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続きです。
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(引用ここから)
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ではどうすればいいのでしょう?
小熊さんの「ビジョン」とは?
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「直接性」の要素を制度的に組み込むしかありません。
だからラウンドテーブルや公聴会など、選挙以外の回路が重要になってきます。
誰もが身近で決定に直接参加できるためには、決定権と財源のある単位を数千人とか数万人レベルに小さくする方がいい。
それが基本のビジョンになります。
その手段として地域主権、NPO,社会運動などがありうる。
参加して決めれば合意も成立するし、流れてくる金が多少減っても納得できます。
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代表制、代議制はもう成り立たないのでしょうか?
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わかりません。
大きな国をまとめるには、当面は代議制に頼るしかない。
しかし別の参加回路も作らないと、無限に金をばらまくか、不満が溜まって治安が悪化するかです。
他の先進国はすでにそうなりつつあるから、回路作りに必死です。
この一年半、いろいろなデモに参加しました。
創意工夫にあふれたプラカードや主催者の運営など、人々の成長は著しい。
政治や経済の勉強もして、討論もするからどんどん賢くなります。
参加を経験し、自分が動くと何かが変わるという感覚を持つ人がたくさん出てきたことに希望を感じます。
運動の意義は目先の政策実現だけではありません。
幸い今のところ不満は諸外国のように犯罪や麻薬、暴動といった形ではなく、運動という形で出てきています。
官庁街でデモをやっても警察との衝突などない。
整然と「再稼働反対」を叫んで、午後8時にはピタッと引き揚げ、後にはゴミ一つ落ちていない。
自己規律ある形で政治を自分に近づけようとしている。
それに政党や政府が応えなければ次が恐ろしいかもしれません。
(引用ここまで・終)
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アメリカ連邦政府との関わり
最初期の部族パスポート構想は1923年から始まるものである 。
アメリカの独立戦争に際しては英国側に与して戦ったが1779年に破れて、1794年にアメリカ合衆国連邦政府と平和友好条約を結んだ。
アメリカ合衆国国務省のパスポートを認めず、鷲の羽根を使った独自のパスポートを発行、同パスポートの使用はいくつかの国家により認められている。
日本国政府は2005年に宗教史協会の集まりでイロコイ連邦代表団が来日した際に、このパスポートを承認している。
国連も認める独立自治領であり、1949年にはイロコイ連邦代表団はニューヨークの国連ビルの定礎式に招かれている。
アメリカ合衆国が1917年にドイツに宣戦布告をした際には、イロコイ連邦は、独自の独立宣言を発行し、第一次世界大戦同盟国としての地位を主張している。
独立した国家として、FBIなど連邦政府の捜査権も及ばない。
全米の500以上に上る、アメリカ合衆国の連邦政府が公認したインディアン部族は、アメリカ合衆国の連邦政府内務省の出先機関である「BIA(インディアン管理局(英語版))」の監視・管理下にある「部族会議」を設置してen:Federally recognized tribesが集まる首長制になっているが、BIAは実質的にアメリカ合衆国の連邦政府傘下の組織である。
イロコイ連邦は、首長制を強制するBIAの監視・管理下にある「部族会議」に相当する組織を最初から持たず、アメリカ合衆国=BIAの干渉を一切拒否し、「調停者」の合議制による自治独立を実現している稀有なインディアン部族である。
これはアメリカ合衆国政府が条約で保証している、保留地(Reservation)の本来の姿である。
イロコイ連邦の連邦制度自体、アメリカ合衆国の連邦制度の元になっており、13植民地がアメリカ合衆国として独立する際に、イロコイ連邦が協力して大統領制を始めとする合衆国憲法の制定にも関係した、とする研究者は多い。
1780年代の合衆国憲法制定会議には、イロコイ連邦や他のインディアン民族諸国の代表団が含まれていた。
イロコイはフランクリン(→アルバニー計画)や、ジェファーソンに影響を与えたのみならず、独立から憲法の制定にいたる過程で具体的な示唆を与えていた。
イロコイ連邦はそのヴィジョンをアメリカ合衆国に託するために協力を惜しまなかった。
かつてアメリカ合衆国大統領は就任に当たってイロコイ連邦を表敬訪問するのが慣習となっており、近年のジョンソン大統領まで続いた。
共和主義と民主主義の高潔な原理に基づいた、彼らイロコイ連邦の国家組織は、結局ベンジャミン・フランクリンを含む多くの植民地指導者の関心を集めた。
18世紀中を通して、彼らの五カ国の自治システムの中心にあった共和・民主の両原則は、白人の男性支配の哲学のなか、より正当で人道的な政治手法を捜していたヨーロッパとアメリカの政治体に組み込まれたのである。
このイロコイ連邦(六部族連邦)のシステムは、植民地の政治家や思想家の心をとらえ、そのなかの何人か(フランクリンやトマス・ペイン)は、ロングハウスでの同盟部族会議に参加し、外交についての授業を受けている。
イロコイ連邦の長老は、何度も彼らの連邦のスタイルを白人たちの13植民地のモデルとして彼らに提示している。
合衆国のハクトウワシの国章はイロコイ連邦のシンボルを元にしたものであり、合衆国憲法そのものも、言論の自由や信教の自由、選挙や弾劾、「安全保障条約」、独立州の連邦としての「連邦制」などがイロコイ連邦からアメリカ合衆国へと引き継がれたものである。
また、イロコイは事実上、最も初期に女性の選挙権を認めた集団である。
イロコイ連邦の六部族国家のひとつ、オノンダーガ国(英語版)は自治権の強さで知られ、海外への旅行の際にもアメリカ政府のパスポートを必要としない。
1973年に「ウーンデッド・ニー占拠」の代表団の一人で、連邦から訴追されたデニス・バンクスが、1983年、FBIから逃れるためにオノンダーガ国に亡命して話題となった。
FBIはオノンダーガ国内に侵入できず、バンクスに手が出せなかった。
イロコイ国家はこの「ウーンデッド・ニー占拠」では代表団を送り、オグララ・スー族の独立国家宣言に対し、真っ先にこの独立を承認した。
2009年9月21日、ニューヨーク州のセネカ族国家は、セネカ部族民が西半球を主権的に旅行できる旅行身分証明書を発行するため、米国国家安全保障省と開発協定の約定書に調印した。
このカードが発行されれば、セネカ族国民はアメリカの国境を自由に越え海外と行き来出来ることとなる。
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