始まりに向かって

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アマテルとアマテラス(2)・・天道信仰とアメノヒボコ

2011-09-01 | 日本の不思議(古代)
天照大神はいつ、どのように現れたのか、について調べています。

千田稔氏の「伊勢神宮・東アジアのアマテラス」をご紹介させていただきます。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどからご購入になれます。


筆者は、アマテラス大神が登場する以前には、「アマテル信仰」という古い「日の神信仰」があったのではないか、と考えています。

その古い「日の神信仰」は、古さにおいて対馬の「アマテル信仰」が最も古く、最もよく見ることができるのではないか、と筆者は考えます。


「日の神」を「お天道様」と言うのは、日本人には自然な感じですが、対馬では、「天道童子」という特異な信仰があるそうです。

筆者は、対馬在住の郷土史研究家・永留久恵氏の研究書「古代日本と対馬」という本から、「天道童子」に関する話を紹介しています。



              *****


          (引用ここから)


1690年に書かれた「天道童子縁起」という史料には

     ・・・

天道童子は母が日光に感精して懐妊した。
天道女体宮の御神体は日輪を腹部に描いた女神像(日神の御子をはらんだ姿を具像したもの)。

    ・・・

とある。

この伝承は、アメノヒボコ伝承とよく似ている。

新羅国のアメノヒボコは、昼寝をしている間に太陽の光で妊娠した母から生まれた赤い玉が美しい女性となったので、彼の妻にしたという。

アメノヒボコは新羅の皇太子ではなく、実際は朝鮮半島からの渡来集団であると考えられているのだが、

いずれにせよ、対馬の天道童子伝承は朝鮮半島と関係するのではないかと考えられる。

対馬の年中行事にしても、天道を祭祀するときは、まず赤米を耕作し、その新殻の霊を鎮呪して神を作り、その霊を継承するという。

その最初の種もみは、「テンドウによってもたらされた」と言い伝えられている。

おそらくこのことは稲作渡来伝承、つまり弥生文化の成立と関係してくるのではないかと考えられる。


    (引用ここまで)


         *****


天道信仰、すなわち太陽信仰は、稲作文化と共に大陸、朝鮮半島からやってきたと著者は考えています。


次いで、朝鮮半島の文化との類似が考えられます。


         *****


    (引用ここから)


「ソト」と天道信仰


天道信仰に関連して、「ソト」の問題を取り上げてみたい。

対馬に俗称「天道山」と呼ばれる山がある。

その山中に「ソト」と呼ばれる聖域がある。

その山を登る途中に、石で造られたピラミッド状のものがあり、「天道法師」の墓だと伝わる。

「ソト」とは、古くから朝鮮半島で使われていた。

「三国志」魏書の東夷伝に次のように書かれている。

           ・・・


群衆歌舞し、飲酒昼夜なし、鬼神をまつる
諸国各々別邑あり 名をソトとす
大木を立て、鈴鼓をかけ、鬼神を事とす


           ・・・

「ソト」とは、一種のアジ―ルで、そこに逃げ込んでしまうとだれも立ち入ることができない不可侵の聖なる場所である。

「ソト」が大きな木を立て、鈴と鼓を掛けている、という点に注意してみよう。


これに関係すると思われるものとして、日本の弥生時代の遺跡から出土する木製の鳥形がある。

その鳥形を柱の上に置いていたとし、それをソトと見る見解がある。

永留氏の著書によると、

「天道と別に、天神、天の神、阿麻低留神社、照る日権現、お日輝様などと称する天神系祭祀が27か所あり、これらの天神が天道となんらかの関係をもった例が多いことから、この両者は同一の信仰体系にあったものと推測される。」

とある。


         (引用ここまで・続く)


         *****


永留氏のことが、対馬の郷土史研究家の事績として新聞記事になっていました。

       
「西日本新聞・出版ニュース」2009.4.22
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/news/20090422/20090422_0002.shtml

 
            *****

  
          (引用ここから)


「通史「対馬国志」が完成 88歳郷土史家 永留さん5年かけ」

 対馬市の郷土史家永留久恵さん(88)が、対馬の歴史をまとめた通史「対馬国志」(全3巻)を書き上げた。

本は7月初めから、同市内の書店などに並ぶ予定。

永留さんは「対馬史における日韓交流の意義を学んでほしい」と話している。

 「対馬国志」は、紀元前7000年から説き起こし現代までを対象に、それぞれの時代に対馬が日本本土や大陸とどんな関係にあったかなどを描いている。

資料収集など執筆には5年間を費やした。

永留さんは「朝鮮通信使など大陸と交流が盛んな時代は、対馬の社会や文化も活気がある。対馬の将来を考えるとき、日韓交流などはこれからも続けるべきだ」と語る。


         (引用ここまで)


            *****


太陽と鳥、鉦と太鼓、始原的で力強い、太古のイメージに満ちているように思います。

「天照大神」と言ってしまうと逃してしまう、ネイティブな姿の日本、ネイティブな姿のアジア、が彷彿とするように思われます。




wiipedia「アメノヒボコ」より

アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)は、『古事記』、『日本書紀』に見える新羅の王子。

『播磨国風土記』には神として登場する。

古事記においてアメノヒボコと阿加流比売神の子孫・曾孫が、菓子の神とされるタヂマモリ(多遅摩毛理、田道間守)であり、次の代の多遅摩比多詞の娘が息長帯比売命(神功皇后)の母、葛城高額比売命であるとされている。

しかし日本書紀においては阿加流比売神と結婚したのは意富加羅国王の子の都怒我阿羅斯等とされている点で異なる。

なお、アメノヒボコは新羅の王家、朴氏、昔氏、瓠公との関連の可能性があるとする説もある。

(新羅王族であった昔氏は、倭の但馬地域から新羅に渡り王となったとされており。新羅王族であるアメノヒボコは但馬・出石に定着した。

ただし、昔氏のもともといた場所についてはこの他に日本の東北、丹波等が上げられている。)


wikipedia「対馬」より

『古事記』の建国神話には、最初に生まれた島々(「大八洲」)の1つとして「津島」と記されている。

『日本書紀』の国産み神話のなかには「対馬洲」「対馬島」の表記で登場する。

古くから大陸との交流があり、歴史的には朝鮮半島と倭国・倭人・ヤマトをむすぶ交通の要衝であった。

推古天皇における遣隋使も、また初期の遣唐使もすべて航海は壱岐と対馬を航路の寄港地としている。

朝鮮動乱のなか対馬を踏査した民俗学者宮本常一は、対馬で驚いたこととして、どの村にも鎌倉時代以来の古文書をもっている旧家が必ずあることだと述べている。

まったく同じ土地で600年ものあいだ人びとが生活しつづけ、しかも、中世の宛行状や安堵状にみえた田畑を今日まで作りつづけていることについて「世の中にこういう世界もあるのか」「中世がそのままといいたいほど残っている」と驚嘆している。

九学会連合対馬調査

対馬における本格的な民俗学調査は1950年から1951年におこなわれた九学会連合対馬調査にはじまる。

その結果、対馬は、独特の身分制度や村落構成、年齢集団や隠居制家族、親分・子分関係、天童信仰など、日本民俗文化を研究していくうえで多くの重要な文化項目が認められ、民俗学的にきわめて貴重な地域であることが指摘できる。


対馬神道

卜部神道の源流をなすのが対馬神道であり、小国ながら対馬には29座もの式内社があった。

対馬神道の原点ともいえる『天道縁起』には、ウツロ船に乗って感精した女が天童を生んだという独特の天童信仰があり、遠く北陸・出羽にも影響をあたえた。



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