始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

「脱原発しない社会」の社会学的考察・・小熊英二氏インタビュー(2)

2013-04-27 | 野生の思考・社会・脱原発



続きです。

  
                *****

   
               (引用ここから)



ではどうすればいいのでしょう?

小熊さんの「ビジョン」とは?


小熊

「直接性」の要素を制度的に組み込むしかありません。

だからラウンドテーブルや公聴会など、選挙以外の回路が重要になってきます。

誰もが身近で決定に直接参加できるためには、決定権と財源のある単位を数千人とか数万人レベルに小さくする方がいい。

それが基本のビジョンになります。

その手段として地域主権、NPO,社会運動などがありうる。

参加して決めれば合意も成立するし、流れてくる金が多少減っても納得できます。




代表制、代議制はもう成り立たないのでしょうか?


小熊

わかりません。

大きな国をまとめるには、当面は代議制に頼るしかない。

しかし別の参加回路も作らないと、無限に金をばらまくか、不満が溜まって治安が悪化するかです。

他の先進国はすでにそうなりつつあるから、回路作りに必死です。


この一年半、いろいろなデモに参加しました。

創意工夫にあふれたプラカードや主催者の運営など、人々の成長は著しい。

政治や経済の勉強もして、討論もするからどんどん賢くなります。

参加を経験し、自分が動くと何かが変わるという感覚を持つ人がたくさん出てきたことに希望を感じます。


運動の意義は目先の政策実現だけではありません。

幸い今のところ不満は諸外国のように犯罪や麻薬、暴動といった形ではなく、運動という形で出てきています。

官庁街でデモをやっても警察との衝突などない。

整然と「再稼働反対」を叫んで、午後8時にはピタッと引き揚げ、後にはゴミ一つ落ちていない。

自己規律ある形で政治を自分に近づけようとしている。

それに政党や政府が応えなければ次が恐ろしいかもしれません。


               (引用ここまで・終)

                 *****



wikipedia「イロコイ族」より

アメリカ連邦政府との関わり

最初期の部族パスポート構想は1923年から始まるものである 。

アメリカの独立戦争に際しては英国側に与して戦ったが1779年に破れて、1794年にアメリカ合衆国連邦政府と平和友好条約を結んだ。

アメリカ合衆国国務省のパスポートを認めず、鷲の羽根を使った独自のパスポートを発行、同パスポートの使用はいくつかの国家により認められている。

日本国政府は2005年に宗教史協会の集まりでイロコイ連邦代表団が来日した際に、このパスポートを承認している。

国連も認める独立自治領であり、1949年にはイロコイ連邦代表団はニューヨークの国連ビルの定礎式に招かれている。

アメリカ合衆国が1917年にドイツに宣戦布告をした際には、イロコイ連邦は、独自の独立宣言を発行し、第一次世界大戦同盟国としての地位を主張している。

独立した国家として、FBIなど連邦政府の捜査権も及ばない。

全米の500以上に上る、アメリカ合衆国の連邦政府が公認したインディアン部族は、アメリカ合衆国の連邦政府内務省の出先機関である「BIA(インディアン管理局(英語版))」の監視・管理下にある「部族会議」を設置してen:Federally recognized tribesが集まる首長制になっているが、BIAは実質的にアメリカ合衆国の連邦政府傘下の組織である。

イロコイ連邦は、首長制を強制するBIAの監視・管理下にある「部族会議」に相当する組織を最初から持たず、アメリカ合衆国=BIAの干渉を一切拒否し、「調停者」の合議制による自治独立を実現している稀有なインディアン部族である。

これはアメリカ合衆国政府が条約で保証している、保留地(Reservation)の本来の姿である。

イロコイ連邦の連邦制度自体、アメリカ合衆国の連邦制度の元になっており、13植民地がアメリカ合衆国として独立する際に、イロコイ連邦が協力して大統領制を始めとする合衆国憲法の制定にも関係した、とする研究者は多い。

1780年代の合衆国憲法制定会議には、イロコイ連邦や他のインディアン民族諸国の代表団が含まれていた。

イロコイはフランクリン(→アルバニー計画)や、ジェファーソンに影響を与えたのみならず、独立から憲法の制定にいたる過程で具体的な示唆を与えていた。

イロコイ連邦はそのヴィジョンをアメリカ合衆国に託するために協力を惜しまなかった。

かつてアメリカ合衆国大統領は就任に当たってイロコイ連邦を表敬訪問するのが慣習となっており、近年のジョンソン大統領まで続いた。

共和主義と民主主義の高潔な原理に基づいた、彼らイロコイ連邦の国家組織は、結局ベンジャミン・フランクリンを含む多くの植民地指導者の関心を集めた。

18世紀中を通して、彼らの五カ国の自治システムの中心にあった共和・民主の両原則は、白人の男性支配の哲学のなか、より正当で人道的な政治手法を捜していたヨーロッパとアメリカの政治体に組み込まれたのである。

このイロコイ連邦(六部族連邦)のシステムは、植民地の政治家や思想家の心をとらえ、そのなかの何人か(フランクリンやトマス・ペイン)は、ロングハウスでの同盟部族会議に参加し、外交についての授業を受けている。

イロコイ連邦の長老は、何度も彼らの連邦のスタイルを白人たちの13植民地のモデルとして彼らに提示している。

合衆国のハクトウワシの国章はイロコイ連邦のシンボルを元にしたものであり、合衆国憲法そのものも、言論の自由や信教の自由、選挙や弾劾、「安全保障条約」、独立州の連邦としての「連邦制」などがイロコイ連邦からアメリカ合衆国へと引き継がれたものである。

また、イロコイは事実上、最も初期に女性の選挙権を認めた集団である。

イロコイ連邦の六部族国家のひとつ、オノンダーガ国(英語版)は自治権の強さで知られ、海外への旅行の際にもアメリカ政府のパスポートを必要としない。

1973年に「ウーンデッド・ニー占拠」の代表団の一人で、連邦から訴追されたデニス・バンクスが、1983年、FBIから逃れるためにオノンダーガ国に亡命して話題となった。

FBIはオノンダーガ国内に侵入できず、バンクスに手が出せなかった。

イロコイ国家はこの「ウーンデッド・ニー占拠」では代表団を送り、オグララ・スー族の独立国家宣言に対し、真っ先にこの独立を承認した。

2009年9月21日、ニューヨーク州のセネカ族国家は、セネカ部族民が西半球を主権的に旅行できる旅行身分証明書を発行するため、米国国家安全保障省と開発協定の約定書に調印した。

このカードが発行されれば、セネカ族国民はアメリカの国境を自由に越え海外と行き来出来ることとなる。



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「脱原発しない社会」の、社会学的考察・・・小熊英二氏インタビュー(1)

2013-04-23 | 野生の思考・社会・脱原発



2012年12月22日の朝日新聞の記事を紹介します。


            *****


            (引用ここから)


「脱原発」は民意 反映されない選挙、正統性また下がる
・・デモに参加する社会学者・小熊英二氏



金曜夜、首相官邸前はこの夏、「脱原発」を求める人の波で埋まった。

怒りのドラムが鳴り渡り、民意は高揚したはずだった。

だが総選挙では「脱原発」とは程遠い自民党が圧勝。

この落差は何なのか?

社会は変わらなかったのか?




結局デモで社会は変えられなかったということでしょうか?

小熊

いや、社会は変わっています。
でもその変化が選挙に反映されていない。
変化する社会と、選挙で選ばれた代表との距離がさらに開き、政治が遠いと感じる人はますます増えるでしょう。

政治学用語でいえば、「代議制の正統性」が一層低下したのが今回の最大の結果です。

比例区では自民党の得票率は27%台。
自民の基盤だった町内会、商工会、土建業界も弱っています。

しかし今回は他の勢力がそれ以上に小さくばらばらだった。

浮島のように残っている古い部分が、自民を勝たせただけです。




世論調査では「脱原発」を望む人が8割だったのに、脱原発政党に大きな支持は集まらず、「未来」も9議席。
大きな落差がありました。

小熊

脱原発政党は準備不足で、小選挙区で票を食い合いました。
次の選挙ではイタリア型の政党連合か、選挙協力が必要でしょう。

また選挙は国民投票と違い、「脱原発」だけが争点ではない。
たとえば農家なら原発ゼロ執行でもTPP反対を期待して自民に入れた人もいたでしょう。




原発政策が不透明になり、失望した人も多かったのでは?

小熊

原発政策では巻き返しがあるでしょう。

でも3・11以前に戻すのは困難です。

原発の危険性や非経済性が知れ渡り、ほとんどの政党が長期的には「脱原発」と言わざるをえない状況です。

抗議やデモをしてもいいと社会全体に思わせ、そういうことが起こり得ると、政界や官界にも知らしめた。

この変化は様々な運動の成果です。

それを押し切って巻き戻したら、自民や公明は今回投票した人の支持さえ失うでしょう。

選挙の結果だけが民意だと考えるなら失望する人もいるでしょう。

しかし選挙は民主主義の手段であって目的ではない。

今は世界中で選挙だけでは正統性がもたなくなっています。

その上日本では、選挙以外に民意を反映する仕組みをほとんど作ってこなかった。




選挙以外の“仕組み”とは?


小熊

たとえば米国は人口3億人に対して基礎自治体が8万以上あります。

行政サービスが不足なら住民が特別区も作れる。

小さな単位に決定権と責任があり、中身のあるタウンミーティングや公聴会もあるから政治が近いのです。

そういう参加の“仕組み”は多くの先進国が作っています。

そうでないと不満がたまり、正統性が下がるからです。

ところが日本は人口が1億3千万人に対し自治体は1742。

決定権も財源も少なく、全部上から降ってくる。

政治が遠いのは当然です。




欧米と日本では、政治や民主主義の感覚が違いますね?


小熊

ドイツなども、1960年代までは日本と同じ「お任せ民主主義」でした。

人々は政治に参加する気はないのに見返りは求め、陰で不満を言う。

ところが社会がある程度豊かになると、発言したい、参加したい、決定権がほしいといった、物以外への欲求が高まります。

さらに70年代の石油ショック以降は、雇用も家族も不安定になり、自分で考えて動かなくてはどうにもならなくなった。

だから意識は変わったのです。


ところが日本は、80年代に欧米で衰退した製造業を引き受けて経済成長できたため、例外的に変わらなかった。

しかし、もう限界です。

元々日本の民主制度は、開発独裁型の政府が形だけ導入したという性格のものでした。

それが行き着いたのが今の地方議会です。

元高級官僚の知事が出す案件がオール与党でなんでも通る。

住民は無関心で、投票率も低いところでは2割。

不満を言いつつも従っているのは、知事が中央から金を引っ張ってくるからです。

正統性が低いから、金しか納得させる手段がない。

今は国会の地方議会化が進みつつありますが、同じことはできません。

世界銀行の元総裁にでも首相になってもらい、金を引っ張ってきてもらわないかぎり、債務で破たんします。




旧来の“仕組み”はもう限界のはずなのに、立て直しを求める勢力は小党に分裂し、敗北しました。


小熊

政党の分裂は、民意の分裂の表れです。

「旧来の日本を取り戻す」という民意が3割ほどあり、残りがバラバラなのです。

どんな社会をめざすのかの「ビジョン」と「合意」が必要です。




どんなビジョンでしょう?


小熊

ビジョンというと、社会民主主義か新自由主義か、といった話になりがちです。

しかしそれは、大きい政府か小さい政府かという対立です。

どちらも代議制民主主義。

どちらも代議士は地域や労組の有力者。

それでみんな従う、という前提の上で政府の大小を論じていたのです。


しかし今は世界中で「代表制」か「直接制」かという、別次元の対立が台頭しています。

「直接制」とは「自分も参加させろ」、「存在を認めろ」ということです。

そこには、自分を排除して密室で決めるな、という公開要求も含まれる。

各地で独裁政が倒れ、代議制が機能不全になり、ネットその他での公開が広がっています。




なにが変わったからでしょう?


小熊

情報化とかポスト工業化とか、技術や経済の言葉での説明はありますが、とにかく社会関係の原理が総体として変わりつつあります。

内閣府の調査では20~30代の男性で恋人・配偶者がいない、交際経験がない人の合計が、非正規で80%、正規で45パーセント。

女性でも52%と44%です。

日本だけでなく、うつ病が増え、誰も認めてくれない、どこにも包摂されていない、という感覚が広がっています。

その反動が直接性の要求、つまり自分にも言わせろ、存在を認めろという声となっている。

それなのに形式的な選挙しか参加回路がないと、不満がたまってクレームが殺到し、代議制は機能しなくなってしまう。




「お任せ民主主義」は限界だと?


小熊

インドの経済学者の考えでは、民主主義とは投票制度や形式的平等ではない。

誰もが決定に参加できることが民主主義なのです。

その過程で人々が考え、発言し、潜在能力が上がる。

所得が高くなくとも、人生のどのステージでも、誰もが承認され、尊重され、能力を高められる。

そんな社会を作ることこそが目的です。

政府の大小や代議制、GDPや株価はその手段であって、目的ではない。

甲地だけ選挙をやっても、後は全部お任せしかないのでは能力は上がらない。

決定に参加できた実感もない。

だから正統性が上がらず、政治も社会も力強くならないのです。



              (引用ここまで)


               *****



反原発の官邸前の抗議活動を、歴史的意義のあるできごととして捉えている人がたくさんいることを感じます。

この方が感じておられるのも、社会が変わる瞬間に立ち会っているという実感なのだと思います。


>誰もが決定に参加できることが民主主義なのです。

>その過程で人々が考え、発言し、潜在能力が上がる。

>所得が高くなくとも、人生のどのステージでも、誰もが承認され、尊重され、能力を高められる。

>そんな社会を作ることこそが目的です。


この部分が私は最も心に響きました。

ヨーロッパからアメリカ大陸にやってきた白人たちに、民主的な話し合いに基づく社会の在り方を教えてくれたアメリカインディアンの人たち、イロコイ族の人たちの伝統の知恵のことを思いました。


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オオカミ探して40年・・「会いたい」奥秩父の山へ、 「人間の罪深さ」感じながら

2013-04-13 | 日本の不思議(現代)



朝日新聞 2013年1月13日の

「オオカミ探して40年・・「会いたい」奥秩父の山へ、 「人間の罪深さ」感じながら」という記事が印象的でしたので、切り抜いて保存しています。

数年前には、たしか、「オオカミの護符」というドキュメンタリー映画を見たような記憶もあります。

以前、多摩地方に住んでいたことがあるので、古びた家々の玄関口に貼られている「オオカミの護符」は実際にたくさん見かけたことを思い出します。




              *****


           (引用ここから)



精悍な顔つき、先が丸まった尾、絶滅したとされるニホンオオカミを探し求めて山を歩き続ける人がいる。

最後に確認されてから100年以上。

かつて守り神と崇められながら、近代化で消えていった姿が今も多くの人を引き付ける。


「大型動物の息遣いを感じ、草木を踏み締める足音が聞こえた。」

昨年12月中旬、埼玉県上尾市の八木博さんの元に知り合いから連絡が入った。

ニホンオオカミを探し続けて40年、埼玉と東京、山梨にまたがる奥秩父に向かう八木さんに同行した。


ヒノキや杉が生い茂る雪道を歩く。

「これはテンのふんですね、あれは鹿の足跡。」

雪の上にはさまざまな動物の痕跡があった。

山道脇の木に取り付けられているのは、赤外線カメラ。

動きに反応して自動で録画が始まる。

15年かけて周辺の山に20台設置した。

これまでカモシカやキツネ、熊が前を通ったが、ニホンオオカミらしき動物は映ったことがない。


新潟県出身で、19歳の頃、苗場山のブナ林で遠吠えを聴いた。

「ウォー」と、澄み渡るような長い声。


犬とは思えなかった。

声の主に会いたいと思った。


その後、奥秩父を登山すると多くの神社がオオカミを祀り、登山者の目撃情報や文献、毛皮が多く残されていた。

探し求めている相手がいるのはここだと思った。


月に一回は奥秩父に足を運ぶ。

1996年10月、捜索帰りに、林道脇から一匹の動物が姿を現した。

体長約1メートル、精悍な顔に艶のある毛並。


写真に収めた。

これに、動物分類学者が、「ニホンオオカミの生き残りの可能性がある」と指摘し、メディアを賑わせた。


2010年に関心を持つ仲間と「NPO法人ニホンオオカミを探す会」を立ち上げた。


「遠吠えを聞いた」、「似た動物を見た」という連絡が毎年10件前後ある。

もしかして、、かもしれない、、そんな話ばかりだが、無視したら絶対にみつからない。


「捜索を通じて感じるのは、人間の罪深さです」と八木さんは言う。

利便性の追求が生態系を破壊する。


去年はニホンカワウソが絶滅種に指定された。


昨年末の奥秩父。夜に及んだ捜索の最後、1996年に動物をみかけた場所に寄った。

冷気が肌を指す。

5分ほど周辺を歩いた。

狸が一匹、目の前を通り過ぎただけだった。


目撃情報は九州や紀伊山地などでもある。

ニホンオオカミは明治以降の開発や乱獲、伝染病で絶滅したとされる。


東京農工大の丸山直樹名誉教授は、「文明開化の犠牲になった。農地を荒らす鹿やイノシシを襲うため、かつては守り神と崇められた。しかし明治政府は家畜を襲う害獣とみなして駆除していった」という。


オオカミにくわしい元国立科学博物館の小原氏は、「100年もの間、確かな死骸を残していないのは不自然」と、生存には否定的だが、「孤独そうな精悍な顔だちと、守り神だった動物が消えてしまった謎めいた部分が人を引き付ける」と見る。


                  (引用ここまで)


                    *****







「NPO法人ニホンオオカミを探す会」HP
http://www.saitamaken-npo.net/database/kyoudou/group.php?mode=detail&id=100311170701


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ゾロアスター教については、まだ終わっていません。。。

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黄金の星はベツレヘムに現れる・・シュタイナーの人智学的ゾロアスター論(4)

2013-04-09 | マニ・ゾロアスター

 

引き続きシュタイナー著「仏陀からキリストへ」のご紹介をさせていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

      
                  *****


                 (引用ここから)


ゾロアスターは霊的に非常に高い人でしたので、ペルシア文化を創造したのみならず、次のエジプト文化にも関与しました。

ゾロアスターには二人の弟子がいました。

そのうちの一人は後のヘルメス、もう一人は後のモーゼです。

ゾロアスターは自らのアストラル体をヘルメスに与えました。

ヘルメスの中にゾロアスターのアストラル体を見ることができます。

ヘルメスはゾロアスターのアストラル体をまとうことで、ゾロアスターが有していた宇宙に関する智をエジプト民族に語り伝えることができたのです。

モーゼはゾロアスターのエーテル体をまとうことによって、宇宙と人間の歴史を壮大な映像として見、旧約聖書の創世記を書くことができました。

このようにゾロアスターはエジプト文化と古ヘブライ文化に貢献したのです。

ゾロアスターは紀元前600年にカルデアに再受肉しカルデアの秘教学院で偉大な宇宙の秘密を伝授しました。

この秘教学院にはピタゴラスも学んでいました。

ゾロアスターはピタゴラスの師でもあるわけです。

人智学が提供するものによって、ゾロアスターがザラタスという名でカルデアの秘教学院で教授していた事柄を感じとることができます。

ゾロアスターが教えたものは大宇宙に関する秘密で、ゾロアスターは世界に秩序と調和をもたらそうとしたのです。

ゾロアスターの弟子たちは単なる「秘術家(マギ)」や「秘儀参入者」ではなく、社会組織を秩序立てることができる故に「王」と呼ばれました。

ゾロアスターの人格に対するカルデアの秘教学徒の敬意は、非常に大きなものでした。

カルデアの秘教学徒達は、この東洋の賢者ゾロアスターと、彼らの師ザラタスとに親近性を感じていました。

彼らはゾロアスターの中に、「人類の星」を見ました。


ゾロアスターという言葉は、「黄金の星」、「光輝の星」という意味です。

彼らはゾロアスターの中に太陽の反照を見ました。

そしてこの「星」が彼らの師としてベツレヘムに再び現れる、ということが、彼らの深い智にはやがて見えてきたのです。

彼らは彼らの「星」に導かれ、この「星」が人々に与える最良のものの徴をこの師に捧げました。


ゾロアスターの霊統から人間に与えることのできる最高のものは、アストラル体の思考、感情、意志の中に受け入れられた宇宙の秘密に関する智です。

ゾロアスターの弟子たちは思考、感情、意志という魂の3つの力を、心的・霊的世界の深みから吸収することのできる英知で満たそうとしました。

この外界の秘密を吸収することによって自らのものとすることのできる英知の象徴として、黄金、香、没薬が用いられました。

黄金は思考、薫香は敬虔な感情、没薬は意志の力の象徴です。

この3つを、師がベツレヘムに再受肉した時、師と再会するための標としたのです。

ゾロアスターと共にあった賢者たちと、転生したゾロアスターとが、黄金と薫香と没薬という3つの最良のものの象徴によって、いかにつながりを表示したかを、「マタイ福音書第2章」は事実通りに記述しています。


                 (引用ここまで)


                      *****


シュタイナーが説明しようとしているのは、キリスト生誕の時にやってきた「東方の三博士」のことであると思われます。

wikipedia「東方の三博士」には、以下のように説明されています。

                   
                    ・・・・・


東方の三博士の来訪

東方の三博士は新約聖書に登場し、イエスの誕生時にやってきてこれを拝んだとされる人物。
東方の三賢者、東方の三賢人とも。

『マタイによる福音書』2:1-13に博士たちについて記されているが、「占星術の学者たちが東の方から来た」としか書かれておらず、人数は明記されていない。

彼らはヘロデ大王に「ユダヤ人の王としてお生まれになったかた」について尋ね、ベツレヘムへたどりつく。

彼らはイエスを見て拝み、乳香、没薬、黄金を贈り物としてささげた(この贈り物の数から「三人」とするのが定着した)。

ヘロデ大王は幼子を見つけたら、自分に知らせるようにと彼らに頼むが、彼らは夢のお告げを聞いてヘロデ大王のもとを避けて帰った。

「博士」あるいは「賢者」と訳される言葉「マーゴイ」の原義は天文学者であったようである。

三博士の名は、西洋では7世紀から次のような名が当てられている。

メルキオール(黄金。王権の象徴、青年の姿の賢者)、バルタザール(乳香。神性の象徴、壮年の姿の賢者)、カスパール(没薬。将来の受難である死の象徴、老人の姿の賢者)。

シリアのキリスト教会では、ラルヴァンダード、ホルミスダス、グシュナサフが対応しており、ペルシア起源を強くほのめかしているが(例:ホルミスダス=アフラ・マズダー)、真偽は定かではない。

アルメニア正教会ではカグファ、バダダハリダ、バダディルマ[5]、エチオピア正教会ではホル、カルスダン、バサナテルが対応する。

キリスト教圏でクリスマスの季節になると飾られる馬小屋の模型(プレゼピオ)にはよく贈り物を携えた三博士の人形が飾られている。

また、東方の三博士がイエスに会った日が公現節の起源とされる。

ドイツのケルン大聖堂には、三博士のものとされる遺骨を納めた黄金の棺が安置されている。


                     ・・・・・




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お前は宇宙霊の一部だ・・シュタイナーによる人智学的ゾロアスター論(3)

2013-04-06 | マニ・ゾロアスター



引き続き、シュタイナーの「仏陀からキリストへ」という本のご紹介をさせていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


                 *****


                (引用ここから)


仏陀の教えは「八正道」です。

「八正道」は、業の悪しき作用から逃れようとするときに行ずるものです。


仏陀が人類に与えたのは、慈悲と愛の精神と徳でした。

ゴータマ・シッダルタという菩薩は、人類の進化の歴史の中で特別重要な時期に仏陀になりました。

菩薩が仏陀とならなかったならば、人間の魂は「法(ダルマ)」を受け取れなかったでしょう。


「法」は、人間が業の悪しき作用から自由になるために、自らのアストラル体の中にあるものを外化する時にのみ、発展することができます。

仏陀はこのことを、「法輪を転ずる」と表現しています。

菩薩から仏陀への悟りから、人類全体に大きな波が流されたのです。


仏陀の教えを真に認識する時、人間は内から温められます。

仏陀の教えを心を込めて把握しようとする人は、若い力を再び得た仏陀の“内的な暖かさ”を「ルカ福音書」の中に見出します。


しかし、原ペルシア民族の中に生まれたゾロアスターは、仏陀と正反対の使命を課せられていました。

ゾロアスターは大宇宙を霊的に貫き、包括する“外在的な神”について教えを説きました。


人間の内にあるものは、神的・霊的な諸力から形成されたものです。

内的なものにはすべて、それに対応する外的なものがあります。

外部から流れ込んだ諸力が、人間の内部に存するようになります。

ゾロアスターは外界にあるもの、人間の「周囲」にあるものを解き明かす使命を帯びていました。


ゾロアスターは例えば、アムシャスパンドという偉大な聖霊について語りました。

アムシャスパンドは本来12人いますが、そのうちの6人は隠れています。

アムシャスパンドは人体器官の形成者として外部から働きかけます。

ゾロアスターは、いかに人間の感覚器官の背後に人間を創造する者達が存在しているかを明かしました。

この偉大な聖霊、人間の“外部”にある諸力について、ゾロアスターは語りました。


ゾロアスターは更に、アムシャスパンドの背後に立つ28人のイザルド、またはイゼドという、これも外から人間の内部組織に働きかける存在について語っています。


ゾロアスターは大宇宙の中の霊的存在と、外界と、人間の関係について語りました。

仏陀は人間の魂から思考を生み出す「思考実体」について語り、ゾロアスターは、私たちを取り巻き、宇宙のいたる所に散乱している「宇宙創造思考」について語りました。


人間の思考の中に存するものは、宇宙のいたる所に存在しているのです。

ゾロアスターは外界の解明と分析に関連した世界観をもたらしました。

ゾロアスターはこの世界観をペルシア民族に与え、外界に対して働きかけを開始したのです。

ゾロアスターの使命は、原ペルシア民族の特性と完全に一致したものでした。

ゾロアスターに託されたのは、外界の働きの中に力と能力を引き寄せることでした。

ゾロアスターの任務は、「人間は自らの内にのみ生まれたのではなく、心的、霊的世界の胎の中に安らうものである」という智をとおして、

今日では人間とは分断されたものとみなされている「外的な働き」のための力、能力、信頼を証しすることでした。


「宇宙の中に立つお前は、独りではない。

お前は、霊に充たされた宇宙の中で、宇宙神と宇宙霊の一部である。

お前は霊から生まれ、霊の中に休らう。

息を吸うたびに心霊を吸い込み、息を吐くたびに偉大な霊に供儀を捧げているのだ」

と人間は自らに言うことができる、とゾロアスターは教えました。


それゆえゾロアスターの秘儀参入は彼の使命に相応したものであり、ゾロアスターの使命は人類のもう一人の偉大な指導者ブッダの使命とは別のものだったのです。


                (引用ここまで)


                  *****



法輪を転ずる

   ↓

wikipedia「印相」より

「印相」 はヒンドゥー教及び仏教の用語で、両手で示すジェスチャーによって、ある意味を象徴的に表現するものである。
印契(いんげい)、あるいは単に印(いん)とも。

サンスクリット語ムドラー(मुद्रा [mudraa])の漢訳であり、本来は「封印」「印章」などを意味する。

主に仏像が両手で示す象徴的なジェスチャーのことを指す。

寺院その他で見かける仏像には、鎌倉大仏のように両手を膝の上で組み合わせるもの、奈良の大仏のように右手を挙げ、左手を下げるものなど、両手の示すポーズ、すなわち印相には決まったパターンがある。

それぞれの印相には諸仏の悟りの内容、性格、働きなどを表す教義的な意味があり、仏像がどの印相を結んでいるかによって、その仏像が何であるか、ある程度推測がつく。

密教の曼荼羅などには、様々な印相を結ぶ仏、菩薩像が表現されているが、ここでは日本の寺院などで見かける代表的なもの数種類について略説する。

主な印相

転法輪印(てんぽうりんいん)

釈迦如来の印相の1つで、両手を胸の高さまで上げ、親指と他の指の先を合わせて輪を作る。

手振りで相手に何かを説明している仕草を模したもので「説法印」とも言う。

「転法輪」(法輪を転ずる)とは、「真理を説く」ことの比喩である。

親指とどの指を合わせるか、手の平を前に向けるか自分に向けるか上に向けるかなどによって様々なバリエーションがある。

例えば胎蔵界曼荼羅釈迦院の釈迦如来の場合、両手の指先を上に向け、右手は前に、左手は自分側に向ける。

この場合、右手は聴衆への説法を意味し左手は自分への説法を意味する。



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などあります。(重複しています)
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ゾロアスターはダビデ王の家に再受肉した・・シュタイナーの人智学的ゾロアスター論(2)

2013-04-02 | マニ・ゾロアスター




引き続き、ルドルフ・シュタイナーの「仏陀からキリストへ」という本のご紹介をさせていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


                   *****


                 (引用ここから)


西暦紀元の始まりの頃には、人類の進化にとっての最も重大な出来事を成就させるために、非常に多くの意味深いことが起こりました。

「ゴルゴダの秘蹟」に向けて進行してゆく霊的経過を理解するためには、以下のことも考察しなくてはなりません。


古ヘブライ民族の中にダビデという家系がありました。

このダビデ家は、始祖たるダビデにまで遡ります。

聖書(第2サムエル書・5・14)には、ダビデはソロモンとナータンという二人の子を持っていたと記されています。

「ソロモン系」は王の系譜、「ナータン系」は司祭系に属していました。

イエスはこの「ナータン系」のヨセフとマリアの間に生まれた子です。

また「ソロモン系」のヨセフとマリアの間に生まれた子もイエスと名付けられました。

この子の使命は「ナータン系」のイエスとは別のものでした。

宇宙の智は極めて深いものです。

「ソロモン系」のイエスは、成熟した魂を持つ者だけが与えることのできるものを人類にもたらすという使命を、l帯びていました。

この子は、かつてペルシアでアフラ・マズダーについて教えを説き、ヘルメスにアストラル体を、モーゼにエーテル体を与え、カルデアではザラタスという名で現れてピタゴラスの師となったゾロアスターの生まれ変わりに他なりません。

ゾロアスターの自我は「マタイ福音書」に記されているベツレヘムに住んでいたダビデ家の王家、すなわち「ソロモン系」のヨセフとマリアの間に生まれた子供の中に再受肉したのです。

この「ソロモン系」のイエスに、原ペルシア文化の創始者であるゾロアスターが再受肉しました。

ゾロアスターはペルシア民族に偉大な“太陽存在”=アフラ・マズダーの教えを与えました。

この“太陽存在”は、私たちが目にする物質的な太陽の、霊と魂の部分です。

ですからゾロアスターは「物質的な太陽が輝いているのを見るだけではなく、物質的な太陽の働きがその光と熱の中に現れているように、物質的な太陽に恵みを注ぎかけている霊的な力強い“太陽存在”を見るように」と言ったのです。

後に「キリスト」と名付けられることになる「アフラ・マズダー」を、ゾロアスターはペルシア民族に示していました。

けれどもゾロアスターは、地上に受肉した“太陽存在”について語ったのではなく、太陽を指さして「太陽に住む霊、アフラ・マズダーは次第に地上に近づきつつあり、いつか地上での生を送ることになろう」と言いました。

ここにゾロアスター教と仏教の相違があります。

ゾロアスター教と仏教を長い間分断してきた深い差異は、パレスチナで生じた霊的な出来事によって埋められ、互いに若さを取り戻しました。


                  (引用ここまで)


                     *****


Wikipedia「ゴルゴダの丘」より

ゴルゴタの丘は、エルサレムの丘。

新約聖書においてイエス・キリストが十字架に磔にされたとされる。

新約聖書には、ここで弟子のイスカリオテのユダの裏切りを受けたイエス・キリストが十字架に磔にされたと書かれている。

場所については諸説あり、はっきりとは分かっていないが、聖墳墓教会のある場所がゴルゴタの丘だといわれている。

日本のカトリック教会ではラテン語から派生した「カルワリオ」の丘と呼ばれることがあり、ラテン語より派生した英語の「カルヴァリー(カルバリー、(Calvary)」 はプロテスタントの教会の名前によく用いられるが、「ゴルゴタ」も「カルワリオ」も「カルヴァリー」も、すべて「髑髏(どくろ)」という意味をもつ。

日本ハリストス正教会では教会スラヴ語から「ゴルゴファ」と転写される。

一説には人祖アダムの墓がここにあったともいわれ、磔刑を表した絵画にはしばしばイエスの十字架の下に髑髏が描かれることがある。

日本語では、ゴルゴタはゴルゴダと最後の音が濁音となって流布している。


wikipedia「マタイによる福音書」より

マタイによる福音書は新約聖書におさめられた四つの福音書の一つ。

伝統的に『マタイによる福音書』が新約聖書の巻頭に収められ、以下『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』、『ヨハネによる福音書』の順になっている。

『マタイによる福音書』は構成上、五つの部分に分けることができる。

• イエス・キリストの系図、誕生の次第、幼年時代、公生涯の準備(1-4:16)
• ガリラヤ及びその周辺での公の活動(4-17:16:20)
• ガリラヤにおける私的な活動(16:21-18)
• ユダヤにおける活動(19-25)
• イエスの死と復活(26-28)

本書の目的は、イエスこそが「モーセと預言者たちによって」予言され、約束されたイスラエルの救い主(キリスト)であると示すことにあり、イエスにおいて旧約聖書の預言が成就していることを示すことであった。

『マタイによる福音書』には旧約の引用が多く見られるが、それらはイエスの到来を予告したものとして扱われている。
旧約からの引用箇所は65箇所にも上り、43箇所は地の文でなく語りの中で引用されている。

この福音書の狙いは「私は廃止するためでなく、完成するために来た」という言葉にもっともよく表現されている。

『マタイによる福音書』は、イエスはキリスト(救い主)であり、イスラエルの王の資格を持つダビデの末裔として示している。

このようなイエス理解や文体表現から、パレスチナにすむユダヤ人キリスト教徒を対象に書かれたと考えられる。

また、反ユダヤ的色彩があり、そのユダヤ人観がキリスト教徒、特に中世のキリスト教徒のユダヤ人に対する視点をゆがめてきたという説もある。

イエスの多くの言葉が当時のユダヤ人社会で主導的地位を示していた人々への批判となっており、偽善的という批判がそのままユダヤ教理解をゆがめることになったというのである。

しかし、実際にはユダヤ教の中でも穏健派というよりは急進派・過激派ともいえるグループがキリスト教へと変容していったとみなすほうが的確である。


本文からは『マタイによる福音書』の正確な成立時期については聖書学者の間でも意見が分かれており、エルサレム陥落前(紀元60年 - 65年)に書かれたとする説と、陥落後(70年代)に書かれたとする説に分かれる。

いずれにせよ、遅くとも紀元85年ごろまでには成立したと考えられている。

『マタイによる福音書』自身には、著者に関する記述はない。

この福音書の著者は、教会の伝承では徴税人でありながらイエスの招きに答えて使徒となったマタイであるとされている。

その理由として、福音書の特徴より著者が『ユダヤ人クリスチャンであること』、『旧約聖書についての知識、興味があること』、『律法学者の伝承に通じていること』があげられ、内容的に『金銭問題』や、『徴税人』について数多く触れられていることなどがあげられる。

一方、現代のリベラル派の聖書学者の多くはこの伝承を疑問視している。

マタイがこの福音書の著者であるという伝承の元となっているのは教会史家カイサリアのエウセビオスによる『教会史』の第3巻で、2世紀のヒエラポリスの司教パピアスの失われた著作からの引用として「マタイがヘブライ語で言葉(ロギア)を記した」と記している部分である。

また、歴史家エウセビオスによる次の報告にも根拠を置く。

「マタイは、はじめはユダヤ人に宣教していたが、他の人びとのところに行こうと決めたとき、彼らに告げた福音を彼らの母語で書いた。こうして彼は、自分が去ろうとしている人びとが、自分が去ることで失うものを著作で代えようとしたのである」(ibid., III, 24, 6)。

現代、リベラル派でもっとも有力な仮説とみなされる二資料説では、『マタイによる福音書』は『マルコによる福音書』と「イエスの言葉資料(語録)」(ドイツ語のQuelle(源泉)からQ資料という名前で呼ばれる)から成立したと考えられる.

さらに「M資料」というマタイによる福音書独自の資料も執筆時に参考にしていると主張する説もある。

この主張は聖書信仰の福音派では受け入れられていない。





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