始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

煙(パイプセレモニー)による契約は有効か?

2008-12-29 | ホピ族
30人の長老の話を集めた「ホピ・宇宙からの聖書」によると,
1848年にメキシコ、スペイン、アメリカ合衆国、ホピ国の間に初めて協定が結ばれたということです。
以下に載せてみます。

*****

長老たちの伝承によれば、ホピとアメリカ合衆国は次のことに同意したとされる。
一、合衆国はホピ族の宗教上および土地に係る権利を尊重し、常にホピの領土を守らなければならない。
二、ホピ領を侵す者は合衆国であれどの部族であれ、死によって処罰される。
三、ホピが宗教的権利によって主張している土地の一部を合衆国が奪うなり、分割するなり、相客するなりした場合には、創造主によって処罰されることに同意するものとする。


「この協定がホピの代表団によって署名調印されたのか?」との問いに、彼らは
「聖なる絆である言葉により、またエーテルへの署名となる煙吹きの儀式により調印した」と語った。

「いかなる物質的な紙も合意文書も、焼かれたり、破られたり、盗まれたりする場合がある。

だが煙吹きによる約束または署名は、地上の人間と創造主、または大霊との間の聖なる誓いなのだ。

滅亡について語ろう。
ホピは合衆国に対して次のような警告を与えた。

それは、力ある精神的国家としてのアメリカ合衆国がこの煙吹きの儀式による聖なる署名を無視するようなことがあれば、はじめからあった創造主の聖約に背いたことによってこの国に滅亡がふりかかるだろう。

すでにスペインはメキシコに敗北し、もはや西半球での勢力を維持していない。
そして今メキシコも合衆国に敗北した。

同様にして、合衆国も聖なる煙吹きの儀式による約束を尊ぶことなく無視するならば、この国もまた偽りの神を仰いでいることになる。

裁きはかならず来る。」

ホピにとって、土地の領有は根本的に宗教的な事柄だった。
出現の際に(神により)約束され、移動後に(神により)彼らのものとして宣言され、聖なる石板にも定められたこの土地は、西はコロラド河から東はリオ・グランデ川まで広がっていた。
遺跡や土器、絵文字、線刻文字がホピこそこの土地の永遠の所有者であることを証言していた。


*****


ところが、その後アメリカ合衆国はホピの土地を四方から取り囲む地域を手に入れ、“その所有権に基づき主権を行使する”ということをするようになります。

つまりホピの代表団は“聖なる絆である、煙とことばによる約束”をしたと言っているのですが、アメリカ合衆国から見たらこの協定は“単なる口約束”にすぎなかった、ということです。

両者の考え方は平行線をたどり、白人はインディアンを徹底的に迫害する、ということになります。

今の精神世界なら言霊、音魂といったことが尊重されて一目おかれていますけれど、それでもビジネスや政治では話し言葉では契約はできません。

なぜ、文字は力を持ち、文字がないことは不利なのでしょう?
なぜ、すべてのことが、書き文字によって行われているのでしょう?

合衆国の役人に語りおくホピの言葉は、時を超えていぶし銀のような重みを感じさせます。
文化人類学者なら、「未開社会というものはない、無文字社会があるのだ。」と言うのでしょう。

無文字社会はなぜ、文字をつくらなかったのでしょうか、、おそらく文字をつくる必要がなかったからではないでしょうか?

彼らにとっては、神や世界との聖なる絆を守ることがなにより大切で、また意義のあることで、そのために文字はなにも役に立たないということを、彼らは知っていたのではないかと思います。

そのような文明は、語り伝える人が途絶えたところで、姿が見えなくなり、消滅したとみなされるのではないでしょうか。

多弁な文明の向こう側には、ひっそりとした文明が、同じくらいたくさんひしめいているのではないかと思うのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜホピは壮麗な集落を捨てて旅を続けたのだろうか?

2008-12-24 | ホピ族

30人の長老たちが語った「ホピ・宇宙からの聖書」によると、4番目の世界にやってきた人々は、神様の指示の下、幾何学模様を描きつつ、アメリカ大陸の大移動を始めました。
以下に抜粋を載せてみます。


     *****


かくして、人々は高い山を登って移民を開始した。(略)

星は北へ北へと彼らを導き、ついに雪と氷に閉ざされた土地に辿り着いた。
夜間、彼らは雪の中に穴を掘って住居とし、熱の力を呼び起こして体を温めた。

水用にはいつも持ち歩いていた水瓶を使った。
これを埋めると、かつて砂漠を歩いたときと同じようにやはり泉は噴き出た。

また、小さな土の器もあった。
この中にトウモロコシとメロンの種をまき、そこに歌いかけると、みるみる種は草に育ち、トウモロコシとメロンを実らせた。

この新しい第四の世界の上で、まだ彼らは原始の純粋さを保っていたため、このような力が出せたのである。
(略)
西に向かった人々は、東と西の境となっている山脈を横切った。
これは大陸の軸であり、地軸の端にいる双児神はこれに沿って振動を送り出す。

人々は今やカトヤの守護の下に入り、西の海辺に出る。
そこからまた東にターンし、山脈を横切った。

ある乾燥した高原の上空で導きの星が大きな円を描き始めると、彼らは移動のペースを落とし始め、ニューメキシコ北西部のチャコ・キャニオンで停止した。


     *****


彼らは小さな部族ごとに分かれて、それぞれが東西南北の卍を描く移動を実行しました。

ある部族が立ち止まったというこの場所は、メキシコ北部の古代文明の中で最も優れた遺物を残しているといわれる所です。

何百という遺跡が残され、五階建ての800以上もの部屋があり1200人ほど収容できるマンションのような建物も残されているということです。

しかしこういった幾多の住みかをあとにして、彼らは北また南と何百年もアメリカ大陸上を移動し続けたのでした。

著者は問いかけています。


     *****


「ホピ族は12世紀初めに今の故郷に辿り着き、のちに周辺のプエブロを捨てた部族が次々と入植してきたと考えられる。

マヤ・トルテカ・アステカの壮麗なるピラミッド神殿複合体、カサ・グランデやチャコ・キャニオンの大建造物など、幾世紀もの感動を呼び起こす前例があった。

ホピが最終的に永住の地に辿りついたとき、どうしてかつてのような大都市を築かなかったのだろう?
それどころか彼らは、当初からこれら離れ離れのメサの上に小村落の集まりしか作らなかったのだ。

なぜホピ族は、かつてのような一大宗教・文化センターを築かなかったのだろうか?」


    *****


著者は次のように考えます。


    *****


「仮に気候がもっと恵まれていたとしても、彼らは諸部族とかつての文化のパターンを再統一することはなかっただろう。

彼らはきわめて宗教色の強い、平和を確信している民族であり、どのような世俗的支配にも反感を起こしたからである。(略)

ある部族の地位とその所有地の相対的な価値は、四方向への移動をどの程度成功させたか、またどのような儀式を所有しているかといった宗教的な基盤にかかっている。

ホピが理想としている前提は、宇宙の中心である永遠の故郷で結束し、創造の普遍的な形を固めることにある。

ホピは世俗的な生き方が、宗教的なそれ~創造の普遍的計画~の上に構築されなければならないという信仰に決してつまづくことはなかった。」

    *****



つまり、マヤ・アステカ族と血を分けるホピの人々は、神殿やピラミッドや大きな住宅といったものを作ろうと思えばできたのですが、作ることを放棄したのです。

文明社会から見れば、逆行しているように見えるこの動きこそが、ホピをホピたらしめているもののように思います。




Wiki「メサ・ヴェルデ」より

概要
1世紀ごろから、この地に農耕民であるアナサジ族が住み始めたと推測されている。
アナサジ族は、8世紀ころまでバスケット・メーカー文化と呼ばれる独特なかご作りで知られる文化を築いていたが、9世紀ころからキヴァという儀式を行う施設を伴う日干し煉瓦の壁によって区画された集落遺跡を築くようになる。

これをプエブロ文化と呼び、 12世紀頃になると、外敵の襲来に備えた、本格的な「岩窟住居」を作り、そこに住み始めたと考えられている。
同時期の遺跡としては、ニュー・メキシコ州北西部の半円形の壮大なプエブロ・ボニート遺跡を中心とするチャコ・キャニオンの遺跡群が知られている。

その他にも、ユタ、コロラド、アリゾナ、ニュー・メキシコ4州の州境が1点に集まるフォー・コーナーズ周辺にはコロラド州のメサ・ヴェルデをはじめとして、アリゾナ州のキャニオン・デ・シェイ、ユタ州のホヴンウィープなど数多くの遺跡群が見られる。
ユタ州側にあるホヴンウィープ国定公園の遺跡群は極浅い谷あるいは涸れ沢の縁の平地に散在する形をとる。
メサ・ヴェルデの住居遺跡がメサ上に少ないのは保安のための他に農耕に適したメサ(台地)上を農耕に優先したとのこともある。

アナサジ族のこのような日干し煉瓦による壮大な建物が建てられた時期はプエブロIII期と呼ばれる。
14世紀になると、とつぜん放棄されたと推測されており、謎となっている。

なお、アナサジとは、アナサジ族が消滅もしくは移住した後に同地域に流入し、現在も居住する先住民であるナバホ族の言葉で「古(いにしえ)の敵」あるいは「古の人々」を意味するが、現在は「先プエブロ[3]」を意味する英語の "the Ancestral Puebloan" という表現を使う方向にある。

クリフ・パレスといわれる「岩窟住居」による集落が公園内最大の遺跡である。
200室ほどあり、一番高いところの高さは、4階建て相当にもなる。さながら高級マンションのようでもある。クリフ・パレス、ロング・ハウスなど主要な遺跡コンプレックスへの立入りは公園レンジャーの引率によるツアー(有料)のみで許されている。
シーズン中は混雑するので朝一番にビジター・センターで申し込む必要がある。
ニューメキシコ州とコロラド州に住むプエブロ族は、現在もこのような巨大集団住居からなる大集落を有している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホピ・インディアンと卍(まんじ)

2008-12-22 | ホピ族


30人の長老の語りをまとめた本「ホピ・宇宙からの聖書」によると、彼らはこの世に出現した後、長い旅をすることを命じられたということです。
以下に載せてみます。


*****


さて、マサウ(ホピの神様)は人々の前から姿を消す前に、彼らが共通の永住地に辿り着くまで四方向に分かれて移民するように命じた。

東、西、北、南の方向にそれぞれ分かれ、パソ(海と出会うところ)に行きつくまで旅をする。

この四つの移動を完了させたのちに、彼らは創造主の普遍的計画の原型をかたどりつつ、ふたたび集まり会うことができる。

(すなわち)こういうことである。
ある部族は南に行き、ある部族は北に出発し東西にターンしてまた戻ってくる。

彼らのルートはみな大十字を形成し、その中心ツワナサビ(宇宙の中心)は、今のホピ族が住んでいるアメリカ南西部、その腕は四方向のパソスに伸びている。

人々がその先端の各所でターンすると、時計まわり、ないし反時計まわりの大十字スワスティカ(卍まんじ)を形成し、これが地球ないし太陽の動きに対応する。

そして永住の地に辿りつくまでには、かれらはじょじょに縮小するらせん模様を描いている。

こうした四つの移住によって形成されるパターンのすべてが、今なお彼らの陶器や籠細工、カチナのガラガラや祭壇の上に見られるシンボルの中心をなしている。




移民はなおも続いた。

時がたつうちにマサウの命令を忘れ、生活の楽な熱帯気候の地に定住し、いずれは崩壊する運命の石造りの美しい町を建設する部族もいた。

また四つの移住を完了させなかったために宗教的な力を失ってしまった部族もあった。

それでも頭頂の扉を開いたままにして、命令に従い続けた部族があった。
四つの移住のもつ目的と意味をついに理解できたのはホピ、彼らである。

このような移民は、それ自体が浄化の儀式であり、かつての第三の世界から持ち越されている悪の潜在的な力を、各世代を通して拭い去る目的があった。

人は安楽やぜいたくに屈してはならない。
その時に、創造主に頼る必要を感じなくなってしまうからである。

また、極地の寒さも恐れてはならない。
創造主が与えたもうた力が支えてくれることを、そこで学びとれるからである。

こうして、四方向に分かれて地の果てまで旅した選ばれた者たちは、最後にコロラド河とリオ・グランデ川との間に広がる荒涼とした台地に辿り着き、定住した。


*****



この長い旅は、アメリカ大陸に巨大な十字(卍)を描く形で行われました。

なぜこの形が選ばれたのかは、神のみぞ知る、ですが、ホピの世界観では北極と南極には双子が住んでおり、地球の南北の軸にそって波動メッセージを響かせて、地球の回転をコントロールしていると考えられていました。

太陽の道の東西と、地球の軸の南北はつねに意識されていて、その交点となる場所を彼らは捜し求めていたように思われます。

卍は部族によって右回りと左回りに分かれていました。

右回りの卍は、太陽をあらわす時計回りの卍で、左回りの卍は、地球をあらわす反時計回りの卍で、彼らは何千年にもわたって大陸での移動をくりかえすことで、この二つの巨大な卍を大地に描き続けたのでした。

そしてその卍の交点にあたる彼らにとっての究極の場所が、今ホピが住んでいる場所なのです。

ですから、彼らにとってはほんの200年前にやってきた“アメリカ人”が、いったい何の権利があって彼らの聖地をおびやかすのか、まったく理解しがたいのです。

卍は、人類が古くから描いてきたマークです。
ホピもまたこの元型的なマークに大きなパワーを感じていたものと思われます。




写真

上・儀式に使うガラガラに描かれている卍。縦の棒は北極と南極をつらぬく地球の軸。ガラガラはこの軸を伝わる響きを模した音をだす(同書P.152)
中・アメリカ大陸に十字を描くホピ族の移動のルート(同書P.151)
下・時計回りの卍は太陽をあらわす(同書P.221)


wiki卍(まんじ)より

卍(まんじ)または卐とは、サンスクリット語で स्वस्तिक (スヴァスティカ)または Śrīvatsa (シュリーヴァトゥサ)と呼ばれ、ヒンドゥー教や仏教で用いられる、吉祥の印である。
左卍と右卐があり、日本では左卍が多く用いられている。英語の swastika やフランス語の svastika もこのサンスクリット語から来たものであり、かつては洋の東西を問わず幸運のシンボルとして用いられていた。日本では、寺院の象徴として地図記号にも使用されている。まれに忍者を表す場合にも使われる(忍者の武器である手裏剣に卍型のものがある。

最も古い卍は、新石器時代のインドで見られる。一方、ハインリッヒ・シュリーマンはトロイの遺跡の中で卍を発見し、卍を古代のインド・ヨーロッパ語族に共通の宗教的シンボルと見なした[1][2]。これが直接、ヨーロッパの卐となり、十字架の一表現となった。
ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の胸の旋毛(つむじ)、仏教では釈迦の胸の瑞相が由来で、左旋回の卍は和の元といわれ、右旋回の卐は、力の元といわれる。
中国には仏典を通して伝わり、音訳で「室利靺蹉」、意訳で「吉祥喜旋」、「吉祥海雲」などと漢訳された。鳩摩羅什や玄奘はこれを「徳」で訳したが、北魏の菩提流支は十地経論のなかで「萬」(万)と訳している。武則天の長寿2年(693年)、「卍」を「萬」と読むことが定められた。吉祥万徳の集まる所の意味である。これにより卍が漢字として使われることにもなったが、熟語(卍巴・卍果など)は少ない。この卍あるいは卐が変化した字が「万」である。日本語でいう「まんじ」とは「万字」である。

芸術における卍

日本、中国、朝鮮において卍はしばしば繰り返すパターンの一部として見られる。紗綾形(さやがた)は安土桃山時代に明から輸入された織物に見られた文様で、染め物や陶磁器などに使用される(画像)。英語で紗綾形は key fret と呼ばれる。 また、飛鳥時代から奈良時代などの建築に見られる卍崩し (画像) は逆卍を崩したものである。日本では、卍紋は仏教の吉祥を表わす紋として家紋としても用いられる。卍紋を家紋として用いた氏族としては、戦国時代の蜂須賀氏と津軽氏が著名である。津軽氏の本拠であった青森県弘前市は卍紋を市章にしている。

インドの伝統行事における卍

グジャラート州の結婚式では、米で卍の形を描き、その上に椅子を置いて花婿が座る、という儀式が行われるが、仏教と関係はないことから、卍は仏教成立以前から用いられていたと思われる。

ハーケンクロイツ

詳細はハーケンクロイツを参照
国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が党章に採用したハーケンクロイツは、昔から西洋で使われていた卐が元となった。シュリーマンがインド・ヨーロッパ語族と卍の関連を示したことで、アーリア人の象徴として選ばれたものである。
ヨーロッパにとって忌まわしい記憶であるナチスのシンボルとして、現在卍の使用は殆どのヨーロッパ諸国で固く禁じられている。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホピがやって来た、4回目の世界

2008-12-20 | ホピの宇宙神話・伝承・祭
30人の長老たちの話をまとめた本「ホピ・宇宙からの聖書」によると、現在の世界すなわち四回目の世界は、以下のようにして始まったということです。

ホピインディアンは過去三回の世界の始まりと終わりの記憶を鮮明に持ち続けているため、四回目の今度こそ、失敗してはならないと、人間がこの世に生を受けた意義を忘れず、彼らの大いなる守護者との約束を果たそうとして、力の限りを尽くします。


     *****


「別れる前に言っておかなければならないことがある。」
ソッツナングは、第四の世界の岸辺に立っている人々に向かって言った。

「この第四の世界は完全なる世界である。
その理由はいずれわかるだろう。
かつての世界ほど美しくも、楽でもない。
高いところや低いところ、熱と寒さ、美しいところと荒れたところがある。
あなた方に選びとれるすべてのものがここにある。

あなた方がなにを選ぶかが、創造の計画を今度こそ遂行できるか、あるいはいつの日か再び世界を滅ぼすかを決定するのだ。
さあ、あなたがたは別れて違った道を進み、地のすべてを創造主のために所有せよ。

あなた方どの集団も星のあとを従うように。
星が停止した場所があなた方の定住する場所である。

行きなさい。
あなた方は善霊から助けを得るだろう。
あなた方の(頭頂の)扉を開けたままにして、わたしが語ったことをいつも憶えておくようにしなさい。」

こうしてかれは姿を消した。

人々が岸辺から離れ、内陸へと入っていくと、低い風の音がまた聞こえた。
あたりを見回すとハンサムな男が目に入った。
「あなたですか、音をたてたのは?」
男は答えた。
「そうだ、あなたがたが道を探せるよう、わたしが音をたてたのだ。
わたしがわからないか?マサウだ。
この陸地の守護者、世話役である。」

人々はマサウを知っていた。
この世界で出会った最初の存在だったため、人々はマサウを尊んだ。

「わたしたちの指導者になっていただけますか?」

「それはできない。
わたしより偉大なお方が、あなた方に果たすべき計画を与えているのだ。
前の世界が海中に没した時に、この新しい陸が突き上げられて地球の背骨になった。
あなた方がいるのはその西側斜面だ。

しかしまだ移住は始まっていない。
あなた方はまだ、星を追って定住する場所に辿り着く旅を始めていないのだ。
わたしが指導者になる前にそれを終えなくてはならない。

あなた方がまた悪しき道に戻るならば、わたしは大地を取り上げてしまうだろう。
わたしが世話役で守護者だからである。

北に行くと寒さと氷に出会うだろう。
そこはこの陸地の裏門にあたる。
この裏門を通って入ってくる者たちは、わたしの許可を得ていない者たちだ。
さあ、行ってわたしの許可によって土地を求めなさい。」

マサウが消え去ると、ひとびとは集団に分かれて移民をはじめた。

「また会おう」とかれらは互いに呼びかけあった。
われらが第四の世界は、こうして始まった。
その名はツワカキ、完全な世界である。



      *****


こうして彼らの旅は始まりました。
大いなる者は人々に、星を追って移動する旅を命じました。
人々は動く星に導かれ、西に東に地の果てまでの旅をすることになりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドレイクの方程式・・地球外生命体の数

2008-12-18 | アセンション
「ガイアシンフォニー第二番」には、天文学者のフランク・ドレイクも登場しました。

彼は1960年、地球外生命体からの電波を受信しようという試み・オズマ計画を実施し、以来観測を続けているということです。

また地球外生命体と交信する方法を考案し、1974年にはヘラクレス座に向けて地球人類からのメッセージを発信しました。

銀河系内にどれだけの知的文明が存在するか見積もるドレイクの方程式も提唱しています。

Wiki「ドレイクの方程式」によると、この方程式は以下のようになります。


     ***


ドレイク方程式は以下のように記述される。


N=R×Fp×Fl×Ne×Fi×Fc×L


ここで、
N :我々の銀河系に存在する通信可能な地球外文明の数
R* :我々の銀河系で恒星が形成される速さ
fp :惑星系を有する恒星の割合
ne :1 つの恒星系で生命の存在が可能となる範囲にある惑星の平均数
fl :上記の惑星で生命が実際に発生する割合
fi :発生した生命が知的生命体にまで進化する割合
fc :その知的生命体が星間通信を行う割合
L :星間通信を行うような文明の推定存続期間



各パラメータの推定

上記のパラメータの値については様々な見解があるが、ドレイクらが1961年に用いた値は以下のようなものである。


R* = 10 [個/年] (銀河系の生涯を通じて、年平均10個の恒星が誕生する)
fp = 0.5 (あらゆる恒星のうち半数が惑星を持つ)
ne = 2 (惑星を持つ恒星は、生命が誕生可能な惑星を二つ持つ)
fl = 1 (生命が誕生可能な惑星では、100%生命が誕生する)
fi = 0.01 (生命が誕生した惑星の1%で知的文明が獲得される)
fc = 0.01 (知的文明を有する惑星の1%が通信可能となる)
L = 10,000 [年] (通信可能な文明は1万年間存続する)

以上の値を代入すると、N = 10 × 0.5 × 2 × 1 × 0.01 × 0.01 × 10,000 = 10.


      ***


交信可能な地球外生命体は、1960年当時は10個と考えられていたということでしょうか?

ガイアシンフォニー公式HPから彼の言葉を転載します。

     
      ***


「夜空に輝く星の大部分は“太陽”であり、我々の銀河系だけで約2000億の“太陽”がある。
その内、半分は地球のような惑星を持っているので、我々の銀河系だけで1000億の星に生命が生まれている可能性がある。」

「技術文明が最高度に進歩すると、ムダなエネルギーを外部に放射しなくなるので、今の我々の技術では発見できなくなる可能性がある。」

「ドレイク方程式に依れば、今、我々と交信可能な宇宙文明は20万から200万はあると考えられる。」

「宇宙に関して、我々はまだ何も知らない子供のようなものである。
宇宙の真の姿を知ることに依って、今の常識をはるかに越えた知識を得ることができるはずだ。」

「人間も、樹も、草も、動物も、そしてETも星のかけらでできている。
 その意味で我々はみな兄弟であり、近い親戚なのです。」


      ***


映画(1995年)では、交信可能な生命体は200万と語られていました。
なんとたくさんの数でしょう。
35年の研究の成果でしょうか。
いると思って数えると、こういう数になるのかもしれません。
バシャールの住んでいるエササニ星は、オリオン星のそばだったでしょうか。
宇宙が身近に思えてきます。

ガイアシンフォニー第二番公式HP
http://www.gaiasymphony.com/co_guide2.html
wiki「地球外知的生命体探査(seti)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%BA%E3%83%9E%E8%A8%88%E7%94%BB
wiki「フランク・ドレイク」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AF
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

与那国の海底遺跡・・ジャック・マイヨールの見た海

2008-12-16 | その他先史文明

世界中の深海に潜ってきたジャック・マイヨールが、とりわけ興味をもったのが、沖縄・与那国島の海底遺跡でした。

著書「海の記憶を求めて」に彼はこのように前置きを書いています。


「あらかじめ申し上げておきたいのだが、閉息潜水、つまり素潜りをしているときは、時間に限りがあって五感にも大きな制約が課せられているため、自分を取り巻く周囲の世界を平静に、知的に分析する時間は皆無と言っていい。

その時働く「知覚作用」は、直接的、動物的、瞬間的であり、わたしに言わせればかなり「正確かつ確実」なものである。

潜在意識に入り込んで直接に働きかけてくるこの「知覚作用」が、われわれを裏切ることはめったにない。」・・・


このような前置きのあと、与那国の海底遺跡についてこのように描写しています。。

    ***


海底の深い静寂のなかで、わたしはいきなり説明のつかない異様な感覚にどっと襲われ、打ちのめされた。

今眼前に広がっているのは、人間の手で改変され、美しい化粧を施された情景であることに気付いて、激しい衝撃を受けたのだ。

このようなものは、わたしは写真や映画を介して知ってもいたし、さまざまな意見も耳にしていた。
しかし潜在意識のなかに眠っていた感覚は五体から目ざめ、五感を超えて、わたしに告げていた。

おまえは今、突飛で説明しようのない、途方もないものを前にしているのだと。

それは想像を絶するものだったが、たしかにわたしの目の前にあり、わたしは人間の手が築きあげたその三次元の宇宙の中にいた。

それにしても、どんな人間がこんな途方もないものを築きあげたのだろう。

海と陸とを問わず、世界各地で見てきた大遺跡の数々を思い浮かべてみたが、これにはただ息をのむばかりだった。

人間の手がじかに石を削ったこの遺構は、どう見てもいわゆる原始人の築いたものではありえない。

このあたりは1万年以上前に氷河が溶けだして水没したものの、それまでは陸地だったところだが、そこに暮らしていた未開人の作品ではありえない。


わたしがいま目の当たりにしているのはまぎれもない階段だが、われわれ現代人に比べてあまりにスケールが大きすぎる。

この巨大な段丘や岩板は、まるでスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」から抜け出してきたようではないか!

それにしても妙な形だ。
ほとんどが見事な左右対称をなして、幾何学模様を描いている。

これを築いたのはもしかするとわれわれよりずっと大きな体格の人間なのでは、、、わたしは漠然とながら、そう感じた。

そういえば、与那国からは身長2メートル20センチの、明らかに人間とおぼしいものの骨が発見されたと聞いている。

 
  ***


これはかれの仮説なのですが、かれは確信をもって語ります。


   ***



わたしは遺構の内部を隅々まで、直観だけを頼りに泳ぎまわった。
いとこ分のイルカのように嗅覚を働かせながら。
そして思わずつぶやいた。

「まったく、イルカだったらよかったのに。」
なぜならイルカは知っているからである。

もしも口がきけたら、この遺構がなんであるかを彼らは話して聞かせてくれるにちがいない。。

与那国の一帯は世界でもっとも謎に満ちた場所として知られている。

今はまだ人類の祖先にまつわる遺物の痕跡は見つかっていないが、そのような社会の足跡が発見される日も近いのではないだろうか。

  
     ***



ジャック・マイヨールは、琉球大學の木村政昭教授と同じく、与那国の海底遺跡はかつて大きな大陸が太平洋に存在したことの証左の一つではないかと考えていました。

彼は「与那国の海底には、教条的な先史の枠を超える新たな発見が待っているに違いない。組織的な調査をおこなえば、必ずや新たなる発見が可能なはずである。」と書いています。(同著)

そしてこれからも調査を続け、ドキュメンタリー映画を作りたいと書いていました。(同著)


早すぎる死を残念に思います。







wiki与那国島「海底遺跡」の項より

海底遺跡とされる場所

1986年に、ダイバーによって島の南側海底に巨大な一枚岩が発見された。「一枚岩」は周囲数百メートルに及ぶ巨大なもので、人工的に切り出したような跡や、人がちょうど歩くことができそうな通路状の隙間、階段状の壁、柱が立っていたと思わせる穴など、人が加工しなければできないかのように思われる形状を備えていたため、遺跡ではないかと報道された。
この地形の成因については、以下の通り、人工的な構造物であるとする立場と、自然地形であるとする立場からのいくつかの説がある[2][3]。人工的な構造物説に立つのは木村政昭(琉球大学名誉教授)らのグループのみである[4]。しかし、考古学的・地質学的な調査をせず、論文発表もせず、学会外における報告書や出版物でも精確な調査データを出さなかったり図面をわざわざ不正確に捏造するなどしているため、学術的に認められていない。一方、同じ琉球大学理学部教授の中村衛や元沖縄県埋蔵文化センター所長の安里嗣淳らは自然現象説を採っている[5][6]。

•遺跡説

1. 古代文明遺跡説
かつて古代文明がこの地に存在し、何かに使用した建物であるとする説。「遺跡」であれば、水没したのは動植物の分布や鍾乳石から、前回の氷河期が終わって海面が上昇したときであるとの説があり、これが事実ならば、1万年以上前の世界最古の古代遺跡ということになる[7]。また、発見者である新嵩喜八郎主催の与那国海底遺跡博物館のWEBによると、遺跡説の中では古代遺跡説がかなり有力である[1]。しかし周辺に同様の様式を持った遺構などを含めて1万年以上前の文明の痕跡らしきものが一切発見されていないこと、「遺跡」の傾き(これは与那国周辺の地層そのままである)が大きすぎて施設として考えた場合に実用性が疑わしいこと、そもそも人の手が加わった証拠が全く見つかっていないことなどから、この説には疑問の声が強い。

2. 石切り場説
1.に対して、施設を作る為に石を切り出す場所であったとする説。これは階段状に直角に切り出されている部分は説明がつくが、切り出した石の行方が説明できない。

3. 中世遺跡説
1.に対して、比較的新しい時代の遺跡とする説。2005年から2006年にかけて、遺跡の全貌の把握ならびに年代特定のために、琉球大学主催で本格調査が実施された。そして、採集した遺跡のサンプルから年代の特定が行われた結果、遺跡が水没した年代は、10世紀後半から11世紀前半にかけての時代であることが判明したとされる(論文・報告書は未公刊の為、この主張の客観的検証は現時点では不可能)。これが事実であれば、1万年以上前の古代遺跡とする説は否定され、古代文明も存在しなかったことになる。しかしながら、琉球史では、遺跡が水没したとされる時代の資料が非常に少なく、南西諸島における地殻変動の記録も未だ見つかっていないため、結論は未だ出せない状況である。とは言え数十mもの地殻変動であれば影響は広範囲に渡ると予想されるため、その記録が一切発見されていないことは説を疑問視するに充分な状況証拠となっている。


• 侵食説

岩が侵食されてできた自然地形であるとする説。この岩はもともと侵食されやすい種類のものであり、垂直や水平の階段状の部分は、マグマの冷却時に規則的な亀裂が発生し、それに沿って岩石が侵食される「方状節理」という現象で説明できる。階段状部分の高さがまちまちであり高いところでは1段につき1m以上もあることなどからも、人工の構造物ではなく節理による自然地形とする見方が裏付けられる。穴はへこんだ部分に石が入り込み、潮流によって回され、周りの石材を削りだしたもの(ポットホール)で、河川ではよく見られる光景である。また、地上にあった遺跡が海没したとする場合、一定期間(数百~数千年間)波打ち際で波による侵食を受けたと考えられるが、そのような痕跡は見られない。このように、地形が「人工物のように見える」という以外に古代文明があった証拠が希薄であることから、遺跡であることを疑問視する向きがあり、多くの学者は侵食説を支持している。木村らのグループはこの批判を踏まえた形で新たに「海底遺跡は一気に水没した」という説を打ち出している(上記中世遺跡説参照)が、現時点ではこの説は口頭発表のみで主張されているので、論文の公刊が熱望されるところである。



与那国島海底遺跡調査団HP
http://www.ocvb.or.jp/html/yonaguni/01.html
wiki木村政昭
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%94%BF%E6%98%AD
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イルカに教えてもらう・・・ジャック・マイヨール

2008-12-14 | アセンション
「ガイアシンフォニー第2番」には、ジャック・マイヨールという素潜り105メートルの世界記録をもつ人も登場しました。

彼は自分が勤めていた水族館のイルカから、イルカのように水中に長くとどまる方法や、イルカと話をする方法を学んだといいます。

まるで恋人と戯れるように親密にふれあう二人のすがたは美しすぎて声も出ません。
YouTube「ジャックとイルカ」
http://jp.youtube.com/watch?v=yDZa39b0jOY&feature=related

彼はその後、海の中でイルカと長い時間すごし、さらにたくさんのことを学びました。

ヨガや瞑想で体と呼吸のコントロールをし、水深105メートルの素潜りの世界記録を達成しましたが、これは驚異的なことだそうです。

なぜ内臓破裂しないのか、医師があらゆる医学的測定をして調べました。

日本に縁が深く、与那国島の海底遺跡の調査などにも意欲的でしたが、74才で自宅で自殺するという意外な最後を迎えました。

謎の部分も含めて、人間についてとても示唆に富んだ考察をしていると思われます。

イルカとの出会いを、「イルカと、海に還る日」ジャック・マイヨール著から転載します。

  
 *****


「私はじぶんの純真無垢な思考だけで、クラウンに近づいてみようと思った。
言葉でも記号でもなく、自分を空白にしてクラウンを受け容れてみようとしたのである。

そこで最初にしたのは、クラウンの領域に入っていくことだった。
したがって私は、水の中で彼女がしているように、呼吸停止状態で彼女と出会わなければならない。

よく晴れた冬のある日、わたしは海水パンツをはき、フィンとスノーケル、それにちいさなマスクを身につけて、冷たい水槽に静かに体を滑りこませた。

驚いたことに、クラウンがそこにいた。
まるで私が来るのを待っていたかのように。

彼女は、わたしが餌も道具も手に持っていないのを見ても、とまどう様子はまったくなかった。

彼女ははすぐに理解したのだ。
彼女はいつもと違うそぶりで、テレパシーによってわたしの意思を読み取っているのがはっきりわかった。

水中で彼女はわたしを見つめ、わたしは彼女を見つめた。

わたしはふたたび天啓的な体の震えを感じた。
わたしはクラウンの世界に入ったのだ。

そしてクラウンはわたしに近づき、水の中をついてくるようにと合図した。

クラウンはわたしが調教師としてではなく、私自身として訪れたことを誇りに思っているようだった。

30秒ほどでわれわれはいっしょに水面に浮上し、ともに息をすると再び潜った。


この試みは何週間もつづいた。
わたしが彼女の領域に入っていたのであり、わたしが彼女に教えることはなにもなかった。
逆に彼女からすべてを学びたかった。
彼女はわたしのそうした気持ちを知り、大きく息を吸い込まなくても、呼吸のたびに少しづつ息を長くとめていく方法や、水の流れに身をまかせる方法や、力まずしなやかに、できるだけ節約しつつ効果的に動くことによって、水の中に完全に自分を溶け込ませる方法を教えてくれたのである。

クラウンは水の中でいかにふるまうかといった基本的なことを、わたしに教えてくれた。
後に水深100メートルへの潜水に挑戦するようになるのも、この時の教えがあったからこそである。



数か月たつうちに、わたしとクラウンの関係はさらに親密なものとなっていった。
わたしは今までにない動物たちとのコミュニケーションをとりつつあった。

それは本質的に言葉に表現できないものであり、したがってその方法にはどんな定義もどんな不足もなかった。

それはわたしが感じたままであり、説明しようとするものではなかった。
だから伝えるのが難しいのだが、これはわたしが感じたままなのである。

その日の私の気分や考えに応じて、クラウンはいろいろな動作を示し、そしてわたしたちは互いに決して間違えることはなかった。

これらの動作はごくささいなものだったが、わたしにはクラウンの気持ちが伝わり、クラウンも私の心を感じていたのである。

水槽の中の作業中、わたしがなにかしら楽しいことを考え始めると、数秒後にはクラウンが横にいて重りをつけたベルトの端を噛んでいた。
まるで「それは楽しいね。」とでもふるまうように。

もしもわたしが家族のことについて心配しているとクラウンはすぐさま急いで後ろにやってきて、わたしの背中を好意的につつくのだった。
まるで親しい友人を励ますように。

そしてわたしが特に何も考えず、できるだけ早く切り上げてしまおうとしているときには、彼女はときどきやってきて、こう言うのだった。
「ねえ、なにか悲しいこととか面白いことを、ちょっとは考えよ。わたしもすこしは話に入れるように。。」

現実主義的な人々はこうした観察は事実を明らかにするのには科学的でないと言うだろう。
でも人間はすべてを説明できるのだろうか?

    *****
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐藤初女さんのおむすび

2008-12-10 | 心理学と日々の想い
先日、「ガイアシンフォニー第二番」をはじめて見る機会を得ました。
1992年に「ガイアシンフォニー第一番」が発表されて、この第二番は1995年の作品です。
あぁ、これが90年代なんだなぁと、時代の重みを感じながら見ました。

ガイアシンフォニー公式HP「第二番について」
動画に初女さんも登場されています。
http://www.gaiasymphony.com/co_guide2.html

登場人物(HPより)
1 ジャック・マイヨール(素もぐり105メートル記録保持者、イルカの友)フランス
2 14世ダライ・ラマ法王(チベット仏教最高指導者、東洋の叡智)チベット
3 佐藤初女(日本のすてきなおばあちゃん、日本の女性の生活の中の叡智)日本
4 フランク・ドレイク(天文学者、宇宙生物学者、地球外知的生命探査計画の父)アメリカ



90年代、わたしはこどもをうんだり育てたりしていて、外の世界と自分をわざと遮断してすごしていました。
ある時ふと「アネモネ」という雑誌を手にして、びっくりしました。

そこには、おばあさんがむすんだおむすびを、若い人たちがものすごく感動的な面持ちで食べている講習会の記事とか、イルカと泳いだり話したりするイベントのお知らせがたくさんあったりして、なんのことだろうと思ったことを憶えています。

それで、そこに出ていた佐藤初女さんという人のことや、イルカの何たるかを少し知ったものの、そのままにしていました。
時代精神とすっかり離れて生活していましたが、それはそれで満ち足りていたのです。
今こうしてこういう映画を見ると、なるほどこれらのことが当時熱心に探求されていたのだということが分かりました。

料理をする初女さんのお姿をはじめて見ました。
この方はもう長いこと、ご自宅を開放して、心が疲れた方たちがいつ訪ずれてもやさしく迎え入れて、心をこめた食事を出して、話を聞くということを続けていらっしゃるそうです。

山で採った山菜や果実のお料理のおいしいこと、、手作りの梅干しの入ったおむすびを食べて、自殺を思いとどまった人、生きる気力がわいて元気になった人、、彼女の元には引きも切らずに悩める人々がやってきて、彼女はおむすびをむすび続けている、そういう世界が紹介されていました。

大きな大きなおむすびは、手水をつけずに手のひらの温かさで塩をまぶして握るようです。
そうっと握るのがこつなのだそうです。
お米が息ができるように。。

小学館HP「初女さんの母の心はすべてに」ご本人のお話の声が聞けます。
http://www.web-edu.jp/hatsume/index.html
「月刊波動」HP・神の波動を感じて生きる 森のイスキア佐藤初女
http://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/kaminohado/008sathohatusne.html



初女さんは今86才。
大変なご高齢ですが今も全国に出向き、おむすびのむすび方とお話の講習会を続けていらっしゃるようです。

できることなら、このようなご高齢の方をあちこちお呼びせずとも、なんとか“良きおむすび”がむすべる身でありたいと切に思いました。
そのためには自分になにが足りないのか、そのことを考えていたいと思います。

おむすびを食べる側から、おむすびをむすぶ側に移ることが魂の成長なのでしょう。
人は誰でもいつでも、なにものかによって与えられる魂の食べ物を食べ続けているにちがいない、と思う日々です。
われらに日々の糧を与えたまえ、という祈りは魂の願いでもあるのでしょう。






写真はCD「ガイアシンフォニー2番」ジャケットから、冬の「森のイスキア」。
おむすびは筆者作なので、粗漏です。^^;


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホピ・インディアンの、二番目の世界の出現と終末

2008-12-08 | ホピの宇宙神話・伝承・祭
前回の記事の続きです。

三十人のホピ長老たちからの聞き書きをまとめた「ホピ・宇宙からの聖書」(フランク・ウォーターズ著)より、抜粋します。

ホピ族の言い伝えによると、この世界は今までに3回の崩壊を経験してきており、今の世界は4番目の世界だと言われています。
これはそのうち2番目の世界の始まりと終わりについての言い伝えです。


      *****


第一の世界が焼き尽くされている間、人々は蟻人間とともに地底で平和にくらしていた。
彼らの家は、地上にいたときの状況とよく似ていた。
生活するための部屋があり、食物を蓄える部屋があった
また、まわりを見るための光もあった、
蟻塚の砂の中にある微小な結晶が太陽の光を吸収していた
人々は両目の後ろにある中枢の内的な視覚を使ってその光の反映を見ることができたのである。

ただ一つのことが悩みの種だった。
食糧が底をつき始めたのである。
ソッツナングが第二の世界を創造するには長くはかからなかったのだが、第一の世界が滅びた後、冷えるまでに時間がかかった。
食糧が不足してきたのはこのためである・
「苦労して集めた食物をそんなにくださらなくて結構です」と人々は言った。
‘「あなた方はお客様です。わたしたちのものはまた、あなた方のものです。」と蟻人間は答えた。

こうして蟻人間は自分たちの食糧を人々に与え続けた。
彼らは毎日、自分たちの帯をきつく締めた。
今の蟻が腰のところで細くなっているのはこのためである。

ついに、第一の世界(の火山の熱による焼き尽くし)は冷えた。
ソッツナングはそれを清め、第二の世界を創造し始めた。
海のあったところは陸に、陸のあったところは海に変えて、ソッツナングは地上の様相を一変させた。
このため、第二の世界に生まれた人々はかつての悪しき世界について、なにも思い出すことがなかった。

すべてが完了したところで、ソッツナングは蟻塚の屋根をたたき、呼びかけた。
「わたしの造ったこの第二の世界に入りなさい。
前ほどは美しくないが、それでも美しい世界である。
増え、幸せに過ごしなさい。
しかし創造主とその掟を心にとどめなさい。
創造主に対する讃美の歌が聞かれるうちは、あなたがたはわたしの子であり、わたしに近い。」


こうして、人々は第二の世界に現れた。

そこは広大な陸地で、人々は急速に増えて地の四隅に広がり、地球の裏側にまで広がった。
人々は霊において一致していて、頭頂の中枢から互いを見ては話すことができた。

この扉がまだ開いていたので、かれらはソッツナングを身近に感じ、また創造主に讃美の歌を捧げていた。
しかし、獣といっしょに生活することは許されなかった。
獣は野生化し、人々から離れていたのである。

動物から離れたため、人は自分の仕事に励んだ。
家を建て、村ができ、その間を結ぶ道路ができた。
手でものをつくり、蟻人間のように食料をあつめた。
次に、交易を始め、互いにものを売買しはじめた。

問題がおきたのはこの頃である。
必要なものはすべて、第二の世界にあった。
しかし、人々はそれ以上のものを求め始めた。

人々は、不要なもののためにますます交易を進め、得れば得るほどますますものをほしがった。

状態は深刻化した。
それは、与えられた良き生活から自分が一歩一歩離れていることに、人々が気付かなかったからである。
人々は、創造主へ讃美の歌を捧げることを忘れ、売り買いし、蓄えたものを讃美しはじめた。

起こるべきことがやがて起こる。
人々は争いはじめ、村同士の戦いが起こった。


それでもどの村にも創造主の歌をうたい続けるわずかな人々がいた。
悪しき人々はこの人たちを笑い者にしたので、彼らは心の中で歌うようになった。

それでもソッツナングは、人々の波動センターと地球のそれとを通してこの歌声を聴いていた。
ある日、不意にソッツナングは彼らの前に現れた。

「あなた方の糸が、この世界の上で切れかかっているとクモ女が訴えてきた。
実に悪しきことである。
クモ女はあなた方の指導者だった。
そして、あなた方はこの情勢が始まるまで、よくぞ向上してきた。
このようになった今、わたしとおじのタイオワは、なんらかの策を講ずることに決めた。
わたしたちは、あなたがたを安全な場所に移してすぐに、第二の世界を滅ぼすことにする。」


こうして再び、第一の世界のときと同じく、ソッツナングは蟻人間に命じて人々を地下に避難させた。

人々が安全に避難すると、ソッツナングは南極と北極をそれぞれ守っている双子に持ち場を離れるように命じた。

双子が持ち場をはなれると、世界はバランスを失い、回転が狂って二度もひっくりかえった。

山々は大音響とともに海になだれ込み、海と湖は陸におおいかぶさった。
そして、それらが冷たい生命なき空間を巡るあいだに、世界は厚い氷に閉ざされた。
第二の世界はこうして終わりを告げた。

第二の世界は長いこと生命のない氷の中に閉ざされたままであった。
しかし地底では、人々が蟻人間と共に幸せに暮らしていた。

ついにソッツナングは双子に、両極に戻るよう命令した。

大きく身を震わせながら、惑星はふたたび回転しはじめた。
地軸の周囲をなめらかに回転し、宇宙の軌道に乗ると、氷はまた溶け始めて、世界は温暖になった。

ソッツナングは、第三の世界の創造を開始した。
大地と海を整え、山山と平原に樹木を追い茂らせ、あらゆる形の生命を生んだ。

こうして地球に人間が住めるころになるとソッツナングは前のように正しい仕方でキバにやってきて、こう言った。

「扉をあけよ、あなたがたの出てくる時が来た。」
ふたたびキバの屋根がはずされると、彼は人々に助言をあたえた。

「わたしはあなたがたがこの新しい第三の世界にまた生きるよう、あなたがたを救った。
だがあなたがたはこれから言う二つのことをいつも覚えておかなくてはならない。

まず、わたしを尊び、お互いを尊ぶこと。
そして第二に山々の上から調和に満ちた歌をうたうこと。
創造主に対する讃歌が聞こえなくなったときには、あなたがたが再び悪に陥ったときである。」

こうして人々は梯子を伝って蟻人間のキバから抜け出し、第三の世界に出現した。


        *****




彼らの神ソッツナングが、“南極と北極をそれぞれ守っている双子に持ち場を離れるように命じると、 双子は持ち場をはなれ、世界はバランスを失い、回転が狂って二度もひっくりかえった。”と描かれている状況は、地軸が逆転するポールシフトがおきたと言っているのかもしれませんね。

もしそうだとしたら、貴重な証言かもしれないですね。。
もしかしたら、、彼らはわたしたちが忘れてしまったことを憶えているのかもしれません。。




wiki「ポールシフト」より

地磁気のポールシフト
地磁気の磁極は、頻繁に変化していることが観測されている[1]。また、海洋プレートに記録された古地磁気の研究によって、数万年~数十万年の頻度でN極とS極が反転していることも知られている。この変化は永年変化と呼ばれているが、その原因についてはいまだ明確な説は存在していない。




関連記事
ホピインディアンの第一の世界
同・第一の世界の終末
同・第三の世界の大洪水による滅亡
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホピ・インディアンの、第1の世界の終末

2008-12-07 | ホピの宇宙神話・伝承・祭
三十人のホピ長老たちの語りをまとめたフランク・ウォーターズの本「ホピ・宇宙からの聖書」という本があります。
ホピ族は現在までに3つの世界の始まりと終わりを経験し、それを記憶しているといいます。
彼らの語り継いだ1番目の世界が終わったときの様子を、同書から転載します。
以前書いた「ホピの第1の世界」の続きです。

     
      *****


最初の人類は、地の表に広がり、幸せに生きていた。
だが、「創造主を敬え」というソッツナングとクモ女の命令を忘れる者たちがやがて現れてきた。
彼らは創造の計画を遂行するというはじめの目的を忘れ去った。

その頃彼らの間につぐみに似た鳥のかたちをとってラバイホヤ(おしゃべり)が現れた。
動物が人間から離れはじめ、人間も互いに分裂しはじめた。
違う民族と言葉の者たちが分裂し、次に創造の計画を覚えている者とそうでない者とが分かれた。

原初の知恵から遠ざけられ、人々は互いを疑い、非難しあって、ついに暴力にうったえて戦いはじめた。
そこには休息も平和もなかった。

だが、どの民族の人々の中にも、創造主の法則によって生き続けるわずかな数の人たちがいた。

彼らのもとにソッツナングはやって来た。
「事態があまりにひどいので、わたしたちは世界を滅ぼし、あなたがたがはじめからやり直せるよう新しい世界を創造することに決めた。
あなたがたはわたし達が選んだ者たちである。」

「あなたがたはある場所に行く。
コパヒ(頭頂の波動中枢)が、あなた方を導くであろう。
この内なる知恵は、あなたがたにある光景を示す。
それは昼は特定の雲、夜は特定の星となって、あなた方を導く。

なにものの持たずに行け。
雲が止まり星が止まるときに、あなた方の旅は終わる。」

こうしてこれらの人々は、世界の各所で突然姿を消し、昼は雲、夜は星に導かれて旅をした。
他の人々は、どこに行くのかと聞いて、彼らを嘲笑った。

多くの昼と夜を経てのち、最初の人々は所定の場所に到着した。

他の人々もやってきて言った。

「わたしたちも、蒸気と星に導かれてここに来たのです。」

彼らは違う民族と言語であっても同じ心と理解を持っていることを知って、喜び合った。

最後の一団が到着したとき、ソッツナングが現れた。

彼は「蟻人間」の住む大きな塚のところまで人々を導くと、その屋根を踏みならして、蟻人間たちに入口を開けるよう命じた。

入口が開くと、ソッツナングは人々に行った。

「この蟻のキバ(祈りをする建物)に入りなさい。
わたしが世界を滅ぼすときにもあなた方は安全である。
ここにいる間は蟻人間たちから教えを受けよ。
彼らはお互いに平和の内に生きている。」

そこで、人々は地下に下り、蟻人間と共に生きた。

彼らが皆安全でいる間に、タイオワはソッツナングに世界を滅ぼすよう命じた。

ソッツナングは、世界を火によって滅ぼした。
彼らは世界に火の雨を降らせた。
すなわち、火山の口を開いたのだ。
火は下からも上からも噴き出て、地も水も風もすべて火の元素一色と化し、地の子宮の中で安全に生きている人々以外は何も残らなかった。

   

      *****


最初の人類の世界は、不思議に満ちていたようです。
彼らは、創造主と密接な関係をもっていたのです。
そして創造主から選ばれた民として、その導きに忠実であったようです。

彼らはどのような光景を見せられていたのでしょう?
約束の地は、どのような所だったのでしょうか?

蟻人間とは、何ものなのでしょう?
それは地底に住む人間とは別の生物なのでしょうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地底文明アガルタはあるのでしょうか?

2008-12-05 | その他先史文明
エリック・ノーマンの「地底文明説・・地球内に存在する神秘と謎」は、地底の王国アガルタ(その首都がシャンバラ)について書かれたものです。

地球の内側には空洞があり、もうひとつの世界が広がっていると考える人たちがいるのです。

それはどこにあるのか?。。本当にあるのか?。。

たくさんの人たちが探検にでかけ、また偶然に遭遇し、その体験話をあちこちに残しています。

この本では、それらの聞き書きが、中立の立場から冷静に考察されています。
さわりの部分を以下に抜粋してみます。


       *****



仏教徒の教義に従えば、地球の中心深く、アガルタという地底の国があるという。
この地底の楽園には大人口を有する住民がある。
首都をシャンバラという。

「獣・人・神」という本の著者フェルディナンド・オッセンドフキスーは、あるラマ僧が語ったことをこう記している。

「宇宙の万物は常に変遷し続けている。いかに多くの大帝国、いかに輝かしき大文明が滅び去っていったことか。
ただ一つ変わらぬもの、それは悪しき霊たちの道具たる“罪悪”ばかりじゃ。

いまから6万年ばかりも昔のこと、一人の聖者が一部族をひきいて地の下に消え、二度とふたたび地の上に現れることはなかった。

多くの人々がこの王国を訪れている。
しかしそれがどこにあるのか、知っている者は一人もいない。
それはアフガニスタンにあるという者もあれば、インドにあるのだという者もある。

そこに住む人々は、すべて“罪悪”から守られている。
その境界の中には犯罪というものはないのじゃ。

学問技術は発達しても、それによる破壊行為に脅かされることはない。
地底の人々の知識は、非常に高い程度に達している。
今ではそれは一大大国をなしていて、数知れぬ住民が住んでいる。

この王国とは“アガルタ”のことじゃ。
この国は、地下の通路によって全世界に伸び広がっている。

わしは中国のある学識高きラマ僧から、アメリカの地下洞穴にはすべて、地底に消えた古代民族が住みついているという“ボグド・カン”の話を聞いたことがある。

こうした失われた民族の足跡は、今でも地上で見つけることができる。

知っての通り、東と西の最も大きな二つの大洋上には、かつて二つの大陸があった。

二つの大陸は水の下に消え、住民は地底の王国へ逃れた。

地下の洞穴には特殊な光があって、その光で穀類や草木は成長し、人々は病を知らず、長寿を保つ。

アガルタの首都は高僧たちや科学者たちの住む町並みでかこまれている。

それはちょうど、僧院や寺院の建ち並んだ山の頂上にダライ・ラマのポタラ宮殿のあるラサの都を思わせる。」

ラマ僧は、非常に厳粛な口調でそのように語った。


地球は空洞なりとする説、それは地球の北極と南極に巨大な穴があいているという、まったく破天荒というほかない発想に基づいている。

そしてさらに、これらの極の大穴は、地球内部にひろがる広大な未知の世界へと通じているというのだ。

また、地球の地下には網の目のようにトンネルが張り巡らされていて、さながらハチの巣状を呈しており、それが内部世界につながっている、と主張する人々もいる。

地球内部の住人は温厚な文明人であるとする説によれば、それはアトランティス大陸、レムリア大陸、その他消滅した大陸の生存者につながる未知の民族であるともいう。

「地球空洞協会」のマクドナルド会長は言う。

昔、船が世界の端から先へと航海して行ってしまったというような伝説があったが、こうした伝説の背後にはこのような事実があったのではないだろうか。
地球の端を踏み外して、だれも知らない穴の中へ落ち込み、地球の内部へとはいっていってしまう。。これは、古代の船乗りがみな恐れていた危険だった。

古代人は地下にも王国があることを知っていた。

彼らは船乗りのみやげ話を信じていた。
地底の楽園のこと、半獣人のこと、竜のこと、巨人のこと、小人のこと、妖精や一角獣のことなどを。。

彼らは、神のごとき人々のこと、おとぎ話のような黄金の都市のこと、地底の穴の中の町々のこと、地上の世界ではまだ知られていない奇妙な動物のことなどの話に耳を傾けたのだ。

われわれは、こうした話のすべてに民間伝承とか民話というレッテルを張っている。

しかし、そうした話の中に隠されている真実を見逃してはいないだろうか。

民間伝承とは、実は隠れたる人類の歴史なのだ。



       *****



こういった話は、興味本位で語ることはかたく禁じられています。
また玉石混交、古今東西、ありとあらゆる話がごちゃまぜになっているので、話そうと思ってもためらわれるのだけれど、なにがしかの真実を物語っているように思われてなりません。



wikiシャンバラより

1.『時輪(カーラチャクラ)タントラ』で説かれる理想の仏教国のこと。語源はサンスクリット語で「(幸福を)維持/用意/収集/養育するもの」などの意味。→シャングリラ
2.1が神秘的に解された地底の国アガルタの首都のこと。しばしば理想の楽園と解釈されている。



ダライ・ラマ法王日本事務所HP「カーラチャクラ」
http://www.tibethouse.jp/culture/kalachakra.html
中央の写真はポタラ宮殿



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡本天明の予言と、ミロクの世

2008-12-02 | アセンション


岡本天明に自動書記がはじまったのは、1944年、終戦間近のことだったという。

天明は大本教に属していたが、第二次大本事件(政府による弾圧)において離脱し、その後神道研究家として暮らしていたという。

自動書記は数字と記号とカナの羅列で、なにが書かれているのか天明自身も意味がわからなかったという。
仲間内の研究者たちが、それらの書かれたものを判読し、文書は「ひふみ神示」と名付けられた。

岡本天明が終戦前から書き始めたこの文書「ひふみ神示」は、1990年代に中矢伸一氏により世間に紹介され、21世紀にむけての文明・宗教のありかたとして新たな解釈とともに脚光を浴びるようになった。

今ではこの文書はアセンションの指南書という感じで、多くの人に読まれている。

地球の天変地異は、たとえばこのように予言される。



*****


寒い所暖かく、暑い所涼しくなるぞ。
心せよ。雨、風、岩、いよいよ荒れの時節じゃ。

世界になんともいわれんことが、病も判らん病がはげしくなるぞ。
食うべきものでない、悪食うて生きねばならん時来るぞ。
悪を消化する胃袋、早うせねば間に合わん。

鏡を掃除してくれよ。
今にこのお告げが一二三ばかりになるから、それまでに身魂をみがいておかんと、
身魂の曇った人には何とも読めんから、早く神こころに返りて居りてくれ。

何も一度に出てくる。
海が陸になり陸が海になる。

世の中一度に唸る時が近づいてきたぞよ。
秋ふけて草木枯れても根は残るなれど、人間枯れて根の残らぬようなことになりても知らんぞよ。
神のこの文、早う知らしてやってくれよ。

空に変わりたこと現はれたならば地に変わりたことあると心得よ。
いよいよとなりて来ているのざぞ。
天の異変に気つけておれよ。

今に人間何も言へなくなるのざぞ。神烈しくなるのざぞ。
目あけて居れんことになるのざぞ。
四つん這いになりて這い回らなならんことになるのざぞ。
のたうち廻らなならんのざぞ。
土にもぐらなならんのざぞ。
水くぐらなならんのざぞ。

人間可哀そうなれど、かうせねば鍛えられんのざぞ。
この世始まってから二度ない苦労ざが、我慢してやり通してくれよ。

獣となりて、這ひ回る人と、空飛ぶやうな人と、二つにハッキリ分かりてくるぞ。
獣は獣の生来いよいよ出すのぞ。

火と水の災難がどんなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。
一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きては居れんのざぞ。

それが済んでから、身魂みがけた人間ばかり、神が拾いあげてミロクの世の人間とするのぞ。

どこへ逃げても逃げ所ないと申してあろがな。
高い所から水流れるやうに時に従ひておれよ。

いざといふときには神が知らして一時は天界へ釣り上げる人間もあるのぞ。
人間の戦や獣の喧嘩くらいでは何もできんぞ。
くどう気付けておくぞ、何よりも改心が第一ぞ。

三千年の昔に返すぞ、三万年の昔に返すぞ、
三十万年の昔に返さなならんかも知れんぞ。

今の世はひらけたと申しているが、それは半面だけのこと、
半面がひらけると反面がとざされる世の中、

開け放しの明るい世が目の前に来ているぞ、
用意はよいか、

真ん中うごいてはならんと申してあろう、

動くのは外じゃ、
忙しい忙しいと申すのは外側にいる証拠であるぞ、

気つけて早う中心に飛び込めよ、
真中結構、日本は真ん中の国であるぞ
日本精神は真中精神、末代動かぬ精神であるぞ、

三千世界の大掃除であるから、掃除するには、掃除する道具もいるぞ、人間もいるぞ、

今の有様ではいつまでたっても掃除は出来ん。
ますますけがれるばかりじゃ。

一刻も早く日本から、日本を足場として最後の大掃除を初めてくだされよ。
神が致すのでは人間がかあいそうながら、くどう申しているのぞ。

「ひふみ神示ダイジェスト版」(コスモテンパブリケーション刊)より抜粋
      

      
         *****


wiki岡本天明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E5%A4%A9%E6%98%8E


言われていることは、
世界の終末が迫っている、ということと、
それに対して、人間はどうしたらいいのか、ということ。。

神様からの直なアドバイスである。

天明は大本出身なので、「三千世界を建て替え立て直して、みろくの世を実現する」という言い方がされる。

そして未曾有の大災害の末、こころがけの悪い者は死に、こころがけの良い者は生かされて、ミロクの世の人間として新たな生を受ける。

天明の「ひふみ神示」の示す、この世の終わりとその次の世界の建て替え立て直しのあり様は、アセンションという名のちょっとかわったミロク信仰の一つとして、市民権を得、今も人々の心をつかむ力を持っているように思われる。

未曾有の大災害は、いつ来るのだろうか。
それは避けることができないものとして、「時に従いておる」しかないのだろうか。

身魂をみがく、ことが肝要なのだとは分かっているけれど。。



wiki大本より
教義
主要な教義は、お筆先など神がかりによるものである。
多用されているおもな理論は、次の通り。
• 型の論理(大本教内で起こったことが日本に起こり、日本に起こったことが世界に起こるという法則。これを使って近未来の予知が可能となる)
• 立て替え・立て直し(一種の終末論。戦前の官憲には革命思想として捉えられ、徹底した弾圧を生む原因となった)





コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする