド文字と同様に右横書きであったが、後に90度回転して左縦書きとなった」と説明されるが、これはやや不十分な説明である。


ソグド文字は4世紀の段階で横書き、縦書きの両方されていた事例があり、
ウイグル文字もまた現存するトルファンなどの9世紀から12世紀頃の壁画や文書資料などはソグド文字と同様に、初期には縦書き、横書き両方されていた。


しかし、仏典などで漢文との併記や混用などの影響の結果、徐々に縦書きが中心になったようである。


ウイグル文字による正書法が確立されたのは誕生と同じく天山ウイグル王国時代においてであり、のちのモンゴル文字も引継がれた。



 wikipedia「安史の乱」より

安史の乱(あんしのらん)とは、755年から763年にかけて、唐の節度使・安禄山とその部下の史思明及びその子供達によって引き起こされた大規模な反乱。


この10年近く続いた反乱により、唐王朝の国威は大きく傷ついた。


また、ウイグルの援軍を得て乱を鎮圧した(実質的にウイグルの援軍なしには乱の平定はありえなかった)ために、外交上および通商においてウイグルの優位が確定的になり、対ウイグルの貿易は大幅な赤字となり、国家財政をも圧迫するにいたった。


また、唐王朝は反乱軍を内部分裂させるために反乱軍の有力な将軍に対して節度使職を濫発した。


これが、地方に有力な小軍事政権(藩鎮)を割拠させる原因となった(「河朔三鎮」)。


以降の唐の政治は地方に割拠した節度使との間で妥協と対立とを繰り返しながら徐々に衰退していった。




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マヤ族の復讐的魂であり、古の声である・・ル・クレジオの「チラム・バラムの予言書」賛

2011-03-13 | マヤ・アステカ・オルメカ
マヤの予言書「チラム・バラムの書」(望月芳郎訳)に、同書を原語からフランス語に翻訳した作家ル・クレジオが書いた、「チラム・バラム」に寄せた文章が載っていました。

以下に、抜粋して紹介させていただきます。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


           *****


    (引用ここから)



「チラム・バラムの書」は記録ではない。

その「予言」は復讐的である。


一世紀近く続いた異民族に対するマヤ人の闘い、「カースト戦争」と呼ばれた長い熾烈な闘いを想起しなければ、それらの「予言」の真意は分からない。

チラム・バラムのいにしえの予言の言葉により感電させられたようになったマヤ人は、この聖戦を戦い抜いたのである。


なぜならば、いにしえの神々は消え去ってはいなかったからだ。

神々はただ、名を変えただけにすぎなかった。


チャン・サンタ・クルスの町で反乱者が立て籠った教会の中では、常に同じ言葉が響き渡り、異民族に対するマヤ人の勝利を告げていた。


「太陽の偉大なる神官」たちの言葉は、最初の反乱者の言葉であり、兵士達の言葉であり、十字の代弁者の言葉であった。


なぜならば、天空の民マヤ人は決して彼らの神々のために生きることをやめなかったからである。


征服後、予言者たちによって告げられた大異変が起こり、人々が衣服、法律、神々を変えた時でも、彼らはいにしえの声に耳を傾けるのをやめなかった。


運命がおのずから成就することに、ひたすら従っていたのである。



その時、天の言葉がそう欲するが故に、彼らは真のキリスト教徒に、彼らだけがその名に値するキリスト教徒になった。


いにしえの神々は天空から消えていたが、人々を鼓舞するのは常に同じ信仰であった。


クルソオブの反乱者たちにとって、寛衣を着た“もの言う”十字架は、大宇宙とかつて雨の神々が支配した四方位の象徴であった。


「チラム・バラムの予言の書」は聖書であった。


そこに書かれた言葉は、今やキリスト教徒の神となった「真実の神」の口から出たものであった。


かつてトルテカ族の傭兵から受けたように、いまスペイン人の征服者やメキシコ連邦政府の軍隊に虐げられ、辱められたマヤ人は自分達を、ユダヤ教徒や初期キリスト教の殉教者と同じだと思い込んだ。


あの神聖なテキストの中の一冊が「ユダヤ人の書」という題を持っていることは意味のあることである。(訳注・日本語訳はない)


今日、再度闘いに敗れたマヤ人は、もう「チラム・バラム」の言葉に耳を傾けようとしないであろう。


だが、ユカタン半島の東部、密林の中に隔絶されたいくつかの村々では、依然としてそれは忘れられてはいないだろう。


自ら「隔絶者」と称する人々は今でも、消えうせた予言者の神聖な言葉を聞き、じっと待っている。



 おお、父よ。
 悲しみに沈みながら、あなたに告げる。

 おお、イツァの民よ。
 汝らを訪れんとする人々が道を進んでくる。

 彼らは近づきつつある大地の主人たちなのだ。



これは一民族全体の感情の表現であり、その魂、その生命なのだ。


遠くから謎のように、マヤの神託の声は我々のために、天空に、星の間に書かれたその昔のメッセージを読み続ける。


   (引用ここまで)


       *****


 wikipedia「ル・クレジオ」より


ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ(1940年 - )は、フランス出身の小説家。1963年、『調書』でデビュー。2008年、ノーベル文学賞受賞。

フランスのニースにイギリス籍の父とフランス籍の母との間に生まれる。

18世紀末のフランス革命期に「長髪を切ることを拒んで」ブルターニュからインド洋モーリシャス島に移ったブルトン人の移民の家系である。

1966年からは義務兵役代替のフランス語教授としてタイ、翌年からはメキシコに滞在。

この頃から中南米に惹かれるようになり、1970年から1974年までパナマの密林に住むインディアン(エンベラ族)に混じって生活しながら執筆を行なった。

この体験がエッセイ『悪魔祓い』(1971年)として描き出され、この作品により1972年にヴァレリー・ラルボー賞を受ける。

1975年にベルベル人の血を引くモロッコ人女性ジェミアと結婚。のち3子をもうける。

1970年代後半からメキシコの文化に傾倒し、メキシコの各地の大学で客員教授を務めながら、ヨーロッパによるアメリカ先住民への略奪の歴史を研究、初期メキシコの歴史に関する論文によりペルピニャン大学で博士を取得した。

1980年、これらの研究の成果を間接的に生かすかたちで書かれた小説『砂漠』を発表。この作品でアカデミー・フランセーズにより第1回ポール・モーラン賞を受賞した。


2008年、ヨーロッパ文明への批判的な視点と詩的な文章が評価されノーベル文学賞を受賞。フランス語作家としては1985年のクロード・シモン以来23年ぶりの受賞者となった。



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天に大きな白い輪が現れるであろう・・マヤの予言「チラム・バラムの書」(6・終)

2011-03-10 | マヤ・アステカ・オルメカ

マヤの文化とは何かを考えたく、マヤの予言「チラム・バラムの書」(望月芳郎訳)を紹介しています。

続きです。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


      *****


     (引用ここから)



汝らの客たちを、

髭の生えた男達を

神の御しるしの伝達者たちを迎えよ。


汝らの兄たち、タントゥンの人々が最後にやって来る。

彼らは汝らに、神への供物を共にしようと申し出るだろう。

彼らの太陽の神官の名はアー・ミスニラクベ。

今訪れんとする「時」、汝らを連れ去ろうとする「時」の顔は“ピューマ”、反キリストである。


ああ、わが息子たちよ。

多くの不幸がやって来る。


我らの殿の予言は次の通りだ。

「訪れるこのカトゥンの間、地は燃え、天には大きな白い輪が現れるだろう。」


それは父なる神の御口から出る真実の言葉である。


ああ、キリスト教の布教を見るカトゥンの荷物はまことに重い。

その荷物がやってくるとき、その予言は「奴隷の身」という予言であろうし、

すべての人間は奴隷となるだろう。


その予言がやって来る時、汝らは分かるだろう。

「二日間の玉座の主」たち、「二日間のマットの主」たち(訳注・すぐに退く者たち)が、年の終わりの不吉な5日、贖罪の日々の間にやって来るだろう。

まことにそれは神の予言の終わりとなるだろう。


カトゥンの殿の杯の数は、11だろう。

汝らは多分死ぬか、生きていても「生きている書物」(訳注・さまざまなしるし、教え、予言)の言葉が分からないだろう。


マヤパン(マヤの都の一つ)の男がただ一人のその息子、法管だった。

彼は牢につながれ、大道を引き回され、縛られ、鞭打たれた。

座らせられ、耳を打たれた。

彼は頭に帽子をかぶり、足にサンダルをはいていた。

彼が着いた時、体は網で縛られていた。



白い肌の若い男はやってきた。

彼は天から降ってきた。

人の言うところの若い処女は、七つの赤い星の母であった。


おお、準備せよ、イツァの民よ。

汝らの息子たちはカトゥンの喜びを、カトゥンの戯れを知るだろう。

それが席につくためにやってくるとき、ケツァル鳥(訳注・ケツァルコアトル)の終わりと破滅となり、三角の山々〈訳注・ピラミッドのこと)の崩壊となるだろう。

カトゥンの荷物の中には、多くの絞首刑がはいっている。

おだやかに汝らの客を迎え入れよ。



カトゥン5アハウは4番目のカトゥンである。

このカトゥンの治世の間、そのまなざしは厳しく、その合図は険しい。

それが訪れる時、人間の息子たちにとって、おおきな災難が起こるだろう。

この世で悪魔の争いが始まり、神の顔、“神の実体”の顔は覆いを被せられるだろう。


大地では絞首刑がはじまるだろう。


流星の尾がやってくるとき、この世の父が作られる時、男たち、女たちはあまり息子を持たないだろう。


それから人々は予言者の踊りを見るだろう。


カトゥン3アハウは第五のカトゥンである。

その治世の間、偉大な賢人の時代は、「星=神」がその顔である。


その治世のあいだ、その顔は反キリストの顔である。

イチカンシホでは、牡鹿の角笛から炎がほとばしるだろう。

赤いジャガーの皮が、広場に広げられるだろう。

不毛の雨、天の兎の雨、天のやけどの雨、天のキツツキの雨、天の最も深いところからの雨、それから三本のシュロが天降るだろう。

戦いが始まるだろう。

いなごの年が来るだろう。


生き残った者たちは、遠くに追い払われるだろう。

彼らは戦いに敗れたのだ。

山のような屍が積まれ、天然痘が荒れ狂うだろう。

住民は悲しみ、四つ辻では蝿の群れが悲しげに唸るだろう。


カトゥンの殿達が来ている。

開かれた真っ赤なイツァ族の住居では、たましいが叫ぶだろう。


わたし、カトゥン3アハウはここにいる。

わたしのイチカンホシの町は建設された。


わたし、カエサル・アウグストゥスはここにいる。

わたしは供物を、森の奥で受ける。




     (引用ここまで・終わり)

   
       *****


>マヤパン(マヤの都の一つ)の男がただ一人のその息子、法管だった。
>彼は牢につながれ、大道を引き回され、縛られ、鞭打たれた。


この“男”の姿は、キリストに似ているように思われますが、この男は、マヤ族の者だと言われています。
二つの印象が、重ね合わされているようです。


>人の言うところの若い処女は、七つの赤い星の母であった。


“人の言うところの若い処女”とは、聖母マリアのことかと思われますが、訳注には、以下のように説明がありました。

マヤの天体図における「赤い星」は金星を意味する。
だがここの「七つの赤い星」は、金星のほか、太陽、月、水星、火星、木星、土星を意味すると思われる。



>わたしカエサル・アウグストゥスはここにいる。

この西洋人のような名前の人物については、訳注には、以下のようにありました。

この名の由緒は不明だが、ティミシン文庫では“狩猟の神「アー・ウウク・ヨル・シブ」”となっている。


>我らの殿の予言は次の通りだ。

>「訪れるこのカトゥンの間、地は燃え、天には大きな白い輪が現れるだろう。」

>それは父なる神の御口から出る真実の言葉である。


全編に、さまざまの表象が現われていますが、これは彼らの救いと勝利を意味する「しるし」と見てよいように思えます。



全体にわたって見られるように、これらの文章は、わざとマヤ文化とキリスト教文化を混同した書き方をしています。
おそらく、そのような書き方をしなければ、発行禁止、どころが、命も危うかったのだと思います。



>わたしは供物を、森の奥で受ける。

最終的に、マヤ族の人々が供物をささげるのは、森の奥の、彼らの神なのですから。








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マヤの予言「チラム・バラムの書」(5)・・準備せよ、白い顔の若者が来る

2011-03-07 | マヤ・アステカ・オルメカ
マヤの予言「チラム・バラムの書」(望月芳郎訳)の紹介をしています。

続きです。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


       *****


      (引用ここから)


カトゥンの予言「二の巻」


カトゥン11アハウ、異民族がこの国に居を定めたとき。

11アハウはカトゥンの順序の始めであり、最初のカトゥンである。


イチカンシホは異民族がやって来た時、カトゥンの本陣であった。

太陽の息子たち、東から来た髭の生えた人々が我々の国にやって来た時、
その髭は赤かった。

それはプルメリアの時代の初めにおける大地の異民族、
白い人間たち、赤い人間たちだった。


ああ、イツァの民よ、準備せよ!

天から白い顔、白い肌の若者が来たのだ。

すっくと伸びた樹、白いワオム・チェ(マヤ族の十字架)が天から降ろうとしている。


彼らはやって来る。

一叫びの距離にいる。


汝らは新しい日の夜明けを見るだろう。

汝らはそれを告げる「しるし」を見るだろう。


ああ共に泣こう。

なぜならば、彼らはやって来たのだから。

石を集める多くの人々。
木を集める多くの人々。
白いイブテエル(訳注・おそらく悪魔であろう)達が来るだろう。


彼らの腕の先から火がさく裂するだろう。

彼らは多くの毒を持ち、多くの首長を首吊るためにやって来るだろう。


ああ、イツァの民よ。

天降る「真実の神」の前にあっては、汝らの信仰はもう役に立たない。


その言葉はただただ、罪だけ。

その教えはただただ、罪だけ。

そのカトゥンは不吉であり、その雨は不吉である。


それがマヤパンの都に、チチェン・イツァの都に来る時、事が分かる太陽の神官とはいかなる者だろうか?

予言者とはいかなる者だろうか?



ああ、それは「弟たち」に重圧を加えるためにやってくるにちがいない。

それはカトゥン7アハウの間にやってきた。

始めて取られる税のため、汝らは明日も明後日も耐えねばならず、
貧困と苦しみが始まった。


汝らの町々に来るにちがいない貧困の重荷に耐えるべく準備せよ。

なぜならば席を占めるカトゥンは不幸のカトゥン。

悪魔の不和のカトゥンであり、それはカトゥン11アハウの中に身を置いたからである。


(引用ここまで・続く)


           *****



>太陽の息子たち、東から来た髭の生えた人々が我々の国にやって来た時、
>その髭は赤かった。
>それはプルメリアの時代の初めにおける大地の異民族、
>白い人間たち、赤い人間たちだった。


赤い髭の生えた、白い人間たちと呼ばれる異民族が、東からやってきた、と述べられているのでしょう。



>天から白い顔、白い肌の若者が来たのだ。
>すっくと伸びた樹、白いワオム・チェ(マヤ族の十字架)が天から降ろうとしている。


その若者は、白い肌で、十字架をもっている、ということでしょうか?

その十字架は、奇しくもマヤ族にとっても聖なる形であったようで、異民族の十字架とマヤ族の十字架が重なって、彼らの見通しはより一層混とんとしてくるようです。



>ああ、ともに泣こう。
>彼らは多くの毒を持ち、多くの首長を首吊るためにやって来るだろう。

>ああ、イツァの民よ。
>天降る「真実の神」の前にあっては、汝らの信仰はもう役に立たない。

>その言葉はただただ、罪だけ。
>その教えはただただ、罪だけ。
>そのカトゥンは不吉であり、その雨は不吉である。


不吉さと絶望が語られ、「白い顔の若者」と呼ばれる異民族の「しるし」が現われることが、もはや避けようのない事実として語られているようです。



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外来者の言葉は真っ赤な嘘・・マヤの予言「チラム・バラムの書」(4)

2011-03-04 | マヤ・アステカ・オルメカ
マヤの予言「チラム・バラムの書」(望月芳郎訳)を紹介しています。

続きです。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

“予言と言えばマヤ”、と言われますが、マヤ族はどのような予言をしているのかを研究しています。


        *****


        (引用ここから)


天にその「しるし」を上げよう。

ワオム・チェの木(マヤ族の十字架をあらわす木)を立てよう。

今日、告げられる不和は大きい。

世界の「最初の木」の代わりに「全世界にみずからを捧げる木」はやってきた。

これこそ天なる唯一の神フナブ・クの「しるし」である。

おお、イツァの民よ。

これこそ汝らが崇めるべきものである。

今、汝らは天にあるその「しるし」を崇めるだろう。


おお、父よ。

あなたは唯一の神、フナブ・クの言葉を信じるだろう。

なぜならば、神はあなたに語るために進んで天降られたのだから。


然り。心に準備せよ。

おお、イツァの民よ。

次のカトゥンの間、心に信仰を受け入れるすべての人々にとって、

おお、父よ、

世界は眠りから覚めるだろう。



これは悲しみにみちた私の言葉である。

わたしはチラム・バラムであり

神に代わり、大地全体に行き渡る、真実の神の御言葉を伝えたのだ。


おお、父よ。

天と地の主。

神の御言葉が聞こえる。

天なる神の御言葉は、まことにめでたい。


おお、父よ。

それはわれらすべての主、我々の魂の「真実の神」だが、

命じられるすべての者にとって、

なんじら、大地の弟たちよ、

汝らにのしかかる荷は、三倍も重いだろう。


絶望は汝らの心の中にある。

だが、死はプルメリアの者どもの心の中に、

卑劣な者ども、大罪人ども、ナクシト・シゥチトとプルメリアの仲間たち、
「二日間の殿たち」(訳注・すぐに敗れる者たち)の心の中にある。


彼らは玉座の上にいる泥棒、プルメリアの泥棒のような者である。

彼らの言葉は、「二日間の者たち」(訳注・すぐに敗れる者)の言葉。

彼らの「椅子」、彼らの「杯」、彼らの「かぶりもの」は、「二日間の者たち」のそれである。

彼らは昼と夜の好色者、大地の盗賊である。

おお、父よ。

彼らは大地の殿たちの前で、首をひねり、瞬きをし、口をへの字に曲げるだろう。


そうなのだ。

大地の「外来者」の言葉は真っ赤な嘘なのだ。

あの者ども、七つの廃屋の女たちの息子どもは、まことにもったいぶった言葉を発するのだ。

おお、父よ。

この書の言葉の真実の意味を教えることができる予言者、また神官とはいかなる者だろうか。


(引用ここまで・続く)


              *****



>これは悲しみにみちた私の言葉である。


この言葉が、民族の誇る大神官により語られたということに愕然とします。

西洋人の圧倒的な力に包囲されて、また、民族の予言者によって予言された未来であるがゆえに、異民族の、異教とその支配を受け入れなければならないマヤの人々の苦しみに愕然とします。


しかし、マヤ民族も、なかなかやります。

>大地の「外来者」の言葉は真っ赤な嘘なのだ。

> あの者ども、七つの廃屋の女たちの息子どもは、まことにもったいぶった言葉を発するのだ。



西洋人の言葉は、真っ赤な嘘なのだ、とマヤの人々は言っているのだと思います。



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マヤの予言「チラム・バラムの書」(3)・・太陽の神官の死は始まるだろう

2011-03-01 | マヤ・アステカ・オルメカ
マヤの予言「チラム・バラムの書」(望月芳郎訳)を紹介しています。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


            *****


      (引用ここから)


「太陽の神官の予言」


おお、父よ。

13アハウはイツァの民の時、
タンカー・マヤパンの時が終わるカトゥンである。

(唯一の神)フナブ・クの「しるし」は、天に現れている。

おお、父よ。

今やワオム・チェの木(訳注・マヤ世界で神の礼拝のために立てられる柱。この柱は十字架と同一視されてきた)を立て、それが光輝くことを世界に示す時がやって来た。

おお、父よ。

来たるべき時において、太陽の神官がこの「しるし」を人々に教えるために来る時、
不和が始まり、いさかいが始まるだろう。

一叫びの距離の所に、彼らは来ている。

立てられたワオム・チェに止まった「しるし」の鳥を見よ。

ある新しい日が、北に、西に、世界にやって来る。

イツァムナー・カヴィルは目を覚まされる。

おお、イツァの民よ。

我々の父がやってくる。

タントゥンの人々、汝らの兄たち(訳注・東方から教えを持ってきたスペイン人のことであろう)がやってくる。

おお、父よ。

あなたの客たち、
髭を生やした人々、
東からやってくる人々、
神の「しるし」をもたらす人々を迎えよう。


しかり、我々のために訪れる神の御言葉はめでたい。

今、生命の日は我らのために来る。

主よ。
大地をあわれみたまえ。

なぜならばあなたは唯一の神、
我々を創りたもうた唯一の神なのだから。

おお、父よ。

神の御言葉はめでたく、完全である。

なぜならば神はわれわれの魂の守護者であられるのだから。

つつしんで神を受け入れる者、心に神の心を信じる者は、天においてその側に行く者だろう。

その時われわれの太陽の神官の死は始まるだろう。


(引用ここまで・続く)


              *****


>あなたの客たち、
>髭を生やした人々、
>東からやってくる人々、
>神の「しるし」をもたらす人々を迎えよう。

これがマヤ族が西洋人とキリスト教の到来について語ったものであるとすると、マヤ族の人々は非常に深くあきらめているのだと思えます。



予言はまだ続きます。

>つつしんで神を受け入れる者、心に神の心を信じる者は、天においてその側に行く者だろう。

>その時われわれの太陽の神官の死は始まるだろう。


なんとこの予言の書は、民族はキリスト教の到来を受け入れる、と予言されているために、神官自らが、キリスト教の言葉を取り入れて、キリスト教を受け入れています。

みずからの民族が滅びゆくのを見守る運命を自覚しているこの神官とマヤ民族のペシミズムには、驚きを禁じえません。


重ねて、このたびたび言及される“髭を生やした人々”が、いったい誰のことなのか、という問いは大きく、重いと思います。

>髭を生やした人々、
>東からやってくる人々、




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