goo blog サービス終了のお知らせ 
不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

レムリア人ジョン・・シャーリー・マクレーン 「カミーノ 」(3)

2019-06-09 | その他先史文明


シャーリー・マクレーンの、スペインの巡礼記です。続きです。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

             *****

           (引用ここから)

ジョンは言った。

人類の最初の傷は、魂が人間に入ったときに来た、神と霊からの分離だった。





この三角形は三つ組みを示している。

三つ組みとは頭(マインド)とボディ(体)と霊(スピリット)のバランス、あるいは神、女神、子供のバランスである。

これは神へと回帰する道を示している。

ひとつひとつのらせんは、頭と体と霊の陰と陽、または男性性と女性性のバランスを示している。

頭と体と霊のエネルギーは内側に渦巻きながら、三つ組みの中心に向かっている。

その中心とは神である。


地球の最初の楽園で、最初の人間は、完全な状態で住んでいた。

ひとつひとつの魂は、男性性と女性性の両方をそなえていた。

彼らは同時に男性と女性を体験するための肉体、雌雄同体を工夫して作り出した。

その肉体は魂を完全に反映して、両性を持っていた。

人間は両性具有者として生活していたのだ。

そしてその時代はレムリアとして知られていた。


神話上では、エデンの園として描かれている彼らの霊的な状態、完全にバランスのとれた肉体を反映していた。

一人ひとりのエネルギーはシンボルが示しているように、三つ組みの中心に向かっていた。

レムリアの文明は何十億年も続いた。


時間的にとほうもない年月を要したこの性の分離によって、人間はもう一つの片割れから分かれてしまった。

その事実を知ったことによって、恐怖が生まれた。

そして神を反映する完全なる魂のバランスとの分離の恐怖がうまれたのだ。


さて、おまえは、かつておこったことをこれから再体験しようとしている。

恐れないでほしい。

お前がずっと前に通過してきたことを、もう一度再体験するだけだということをおぼえていなさい」。


わたしのハートはもっと広がりはじめた。

わたしがリラックスできるように、何かがわたしを助けてくれていることがわかった。

時間が経過した。

わたしは頭ではなく、心を通して、色彩が混じりあっていくのがみえた。

液体でできた大きなハートのカンバスの上に、色彩が小川のようにわたしのハートの運河を波立って流れていた。

最初、色は緑色と青と紫が中心だった。


それらは固形物の形をとり始め、濃い黄色、オレンジ色、赤い色などの色調を帯びた。


色はゆっくりと物体を形つくり、わたしの心の中に様々な色の木や花や植物の壮大な風景が浮かび上がった。

たわわに果実が実っている木が、そよ風に揺られながら、よく手入れの行き届いた中庭と多彩な庭に沿って並んでいた。

青緑色の噴水が空に向かって水しぶきをあげ、太陽の光が霧に乱反射していた。

ひとつの中庭から他の中庭へと、温泉の川が音をたてて流れていた。

そのうえにアーチの形をした東洋の橋がかかっていた。

中庭に隣接して、ピラミッド型の建物が建っていた。

あるものは石で、ほかのものは水晶からできていた。

ピラミッドの壁はモザイク模様で飾られ、モザイクの絵のまわりには象形文字がみえた。


もっとはっきりと回りがみえはじめるにしたがって、わたしはそこがとても穏やかな静けさに

満ちていることに気が付いた。

小さな動物の発する音や植物の葉ずれの音が聞こえたが、それだけだった。


しかし、植物や動物がお互いに 交信しているのをわたしは「感じる」ことができた。


わたしは極彩色の中庭を見上げた。

わたしの方にむかってくる背の高い堂々とした人物だった。

彼の肌は、赤みがかった黄金色で、目の色は紫色だった。

彼は非常に背が高く、・・2メートル10センチはあった・・長い金色の髪を下に垂らしていた。

体や顔や腕に毛は生えていなかった。

そして、中近東の人たちがきている白いジャバラのような服を着て、サンダルをはいていた。


彼はわたしのほうに、音もなく滑るように歩いていた。

彼が近くにやってくると、なにも言葉は話さないのに、彼の思いが伝わってきた。

「こんにちは。わたしがスコットランドのジョンのずっと昔の姿です」

彼はほほえんだ。

心で彼の声であることがわかったので、わたしもにっこりとほほえんだ。

「ようこそ、おまえの最初の家に」とジョンが言った。

「ふたたび慣れるようにお手伝いしよう。」わたしは答えようとしたが、声が出なかった。

とつぜん、わたしはジョンが一種の視覚的感情的言語でテレパシーをつかって交信しているのだということに気が付いた。


「お前の感じたことをただ思いなさい。そうすれば、おまえの言おうとしていることを、わたしは理解する 」

わたしは意識を全部質問に集中した。


「ここでは、みんなそうやって話すのですか?」

わたしは自分の質問を組み立てたが、そうすると、特定の言葉というより、その言葉の裏にある感情の強さに気が付いた。

するとわたしの感情が実際にわたしの頭に絵となって浮かぶのだった。

ジョンはほほえんだ。

「はい。わたしは理解します」と彼が言った。

「とてもうまくいっているよ」


二人でいっしょに歩いていると、ほかのひとたちが、私たちの両脇を通り過ぎていった。

彼らはジョンのように、長いローブや腰巻を身にまとい、サンダルをはいていた。

そして背が高かった。


わたしはまわりの風景に目をやった。

色や生命力がいきいきとしていた。

色とりどりの花、果物の木、実をつけた熱帯の植物、ありとあらゆる植物と動物がいた。


「我々は、心の庭師なのだ」とジョンが言った。

「おまえの今の人生でも、植物が感情をもっていることをお前は知っているだろう。

人間の思いや行動は彼らに影響を与えている。

レムリアにおいても同じなのだ。」


空気中のよい香りが、わたしの発する波動と一緒に舞ったり、渦巻いたりしながら、わたしの考えに従ってついてくるように思えた。

わたしはレムリアの調和によって愛撫されているように感じはじめた。


わたしはとつぜん 「聖書」の中にえがかれているエデンの園の象徴的な意味を理解した。

それは完全な調和、完全な美、完全な平和だった。

わたしはアダムとイブ、そして知恵の木の果実の誘惑をおもった。

リンゴはなにであったのであろうか?


わたしがそう思ったとたん、ジョンがわたしに答えた。

「あとでエデンの園の没落の説明をしよう。おまえもそれに関係していたんだからね。


まず最初にたくさん見るほうがいいだろう。

緑が青々と茂った庭の中やまわりに、ピラミッド型の建物があった。

その壁にはクリスタルや石がはめこまれていた。

ピラミッドのいくつかはエメラルド、ルビー、サファイアやヒスイといった宝石でおおわれていた。

宝石類は自然の岩石の圧力でできたものなので、地球の電磁波の場を反映するという性質があった。

「これらはきわめて価値の高いものなのだよ 」とジョンが言った。

ジョンはわたしをつれて、霧のかかった美しい熱帯の庭を抜け、わたしの心に話しかけてきた。


そしてレムリアについて、次のように説明してくれた。

レムリアには5000万人の魂が住んでおり、、人種は今日のわたしたちの人種と、さらに二つ

の人種がいた。

紫色の目をした金色の肌の人種と、紫色の目をして紫色の肌をしている人種で、首都はラ・ムーとよばれ、現在のハワイ諸島あたりに位置している。

レムリアは7つの州に分かれていて、そぼくな一神教とひとつの思想圏のもとで連合している。

気温は平均が22度で11度以下と38度以上にはならない。

本来的には熱帯に属し、高い山はなく、丘とゆったりとうねっている平野からなっている。


ジョンはしぐさで、瞑想室の中をのぞいてごらんと指さした。

およそ50名の学生が円陣をつくって深い瞑想状態に入っていた。

彼らは地上から1メートルほど空中浮揚していた。

部屋の中は青っぽい霧のような色をしていた。

もの音はひとつもなく、先生もいなかった。

彼らはお互いに集団的に意思のの疎通をはかっているようだった。


わたしには彼らのオーラが振動しているのがみえた。

ひとりひとりの脊椎を、目を凝らしてよく見ると、彼らのチャクラが光をおびて振動していた。

ジョンはほほえんだ。

「彼らはいわゆる宿題をやっているのだよ。

空中浮揚はごく初歩的な段階なのだ。」と言いながら、次の教室にはいっていった。

いろいろな高さの台が置いてあった。台の上には薄いマットがしかれて、瞑想ができるようになっていた。

わたしはあたりを見回して、やすらぎを感じた。

ジョンはわたしを手招きしてうすいマットのうえにあぐらをかいて座るように合図した。

おまえがこれから再体験するもののなかには不快なものもあるかもしれない。しかし自分の真実を再体験できるほどに成長したからこそここにいるのだ。」

わたしはうなずいた。

わたしはそこにすわってリラックスした。

そして20世紀のわたしの人生について考えてみた。

集団的な調和に対しては、わたしたちはほとんど何もしていない。

個人間の競争、個人の確立、個人のプライバシー、個人的必要を望み、個人的な幸せに意識的に焦点をあてているような気がした。

20世紀の西洋社会は、霊的なことも真剣に考えていなかった。


人間に魂があるということでさえ、事実だと認められていないのだ。

今のわたしたちが人口について語る時、000万人という、しかし、ここレムリアでは5000万の魂と言っている。

わたしは座ったままハープのような楽器の音色を聴いていた。

その音楽はここちよく、遠くの方から優しくやってくるように思えた。


「ここでは誰もが他のすべての人に頼っている。 」とジョンがいった。

もしひとりが遅れると社会全体がその人のレベルまでもどって、かれの成長を助けるのだ。

みんなが同一のレベルになるという力がいつも働いている。霊的な成長こそが喜びだから。


(引用ここまで)

     図形はシャーリー・マクレーンが描いたものです
*****

よく描かれる情景ですが、なんとも気持ち良いですね。

ブログ内関連記事

エハン・デラヴィの十字架の研究」

「バスク十字」と「カギ十字(卍)」ヨーロッパ先住民族の十字マーク」

「半田広宣氏「2013:人類が神を見る日」(1)・・冥王星からの訪問者」(5)まであり


「アダマの「レムリアの真実」(1)・・アトランティスとの闘いとその後」(4)まであり

「人類は生命の岐路に直面している・・ホピ・インディアン帝国のアメリカ合衆国への返書(1949年)」

「ホピ族と、隠された青い星(1)・・刑部恵都子さん」(4)まであり


「すべては宇宙の采配」木村秋規則さん・・地球はもうすぐ終わる、とつぶやくメッセンジャー」


「ナスカの地上絵・・デニケンの疑問符。人々は空中に飛んで行ったのだろうか?」

「エジプトのミイラ(1)・・バーとカーの戻る場所」(4)まであり

「アセンション」カテゴリー全般
「アトランティス」カテゴリー全般
「その他先史文明」カテゴリー全般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネアンデルタール人、世界最古の洞窟壁画・・65000年前の高度技法

2018-03-09 | その他先史文明
世界最古の洞窟壁画は、ネアンデルタール人によって作られていたことが判明しました。

彼らが抽象的思考ができないために、私たち現生人類(ホモサピエンス)に淘汰されたという通説を覆す研究です。

昨年はラスコー絵画展のことを長く調べましたが、このラバシエガ洞窟もラスコー洞窟やアルタミラ洞窟のすぐそばにあります。

人類の精神の発生に関する重大な問題をはらんでいると思われますが、まずは掲載記事を載せます。

ネアンデルタール人その他ホモサピエンス以前の人類については、大変興味深く思います。


「世界最古 洞窟壁画 65000年以上前 ・・ネアンデルタール人が制作」
                              朝日新聞2018・02・22

スペイン北部の世界遺産のラパシエガ洞窟の壁画が、世界最古の洞窟壁画であることが、国際研究チームの調査でわかった。

現生人類は当時欧州におらず、絶滅した旧人類ネアンデルタール人が描いたものとみられる。

22日付の米科学誌サイエンス電子版に発表された。

研究チームはラパシエガ洞窟など3カ所で動物や手形などの線描の部分に含まれる天然の放射性物質を高精度な年代測定法で調べた。

三つとも6万4800年以上前に描かれたものだとわかった。

 
現生人類がアフリカから欧州にやってきたのは4万~4万5千年前とされる。

1万数千年前のアルタミラ洞窟(スペイン)や約2万年前のラスコーの洞窟(フランス)など、これまでの洞窟壁画はすべて現生人類が描いたと考えられてきた。

4万年前に描かれたスペイン北部のエルカスティーヨ洞窟の壁画がこれまで最古とされてきたが、さらに2万年さかのぼる古い洞窟壁画と確認されたことで、研究チームは「すでにいたネアンデルタール人が描いた洞窟壁画だ」としている。


ネアンデルタール人は現生人類に近い種で、約40万年前に出現し、4万年~2万数千年前に絶滅した。

ラパシエガ洞窟の壁画には線を組み合わせた「はしご」のような図形もあった。

抽象的な考えを具体的な形で表す「象徴表現」の可能性がある。

人類の進化に詳しい佐野勝宏・早稲田大准教授は、

「〝象徴表現は現生人類のみが生まれつき持つ固有の認知能力”という考えが多数派だった。今回の年代が正しければ、ネアンデルタール人にもこの能力があったことになる」と指摘している。




この左端の方に、はしごのような図形が描かれているそうです。


以前の関連の新聞記事です。




ネアンデルタール人、1歳2か月で乳離れ・現代人より早い・・米研究チーム推定」

現代の人類とは別種のネアンデルタール人は1才2か月で乳離れしていた、とする研究成果を、米ハーバード公衆衛生大学院などの研究チームがまとめ、23日に発表する。

約2年半かかる現代人よりも乳離れの時期か早く、出産間隔が短かかった可能性がある。

研究チームは、母乳に「バリウム」という物質がわずかに含まれていることに着目した。

歯のエナメル質には成長の過程が年輪のように記録されて残ることを利用し、エナメル質のどの部分にバリウムが多く蓄積されているかを調べた。


ベルギーで発見された、8~13万年前に生きていたとみられるネアンデルタール人の子供の化石から奥歯を取って分析。

その結果、生後7か月は母乳だけで、続く7か月は母乳と離乳食の両方で育っていた可能性が高いことが分かった。

現代人の赤ちゃんが乳離れするまでにかかる期間は、社会環境によって異なるが、研究チームによると、産業化が進んでいない社会では平均して約2年半だという

近藤修・東京大学准教授(人類進化学)の話「新たな手法で、離乳の時期を推定した興味深い研究だ。ただ、分析が1例だけなので今後の検証が必要だろう」。

               ・・・



「ネアンデルタール人欧州絶滅、41000年~39000年前か・・英オックスフォード大など」
                            読売新聞2014・09・14

現代人とは別の人類とされるネアンデルタール人が欧州で絶滅したのは約41000年~39000年前とする研究結果を、英オックスフォード大学などの研究チームがまとめ、英科学誌ネイチャーに発表した。


チームは、ロシアからスペインにかけての約40か所の遺跡の年代を、約200の骨や炭などに残る放射性炭素を使って推定した。

従来は約35000年前など諸説あった。

今回の研究成果によると、欧州で現代人とネアンデルタール人が共存していた時期は2600年~5400年間となるという。

ネアンデルタール人の絶滅の原因は分かっていないが、気候変動に適応できなかった可能性と、現代人との競合が原因とする説が出されているという。

今回の発表について、国立科学博物館人類研究部の海部陽介グループ長は「高い精度で、絶滅の年代を絞り込んだ成果だ」と意義を話す。

                ・・・・・

ブログ内関連記事

「アルタミラなど洞窟壁画、ネアンデルタール人の作品か?」


「「脳と墓(養老孟司氏著)」(2)・・脳は、文明という墓場で、なにをしているのか?」


「縄文時代の沖縄の「港川人」はアボリジニ似だったらしい」

ネアンデルタール人と共に生きていたら・・彼らはなぜほろんだのだろうか?

「デニソワ人のDNA・・人類は「今とは別な人類」としてあり得ただろうk?

「小型人類について・・別の人類が存在していた」

「最新科学 古代人像見えた DNA解析」 

「42000年の旅路・・ボルネオのニア洞窟」

「古代人の音楽会・・3万5千年前のフルートはどんな音色だったのだろうか?」

「35000年前のビーナス像発見・・人類最古の人形像か?」

「人類は何かを知っているのだ、だが何を?・・ナスカ・イカの線刻石の研究史(6)」

「クロマニヨン人はアトランティスからやってきたのだろうか?・・英文学者の海底探検」

「スカイピープルと古代人・・ホピ族のペテログラフ(岩絵)(2)」

「洞窟に描かれた絵は、異次元の刻印である・・グラハム・ハンコック・ダイジェスト(6)」

「異次元は我々の身体内にある・・グラハム・ハンコック・ダイジェスト(7)」

「装飾古墳・多彩な絵柄に想像膨らむ・・広がる黄泉の世界」

「ホピの祭り・ヤヤ祭り(1)・・アニマルピールと人間」

「インカ帝国展」に行ってきた・・4000年の歴史をさかのぼれるか?」

「その他先史文明」カテゴリー全般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「最古の文字なのか?」・幾何学模様のデータベース・・ラスコー展に行ってきた(10)

2017-10-25 | その他先史文明




昨秋に行ってきた「ラスコー展」のすばらしさが心を離れないので、いろいろな本を読んでいます。

次は「最古の文字なのか?」というジェネビーブ・ボン・ペッツィンガー氏の本をご紹介します。

副題は「ヨーロッパの旧石器時代の洞窟内に残された32の記号の謎を解く」とあります。

調査可能なヨーロッパの洞窟をすべて調査して、幾何学模様に特化してデータベースを作り、どの記号がどのような頻度で記されているか、などが調べられている、興味深い本です。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

前回まで「洞窟のなかの心」で、著者ルイス・ウィリアムズが取り上げていた、アフリカのサン族の岩絵について要約している所をご紹介します。

                *****

             


              (引用ここから)

ルイス=ウィリアムズは、内視現象の普遍性を出発点として、岩壁画が、初期の人類のスピリチュアルな行為と直接関係があることを示そうとしてきた。

彼はこの根拠として、シャーマニズムに関連する岩壁画を描く最近の狩猟採集民、特に南部アフリカのサン族の例を引いている。

サン族が旧石器時代からこの地域に暮らしていることは、考古学的、遺伝学的データから分かっていて、一帯には彼らが太古の昔から描いてきた岩壁画がある。

旧石器時代の作品で唯一残っているのは、ナミビアのアポロ11洞窟の石板に描かれた2万7000年前~2万5000年前の黒い動物の絵だ(アポロ11号が月面に着陸したときに発掘が行われたため)。

サン族はカラハリ砂漠に暮らし、今も狩猟採集民の生活様式をある程度維持している。

彼らはシャーマニズムを実践し、どの集団でも4割以上の人がシャーマンとして超自然的世界に働きかけ、ものごとの成り行きに影響を及ぼす役割を担っている。

彼らは一般に、激しく歌い踊ることによってトランス状態に達する。

それぞれのシャーマンが、雨を降らせる、獲物を獲得する、病める者を癒すなど、得意分野をもっている。


彼らは日常的に、岩壁画も描いている。

彼ら自身の説明によると、日常世界の上下にある見えざる世界と行き来する時に見えるものを、岩壁画に表わすのだという。

サン人はこのようなイメージを、シャーマンが危険な世界に足を踏み入れる際に利用することのできる「超自然的能力」の宝庫と見なしている。

イメージを描く岩の表面は、実世界と精神世界とを隔てる「ベール」や「薄膜」であり、そこに付けた「手の陰画と陽画」を通して、「薄膜」と直接つながるのだという。


幾何学的な視覚現象は普遍的に見られ、その時見える模様は目が映し出すことのできる形状に限定される。

すると、岩壁画に含まれる幾何学記号にはスピリチュアルな意味をもつものがあるのかもしれない。

それに具象イメージ、特に「半人半獣像」にも、シャーマニズムに由来するものがあるかもしれない。

「半人半獣像」は、儀式の装束を身に着けたシャーマンや、霊的世界を訪れたシャーマンを導くスピリチュアルな存在、あるいは霊的世界を訪れたシャーマン自身を表している可能性がある。


最近の岩壁画文化を例にとりながら、これらの可能性を一つ一つ検討してみよう。


1つ目として、一部の文化ではシャーマンが、頭部が着いたままの動物の毛皮を身にまとったり、マスクをかぶったりして、動物の姿を模倣することがある。

19世紀と20世紀の岩壁画にも、このような衣装を着たシャーマンの姿が描かれた例がある。


2つ目として、精神的ガイドは多くのシャーマン文化に見られる存在で、動物(精霊動物)の場合もあれば、半人半獣の場合もある。

ガイドは、シャーマンと長年かけて関係をきずいてきた個人的な指南役であることが多く、シャーマンが「見えざる世界」に移動する手助けをしてくれる。


3つ目として、特にサン人は、スピリチュアルな世界に入ったシャーマンが「動物に化身する」と信じていて、シャーマンが描く「半人半獣像」は、別世界にいる自分自身を表している。


この様に、3つの説にはそれぞれ論拠があり、洞窟の壁にこれらのうちの複数のイメージが同時に描かれていることも、恐らくあるのだろう。

だがこうしたイメージは全く違うものを表している可能性もある。

              (中略)

私が氷河期のヨーロッパに焦点を絞った理由は、1万年以上前の岩絵遺跡がここに集中しているうえに、自分のフィールドワークを補完するのに利用できる強固な研究基盤がすでに存在したからだ。

こうして私は52か所の遺跡を実際に回って集めたデータと、古今の優れた研究者の資料をもとに、世界最大の幾何学記号のデータベースを構築した。

この先もこれを拡充していくつもりだ。

今後はこのデータベースに、「持ち歩けるものに描かれた作品」の例も加えたい。

また、まだ調査が進んでいない地図上の空白を埋めたい。

ヨーロッパの中央部と東部には、発見されるのを待っている多くの遺跡がある。

最近ではアフリカ、アジア、オーストラリア大陸周辺の島々、近東でも、氷河期の岩絵遺跡の調査が始まっている。

新しい調査方法や年代測定のお蔭で、インドネシア・スラヴェシ島の世界最古の岩絵遺跡のような、胸躍る発見がなされている。

           (引用ここまで)

            *****


著者は、「洞窟のなかの心」の著者の考えとは一線を引いて、旧石器時代のすべての作品を、時間と場所を超越した内視光現象に還元するのではなく、言語の芽生えや、移動による伝播といった可能性も指摘しています。

データベースを作る価値は、とても高いと思います。

そこから見いだせる様々な事実は、人類の謎をとく一助となると思います。


ブログ内関連記事

「100匹のガラガヘビとガラガラ・・ホピ族と蛇(6)」

「蛇を統御する・・ホピ族の「蛇とカモシカの祭り」(3・終)」

「翼ある蛇になる秘術・・「ホピの太陽」(2)」

「古代人の音楽会・・3万5千年前のフルートはどんな音色だったのだろうか?」

「ネアンデルタール人と共に生きていたら。。彼らはなぜ滅びたのだろうか?」

「人類は何かを知っているのだ、だが何を?・・ナスカ・イカの線刻石の研究史(6)」

「クロマニヨン人はアトランティスからやってきたのだろうか?・・英文学者の海底探検」

「スカイピープルと古代人・・ホピ族のペテログラフ(岩絵)(2)」

「洞窟に描かれた絵は、異次元の刻印である・・グラハム・ハンコック・ダイジェスト(6)」

「異次元は我々の身体内にある・・グラハム・ハンコック・ダイジェスト(7)」

「装飾古墳・多彩な絵柄に想像膨らむ・・広がる黄泉の世界」

「ホピの祭り・ヤヤ祭り(1)・・アニマルピールと人間」

「インカ帝国展」に行ってきた・・4000年の歴史をさかのぼれるか?」

「アフリカ・オセアニア」カテゴリー全般
「その他先住民族」カテゴリー全般
「その他先史文明」カテゴリー全般

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デニケンの「星への帰還」の宇宙人飛来説(2)・・「ラスコー展」に行ってきた(7)

2017-10-14 | その他先史文明



「ラスコー洞窟展」を見て、そこに描かれているものは何なのかと考えたくて、様々な本を読んでみました。

その中の一冊として、エーリッヒ・フォン・デニケン著「星への帰還・地球人はいかにして生じたか」のご紹介を続けます。

この本は、デニケン氏が考える、人間の原初の有り様を述べたものです。

彼は「人類は、先史時代に、宇宙からやってきた宇宙人により、教えを受け、現在の「知性」と呼ばれているものを与えられた」と考えています。

先史時代の洞窟の壁画にも、その痕跡は見られ、世界中の先史時代の壁画には、地理的な隔たりがあるにも関わらず、共通の出来事の記録が残されていると述べています。

デニケンの調査と考察は様々な地理的、歴史的遺物に及んでいるので、ラスコー洞窟に関係するような、先史時代の洞窟壁画に言及した部分だけ、抜粋してご紹介します。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

               *****

             (引用ここから)


古代人の絵や石工の作品には、円、球、ボールなどが次第に現れる。



アルジェリア・サハラにあるタシリ山脈では、何百か所もの岩壁の絵に、奇妙な様子をした者の絵が描かれている。


それらは、頭上に球型帽子とアンテナをいただき、無重力で空間を漂っているように思われる。


とりわけ注目すべきは、フランス人アンリ・ロートが半球型の岩の下に発見した「タシリの球」である。


浮かび漂う一群のカップルーー女が後ろに男を引き連れているーーとともに、明らかに、4つの同心円が描かれている球が見受けられる。

球の上縁には、明かり窓があり、そこからまったく近代的な装いのテレビアンテナが飛び出している。

だが球の右半分からは、指を広げた2本の巨大な手が伸びている。

この球に付き添って遊泳している5人の人々は、頭上にヘルメットを載せている。

こうしたヘルメットは、いずれも頭にぴったり合っているが、白地に赤い点が打ってあるか、あるいは赤地に白い点が打ってあるかのどちらかである。

極めてけばけばしいヘルメットである。

宇宙飛行士のヘルメットか?

今日でも子供たちにクレヨンを何本か与え、「月旅行を自分たちの考えている通りに描いてみよ」と命ずるなら、おそらく出来上がってくる彼らの作品は、タシリの壁画そっくりのものとなるであろう。

それというのも、神々の訪問の思い出を岩壁に描いた未開人は、きっと子供の精神状態に置かれていたはずだからである。

サハラのみではない。

人々はやたらと球や円をみつけるである。


キビク・・スウェーデン・シムリスハム南方80キロ。

旅行案内書に星印がついている有名な岩の穴の中に、「神々」の象徴として多くの単純な円、それに垂直に分割された多くの円がある。


タスム・・スウェーデン・ゲーテボルグの北。

多くの奇妙な球と光線に取り囲まれた円がある。


バル・カモニカ・・イタリア・ブレスチア近郊。

約2万の先史時代の画。
その中には無数の光、輝く円。
ヘルメットをかぶった「神々」がある。


フェンカリエンテ・・スペイン・コルドバ北東70キロ。

光冠のあるもの、ないもの合わせ、多くの円と球。


サンタ・バーバラ・・アメリカ・ロスアンゼルス北西80キロ。

一部重なり合った、光を発する円の数々。


アイニュア・カウンティ・・アメリカ・東カリフォルニア・チャイナ湖畔。

輪、星、球、多彩な光線と、「神々」の姿。


円と球のシンボルは、まるで戦略的に配置したように世界の無数の場所で見出されている。

ここにまとめてみよう。

すべての球や円は、それが創造神話であろうと、先史時代の素描であろうと、あるいは後世の浮彫、絵画であろうと問わず、「神」、もしくは「神性」を表している。

ほとんどの場合、光は、地上に向けて発している。

こうしたことが至る所で観察できるため、何かあるな、ということを考えされると思う。

私は、伝えられてきた「球」や「神々の卵」が、単に宗教的、象徴的な意味をもっているだけではないと確信している。

われわれはこれらの印を、いよいよ別の観点から見るべきである。


われわれのこれまでの思考形式は、まったく誤っているはずだ。

長い間、われわれにとって、「神々」の遺産を、祖先の証言や記録の中で、完全にはっきりと捉える前提が欠けていた。

だが人類が月面上陸をした今日では、何世紀にもわたるありきたりの説明では、もはや満足すべきではない。

わたしの住居から30キロもない所、スイスのある地方、シルスの土地で、400メートルにわたり先史時代の遺跡が発掘された。

なにごとか書き込まれた岩の壁、球、円、らせん、光を放つ円などがしるされている多くの板。

光に囲まれた球、卵、翼ある球などは、単に洞穴や岩壁や、古代の石の浮彫や円筒封印にだけ見受けられるものではない。

こうしたものは、堅い石からできた彫塑として、世界のありとあらあらゆる場所に散在している。

そのほとんどは、これといった決まりもなく分散し、しかもおよそ薄気味悪い土地に転がっている。

たとえばアメリカでは、球は、テネシー、アリゾナ、カリフォルニア、それにオハイオの各州に見受けられる。


           (引用ここまで)

             *****

デニケン氏は、これらの岩絵を、「神々の遺産」だと捉えています。

神々は、私達に、なにを伝えようとしているのでしょう。

謎は深まるばかりです。

ブログ内関連記事

「半田広宣氏「2013:人類が神を見る日」(1)・・冥王星からの訪問者」(5)まであり


「アダマの「レムリアの真実」(1)・・アトランティスとの闘いとその後」(4)まであり

「人類は生命の岐路に直面している・・ホピ・インディアン帝国のアメリカ合衆国への返書(1949年)」

「ホピ族と、隠された青い星(1)・・刑部恵都子さん」(4)まであり


「すべては宇宙の采配」木村秋規則さん・・地球はもうすぐ終わる、とつぶやくメッセンジャー」


「ナスカの地上絵・・デニケンの疑問符。人々は空中に飛んで行ったのだろうか?」

「エジプトのミイラ(1)・・バーとカーの戻る場所」(4)まであり

「アセンション」カテゴリー全般
「アトランティス」カテゴリー全般
「その他先史文明」カテゴリー全般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「デニケンの「星への帰還」の宇宙人飛来説(1)・・「ラスコー展」に行ってきた(6)

2017-10-11 | その他先史文明


「ラスコー洞窟展」を見て、そこに描かれているものは何なのかと考えたくて、様々な本を読んでみました。

その中の一冊として、エーリッヒ・フォン・デニケン著「星への帰還・地球人はいかにして生じたか」をご紹介します。

この本は、デニケン氏が考える、人間の原初の有り様を述べたものです。

彼は「人類は、先史時代に、宇宙からやってきた宇宙人により、教えを受け、現在の「知性」と呼ばれているものを与えられた」と考えています。

先史時代の洞窟の壁画にも、その痕跡は見られ、世界中の先史時代の壁画には、地理的な隔たりがあるにも関わらず、共通の出来事の記録が残されていると述べています。

デニケンの調査と考察は様々な地理的、歴史的遺物に及んでいるので、ラスコー洞窟に関係するような、先史時代の洞窟壁画に言及した部分だけ、抜粋してご紹介します。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

最初に、「はじめに」と題された部分からの抜粋です。

           *****


       (引用ここから)

「はじめに」

星に戻る!

戻るって? それならわれわれは星からやってきたのか?

平和への願い、不死への願い、そして星への憧れーーこれらすべては人間の意識の深奥で湧きあがり、その実現のために太古から休むことなく努力が払われてきた。

この人間存在に深く根差す衝動は、しごく当然のことなのであろうか?

これらは実際には、単に人間の「欲望」なのか?

それとも星へのこの憧れの背後に、何か別のものが隠されているのだろうか?


私は、星をめざすわれわれの憧憬には、「神々」によって残された遺産が秘められていると確信する。

われわれの中には、われわれの地上の祖先たちへのいわば追憶と、宇宙からのわれわれの教師たちへの記憶が生きている。


人間の知性獲得は、限りない発展の結果であるとは思われない。

この過程はあまりにも突然進行したからだ。


私は、われわれの祖先たちは、彼らの知性獲得のプロセスを短期間にまとめ上げさせるに足りるだけの十分な知識を持っていたに違いない「神々」から授かったのだと信じる。

わたしの主張の裏付けは、従来の歴史探求の方法では、もちろんこの地球上ではほとんど見出されることはないであろう。

これまで通りの方法では、せいぜい人間や動物の遺品の収集量を今より増やすことだけに終わるであろう。

こうした方法を用いていたのでは、われわれは問題の核心に迫るわけにはいかない。

なぜなら問題の核心は、私の確信するところによれば、「いつ、そして何によって、われわれの祖先は知的になったか?」という大問題の中にあるからである。

              (引用ここまで)

                *****

第2章 「生命のあとを求めて」

                *****

              (引用ここから)

地球以外の生物が、人類進化のプロセスに介入したこともありうるとする私の仮説は、たしかに大胆である。

もしこの考えが正しければ、サルが木から降り、人間の祖先になるという説は打破される。

ホモサピエンスに至る道程は、ネアンデルタール人はじめ、種族発展の跡を辿ることはできる。

ただ、「知性」の発生については、決してまとまりのあることを示すわけにはいかない。

灰色の太古からある程度の手がかりは得られるものの、どうしても全体像をまとめあげることはできない。


人間の「知性」の発生、、この「奇跡」がいかにして起こったかについての仮説・学説は山のようにあるが、私は万物が生成した何百万年の間に、人間の「知性」はある時〝やにわに″出現したように思われる。

この出来事は、突然起こったに違いない。

すでに類人亜目であった時、われわれの祖先は今日〝人類の文化″と言われるものを驚くべき早さで発育させた。

自然の突然変異によって類人亜目が発生するまでには何百万年もたっていた。

しかしその後、類人を経過する〝気違いじみた発展″が行われた。



約4000年前に、巨大な進歩が現れた。

武器としてのこん棒が発見され、狩猟具としての弓が発明された。

火が、豊かな助力を与えてくれる物として利用され、石のくさびが道具として導入された。

洞窟の中の壁に、初めて絵画が浮かび上がった。



だが、技術的活動の最初のしるしである陶器作りから、類人の居住地の最初の遺跡の間には、50万年経っているのだ。

人類学者ローレンス・エイズリーは、次のように書いている。

             ・・・

動物から人類への進化、、この法則には例外がある。

人間の「脳」だけは、あらゆる兆候からして最後に急速に形成され、これによって人類は初めて最終的にこれまでの仲間たちを離れた。

             ・・・

では、誰が、われわれに思考を与えたのだ?

わたしが興味があるのは、原人がはじめて信頼、愛、友情のような道徳的感情を、共同体の中に導入したのはいつか?、ということである。

これらの変化を体験した時、われわれの祖先は、いったい何の影響の下に置かれていたのだろう?

誰が彼らに、畏敬のような感情をもたらしたのだろう?

誰が彼らに、性交時に恥ずかしいという感情を与えたのだろう?

なぜ未開人が、やにわに衣服をまとうようになったか?

これらについて納得のいく説明があるだろうか?


エジプトの神官は、ミイラにされた神官に、死後、彼岸において取るべき態度を指示したものを添えて墓に埋めた。

これら「エジプトの死者の書」はきわめて詳細である。

これらの書は、およそ考えられるすべての状況についての忠告を含んでいる。

これらの指示の目標は、「「原神ブター」との再合一」である。

「エジプトの死者の書」の中で、最も古い祈願は、次のように述べている。

              ・・・

おお、世界ーー卵よ。 わたしの声を聞け!

わたしは何百万年もたったホルスである。

わたしは王座の主人であり、師である。

悪を逃れたわたしは、かぎりない時間と空間を通り抜けた。

              ・・・

           (引用ここまで)

             *****

「洞窟のなかの心」のご紹介も、まだ続けさせていただきます。

ブログ内関連記事

「半田広宣氏「2013:人類が神を見る日」(1)・・冥王星からの訪問者」(5)まであり


「アダマの「レムリアの真実」(1)・・アトランティスとの闘いとその後」(4)まであり

「人類は生命の岐路に直面している・・ホピ・インディアン帝国のアメリカ合衆国への返書(1949年)」

「ホピ族と、隠された青い星(1)・・刑部恵都子さん」(4)まであり


「すべては宇宙の采配」木村秋規則さん・・地球はもうすぐ終わる、とつぶやくメッセンジャー」


「ナスカの地上絵・・デニケンの疑問符。人々は空中に飛んで行ったのだろうか?」

「エジプトのミイラ(1)・・バーとカーの戻る場所」(4)まであり


「アセンション」カテゴリー全般
「アトランティス」カテゴリー全般
「その他先史文明」カテゴリー全般
「エジプト・イスラム・オリエント」カテゴリー全般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「洞窟の中の心」3・心・意識・社会・知性の関連・・「ラスコー展」に行ってきた(5)

2017-10-07 | その他先史文明



昨秋行った「ラスコー展」で、旧石器時代のすばらしい洞窟壁画を見て、感動しました。

参考になる本を探してみましたので、ご紹介を続けさせていただいたいます。リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

              *****

          (引用ここから)



3章「創造的幻想」

人類のホモ・サピエンスへの「移行期」という現象は、寒冷という気象的要件だけで説明されることはない。

この決定的な時代は、およそ35000年前にピークを迎える。

寒冷期にあたるが、ネアンデルタール人はそれに先だつ気象的な不安定期をずっと生き延びてきた。

「移行期」の間、巨大な氷河がアイルランドとイングランドの北部一帯、スカンジナビア半島、そしてドイツの一部に広がっていた。

それとは別の氷原がピレネー山脈とアルプスを覆いつくしていた。

北極の氷河の南端は、ツンドラとステップの広域に及び、そこは吹き曝しの不毛の地で、緑の無い凍土地帯だった。

氷河期はそのピークを、「移行期」のずっと後、18000年前から20000年前の間に迎える。

氷河期の間、たとえば50000年前から30000年前には小規模な気象変動もあった。

総じて当時の気温は、今日の平均を10度前後下回っていた。

冬の間は降り積もる大雪が人間の移動を困難にしたが、夏には自由に旅をすることができたのである。

さらにいえば、氷河の中に大量の水が閉ざされるとともに、海面の水位が下降して、北海の大部分が陸続きになり、イングランドやアイルランドへ渡ることも可能になった。

こうした〝陸の橋”は氷河期の最期、つまりおよそ8000年前まで残存した。


動物群の移動を合理的に予測を立てて追うことができた共同体にとっては、後期旧石器時代は比較的豊かな時代で、当時の人口密度は初期農耕共同体のそれと同じだった。

こうした状況が、西ヨーロッパの「移行期」の背景だったのである。



初期のネアンデルタール人は、こうした場所を自分達のものとしていた。

しかし35000年前までに彼らはフランスから消滅し、その居住地はホモ・サピエンスに取って代わられた。

1994年のショーヴェ洞窟での発見は、もろもろの誤った仮定をすべて一掃した。

洞窟内で発見された非常に洗練され、進化した壁画は、今から33000年以上も前のもであった。

こうして発見された彫像は馬やマンモスやネコ科の動物を表現したもので、人間の体とネコ科動物の頭を持つ、注目すべき「半人半獣」の像もある。

中でもとりわけすばらしい馬の像は、まるで袋の中に仕舞われて持ち歩かれ、あるいは儀礼などの際に手で握られていたかのように光沢があった。

そこには磨いた後に肩の部分に刻まれた、はっきりとした山形紋も見られる。


西ヨーロッパでは「移行期」に一連の画期的な革命が起こり、そのすべてが現生人類にとって重要な心的・社会的変化であった。

後期旧石器人は、中期旧石器時代の先陣と比べて、かなり異なる行動様式を持っていて、その変化はオーリニヤック文化の初期にまで遡ることができる。

この時期を指して「創造の爆発」と言われる理由が理解できる。


考古学の研究者は、この「移行期」に関して、2つの解釈を展開してきた。

芸術の起源を巡り対立するそれらの解釈は、西ヨーロッパの後期旧石器時代における、地下洞窟芸術をめぐる探求にとって決定的に重要な意義を持つ。

一つは、先住のネアンデルタール人が、徐々に解剖学的に〝モダンな人類″に進化したと唱える考え方である。

他方では、‶ネアンデルタール人は解剖学的にホモ・サピエンスに、あっという間に取って代わられた″と主張する考え方である。

今日ではほぼすべての学者が、「住民の入れ替わり」という、後者の説を受け入れている。


動物や人間の像といった表象物、絵画や彫像は、身体装飾とは対照的に、〝ネアンデルタール人が継承しなかった″種類の芸術である。

この断絶は、この二つの芸術が根本的に異なった性質を持っていたと考えられるということではないだろうか?

たとえば、身体装飾は、図像の制作に発展しない。

図像の制作は、身体装飾より進化した秩序を有する心的能力や慣習に依拠する活動なのである。


オーリニヤック人の視点から見ると、社会的なコンテクストの中で心的イメージ(獲物、シャーマンなど)を形作り、それを楽しみ操作する能力、また霊的な領域を思い描く能力、死者をその領域へ送る想像力を抱く能力は、彼らが西ヨーロッパに移動した時に持ち込まれた慣習である。

そして彼らは、ネアンデルタール人がこのような能力を持っていないことに気づいたに違いない。

彼らは、こればかりは彼らにはどうすることもできないとみなした。

社会関係に特別な意識と心的イメージを利用することは、オーリニヤック人にとって、ネアンデルタール人の社会と自ら社会を区分する大きな特性になった。

それを持っていることが、ネアンデルタール人に対する優越感を生じさせ、相手との関係性を色づけることになっていっただろう。


私は、後期旧石器時代の開花を背後で促したダイナミズムは、「社会区分を巡る対立的な情景」だったと信じている。

拡張しつつある集団同士の競合、集団内の結束、情報の交換、二項対立の解消などを促すと主張することで、イメージ制作の「有用性」を強調したのであった。


それは突如として出現した‶美‴や‶美的な感覚‴などでは決してなく、芸術と儀礼は、他の集団からある集団を区別する何かであり、そうすることで社会的な緊張関係を生み出す可能性を作り出したのである。


アフリカと中東でも、いわゆる「創造の爆発」の予兆は見られるのであるが、全体的に見ればそれほど爆発的なプロセスではない。

とは言え、私達が人類の革命の最初期の証拠を求めなければならないのは、何よりもアフリカなのである。


アフリカの事例は、決定的なポイントを指し示す。

「人」という種における行動様式上の〝モダニティ″への移行は、アフリカでは25万年から30万年前、あるいはもっと前から始まっていた。

「モダンな人間性行動様式」への移行は、1度きりの発生ではなく、数回にわたっていると考えるべきであろう。

研ぎ石を使う刃の制作や、顔料の生産は、25万年前まで遡ることができる。

長距離の交易と貝類の採集は、14万年前から始まった。

骨器の使用と採掘は10万年前、ダチョウの卵の膜を使ったビーズ制作は4万年前から始まった。


こうしたすべてのものの中でも最も驚くべき事実は、考古学者クリスとその同僚がブロンボスという名で知られる南アメリカの南部海岸の洞窟で行った近年の発見だろう。

中央と周囲に線のある交差紋様がていねいに刻まれたオーカー片の年代は、早くて77000年前のものであろうと考えられる。

表象的な図像ではないが、これは今のところ、世界で最も古い日付を持つ芸術である。

それは途方もなく古い時代に、明らかに「モダンな人間」の行動様式が存在していたことを物語っている。


「モダンな心」と「モダンな行動様式」がアフリカで散発的に進化していったとしたら、私達が後期旧石器時代の西ヨーロッパで確認したような象徴活動の潜在的な可能性は、ホモ・サピエンスの共同体が西ヨーロッパに到達する前から存在していたということになる。

私達は、図像の果たした役割と、社会的闘争状態における図像制作の複雑な社会的なプロセスを探求する必要がある。

宗教と結びつく図像制作は、「純粋で高尚な美的感覚」に根差す芸術活動では全く無く、日の射さない暗
がりで行われたもので、私達が今日知るような階層化された社会編成から生まれ、またそれを強化した。


最初に取り組むべき課題は、人の「知性」と「意識」の間にある断絶と、そしてその断絶が、西ヨーロッパの洞窟内で後期旧石器人の「心」に生まれたものの表出を促したプロセスである。

どうして人々はあのような暗い通路や空間の奥まで入り込み、そして今日でも光と闇の競演の中で見る者を圧倒し、私達が息を止めるほど鮮烈なイメージを描いたのだろうか?


             (引用ここまで)

              *****

ホモ・サピエンスは今の人類と変わらない、と言われます。

彼らが旧石器時代に生み出した、息をのむようなみごとな芸術は、著者によると、社会的な要因があって、発展したのだということです。

それはそうかもしれません。

しかし、それとは別に、芸術としての完成度の高さは、相変わらず謎として、残るのではないかと思います。

本書は丁寧に解説を続けていますので、もう少し続きを読みたいと思います。

ブログ内関連記事

「古代人の音楽会・・3万5千年前のフルートはどんな音色だったのだろうか?」

「ネアンデルタール人と共に生きていたら。。彼らはなぜ滅びたのだろうか?」

「人類は何かを知っているのだ、だが何を?・・ナスカ・イカの線刻石の研究史(6)」

「クロマニヨン人はアトランティスからやってきたのだろうか?・・英文学者の海底探検」

「スカイピープルと古代人・・ホピ族のペテログラフ(岩絵)(2)」

「洞窟に描かれた絵は、異次元の刻印である・・グラハム・ハンコック・ダイジェスト(6)」

「異次元は我々の身体内にある・・グラハム・ハンコック・ダイジェスト(7)」

「装飾古墳・多彩な絵柄に想像膨らむ・・広がる黄泉の世界」

「ホピの祭り・ヤヤ祭り(1)・・アニマルピールと人間」

「インカ帝国展」に行ってきた・・4000年の歴史をさかのぼれるか?」

「その他先史文明」カテゴリー全般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「洞窟の中の心」(2)表現パターンを類型化する・・「ラスコー展」に行ってきた(4)

2017-09-30 | その他先史文明


では、引き続き、デヴィッド・ルイス・ウィリアムズ氏著「洞窟のなかの心」のご紹介を続けさせていただきたいと思います。リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

             *****


          (引用ここから)

第2章「答えを求めて」

後期旧石器人たちは、いったいなぜ、あのようなイメージ群を創造したのだろうか?

この大問題は、人類の起源をめぐる問いに様々な形で結び付いてきた。

今日の多くの研究者は、後期旧石器芸術の総体を知るのは不可能であると、はじめからサジを投げてしまっている。

私たちは、芸術のための芸術か、それとも類感呪術かという二者択一を超えて、もっと考え抜かれた解釈へと進みたい。

考古学者ラマンは、次のように主張した。

●民族誌に見られる類似例の価値を問い直す。

●多くの地下図像群が、アクセス困難な場所にあるのは、「聖なる」意図を示すものである。

●単純なトーテミズム式の解釈を拒むべきだ。

●旧石器人の心性は、一般に想定されているよりはるかに複雑だ。

●図像群はその時々の狩猟の必要性により描かれた個別の絵の寄せ集めとして見るべきではなく、意図的に設計された構成体として研究されるべきだ。


ラマンの研究はこのようにして、呪術的な関心から象徴的な意味へと力点を移した。

さらに馬と牛がかなり意図的にそして頻繁に、一組のセットとして描かれていると論じた。

彼女はイメージ同士の意図的な結び付きは、単なる並置や重ね描きと解釈されていたが、実は‶意図的に設計された構成体‴として見なされるべきであると書いている。

彼女が提出した学問的な方法論と技法は、後の多くの研究者に引き継がれることになった。


初期のラスコーについての著書の中で、彼女はこう主張していた。

●洞窟芸術の一覧表をまとめること。

●他の考古学的な証拠のすべてとそれを、対照させること。

●この両方の作業から、最良の情報は引き出される。

●以下の基準に従って作成される分布図が必要である。

  洞窟内での作品の位置、関連する考古学的な遺物、それらの実際の使用の跡、表象の内容と形式


彼女の開発した方法を、考古学者グーランは、複雑な仮説を準備するにあたって応用した。

グーランが西欧における先史時代の人類の芸術に結実する記念碑的な研究に着手したのは、1957年であった。

そして1964年に「先史時代の宗教」という小誌を刊行した。

彼が言うには、調査の当初から、彼はバラバラに描かれた無秩序なイメージ群を発見するという意図はなかった。

それどころか、〝それぞれの図像の組み合わせが体現する統合性”に深い感銘を受けたという。

早い段階からグーランは、様々な図像群をグループ化する作業に取り組んだ。

たとえば動物を、食料となる生物と危険をもたらす生物に分類する素朴な区分は、彼の観点ではあまりにも人工的で偏向に満ちていると考えられた。

壁画の図像群は、人間がそれを描いた場所をそのままに保たれている。

それは、空間的な構造を研究する際の要点である。


●第1の原則は、後期旧石器時代の人間は、今日世界に暮らしているすべての人間と、全く同じ頭脳と心を持っていると確信すること。

つまり後期旧石器人の脳と心は、〝未開の心性″などではないのである。

これはレヴィ・ストロースが「野生の思考」などの著作で説得力をもって示した論点である。

●第2の原則は、後期旧石器時代の人間は、図像を創り出すよりも、‶「心」の方を物質世界に重ね合わせる″傾向をもつということである。

●第3の原則は、後期旧石器時代の「心」の産み出す作品の綿密な研究は、人類の「心」の機能を明らかにするというものである。

この最後の点は、単純な堂々巡りの議論とみなしてはいけない。

人類の「心」が、ある特殊な形式で作動することを認め、別の場所の同じ形式の芸術のデータと比較分析するなら、私達の研究は、ある程度分析可能なものになるだろう。

光・闇、男・女、神・人間などの二元的な対立を連想すれば、何から何まで、この命題に完全に当てはまりそうに見える。

しかしどのような対立が、特別に識別されるのだろうか?


こうした原則から出発して、グーランは66か所の洞窟のイメージ群とそのデータを分析した。

彼は詳細な地図を用意し、大量の図像群と位置を分析した。

彼自身の言葉によれば、次のとおりである。


旧石器時代の人間は、洞窟の中で大きく二つに分けられる。

生き物のカテゴリー、それに対応する男性と女性のシンボル、そして狩人がもたらす死のシンボルを表象した洞窟の中央エリア。

この体系は、中心の女性的な図像の回りに配置された男性的なシンボルのグループによって表現される。

その一方で、聖域の他の場所で、私達はもっぱら男性的な表象物ばかりを発見することになり、それはい
わば地下洞窟の胎内それ自体の補完物であるように思われる。

グーランは、このような洞窟芸術が「生の世界を構成する自然界と超自然界に関わるイデアの表明だ」と確信していたのである。

そして慎重にこう付け加えている。

‶古代の思考体系では、この2つの世界は1つのものであったかもしれない‴。


芸術は本質的に社会的な現象なのである。

神話素だけでは、どうしても後期旧石器時代の人間が深く暗い洞窟でイメージを創り出したのか?という最大の謎は説明されない。

後期旧石器時代の奇妙な地下芸術行為の解釈は、社会的なものでなければならないだろう。

後期旧石器時代を通して、人々を地下世界へとうながす持続的な社会的圧力があったに違いないのである。

メッセージの内容から、メッセージの形式および理由へと力点を移すことで、何人かの研究者は数多くの図像群の驚くべきトポグラフィカルなコンテクストを、「情報伝達」という視点につなげ、「情報理論」の近年の進展をけん引してきた。

彼らが論じるところでは、儀礼の新参者たちは社会習慣などの重要な情報を受け入れるために、洞窟の自然環境によって心理的な準備段階に入っていく。

社会的なコンテクストの影響力を認め、また同時に現実の歴史的な過去とそれに近似するような仮説を構築することの可能性を強調すれば、

後期旧石器時代の西ヨーロッパの洞窟で、人類の心に何が起こったのかという謎に取り組むべき、思考の歩みを前に進めることができる。

人類の「心」は、それ自体を、あるいはその構造を日々の生活の中で感じる未分化の感覚的な印象に重ね合わせる傾向があるのだ。

したがって私達は、人間の頭脳・心・知性・流動する意識をこれから注視する必要がある。

しかしまず、およそ45000年前から35000年前の西ヨーロッパで何が起こったのかを見て、その時の出来事が人間の行動様式に起こった、もっと広大な変化の一断面であったことを確認しておいた方が良いだろう。


脳と、変化する社会関係が、私達人類の「心」に、「形」を与えたのである。

         (引用ここまで)

           *****

人類の心と脳、社会と表現、いまだ言語もなかった何万年も昔の驚くべき制作活動、、残された遺跡はどのように読み取るべきなのかが、真剣に考察されています。

ブログ内関連記事

「古代人の音楽会・・3万5千年前のフルートはどんな音色だったのだろうか?」

「ネアンデルタール人と共に生きていたら。。彼らはなぜ滅びたのだろうか?」

「人類は何かを知っているのだ、だが何を?・・ナスカ・イカの線刻石の研究史(6)」

「クロマニヨン人はアトランティスからやってきたのだろうか?・・英文学者の海底探検」

「スカイピープルと古代人・・ホピ族のペテログラフ(岩絵)(2)」

「洞窟に描かれた絵は、異次元の刻印である・・グラハム・ハンコック・ダイジェスト(6)」

「異次元は我々の身体内にある・・グラハム・ハンコック・ダイジェスト(7)」

「装飾古墳・多彩な絵柄に想像膨らむ・・広がる黄泉の世界」

「ホピの祭り・ヤヤ祭り(1)・・アニマルピールと人間」

「インカ帝国展」に行ってきた・・4000年の歴史をさかのぼれるか?」

「その他先史文明」カテゴリー全般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「洞窟の中の心」をどのようにとらえるか?(1)・・「ラスコー展に行ってきた」(3)

2017-09-28 | その他先史文明


では、デヴィッド・ルイス・ウィリアムズ氏著「洞窟のなかの心」をざっとご紹介させていただきたいと思います。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

           *****

         (引用ここから)

「第1章・「人類の古代」の発見」

時を遡ること13000年以上。

洞窟への旅を敢行したこの古代の芸術家は、なぜこのように危険な旅を敢行したのだろうか?

彼はどんな感情を味わったのだろう?

洞窟の壁に〝熊の歯″を置くことがなぜ大切だと信じられていたのだろうか?

時間単位2(西暦1660年)に、洞窟壁画を発見した17世紀の人々は、ニオー洞窟に描かれたイメージを見て、何を思ったか?

おそらく彼らは、自分たちが目の前にしている絵画を、自分たちと同じ最近の来訪者によって描かれたものと信じただろう。

当時、西洋思想は「先史時代」というものについて、いかなる観念も持っていなかった。

標準的な世界観は、‶世界は神によって創造された‴というものだった。

では「時間単位2」と「時間単位3(西暦1994年)」を隔てる時間に、一体何が起こったのだろう?


西暦1994年、ショーヴェ洞窟は発見された。

その頃、ロンドン王立大学の地質学教授であったライエルは、1830年に著作「地質学原理」を出版した。

その著作で彼は、「重層する堆積岩に含まれる化石は太古の地球の痕跡を示すものだ」という、それまで誰も思いもよらなかった議論を行った。

当時保守的なキリスト教原理主義者や多くの地質学者たちは、そうした化石の存在は「ノアの箱舟」以前の未開時代の痕跡であると主張していた。

彼らにしてみれば、化石の存在はまさに、ノアと彼の家族が逃れたという壊滅的な洪水の存在を確証するものであり、つまりは聖書の歴史記述の正確さを裏付けるものに他ならなかった。

ライエルはしかしながら、こういった類の天変地異説を退け、代わりに漸進的に変化する地質学的作用について議論した。

つまり今日明らかになっているように、この地球を造形し続けているのは浸食過程、堆積過程、火山活動過程、断層過程、褶曲過程などであると論じたのである。


後期旧石器芸術とみられる最初の小品は、当初その年代的な古さは認識されなかった。

今日私達はビーズ、ペンダント、彫刻の施された槍投げ器、小さな彫像、イメージやひっかき傷のような無数の線の刻まれた平たい小石、長い骨に精巧な装飾を施した杖など、さまざまな作品を知っている。

これらの多くには動物、魚、鳥、まれには人間とおぼしきイメージが、複雑に配置された平行線、山形紋、ブイ字型の切込みとともに彫刻されている。

こうした芸術作品と見なされることの多いものは、骨、石、マンモスの牙、琥珀、雄鹿の枝角などから制作された。

そして、考古学者たちの発掘作業は、絶滅種の化石に描かれた彫刻を調査することによって、芸術が創られたのがとてつもなく古い年代であることを、確実に証明したのである。

ダーヴィンの「種の起源」の出版直後にあたる1861年にラルテが考古学的な発見記録を出版した時、太古の発見物に対する再評価や、人類の古代性、特に原始的と見なされていた人々の野生の精神についての議論が、すぐさま波のように沸き起こった。

当時多くの人々は、こうした古の人類の意識は私達のものと異なっているであろうと考えた。

「時間単位1」は、かつて人々が深淵で秘められたイメージを描くため1キロメートル以上もの地下道を潜入した時代へと私達を連れて行く。

今日知られている壁画芸術のほとんどがこの類のものであることは、外気にさらされた場所は、気性作用が働いて、作品を消滅させてしまう結果である。

壁面イメージは多様な技法によって制作されているが、中には単一のイメージのみに統合されている場合もある。

たとえばラスコー洞窟の「雄牛の広間」には、いくつかのイメージが2メートルほどの大きさで、様々な色で鮮やかに描かれている。

他のものは、長さわずか数センチメートルで、淡色の巧な筆致により描かれている。

彩色をしないで洞壁表面を掘ったり、引っかいたりしているものもある。

表面に彫刻するだけでなく、浮彫を作るために壁面を深く削っているものもある。

また壁面上の柔らかい泥の中で、指を引きずるように動かすことによって、その痕跡でイメージが描かれることもしばしばである。

このようなイメージが、洞窟の床に描かれる場合もある。

また、自然にできた岩の造作や、裂け目や、突起を利用して、動物の身体の輪郭を描くという方法もある。

そしてそこに加えられたわずかな筆跡が、イメージの欠損した部分を補う。

いくつかのケースでは、これらのイメージは、ランプが特別の位置にある時にしか見えない。

こうしたイメージを見えるようにするためには、灯篭や松明を持った人間の存在が必要なのである。

壁画芸術のモチーフには、動物、また時折、人間なのかそうでないのか、分からないような「偽人像」も見られる。

その一部は「半人半獣」の図像である。

研究者たちは、仮面をかぶり衣装を身にまとった儀礼を行う人間の姿が描かれていると言うが、もっとよく見れば、それが本質的には人間と動物の特徴を混合させたものだということが分かる。

たとえば〝人間の身体と動物の頭をもつ像″は、仮面をかぶった魔術師であると考えられてきた。

また「ハンドプリント」という、他とは異質な造形法による図像も存在する。

それらの一部は「ポジティブ」、すなわち手の平や指に塗った絵具を岩に押し付けたものである。

他のものは「ネガティブ」、すなわち手を岩肌に押し付け、そこに口に含んだ絵具を直接吹き付けることで、手を外した時に、周囲の絵具の中に、その輪郭だけが残るように描かれている。

また、「格子」、「点描」、「山形紋」など幾何学模様による多様な記号(サイン)も存在する。

こうした謎の記号には、持ち運べる芸術にも見られるものと、壁画芸術に特有のものとがある。

なぜこうした差異が存在しているのだろう?

「聖と俗」という二分法を単純に援用することは、データの複雑性を損なうであろう。

「聖と俗」という分離では語り得ない何かの法則があるのである。


後期旧石器洞窟の特色の一つは、形態の多様性である。

ある洞窟は唯一の入り口を持ち、ある洞窟は複数の入り口を持つ。

ある入り口は巨石の門となっていて、そこからある程度の距離まで光が差し込む。

別の入り口は、やっと一人の人間が潜り抜けられるほどの小さな開口部で、わずかな自然光が差し込むばかりである。

ある洞窟の通路は長く、完全に真っ暗で狭い。

ある洞窟には大きな洞室があり、別のものには無い。

アルタミラ洞窟も、全体に長く歪曲した通路が連なり、ある部分は他よりも広くなっている。

有名な大きな壁画は入り口から30メートルほど入った所の左側にある。

旧石器時代にはおそらく、いくらか光がもれてきたのだろう。

洞窟の中央部は、両脇に多少の拡張部分を持つ、曲がりくねった回廊になっていて、重要な図像はその狭まった部分にある。

そして洞窟は集結部の始まりで急に狭くなり、「馬の尻尾」と呼ばれる55メートルほど続く通路となる。


放射性炭素による年代特定法は、人々が芸術を創造し始めた時代である後期旧石器時代が、今から45000年前から10000年前までの間続いた可能性を強く示している。

ただしこの年代は西ヨーロッパにおいてのみ通用する。

西ヨーロッパの後期旧石器時代は、解剖学的にいっても、私たち自身と全く変わらない人類、すなわちホモ・サピエンスの時代である。彼らは私たちと同じ体つきをしており、同じ脳を持っていた。

私達が論じている芸術のすべては、この時代に生まれたものである。

ネアンデルタール人はホモ・サピエンスの隣人として共存し、やがて前者は後者に道を譲り渡すことになった。

この「移行期」が、人類の歴史上重要な時期であったことは明らかだ。

その間のある時点で、突如として「芸術」が発生し、人々の生活が私達にも認識可能なものとなったのである。


本質的な問題として、私達は人類の「意識」(知性だけでなく)が、どのように進化してきたのかを知りたい、と考えている。

「意識」はどのように、芸術の制作と結びついてきたのか?

芸術、そして、言語は、人間が人間であることの本質的な要素であるにもかかわらず、いつ、どこで、どのように獲得されたのか、これほど議論されているにも関わらず、解明されていない。

研究者がこれらの問いに答え、後期旧石器時代の芸術に説明を加えてゆく道のりは、西洋の思想と社会環境、哲学の迷宮にもやがてつながってゆくだろう。


         (引用ここまで)

           *****

ブログ内関連記事

「古代人の音楽会・・3万5千年前のフルートはどんな音色だったのだろうか?」

「ネアンデルタール人と共に生きていたら。。彼らはなぜ滅びたのだろうか?」

「人類は何かを知っているのだ、だが何を?・・ナスカ・イカの線刻石の研究史(6)」

「クロマニヨン人はアトランティスからやってきたのだろうか?・・英文学者の海底探検」

「スカイピープルと古代人・・ホピ族のペテログラフ(岩絵)(2)」

「洞窟に描かれた絵は、異次元の刻印である・・グラハム・ハンコック・ダイジェスト(6)」

「異次元は我々の身体内にある・・グラハム・ハンコック・ダイジェスト(7)」

「装飾古墳・多彩な絵柄に想像膨らむ・・広がる黄泉の世界」

「ホピの祭り・ヤヤ祭り(1)・・アニマルピールと人間」

「インカ帝国展」に行ってきた・・4000年の歴史をさかのぼれるか?」

「その他先史文明」カテゴリー全般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地下壁画芸術から、何をいかに読み解くか?・・「ラスコー展」に行ってきた(2)

2017-09-22 | その他先史文明



「ラスコー展」の感想を続けます。



「ラスコーの洞窟画」を見て、思ったことは、とても臨場感があるひとつの世界に立ち会った、ということでした。


19000年前に、人類が絵というものを描き始めたとたんに、非常にレベルの高い絵画が描かれた、という事実に、驚くばかりでした。


そしてそれが、誰も行けないような真っ暗な洞窟を長い時間かけて通りながら、同じ洞窟内でもさまざまな方法で作られた壁画群が作られているということを確認しながら、明かりの無い洞窟内では「見る」ということ自体が不可能な状態で、それらを「見る」こと、、これはなんともふしぎな事態ではないでしょうか?


旧石器時代の洞窟壁画について調べようと思っても、資料自体がほとんどありませんでした。

「別冊宝島・ラスコーと世界の壁画」では、同「ラスコー展」監修者の海部陽介氏が次のように語っています。



         *****

         (引用ここから)

●海部氏

現代の芸術家は、多くの人に作品を見てもらおうとしますが、洞窟の奥に描かれた壁画は、とても人に見てもらうために描かれたとは思えません。

絵に対する感覚が私達とは違っていたと思うので、現代のセンスで壁画を見てはいけないと思いますね。

この壁画は、「人間が他の生き物と変わり始めた」ことを示しているのだと思います。

生き物は、生きてゆくうえで絵なんか必要なく、描かなくてもいいんです。

でも、クロマニヨン人はわざわざ真っ暗な洞窟に入って、壁画を描いた。

これが人間の不思議さで、ここから「人間の世界が始まった」ということ。

これぞ「ホモ・サピエンス」なんです。

今までやらなかったことをやりだした、ということをどう理解するかだと思います。


〇質問

ラスコー壁画は、他の壁画と比べてどのような特徴があるのでしょうか?

●海部

一つは、「よく残っている」ということです。

クロマニヨン人の壁画でナンバー1を挙げろと言われたら、ラスコーですね。

ただ、ラスコーのすごさは現地に行って、実際に見ないと分からないですよ。説明のしようがないですね。

〇質問

今回の「ラスコー展」の見どころや、来場者に見てもらいたいポイントは、どこでしょうか?


●今回は実物大で立体的に再現された壁画が展示されるので、まずは壁画をよく見てもらいたいですね。

ぱっと見ただけでは分からないポイントがいくつもあって、壁画が単なる落書きではないことがよくわかると思います。

遠近法など、絵の技術、技量や、大きく描かれた牛と小さく描かれた馬の配置など、全体の構図も見てもらいたいです。

ちなみにラスコー壁画では、牛だけが大きく描かれていて、馬はどれも大きく描かれていないんですよ。

また、「井戸の場面」という壁画は、珍しく物語性を感じるもので、他の壁画が色彩豊かなのに比べて黒一色。

しかもこの描かれた空間は、洞窟の一番深いところにあって、他の空間が絵で満たされているのに対して、ここには「井戸の場面」と、描きかけの馬の絵があるだけと、実に不思議な空間なんです。

このように「ラスコーの洞窟」と一口に言っても、いろいろな部屋があって、それぞれに意図があります。

この展示会は「ラスコー」の全体を分かってもらえるようになっていますので、ぜひ会場に足を運んでいただき、実物大の「ラスコー壁画」を体感してほしいですね。

           (引用ここまで)

              *****





そこで、他の参考資料として、デヴィッド・ルイス・ウィリアムズ著「洞窟の中の心」を読んでみました。

とても分厚いです。本の「序文」を記してみましょう。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

           *****

         (引用ここから)

本書の出版は、後期旧石器時代の芸術調査に費やされた20世紀の100年間の終わりと、新しい世紀の幕開けを記念するものとなるだろう。

私たちの知識量は、確かにとてつもなく増大した。

大地の下に潜む遺跡に関しても、地上に残された遺跡に関しても、私たちは以前よりずっと多くを知っている。

だが、これだけの情報量があるにも関わらず、その時代の人々がフランスやスペインの、光の入らない鍾乳洞の奥深くに潜り込んでイメージを描いたのはどうしてなのか?

また彼らが洞窟の外、その近くの日当たりの良い場所でも、石や骨や牙や角の小片にイメージを刻んだのはなぜか?という謎には、まだまだ接近できていないように思える。

「私達はいかにして今日のような人間になり、またその途上で芸術を創造するようになったのか?」という考古学上の大問題は、いまだに私たちを悩ませている。


今日の研究において不足しているのは、私たちがすでに持っているデータに〝新たな意味″を与える方法である。

第1章では、19世紀になされた後期旧石器時代の芸術の発見が、ダーヴィンによる「進化論」の大きなインパクトと共に、私たちが「人間とは何か?」について抱いている考えや、自然や歴史の中における人類の位置づけを考える道筋に根本的な変化をもたらしたことを解説する作業から始める。

しかし、〝非物質的な領域の実在‴についての前ダーヴィン的な思考方法と信仰は、大幅に衰えたとはいえ、決して消滅したわけではなかった。

あらゆる生き物と地球は神の意思により出現した、とする唯一絶対の奇跡を論じる創造主義者は、全体としてみれば、未だに存在する。

現代人の思考に見られる、この居心地の悪い二重性は、人間の脳に深く根差しているということを、私はここで論じたい。


第2章では、脳の働きについての議論への布石として、後期旧石器芸術の発見を巡る時代状況や、当時の熱のこもった論争の状況を説明する。

第3章では、その後先史芸術に関する議論を前進させた一連の解釈を検証する。

人類の進化は、一つの道に沿ってきた。

つまり私たちは、ある明々白々な理由によって芸術を創造し始めた、ということである。

第4章では、根拠の確かな仮説と無意味な仮説とを峻別するために、〝先史時代における知性と意識の役割″について考察する。

多くの研究者は人間の意識というものの高度な複雑さから目を背けつつ、そのうちたった一片に注意を集中してきたということ。

また、心の活動と社会的なコンテクストの相互作用についての検証を行う。

ある共同体の中で共有されている、人間の経験を巡る思想は、個人の心的活動へといかにして侵入することになるのか?

また社会的にコントロールされた特定の心的状態へのアクセスが、いかにして社会的な差異意識の基礎となってゆくのか?


第5・6章には、心的な想念が、岩絵(ロックアート)へと翻訳される2つのケーススタディを提出した。

それらは南部アフリカのサン族と、北アメリカ西部の先住民族の例である。

しかし私は、これらのケーススタディからの類推によって、後期旧石器時代における西ヨーロッパの芸術について論じるつもりはない。

南部アフリカと、北アメリカの岩絵は、心的な想念が岩石や洞窟の上に描かれた視覚的イメージに変換される時、人間の中で何が起こるのかを知るための啓発的な事例にすぎない。


第7章では、後期旧石器人が私たちの言う「意識変容状態」を利用して社会を作り出してきたという可能性や、彼らが社会関係を確立したりそれを制限したりする手段として、想像力を活用してきた可能性を探求する。

ここでは「原初意識」と、「高次意識」という2つの種類の意識が検討に付される。

イメージの造形は、「高次意識」が発達を遂げることによって初めて可能になったのではないか、という議論をここで行う。

西ヨーロッパにイメージの制作(芸術)、宗教、社会的差異というものが現れるのは、まさにこの時期なのである。

この特定の時期と場所にあって(本書は全世界をカバーするものではない)イメージの制作、宗教社会的差異は、一まとめのパッケージセットとして現れたのだ。


第8章は、後期旧石器時代の洞窟芸術にまつわる非常に謎めいたある特徴に焦点をあてるために、本書の前の方の章で展開させた知見を応用する。

洞窟芸術という難問は、最初に私たちの前に現れた時のように解決不能な問題ではない。

そうではなくて、洞窟芸術は互いに重なり合い、多要素的ではあるが、統一的な意図を伴って、私たちの前に現れている。

その解釈の有効性を証明するために、私は後期旧石器芸術の幅広い現象そのものに注意を払う。


第9章に入り、2つの対照的な洞窟を採り上げる。

装飾された洞窟は、後期旧石器時代の社会とその思想の単なる反映ではない。

そうではなくて、洞窟芸術は同時代の人々の生活形成に深く関わっていたのである。

最後に第10章では、同じことを反対の視点から検証する。

ここでは人間社会の起源、その緊張関係、社会的地位の格差といった問題を扱う。

後期旧石器時代は、エデンの園ではない。

前人類的段階であることをやめ、完全な現生人類になるやいなや、私たちの祖先は禁じられた果実を味わったはずなのである。

わたしの思索にとって、後期旧石器時代に創造された西ヨーロッパの地下芸術ほど、考古学的な謎を感じさせるものはない。

狭く閉ざされた完全な闇に包まれた地下通路を1キロ以上も這いつくばって進み、ぬかるんだ起伏で足をすべらせながら、暗がりの湖や隠された河へと歩みを進めた者は、

その危険きわまりない旅の最後に、いまや絶滅した毛深いマンモスや堂々たるこぶを持つ野牛の絵画に遭遇する。

それを見た者の意識は、もはや後戻りできない変容を体験するだろう。

全身泥まみれになって、へとへとに疲れ果てながらも、洞窟の探求者はそこで、人間の心の中に果てしなく広がる「未知の大陸」に脅威の眼を見張ることになるのである。

         (引用ここまで)

           *****

非常に誠意のこもった論文なのですが、わたしにはなかなか、タイトルとなっている「洞窟の中の心」というものが、これだ、という感覚で理解できたとは言えませんでした。

しかし、問題は科学者が手順を踏んで慎重に実験を進めなければならないように、慎重に考察されなければならない、ということだけは理解できました。

次の記事で、各章を必要がある部分だけおおまかにまとめてみたいと思います。

人間は原初、世界をどうとらえたのか?という、一大テーマではあるのです。


ブログ内関連記事

「古代人の音楽会・・3万5千年前のフルートはどんな音色だったのだろうか?」

「ネアンデルタール人と共に生きていたら。。彼らはなぜ滅びたのだろうか?」

「人類は何かを知っているのだ、だが何を?・・ナスカ・イカの線刻石の研究史(6)」

「クロマニヨン人はアトランティスからやってきたのだろうか?・・英文学者の海底探検」

「その他先史文明」カテゴリー全般


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ラスコー洞窟展」に行ってきた(1)・・19000年前のクロマニヨン人の日々

2017-09-15 | その他先史文明



関東にいるわたしは、この日本中を巡回する大きな展覧会を、昨年11月に見に行きました。

チケットと引き換えに手渡されたプリントには、「特別展・ラスコー展・クロマニヨン人が残した洞窟壁画」「2万年の時を超え、洞窟壁画が東京に出現!!世紀の大発見を体感」とあり、美しい筆致の壁画をバックに、映画の主人公のような人々がこちらを見つめていました。

2万年。。洞窟。。壁画。。クロマニヨン人。。という言葉に、ワクワク心を躍らせて館内に入りました。



展示は、予想していたよりさらに大規模で、ていねいな作りで、説明によると、現地の現物を保全するために、現地のそばに現物と同じ規模のレプリカが造られて、それを運んで世界中で展覧会が開かれているそうです。


「別冊宝島・ラスコーと世界の壁画」というテキストによると、ラスコー壁画発見の経緯は、以下の次第のようです。

*****



(引用ここから)

1940年、南フランスのモンテニャック村の4人の少年たちは小さな穴をみつけた。

好奇心からその穴を広げた4人は、洞窟の奥深くで線刻や顔料で描かれた動物の壁画を発見。

この洞窟こそがラスコー洞窟である。

先史人類学者であり、司祭でもあったアンリ・ブルイユが調査した結果、この洞窟は、旧石器時代に描かれたものであることが判明した。

ラスコー洞窟の壁画は、壁の凹凸に沿って描かれていたことから、壁画を残した当時のクロマニヨン人(新人類に属す)たちが、まず石刀で輪郭を刻んでいったと考えられている。

さらに彩色には、植物や鉱物から作られた赤や黄土色、さらに黒などの顔料が用いられていた。

絵を描いた道具としては、口に含んだ顔料を吹き付けるためのパイプ、ブラシ、毛皮で作ったぼろきれ、マンガンのクレヨン状のもの、指などが使用されている。

旧石器時代に、これほどの技術力があったことに、誰もが驚き、壁画を見た者はその美しさを称賛したのであった。

ラスコー洞窟は、水を通さない白亜層に守られてきたおかげで、600点あまりの絵と1500点あまりの彫刻は、傷むことなく、制作された当時のまま19000年もの間、その状態を保ち続けることができたのである。

しかし見物人の増加に伴い、彼らが持ち込んだ微生物や、体から放射される熱や呼気により傷みが目立ち始めたことから、壁画を保護するため1963年から非公開である。

本格的な調査は、第2次大戦後1948年から。

その結果、壁画は今から19000年前にクロマニヨン人によって描かれたことが判明した。

45000年前以降にアフリカ大陸からヨーロッパに移動してきたクロマニヨン人が洞窟に描いた壁画は、フランス南部やスペインなど南欧地域で300ほど発見されている。

たとえば1879年に発見されたスペインのアルタミラ洞窟も、同じくクロマニヨン人が描いたものである。

約20万年前に現れて3万年ほど前に絶滅したとされるネアンデルタール人が「旧人類」と分類されるのに対して、「新人類」(ホモ・サピエンス・サピエンス)に分類されるクロマニヨン人は、現代人の直接の祖先とされる。

ネアンデルタール人の壁画はまだ発見されていないが、フランスで1994年に発見されたショーヴェ洞窟は、3万年以上前のもので、つまりネアンデルタール人によって描かれた可能性が高い。


ラスコー洞窟は3つの空間から構成されており、全長は約200メートルになる。

出入口となっている通路の次に現れるのが、全長15・5メートル、幅9メートルもの大広間で、壁に牛の絵が多いことから「雄牛の広間」と呼ばれている。

この洞窟の「主洞」だ。

さらに主洞からまっすぐ伸びているのが、全長30メートル、幅0・5~0・3メートルの広さを持つ「奥洞」で、その細長さから、「軸状ギャラリー」と呼ばれる。

「主洞」から右に分岐した「支洞」は、直径4メートルの円形の空間である「後陣」。

全長25メートル、幅2~3メートルの「身廊」、後陣脇の深い縦穴の下にある「井戸の場面」から構成されている。

ラスコー洞窟でもっとも華やかな壁画とされているのが、「主洞」に残る4頭の巨大な雄牛から始まる動物群像であろう。

これはある時代の人々が一度に完成させたのではなく、長い時間をかけ、異なる時代の人々が手を加えていったことで、絵巻物のような群像画になったと考えられている。

またこの「主洞」からは、獣脂を使用する柄の付いた椀状の石製ランプが多く見つかっている。

暗い洞窟内を照らす照明に使われていたものと推測されるが、この空間の広さや、壁画による装飾に加えて「照明道具」の発見により、「主洞」が集会や儀式に使われた広場とする見解も出ている。

          (引用ここまで)

            *****

館内を指示通りに歩いていくと、本当に、説明通りの色々なものを見ることができました。

そして、館内の洞窟のレプリカから出てきた時に、改めて、手渡されたプリントに書かれている項目をまじまじと眺めました。


1・洞窟壁画の最高傑作を最近で体感


2・芸術のはじまりを知る


3・クロマニヨン人の正体を解き明かす

これらのことは、相当難しいことのように思われて、それから長い間、わたしはこの「ラスコー展」をどのようにまとめたらよいのか、思い悩んだのでした。(続く)


ブログ内関連記事

「古代人の音楽会・・3万5千年前のフルートはどんな音色だったのだろうか?」

「ネアンデルタール人と共に生きていたら。。彼らはなぜ滅びたのだろうか?」

「人類は何かを知っているのだ、だが何を?・・ナスカ・イカの線刻石の研究史(6)」

「クロマニヨン人はアトランティスからやってきたのだろうか?・・英文学者の海底探検」

「スカイピープルと古代人・・ホピ族のペテログラフ(岩絵)(2)」

「洞窟に描かれた絵は、異次元の刻印である・・グラハム・ハンコック・ダイジェスト(6)」

「異次元は我々の身体内にある・・グラハム・ハンコック・ダイジェスト(7)」

「装飾古墳・多彩な絵柄に想像膨らむ・・広がる黄泉の世界」

「ホピの祭り・ヤヤ祭り(1)・・アニマルピールと人間」

「インカ帝国展」に行ってきた・・4000年の歴史をさかのぼれるか?」


「その他先史文明」カテゴリー全般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

異次元は我々の身体内にある・・グラハム・ハンコック・ダイジェスト(7)

2014-12-23 | その他先史文明


               *****


             (引用ここから)


○ハンコック

大切なのは、変性意識状態で得た経験は、まったく普遍的であるという事実です。

現代の私たちもまた、それらの経験をなぞることができるということです。


古代エジプトの神々であるオヌの頭をしたアヌビス。

ライオンの頭をしたセクメト。

トキの頭をしたトトなどは、エジプトの制度によると恐らく人間性を教えた知恵の神でした。



変性意識状態にあったエジプトの聖職者が遭遇した存在を、私たちまた同じものとして見ることが出来るのです。

これらの存在は異次元世界、別の現実から来たのです。

これは世界中の真実であり、わたしが「古代の教師」という表現を使うのはそのためです。

この、古代の教育制度を使える用意をしたからです。


わたし達が変性意識状態になったその瞬間、生命全体の方向が変わりました。

信じられないほど、肯定的な方向に変わりました。


人間世界が今、否定的な方向に向かっているのは、偶然の出来事ではありません。

なぜなら私たちは精神世界との関係を否定し、それを断とうとしているからです。

わたしに言わせれば、それは私たちが代価を払うことになる自殺的行為、愚行です。


○エハン・デラヴィ

おそらく人類が存在するよりずっと前に、「古代の教師」は存在していました。

私たちは彼らとの〝協議会″を無視した。

しかしたとえ失われてしまったとしても、どこかにつながりがあったのです。


「古代の教師」はどこにいるのか?

驚くべき古代の知的存在は、どこにいるのか?

どこに住んでいるのか?

異次元はどこにあるのか?

その答えは、私たちの中、身体内にいる。

一番予想しなかった場所かもしれません。


○ハンコック

超自然的存在、その第1はシャーマンが変性意識状態で遭遇する霊です。


2つ目は妖精やエルフと呼ばれる超自然的な存在で、1000年前のヨーロッパで非常に目立ちます。

オーストラリアのアボリジニの伝承でも、全く同じものが見られます。

日本にもあります。

世界中にあります

これらのものが、人々に見え始めました。


3つ目は、この経験を肉体化した最新のもので、いわゆる〝異星人にUFOでさらわれる″経験です。


実際にわたしはこれらの存在の特質や、それが人間に対して行うことを逐一比較しました。

過去35000年間にわたって、私たちは同じ存在を相手にしているのだということを確信しています。

遭遇した時代の文化によって名前が変わり、イメージが少し変わるだけです。

すべての実例の共通の事実は、変性意識状態です。


○エハン・デラヴィ

今アメリカで、ある説が広がりつつあります。

レティクル座ゼータ星から来た異星人が存在している、宇宙船で飛来してくるというのです。

その星はグレイ(背が低く頭の大きなエイリアン)の本拠地だとされている星です。

このエイリアンは、私たちよりずっと進化しています。

強引に女性の子宮を奪いにくる、というのです。

とてもそれが高度文明の知的生命体であろうとは思えません。


○ハンコック

異星人による誘拐現象を、〝肉体をもつエイリアンがUFOに乗って宇宙の果てから来る″、と説明するのはまったく意味をなしません。

エイリアンが推し進めているプロジェクトではありません。


たしかに異次元の知的存在は、35000年前から、絶えず私たちと交流しています。

肉体をもったエイリアンの存在を認めないわけではありません。

宇宙には生命が満ちていると確信しています。

しかしそれが異星人による誘拐現象に対する答えだとは思えません。


現代の私達は、たまたま宇宙旅行を発明した世代に生きている、というだけのことだと思うのですよ。

飛行物体に乗ったこれらの奇妙な外見をした存在を、エイリアンであると思い込むのです。

ある意味ではそうです。

〝私達ではない″、という意味では、彼らはエイリアンです。


35000年前にも同じ経験がありました。

私達はこれに取り組む必要があります。



○デラヴィ

あなたは、本当はもっと昔、生命が始まったその時から、生物の中にあったと考えていますね?


○ハンコック

ええ、この惑星に初めて生命が登場して以来、この惑星の生物全部にあったのではないかと推測しています。

はるか昔、10億年以上も昔、目も脳もない1つの細胞にすら、この能力があったのです。

それはDNAに記号化され、子孫に伝わった、と考えています。

変性意識状態で遭遇するヘビというのは、ひょっとしたら、自分のDNAそのものを映し出したものかもしれないと思っているのです。

ヘビは古くから神の化身ともされてきましたが、あれはきっと「二重らせん構造」のDNAそのものだと。。


            (引用ここまで・終)


              *****


ブログ内関連記事

「UFOは今もホピ族を見張っている・・ホピ族のペテログラフ(岩絵)(3)」

「新しい人類が新しい宇宙をつくる・・半田広宣氏「2013:人類が神を見る日」」

「江戸のうつろ舟・・江戸時代のUFOか?」

「卍、あるいは十字架の起源・・「蛇と十字架」(1)」

「ピラミッドを作ったのは誰か?・・オルメカ文明に関するゼカリア・シッチンの見解」


「アトランティス」カテゴリー全般
「その他先史文明」カテゴリー全般
「メディテーション」カテゴリー全般
「エジプト・オリエント」カテゴリー全般


「ブログ内検索」で

宇宙人         15件
UFO         11件
シャーマン       15件
DNA         14件
蛇           15件

などあります。(重複しています)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

洞窟に描かれた絵は異次元の刻印である・・グラハム・ハンコック・ダイジェスト(6)

2014-12-18 | その他先史文明


グラハム・ハンコック氏の著作全体を総括するような対談の本のご紹介を続けます。

題名は、「人類の発祥、神々の叡智、文明の創造、すべての起源は「異次元(スーパーナチュラル)」にあった」といいます。

対談の相手はエハン・デラヴィ氏です。


2人は次に、新刊の「スーパーナチュラル」(邦題は「異次元の刻印」)についての会話に入ります。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


              *****

            (引用ここから)


○デラヴィ

古代の人々が、芸術的な活動に膨大な時間とエネルギーを費やしてまで、後世の人々に残したものは何だったのでしょうか?

それを解き明かすことは、現代のわれわれに残された課題かもしれません。


あなたは最新刊「異次元の刻印」で、調査方法を内側からの視点へと発展させましたね?

古代文明が古代の人々の意識の表出だとするなら、彼らはいったいどんな意識を持っていたのでしょうか?




○ハンコック

「異次元の刻印」を書くことになったのは、人間の進化に関係する長い話になります。

わたしが「人間のように行動する」と言うとき、その意味するところは「基本的にシンボル(象徴)を使えてそれを操作できる」ということを指しています。

・抽象的に考えること

・自分たちの前には物理的に存在していないものを思いつき、それなりの生活を計画して構成すること

・具体的に表現されたものとは無縁の、完全に象徴的な芸術作品を作りだす程度にシンボルを操ること

・霊的な感覚と死後の生活の信念を明確に持つこと


4万年前になると、死者を埋葬するときに副葬品をいっしょに埋めています。

死後も続く世界があると信じていなければ、そんな行動はしません。


人間の霊的・創造的側面が登場するのと同時に、あらゆるすべての行動が登場します。


たとえば精密で戦略的な狩猟なども、そうです。

約4万年前に、まるで示し合わせたかのように、なにか途方もない変化が、私たちの祖先の身に一ぺんに起きたかのようです。


それまで私は興味の対象として、12000年前あたりの古代文明に焦点を合わせていました。

しかしもっと過去にさかのぼって、これほどまでに劇的に人間の行動を変えたものは何だったのか、見つけてみようと思ったのです。


○ハンコック

人間の起源については、長い間関心を持っていましたが、本当に焦点を合わせるようになったのは「神々の世界」を出版した後です。

考古学的な記録でそれを見るなら、本当に並外れた変化です。

なぜなら、突然傑出した、驚くような芸術が発生したからです。



フランスのペシュメル洞窟のものは、約24000年前に描かれた洞窟絵画の典型です。

この地下の迷宮には、上から伸びた鍾乳石と下から伸びた石筍によってできた柱によってできた柱の森があります。

そこを通り抜けると、壁に芸術作品の暗示的な断片が現れます。

すばらしい作品です。


壁には2頭の奇妙な馬が、いっぱいの点で美しく描かれています。

点は、馬の身体を超えて広がっています。

馬の頭は非常に小さくリアリズムを超越していますが、信じられないほど力強く見えます。

この絵は奇妙な手形で囲まれています。

その一つは、指が6本あります。


興味深い生き物の絵は、超自然的なものとしか形容できません。

日常の現実世界では見たことがないし、祖先たちも日常で出会ってはいないもののはずです。

これらの生き物は、半分が動物、半分が人間という組み合わせの獣人です。

これら獣人は、世界中どこでも見られる初期の岩絵と洞窟画の普遍的なテーマです。


イタリアのフマーネ洞窟にある岩絵が、35000年前の最も古いものです。

それ以前に描かれたものもこれから発見されるでしょうが、今のところまだありません。


そこでは5つの奇妙な動物の姿の中に、はっきりと動物と人間の組み合わせがあります。

仮面をかぶっている男性の姿ではありません。

人間と動物が完全に変形していて、牡牛の角があります。



ショーベ洞窟の奥深く、岩が突き出た所には、天井からぶら下がった並々ならぬ絵画があります。

33000年前のものです。

男性の足と臀部を持ちながら、背中にはバイソンのようなこぶがあります。

頭は完全にバイソンに変わっていて、大きな角を持っています。

さらに、巨大な女性の身体に見えるものに、なにかがまたがっている絵もあります。

この女性には頭がない。

非常に奇妙なものですが、右腕はライオンの頭に変形しています。

33000年前のショーベ洞窟には、バイソン男とライオン女がいるのです。


いったい彼らはどこからこんな不思議なアイデアを知ったのでしょうか?

彼らは自分達が経験したある遭遇を絵にして記録したのです。

彼らにとって途方もなく重要なことでした。

なぜなら先史時代のある瞬間に、私たちの祖先はこうした驚くべき絵画を創り始め、また現代人らしい振る舞いが登場したからです。

そして明らかに来世についての強い信念を持っています。

宗教らしきものもありました。


シンボルを扱う並外れた手際は、私たちが近代人の活動として認めている経済活動と結びつきます。

彼らは動物が特定の時間にどこにいるのかを知っていたので、綿密に計画した狩猟戦略がありました。

彼らの行動は全く私たちと同じです。

彼らは超自然的な存在と接触していて、その存在が彼らを人間らしく変えたということです。



洞窟絵画には、あるパターンのデザイン的特徴が普遍的に見られます。

ジグザグの線や波線。

内側が〝入れこ″になるような、ほとんどボートの形のような曲線。

点や子牛の模様や幾何学的な形は、洞窟の壁全体にわたって描かれています。

南アフリカの洞窟住居全体にそれはありますし、同じものがオーストラリアでも見られます。

ですから、岩絵や洞窟美術に広く見られる特徴を包括的に説明できる理論はあるのか、知りたくなりました。


○エハン・デラヴィ

あなたの発見の核心は、こうした変化がほぼ同時期に起きているということですね?

世界中で突然起こったのです。

あなたがさっき言ったように、洞窟自体が芸術だという指摘は重要です。

つまりその環境に入り込んだ人間は、私たちとは非常に異なった経験をすることができるのです。


                (引用ここまで)

                  *****


ブログ内関連記事

「スカイピープルと古代人・・ホピ族のペテログラフ(岩絵)(2)」

「山の霊としての天狗・・ウエサク祭(4)」

「装飾古墳・多彩な絵柄に想像膨らむ・・広がる黄泉の世界」

「ホピの祭り・ヤヤ祭(1)・・アニマルピープルと人間」

「アルタミラなど洞窟絵画、ネアンデルタール人の作品か?」


「アトランティス」カテゴリー全般
「その他先史文明」カテゴリー全般
「日本の不思議(古代)」カテゴリー全般


「ブログ内検索」で

洞窟          15件
絵画          10件
アニマルピープル     4件
岩絵          15件
幾何学         13件
デラヴィ        10件
ハンコック        8件
旧石器         15件

などあります。(重複しています)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜ人間は、かくも傲慢なのか?・・グラハム・ハンコック・ダイジェスト(5)

2014-12-12 | その他先史文明



グラハム・ハンコック氏の著作全体を総括するような対談の本のご紹介を続けます。

題名は、「人類の発祥、神々の叡智、文明の創造、すべての起源は「異次元(スーパーナチュラル)」にあった」といいます。

対談の相手はエハン・デラヴィ氏です。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

次は著書「神々の世界」についての会話です。


                *****

              (引用ここから)


○ハンコック

わたしの著書「神々の世界」は、著書「神々の指紋」の次のステップでした。

失われた文明の次なる研究は、氷河時代の終わりの洪水で沈んだエリアを、海中で調べることだと感じていました。

現地の漁師やダイバーにインタヴューするのは、とても興味深いことでした。

「海中でなにか奇妙なものを見ましたか?」と聞けば、驚くほどの割合で「見た」と答えます。

インド・地中海・日本へと何度も行って、ダイビングして海中を調べました。

海中に人工建造物を見つけましたが、それは自然現象として全く説明できないものです。

失われた文明の巨石建造物です。


○デラヴィ

古代の人々は現代の人々に比べて聡明でしたが、彼らは大災害に対して備えていたのでしょうか?



○ハンコック

古代人がどれくらい準備したのかは、はっきりとは分からない。

生き残った人々もいたと思います。

ただし、それはたまたま生き残っただけだと思います。

準備していたとは思えません。

突然降ってわいた災難ですから。

聖書の有名な一節を借りれば、「まるで夜の盗人のごとく」です。

それで、古代人たちは、大災害の恐怖を未来に伝えなくてはならないと思った。強迫観念的に。

この記憶や情報を伝えなくてはならない。


なぜなら〝また同じことが、ある特定のタイミングに周期的に起こる″、と思っていたからです。

ですから私たちは、神話や遺跡などに彼らが残したいくつものヒントから、そのタイミングがいつなのか割り出す必要があります。

絶対に、情報はあるはずです。

ところが学者たちは、これらのヒントをただ〝無視″しようと決めてしまっている。

いったい科学界はどうなってしまったのか?

正面から事実を見据えることができないのは、精神的に深い傷のようなものがあって、きっとそれを〝直視″するのが恐ろしいのでしょうね。



○デラヴィ

深刻な状況ですね。

理論的に提示されている正確な情報を〝無視″するところから、無知が生まれます。

つまり、古代の人々は実際に世界地図を作った。

だから今でもその古代地図の写本が、世界中で発見される。

そうでないなら、単なる仮説や憶測になってしまう。


○ハンコック

私達は、真理に到達していません。

私がずっと心に留めてきた信条があります。

知らなければならないことの第一は、現段階の知識というものの価値とその有効期限を知ることなのです。

人間がこしらえたものの中で、まずそれを一番初めに検討するべきです。

現段階の知識を、すべて事実とするのは、あまりにも安易すぎます。

わたしは計画表を持って臨むことはしません。

現段階の知識というものに疑問を投げかけたいのです。

現存する知識は、けっして納得しやすいものではありません。

いつも「おかしいな?」と感じていなければいけないのです。

しかし、遠い過去という暗がりに入り込んでいけば何か自分に語りかけてくれるヒントがあるかもしれない、と探していると、そこにはたいてい何かがあります。


○デラヴィ

「もしかすると?」という言葉は魔法の言葉ですね。

今現在は知らないし、はっきりこうだと言い切れることはないだろう、と。

それでも、その真理の〝主軸となる情報″をつまみあげることはできます。

そして、ずっとこの〝主軸となる情報″について、対話してきたわけです。

地球的規模の大異変があったこと、大異変以前には高度な文明が存在したことなど。



○ハンコック

数多くの証拠がそれを示している。

そう言いましょうよ。もし〝ちゃんと目を開いてそれを見ようと思っている″ならば。


○デラヴィ

もし本当にそうだとしたら、いったい私たちにとって、失われた古代文明はどういう意味を成すのでしょうか?


○ハンコック

すごく重要な論点です。

なぜなら、今日直面している問題と、私達がそこで生きているはずのこの文明の核心に触れるからです。

ぱっとしない原始的な先祖からこの輝かしい現代世界へと直線的に進歩して到達した、と。

だからこれからもそれを続けなければならない、物事は日増しにより良くなっていくのだと。

これは「信仰」です。

永遠にいつまでも進歩していく・・これが現代の産業主義的社会における、無知で狂った「信仰」です。

歴史を違う視点で見て、もし、〝歴史にはサイクルがある″と考えたら、〝昔あったことは将来にもまた起こる″と考えたら、文明の頂点に達したあとは落ちていくのが分かります。

もし何の記憶にも残らないまま、過去と同様に完璧に消え去ってしまう可能性を考慮したら、私達が暮らすこの世界は、ここまで傲慢で自信満々にはならないでしょう。

歴史をどう解釈するかということは、非常に政治的な論点でもあると思います。

だから、歴史に疑問を投げかけたりすると、歴史上の権力機構から悪意を持って、モラルも良心もなく攻撃されるのでしょう。

我々の世界は、選挙で選ばれたにせよ、独裁者たちによって牛耳られています。

この世界中の独裁者たちは、過去をコントロールすることが、現在をコントロールすることにつながるということをよく知っているのです。

政権は、都合よく歴史を作っています。

〝はるか昔に非常に高度な文明があって滅びた″という概念は、連綿たる直線的な進歩を信じたがる人々にとっては、まったく歓迎できない考えなのです。

○デラヴィ

宇宙論は、すべての学問の根幹にあるもので、宇宙論こそは学問の王道です。

それこそが「大いなる世界像」であり、大きな視野で見つめた真実です。

古代の人々は、今よりももっとそのことに通じていた。

立体的な概念をもち、宇宙と結びついていた。

彼らは、この銀河系宇宙のほんの一部分の地球に住んでいたわりには、ローカルな宇宙観をもっておらず、日常のあらゆる分野にその哲学が反映されていた。

芸術しかり、コミュニケーションしかり、すべてにおいてです。

自分自身を〝宇宙に結びついた宇宙的生命″だとみなしていたら、偏狭になるのは本来難しいことですからね。


その対極にあるのが〝自分を宇宙とは無縁なもの″だと思うことです。

宇宙は、ただ住みにくく、凍るように寒い空間だと。。

それだけでなく、宇宙の始まりはビッグバンだという。

忌々しいことに、宇宙創生は〝爆発″だったとされている。

〝爆発″などから何が生み出されるというのでしょうか?

ただのバカバカしい〝おとぎ話″です。

ところが初めから終わりまで、何から何まで、この〝ほら話″を飲み込んでしまっている。

「上も下も」完全に粉々になってしまっている。

古代の人々が示唆する深淵な教えに立ち戻ることは、根本的に重要なことなのです。

私達は何者なのか?、多次元的生命体としての私達の本質、古代の人々が我々に伝えようとしていること、、そういったことの核心について、もっと話していきたいですね。


              (引用ここまで・写真は本書中の海底遺構)

               *****


ブログ内関連記事

「賢者ドルイドの由来は・・ピュタゴラス派か、それともアトランティスの智彗なのか?」

「物質と霊が結合し、時が成就する・・F・アルパーによるアトランティス再浮上論(6)

「天空がぐるぐる廻った時・・アトランティス探検は続く」

「インディアンの起源その1 アトランティス、シリウス、プレアデス・・「我らみな同胞」より」

「ピラミッドは人間が造ったのではない・・半田広宣氏「2013年 人類が神を見る日」」(4)まであり


「アトランティス」カテゴリー全般
「その他先史文明」カテゴリー全般
「アセンション」カテゴリー全般

「ブログ内検索」で

大洪水       15件
ハンコック      7件
デラヴィ       9件
ビッグバン      4件

などあります。(重複しています)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絶対的な善と悪、およびUFO・・グラハム・ハンコック・ダイジェスト(4)

2014-12-08 | その他先史文明



グラハム・ハンコック氏の著作全体を総括するような対談の本のご紹介を続けます。

題名は、「人類の発祥、神々の叡智、文明の創造、すべての起源は「異次元(スーパーナチュラル)」にあった」といいます。

対談の相手はエハン・デラヴィ氏です。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

             
                  *****


               (引用ここから)


○デラヴィ

古代エジプトでは、高度な科学や高度な精神的(霊的)認識を持っていた。

多くの時間を費やし、試練や規律を通して永遠の生の準備をしていた。

シャーマンのように自分に訓練を課していた。

そんなことがどうして起こり得るのか?

しかもその大部分が順序立てられた科学でもあったのです。

行き当たりばったりではなく、彼らは自分達がしていること、なぜそれが起きているのかについて、非常にクリアに理解していた。

いかなる世代においても科学が望み得る最高に高度なもの、つまり人間の生への認識、死の偉大なミステリーに到達していた。


意識の研究家だったテレンス・マッケナが言っています。

「いわゆるUFOを、私たちが最終的に理解するようになった時に、私たちは死というものを、やっと理解できるようになっているだろう。

なぜならUFOも死と同じところからやって来るからだ」。

同じパラダイム(一時代の支配的な価値観や枠組み)からの存在であると。

不思議なのは、どうして我々は何千年も続いた貴重な精神的文化を無くし、近代の18,19,20世紀に入ってしまったのでしょうか?

なぜ私たちはこうなってしまったのか?

どう思いますか?


○ハンコック

人類の偉大な古代の哲学と神話はすべて、宇宙には善の力と悪の力が存在すると認めています。

わたしも、絶対的な善と絶対的な悪が存在することに疑いを持ちません。

これらは、宇宙全体を流れている霊的な力かもしれない。

人間の苦悩は、事実、選択をするためにあるのかもしれない。

そしてわれわれが人間の身体を持って生まれてきたことが、なぜそれほどまでに特権であるのか?

それが理由かもしれない。

なぜなら選択できる身体だからです。

あることをすることに対して、「いいえ、わたしはそうしない」あるいは、「そうだ、わたしはそれをしよう」と選択できる。

それらの選択をとおして成長したり転落したりするのでしょう。


過去の高度な文明を破壊した災害や、地球規模の天変地異を記録したすべての伝説は、高度な文明が滅亡したのは、部分的には人間の選択によるものだった、と述べている。

それが、わたしがなぜ古代文明に興味を惹かれるかの理由です。

わたし達自身が破壊を招いた仲介者だった、ということです。

単なる理解不能な外部の力ではない。

わたし達が選び、選択するのです。

宇宙のいたる所に、善と悪の力が存在する。

人間はその誘惑に逆らったり惹かれたりしながら、ツケを払うのかもしれない。

時には自分達の文明さえも死滅させる。

人間が栄え、再び滅びるという周期的な考えに対応するのは、難しいことではないと思います。

問題は、「なぜ文明が起こったか?」です。


            (引用ここまで)

             *****


グラハム・ハンコックもエハン・デラヴィも、いわゆるトンデモ話ぎりぎりの話を続けていますが、彼らは宇宙の絶対的な善の存在、そして悪の存在を確信しています。

それはいわば手触りと言うべき、はっきりとしたものとして捉えられています。

この部分に、わたしは信頼を寄せています。



ブログ内関連記事

「フランク・アルパーの語るアトランティス再浮上説(1)・・精妙な波動の王国」((6)まであり)

「エハン・デラヴィの十字架の研究」

「半田広宣氏「2013年:人類が神を見る日」・・冥王星からの訪問者」

「大洪水が起きる前、恐竜と人類は共に生きていた・・木内鶴彦さんの証言」

「ケーシーの説はプラトンの説に酷似している・・悩める英文学者の大冒険」

「エジプト・オリエント」カテゴリー全般
「アトランティス」カテゴリー全般
「その他先史文明」カテゴリー全般
「アセンション」カテゴリー全般

「ブログ内検索」で

UFO       11件
チャネリング    15件
シャーマン     15件
ハンコック      6件
デラヴィ       8件

などあります。(重複しています)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人類は記憶喪失している・・グラハム・ハンコック・ダイジェスト(3)

2014-12-03 | その他先史文明


グラハム・ハンコック氏の著作全体を総括するような対談の本のご紹介を続けます。

題名は、「人類の発祥、神々の叡智、文明の創造、すべての起源は「異次元(スーパーナチュラル)」にあった」といいます。

対談の相手はエハン・デラヴィ氏です。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


             *****


             (引用ここから)



○ハンコック

世界中に残された神話と民間伝承には、ただ一つの例外もなく、ある共通のパターンがあります。

過去の黄金時代の記憶が、蓄積されているのです。

「遠い昔、人間は今よりもはるかに発達していた。

神のようなパワーを持ち、神と共に歩んだ時代があった。

人間に必要なことはすべてかなえられ、人間は魔術的なパワーを自由に操っていた。

しかしその後、大災害にみまわれる」。


文化によって何千もの物語がありますが、同じ事を述べています。

大災害・・それは洪水です。

地球規模の洪水です。

その後に空が暗くなり、空から黒いアスファルトの雨が降る。

夥しい地震と火山の噴火が起き、地球規模で恐ろしい天変地異が起きた。


最も有名な例はプラトンです。

プラトンが、アトランティスと呼ばれる「失われた文明」があったと説明しています。

彼の時代から9000年前、すなわち現在からは約11500年前の出来事についての話です。


世界は、氷河時代の最後に本当に恐ろしい事が起こりました。

海面が世界中で120メートルも上がったのです。


わたし達は、記憶喪失の種なのでしょう。

わたし達自身の過去の記憶を失ってしまった。


天変地異の後も、生存者がいて、彼らは災害の周期的プロセスが再びやってくることを知っていたのでしょう。

彼ら生存者たちは、未来の人類がその危険に気付けるよう、星を永久的な座標として使いながら、遺跡にメッセージを組みこんだのです。

後世に伝える最善の方法でした。


○デラヴィ

「上のごとく下もしかり」というのは、錬金術の根本にもある大事な考え方です。


宇宙の動きが、地上においても同じように反映されているということです。

天体と地球は、相互に連関しているのですね。


○エハン・デラヴィ

古代のエジプト人たちは、空には無数の星があるのに、特定の星にだけ興味を示していた。

彼らは深くそれらの星を研究した上で、特定の星を選んだ。


3つのピラミッドの位置が、オリオン座の3つ星の位置と一致している。

エジプトのピラミッドの中から外へ行くシャフトは、シリウス星の位置と一致する。

エジプト神話には、シリウス星を意味するイシスがいて、またオリオン星を意味するオシリスがいる。


○ハンコック

そうです。

空の特定領域に関する宇宙論でもあり、私たちの魂が、死後その場所で、危険で厳しい旅を始めると信じられているので、注意が向けられていたのです。

私たちもまた、あらかじめ、それらについて知る必要があります。



○エハン・デラヴィ

〝永遠の魂の生″のようなものが本当にあり、星がそれを完璧に象徴している。

なぜなら、光は永遠だからです。

星だけでなく、太陽もまた知的な存在であるという可能性も、度外視することができるでしょうか?

わたし達は、自分達が物質的な存在でありながら同時に魂を持っていることは認める。

そうであれば、太陽も同時に物質的な存在でありながら、また魂を持っていることにはならないのか?

どうして、それは別の話になるのか?

少なくとも、死後に彼らが旅をした、もう一つの世界がある。


○ハンコック

曲がりくねった死後の旅は、私たちが星に値するかどうかを見極めるための、最後の浄化なのでしょう。

チベット人もまた、彼らの「死者の書」を使い、死後の準備をうまく確実にしていました。


              (引用ここまで)
 
 
               *****


ブログ内関連記事

「守護星はシリウス、かくされた者となる・・ホピの祭り・ヤヤ祭(2)

「口開けの儀式」を受けて、復活のしたくをする・・エジプトのミイラ(4・終)

「プレアデスの時代・・バーバラ・マーシニアックの語る世紀末とマヤ(1)

「2012年(6・終)・・オリオンからの訪問者」

「古代ギリシャに希望の光 柄谷行人インタビュー・・民主主義を超える理念を」

「アトランティス」カテゴリー全般
「その他先史文明」カテゴリー全般
「エジプト・オリエント」カテゴリー全般


「ブログ内検索」で

ハンコック       5件
デラヴィ        7件
大洪水        15件
ピラミッド      15件
シリウス       12件
オリオン       13件
プラトン       15件
氷河期        15件
錬金術         8件

などあります。(重複しています)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする