始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

日常という名の罪と罰・・裁判員裁判

2012-04-30 | 野生の思考・社会・脱原発
        
ずっと気になっている裁判員裁判制度について、ずいぶん古い記事になりますが、投稿しておきます。

ここで弁護士五十嵐氏が指摘しているような、「一般市民」と呼ばれる人間の他者の犯罪への処罰感情の揺れ幅の部分が、実際に他者を法律的に判じるに至る過程が、果たして正当なものであるのか否か、心が揺れ続けています。

人間にとっての法とはなにかという、大変に根源的な問いの答えを出すのは、もう少し議論を尽くした後の方がよいのではないかという思いが断ち切れません。

日常生活の中で起きる犯罪という罪を罰する原理はどこにあるのでしょう。

裁判官が裁けばよくて、一般市民が裁くのはよくないと言っているわけではありません。

むしろ、このように、罪とは、罰とは、という問いを一般的に考える機会を与えてくれているということは裁判員制度の大いなるメリットだと思います。

されど、、生身の人間の無明の世界を照らす光とはどこにあるのだろうか、と思い続けています。


         ・・・・・

2009・10・22
「裁判員裁判・・検察側が圧倒する公判運営」  弁護士・五十嵐二葉


9月29日から4日間、福島地裁郡山支部で裁判員裁判を傍聴した。

本格的に殺意を争う初めての殺人事件で注目されたが、懲役17年(求刑20年)という重い判決の審理に、裁判員制度の多くの問題点が見えた。

被告が店長を務めるスナックの開店祝いに被害者が来なかったことが事件の発端だった。

謝罪させるために関係者が被害者を呼び出し、被告が包丁で刺した。

弁護人は、包丁は体格で勝る被害者を脅そうと用意したものであり、刺したのは被害者に殴られての咄嗟の行動で「殺すつもりはなかった」と主張したが、退けられた。

だが、判決は「犯行時には明確な殺意(確定的な殺意)とする一方で「殺してもかまわないと考え」(未必の故意)ともし、争点である殺意の認定に矛盾を残した。

裁判員が判決後の会見で、4日の公判は限界としながらも、「必要な審理としてはもう3,4日の
時間があれば」と言ったのは争点が十分解明されなかったことを見抜いた市民の聡明さだろう。

にもかかわらず重い判決となったのは、参加する市民の負担を軽減するためとする公判運営と無縁ではない。

郡山では証人を傍聴席に置いたまま、検察官が当人の調書をディスプレーに順次写しながら全文を朗読した。

当人が話さずに 「調書」で検察側から見た事件像をまず裁判員と裁判官に刷り込む。

尋問は「調書を補充してお聞きします」と前置きをして始まった。

外国の法曹関係者に知られたら呆れられるだろう。

警察官や検察官の「作文」と国際的に非難されている供述書中心の日本で、裁判員制度は市民が参加することで証人から生の証言を聞く「直接主義、口頭主義」を実現すると多くの法曹が考え、歓迎した。

だが、ふたを開けてみれば「調書朗読裁判」で従来以上に検察側の見方が裁判員の心証を圧倒した。

重い判決につながったもう一つの要因が、被害感情を軸に据えた証拠調べだ。

証人4人のうち、争点の殺意関係と被告側情状証人が一人ずつで、あとは被害者の兄と内縁の
妻。女性検察官は被害者と内妻の、戦前の少女小説ばりの「純愛物語調書」を延々と読み上げた。

裁判員裁判は、これまでのところ被告を「社会の敵」と「たまたま間違いを犯してしまった隣人」にくっきり二分している。

東京地裁の隣人殺人(懲役15年、求刑16年)などは従来より量刑が重く、神戸地裁の父親への無理心中未遂(懲役3年執行猶予4年、求刑5年)などは軽いうえに判決後に被告へ応援の言葉まで付けた。

郡山では被告が属する露天商組合を暴力団、被害者は暴力団を抜けた善良な市民とする検察側の構図がそのまま判決になった。

検察官4人に対して一人だけの弁護士はプレゼン機器利用も含めて力量不足は否めなかった。

検察側の見解が圧倒する形の公判で、真実の発見が損なわれることがないか。

今後の裁判員裁判でも気がかりなところだ。



            ・・・・・


朝日新聞2010年5月18日
「裁くということ・裁判員経験者アンケートから(2)」・・評議の方向、裁判長次第』

評議は非公開、被告が有罪か無罪かや、刑の重さを話し合う過程は見えない。

ある裁判員経験者によると、刑の決め方はこんなイメージだ。

議論の最後に「自分が適切だと思う量刑」をそれぞれ紙に書き、裁判官が一枚ずつ読み上げる。

検察側の求刑に賛同する裁判員、被告の年齢を考えると、と軽い刑を書き込んだ裁判員、裁判官も含めた多数決の末、求刑よりやや軽い刑に落ち着いた。

「執行猶予をつけることもできるんですが、まあ、つけない方向でね。。」

東日本の裁判員経験者は、評議の時に裁判長が「進めたい方向」に話を運んでいるように見えた。

過去の似た事件での判決のデータを示されると、その範囲でしか意見を言えない雰囲気になった。

早く終わらせたい雰囲気が自分にも周囲にもあり、納得できなくても、そうは言えなかった。

「刑務所でどんな生活を送るかも知らずに意見を言ってしまった』と悔やむ。


西日本のある地裁で開かれた傷害致死の裁判で裁判員を務めた男性は、
検察官が説明する被害者の死亡推定時刻が、被告本人が主張する時刻に数時間のずれがあったことに疑問を抱いた。

「解剖医にも聞きたい」と考え、証人を追加できないか裁判官に聞いた。

裁判官は時刻のずれについて「誤差の範囲内です」と述べ、日程的にも新たな証人は呼べないと言った。

「まあ、待って下さい」

「その話は置いておいて」

男性が議論を促そうと突っ込んだ発言をすると裁判官に止められたという。


まったく逆の感想もある。

昨秋、大坂地裁で行われた審理に参加した男性会社員は「どうせ裁判官が先に結論を決めていて、我々はそれに付き合わされるだけだ」という冷めた気持だった。

しかし評議が始まると、3人の裁判官は専ら裁判員の意見を引き出す役に徹し、裁判員が一通り意見を出し終えた後にしか自分の意見を言わなかった。

素晴らしいマネージメント能力だ」と見方が一変した。


一方では「裁判長の人柄に負う部分が大きい」という思いも生じた。

議論を誘導したり、裁判員の意見を充分聞かなかったりする裁判長だったらどうなったか。

「どんな評議が行われたのか、ある程度客観的に検証できるような基準をつくるべきでは」と考える。


          ・・・・・


2010年5月18日朝日新聞
「裁判員の量刑、検察側求刑の77%」

裁判員が加わって出した実刑判決の、検察官の求刑に対する懲役期間の割合は、2010年5月14日現在で平均77%だったことが朝日新聞社の集計で分かった。

全体としては求刑の8割前後の量刑が示されることが多いと言われてきた従来の刑事裁判と同じ水準。

一方で求刑の半分に満たない判決もあり、スタート前から予想された通り、量刑の幅がやや広がっていると言えそうだ。


裁判員制度開始一年を前に全国の取材網を通じて集計した。

今月14日までに判決を受けた被告511人中、実刑だったのは422人。

このうち求刑通りの判決は24人(6%)。

懲役期間が求刑の8割以上だったのは201人(48%)、7割以上が314人(74%)を占めた。

10%ずつ区切って調べると80%以上90%未満が132人(31%)で最も多かった。

検察官の求刑より重い刑を言い渡した判決はなかった。


一方、求刑の5割未満の判決を言い渡された被告も2人いた。

最もかけ離れていたのは札幌地裁で2月に審理された傷害致死事件。

懲役4年の求刑にたいして懲役1年6カ月の実刑だった。

実刑ではないが昨年11月末から12月初めに神戸地裁で審理された事件で、懲役8年の求刑に対して懲役3年、執行猶予5年の判決が出たケースもあった。

検察側は従来なら控訴したようなケースでも、市民の判断を尊重して一件も控訴しておらず、量刑の幅の広がりを容認している。

一方、執行猶予の判決を受けたのは89人。

猶予期間の間に保護観察官や保護司が生活を見守る「保護観察」を一緒に付けられた人が半分以上の50人もいた。


             ・・・・・


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人間の知恵と悪智恵・ケンカの仕方・・中沢新一「イカの哲学」(3・終)

2012-04-26 | 野生の思考・社会・脱原発
中沢新一氏の「イカの哲学」を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

人間の研究書としては面白いと思います。


       *****

      (引用ここから)


それが一万三千年ほど前に始まる都市と国家の萌芽の発生によって、その性格を大きく変えてくる。

生物は物質だけの現象ではなく、そこに知性が結びついて起きた現象である。

生物に宿る知性は現れ方の違いはあっても、すべての生命に同一の知性が生きて、働いている。

同じ本質をもった知性が生物種ごとの生物学的構造の違いに応じて、それぞれの生物にふさわしい心となって働いているのだ。


二十万年のホモサピエンスの歴史から考えれば、ここ一万2,3千年前まで人間が行っていたのは、心をもった生命を実存として捉えようとする思考だった。

まだ農業の始まっていない頃であったから、人々は狩猟採集経済を生きていた。


当然その社会では、動物達を殺さなければならない。

ところがその狩猟採取社会でこそ、他の生命への共感に満ちた実存主義が社会一般の哲学となっていた。

人間が動物の狩りをしていた頃、狩猟は「弱めの戦争」と看做されていた。


戦争は自分の内部に歯止めを失った「超戦争」に踏み込んでしまう危険性をいつも抱えている。

「イカの哲学」はそのような「平和論」の限界を超えて、現代戦争の時代にふさわしい別の原理に土台を据えて、新しい「平和論」を構想しようとしている。

そのような思索が一人の日本人の中から生まれ得たのは、日本人が太平洋戦争において、自ら「超戦争」を体験したからに他ならない。

1938年にウラン核分裂発見のニュースが流れると、それがかつてない強力な威力をもつ新型爆弾の開発につながるだろうと、多くの物理学者が即座に理解している。

しかし核兵器によって自分達が今までの戦争のレベルを超えて、「超戦争」という道の領域に踏み込んでいくことになると理解していた人はほとんどいなかった。

日本人は「超戦争」を現実のものとするこの核爆弾の破壊力を浴びた初めての人類となった。
「超戦争」では、“的”の実存は一切消去される。


人間ばかりではない、動物も植物も、およそ地球上に生きているすべての生命と、未来に生まれるはずの生命すべてが修復不可能な損傷を受ける。

その意味で、日本はもはや普通の国には成りようがないのである。

普通の国は戦争を回避し平和を実現するための現実的手段を考え、実行するだけで十分だ。

ところが、私たちの国は核戦争を体験した唯一の国として、戦争を超えた「超戦争」に向かいあう原理ーーこれをわたしは仮に「超平和」と名付けようと思うのだが、この「超平和」の原理を模索するという人類的な課題を与えられた。


「超平和」の概念は一度だけ、ただ一度だけ国の立ち上げの原理である憲法として表現された事がある。

言うまでも無く「憲法9条」の文言である。

この「憲法9条」の規定は普通の国の憲法としてはまず類例のない、尋常ならざる内容を表わしている。


ヒューマニズムは平常態の思考として人間と動物の区別の上に立って、人間の尊重を歌いあげる。

しかしその思考はあまりにも弱い土台の上に立っているために「超戦争」の現実には立ち向かう事が出来ないのだ。


現代エコロジー思想の主導者の一人は、エコロジー運動の目的の一つは「自然との停戦を実現すること」だと位置づけている。

人類は数万年に渡って、自分たちの行う狩猟がこのような戦争にまで踏み込んでしまわないように細心の注意を払ってきた。

一旦狩猟が戦争の段階まで進んでしまうと、攻撃のための技術に勝っている人間は、たちまちにして動物や植物の生態に壊滅的な危機をもたらしてしまうことになっただろう。

しかし人類は、狩猟が戦争に突入してしまうことを回避する智慧を発達させてきた。

その智慧が生きるためには、動物や植物が自分と同じ実存であることを思いすだけでよかった。


エコロジー思想をこのような「自然との戦争状態に停戦をもたらそうとする運動」として理解することができる。

これ以上の戦争の持続と拡大は、この戦争における圧倒的勝利者たる人間に破滅をもたらすに違いない。

それに立ち向かうべきエコロジー思想は、地球温暖化のペースを緩めるための現実的政策のレベルに留まっていることは出来ないであろう。

「超平和」の理想をもったエコロジーの思想が形つくられるのでなければならない。


         (引用ここまで・終わり)



           *****



本書を読んでいると、まるで頭の体操をしているような変わったものの見方、発想の転換を余儀なくされるように思います。

テレビの田原総一郎の政治討論会でこのようなことを言ったら、なんて返答されるだろう?、などと思います。

しかし、分かる人には分かる考え方だとも言えます。


では、このような考え方が、どのようにしたら多くの人に対して説得力をもつのだろうか?、と考えます。

中沢新一氏が先般発表した「グリーンアクティブ」という新しい政治的団体が、「緑の党のようなもの」を目指そうとしている、という、曖昧模糊とした話題は、あまり人々の関心を引いていないようですが、

それはやはり本書に書かれているような問題設定自体が、非常に哲学的なテーマ設定で、哲学的な論理展開をしているので、大変に分かり辛いからだと思います。

国民の大半が支持している「脱原発」を推進しようという政治的団体なのですから、「日本の大転換」を実現する「脱原発」の理論的バックボーンになりうるかどうかは、これからの中沢氏が紡ぎ出す、「生きた言葉」にかかっているのではないかと思いました。



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生命活動は知性である・・中沢新一「イカの哲学」(2)

2012-04-22 | 野生の思考・社会・脱原発
中沢新一氏の「イカの哲学」を読んでみました。

人類の知性と生命の関係、戦争という人間的な文化について、述べられています。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


           *****


         (引用ここから)


政治思考として現れた「イカ的なもの」が原始的な生命感覚としての「イカ的なもの」を否定してしまっている。

ここには戦前戦中の国家主義が陥った最大の矛盾が凝縮されている。


戦争の原理がすでに生命の奥深い部分にセットされている、という視点に立つとものの見え方が変わって来る。

ただ戦争に反対するだけでは、現実に戦争はなくならない。

私たちは強靭な土台の上に立つ平和学を築きたいと考えている。

そのためには、生命の深部に平和学の土台を据える、という難しい試みに取り組んでみなければならない。

戦争と平和を、具体的な人類の可能性と限界の中で考えてみたいのだ。


波多野氏はイカ漁で捕獲されるたくさんのイカが、網に追い込まれ、お互いの間に保たれていた自由の感覚を産み出す距離が無くなり、狭い場所にぎゅうぎゅうに押し込まれて、

まるで物のような扱いを受けるようになってしまい、ただの蛋白質の塊とみなされるようになってしまう姿を見て、その情況が自分の体験した出撃直前の特高隊の置かれた状況とそっくりだと感じた。


この直感は人類学的な深さをもっている。


多くの先住民神話は、狩猟とは動物の世界との間に繰り広げられる戦争に他ならない、と語っている。

言い方を変えれば、狩猟と戦争は、相手が動物であるのと人間であるのとの違いはあるが、両方とも普通の状態では分離されている生と死を異常に接近させてしまう点では同じだ、と言っている。

そして生と死のように、絶対的な矛盾を抱えている2つの項が異常接近してしまう状況では、もはや合理的な判断や論理的な思考は通用しにくくなる。


まさにその時、「生命そのものにセットされた奥深い知性の働き」が浮上してくるのだ。

私たちの中にある「イカ的なもの」が目ざめ、生命と心を結ぶ無意識の回路が大きく開かれて、普段は見えにくくなっている、この世の本当の姿がまざまざと見えてくるようになる。


生命にはもともと知性が内在している。

それはどんなに単純で原始的な生物においても、そうである。

生命活動そのものが知性なのであるけれど、そこは合理的な思考から見たら矛盾のるつぼのように見える。

しかしそれこそがまぎれもない知性の原初的な働きなのであり、

それが原理的に戦争と酷似していることは否定しようにも否定することのできない事実である。


この事実を認めない限り、本物の平和学を構築することなどはできない。


生命論の深みで戦争と平和の問題を考え突き詰めていくと、どうしても生命の本質の中に隠されている「原理としての戦争」というものが浮上してくることになる。

それは現実の戦争そのものではないけれど、戦争の現実を産み出す原理として、生命の奥深くにセットされていて、宗教も芸術も同じこの原理から産み出されてくる。

この原理をバタイユにならって「エロティシズム」と呼びたい。

私たちはふつう生命の本質を考えるときには、生物が個体としてのアイデンティティを自分自身の能力で産み出し、それを維持している側面にまず目が行く。

しかし生物には自分を非連続的な個体として維持しようとする面ばかりではなく、むしろ非連続であることを自分から壊して連続性の中に溶け込んでいこうとする強力な傾向が隠されていることをバタイユは見出した。

ウイルスよりもさらに単純な生物でも自己と非自己の見分けを行う。

生物は自己の内部に自分とは違う異物が侵入してくると、すぐさま免疫抗体反応を発動して、異物を自分の外に排除しようとする行動を起こす。

つまり、どんな単純な生命にも、自分というものを認識する知性能力が宿っている。

しかしその知性能力はもう一方で、さらに深いレベルで、それとは正反対の活動を行うのだ。


生殖の瞬間、生命はその能力をあえて解除して、短い時間だけれどもその間は個体の死を意味する連続性を自分の中に引き込もうとする。


生命と知性は、本質的には同じものなのだ。

単純な生物ではそれは見やすい事実である。

ところがホモサピエンスである人間では見えにくくなっている。

しかし見えにくいだけで、ホモサピエンスの作り上げている世界を奥底で動かしているものも、地球進化の過程で産み出された生命=知性の原理のもっとも自由な形をした現れに他ならない。


ところがもう一つの側面をとおして、人類の心は個体性を壊してまでも連続性を自分の内に引き入れようとする。

これは他の生物にあっては、生殖をはさんだ短い時間にしか実現できなかった。

ところがホモサピエンスでは違う。

そこから宗教と芸術が発生した。

そして戦争もその時まぎれもない人類の印として発生したのである。


戦争はホモサピエンスとしての人類の心の奥深くにセットされている、生命=知性的な原理の一つだということになる。

戦争、芸術、宗教の奥底には、それらすべてを発生させる共通の生命的原理が動いている。

もしも「人間性」という言葉を、他の生物種と違う「私たち人類の本質」を表現しているものとして理解するならば、戦争もそのような人間性の一つに考えなければならない。

それを認めた上でなければ、偽りのない平和学を構築することはできないと私は思う。

一万数千年前の、まだ旧石器を使っていた人類によって描かれた洞窟壁画に、すでに人間同士が戦争をする光景が現れている。

この壁画は旧石器時代ももうだいぶ後期の人々によって描かれたもので、二十万年も前から地球にいるホモサピエンスたちが、どのような戦争をしていたかはまだよくわかっていない。

しかしほかの生物とは明らかに違う人類の戦争が、宗教や芸術と同じように人類の心の特性を表わしているのだとすると、人類は洞窟壁画の時代よりもずっと以前から、戦争をしていたと思われる。

狩猟でも戦争でも普段は慎重に分離されている人間と動物、生と死、非連続なものと連続するものなどが、極端な近距離で接近し、ぶつかり合い、混ざり合う。

さっきまで生命に輝いていたものが数時間後には死者の仲間入りをしている。

人類は自分の心にセットされた、生命と知性のエロティシズムに突き動かされてこういう戦争を始めたのである。


         (引用ここまで)


            *****


この文章はちょっと悪文というか、よく分かりにいな、、と思うのですが、中沢氏は、

狩猟というのは人間と動物の間の戦争と言ってよく、

人類は、狩猟を始めたのと同じくらい古い時代から、狩猟を始めたのと同じ必然性をもって、人間同士の殺し合いをも始めたのだ、と言っているのだと思います。

そして戦争は人間にとって、芸術や宗教と同じ性質をもっている。

であるから、ヒューマニズムにより戦争に反対する平和運動は、人間の本性に合っていない。

ヒューマニズムでは人類の平和は築けないのだ、と言っているのだと思います。

人間には芸術や宗教を希求する本能があり、その同じ本能で、戦争を希求していると述べられているのだと思います。

そして、そのような事態であるということを踏まえた上で、新たな平和学を構築する必要がある、と述べられているのだと思います。


著者が言う、“水揚げされたイカ”が特攻隊の極限状態と同じだという比喩は、あまり鮮明な比喩には思えませんが、

>まさにその時、「生命そのものにセットされた奥深い知性の働き」が浮上してくるのだ。

>私たちの中にある「イカ的なもの」が目ざめ、生命と心を結ぶ無意識の回路が大きく開かれて、普段は見えにくくなっている>この世の本当の姿がまざまざと見えてくるようになる。


何万匹というイカの体が、この世のものならぬ光景を出現させているという状態なのだろうと思います。。



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地球を見る地球の目というパラドックスと人間・・中沢新一「イカの哲学」(1)

2012-04-18 | メディテーション
中沢新一氏の「イカの哲学」という本を読んでみました。

後書きによるとこの本は、「憲法9条を世界遺産に」の対談のあと、同書に理論的な補足を加えたいと思って書かれたということです。

「憲法9条を世界遺産に」では、生命の原理と国家の原理を一度にまとめて語ってしまったので、今度はそれらを分けて語りたいと考えたということです。

そこで、その視点に基づいて、本書を読んでみようと思いました。

生命と意識という興味深いテーマが扱われています。



*****


(引用ここから)


私たちはふだん、人間のつくる世間や社会のこと、人間である自分自身のことばかり考えながら生きていますが、東アフリカの牧畜民のような「存在論的世界」を生きている人たちにとって、この世界は人間だけで作られているのではありません。

この世界はお互いにめぐりあう人間やめぐりあわないけれどどっしりと一つの場所に存在している山や、お互いに呼び掛け合う動物や、人間や動物や植物の中に溶け込むことで大きなサイクルで世界を流動している鉱物など、世界をつくっているすべてのものの統一の中で生きています。

そこでは人間は自然と対立する存在ではなく、世界の一部として、自然と深く関わりながら生きています。

私たちの世界に科学があるように、「存在論的世界」を生きる人々の間には呪術があります。

呪術は、動物や植物や鉱物に人間の生命力が働きかけることによって、それらの自然物がかえって人間に協力して働く状態を産み出そうとしてきました。

そこでは動物も植物も鉱物でさえ、生命をもった存在として、人間と共にこの世界をかたち作っているのです。



             (引用ここまで)


                ・・・


この「存在論的世界」という言葉を使っている文章を、中沢氏は学生時代に、波多野一郎さんという人の文章を紹介している、ある文化人学者の書いた一文の中にみつけました。

下の文章が、それです。
  
                 ・・・

    
              (引用ここから) 



「このような「存在論的世界」ははたして、私たちにとって無縁なものであろうか。

それを概念的な哲学的論述よりも、むしろ生命的な共感の経験の体験について、問うてみたい気がする。

わたしは身近に亡き友波多野一郎の遺著を思い浮かべる。

特攻隊の生き残り、戦後アメリカに渡った著者は太平洋海岸でのイカ漁のアルバイト中に、特攻隊として出撃する直前の限界情況を回想しているうちに、目前にある個々の「イカの実存」を共感し、人間主義的なヒューマニズムの存在論的根拠を否定するに至る体験を記述している。」


 
              (引用ここまで)


                ・・・


中沢氏は、波多野氏のイカに関する一文を大変重視し、次のように述べています。

 
             ・・・



             (引用ここから)


いま現在語られている「平和論」に決定的に欠けている視点が、波多野氏の思索にははっきりと表現されていると考え得る。

波多野氏は単にヒューマニズムの立場から戦争に反対して平和を語っているのではなく、ヒューマニズムを超えた地点にまで出て行って、そこから実践的に平和の実現が起こり得る可能性を探ろうとしているのだ。



             (引用ここまで)
 

                ・・・


中沢氏は、波多野氏のイカの哲学を説明するべく、一冊の本を書き上げたのです。

中沢氏は続けて次のように述べます。

                 ・・・

   
              (引用ここから)


アメリカ文明はヒューマニズム(人間主義)を掲げています。

ヒューマニズムは地球上に生存しているあらゆる生命の中で、人間こそが特権的な存在だ、という考え方に根差しています。


この考え方に立つとき、それまでの人類にはよく見えていたはずの多くの真実が見えなくなってしまいます。

長いこと人類は自分たちが生物種の中でも特殊な存在であることに気づいていましたが、だからといって、他の生物たちを押しのけて特権を享受してもかまわないなどとは思いもよらない事でした。

ところが近代のヨーロッパを中心にして、ヒューマニズムの思想が広がっていくにつれて、人間は人間のことさえ大切に考えていればよいのだ、という考えが多くの人の心に植え付けられていき、

自然界にある物質資源も、そこに生きている生物たちも、人間が自分の都合で利用してかまわない対象物として扱われるようになってしまいました。


イカは信じられないほどに複雑な眼球をもっていて、そこから膨大な情報を採り入れている。

ところがその目に比して、脳の構造の方はあまりにも原始的でそれだけの情報量を処理できる能力はない。

イカという生物は自分のためにではなく、自分を包み込んでいる、自分よりも大きな存在のために、地球の観察を続けているバイオカメラなのだと考えたくなるほどである。

人類のような知的生物も含めて、この地球上にある生物はすべて地球が産み出した。

私たちの知性も、その意味では地球が産み出した果実である。

そう考えると、イカの生命活動も私たちがまだよく知らないネットワークによって、知性を産み出す能力をもった地球そのものの活動につながっているのかもしれない。

私たち一人一人の中に「イカ的なもの」が活動していることだけは確かである。

私たちの思考を観察してみると、言語の働きによって意識の表面に浮かび上がっているのは、知性活動のごく一部で、後のほとんどは無意識の中で作動している。

そしてその無意識の部分はさらに深い層で働いている生命活動に直結している。

人間の場合でもイカと同じように、目の奥の視神経で捉えられた莫大な情報量の多くが、脳の視覚イメージの処理センターに送られないまま、生体のどこかで上手に処理されているらしい。

私たちの生命と知性は、地球生命的なものに直接の繋がりを持っている。

「イカ的なもの」は個体ではなく、多数の個体を集めた群で思考し、活動している。

一匹一匹のイカの思考、イカの活動は個体性を超えた知性の働きによっている。

つまりイカの中では、 脳を超えた知性が働いて、その知性は地球的な規模の自然のネットワークにつながっているために、めったなことでは間違いをしでかさないのだ。

私たちの中にもそういう「イカ的なもの」が働いていると考えると、自然界における人間の孤独感は幾分癒されるのではないだろうか。

このうちで特に知性として働いている「イカ的なもの」は、これまでごく大雑把に「無意識」と表現されてきた。

しかしこの無意識がどのような仕組みで脳を超えた思考をおこなっているのか、詳しいことはほとんど分かっていない。

それでも無意識というものが、言語を使ってものを考える知性と違って、柔らかい流動体のように動き、変化しながら、柔軟な思考を行っていることは間違いない。

実に私たちの無意識は、イカのような体つきをして、イカのような柔軟さで、泳ぐように思考している。

そこで私たちの生命と知性の中で活動し続けているこのやわらかい流動的なものを、地球生命につながりを保ち続けている「イカ的なもの」と呼ぶことにしようと思うのである。

特攻隊を志願した彼の思考を突き動かしていたのは、近代的なヒューマニズムからは否定された日本人の内なる「イカ的なもの」による思考に他ならない。

しかし、国家の意志に組み込まれ、組織されてしまった若者達の内なる「イカ的なもの」は生命としての結実を実現できない運命にあるのではないだろうか。

戦争に否定するべきものがあるとすれば、それは戦争が若者に生物としての「イカ的なもの 」の実現を阻んでいるからである。


               (引用ここまで)


                 *****


「目前にある個々の『イカの実存』」というもので中沢氏が語ろうと努力しているのは、無意識的なもの(意識ではとらえられないもの)という言葉であらわされるものの実在であろうと思います。

人間の意識は地球という生命体の一部であるのであろうと思います。

その地球の手ごたえは、人間から見ると、無意識(意識ではとらえられないもの)という領域であろうということだと思います。

しかし、無意識と意識は別のものではなく、人間は無意識の領域でも絶え間なく活動を続けている。

その二つの実体の合わさった活動を、中沢氏はぬるぬるとうごめく「イカの実存」という生命体と意識の混合体に、また「イカの眼球」という、「見る」ということの不思議(意識が意識でないものを知覚するという不思議)として、捉えているのだと思います。



「イカの実存」なるものは、実はそれが人間の実体(実存)でもあり、人間では、無意識と呼ばれているものと意識と呼ばれているものの合わさった地平にそれはあり、そこに、地球は実在しているのだと思われます。



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この世とあの世の交流会・・「アイヌ・神々と共に生きる人々」(3・終)

2012-04-14 | アイヌ
藤村久和氏がアイヌの方がたから教わったという、アイヌの方がたの世界をご紹介させていただいています。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

死者の霊魂はどこへ行くのか?、あの世とはどんな所なのか?、アイヌにとっての祭りとはどのようなことなのか?、たいへん興味深い話だと思います。

熊送りの習俗についても、広く北方に広がる習俗であるということで、調べてみたいと思っています。


   
               *****


          (引用ここから)




お迎えに行って親子クマに出会ったなら、親熊は捕獲してその霊を送る。

しかしその子どもについては、神様から飼育を任されたものと考えている。

神様の子どもを預かってくる。

そして預かって来た子どもを育てる。

神様の子どもを育てるのを任されるのだから、これは責任重大である。


こうして大切に育てられた飼いクマは、時期が来るとその霊を送るためにこの世でムクロにしてしまう。

矢が心臓に当たると、眠るように倒れるという。

鹿の神様ならば、人間の矢を胸に受けて倒れる様は、「みずから寝床を作って、その上にそっとからだを横たえる」、という表現をする。

物語の中ではそういう雅な言い方をする。


死んだ人や物の霊は、いずれあの世に行くのだが、あの世への行き方、あの世へ行くまでに通るルートというのはそれぞれ違う。

送られた霊はそこからまっすぐに上空を昇り詰めて行くのはなく、必ずある決められた道筋を通って、あの世へ昇天する準備場所のような所へ一旦落ち着く。

そこから今度は本当にあの世へと旅立つのである。


人間や陸の獣、植物、器物などの霊があの世に向かう場合は、里に近いどこかの洞窟があの世への入り口になるのだという。

あの世の生活とはいったいどの様なものかということは、伝承されているお爺さん方、おばあさん方の話によると、あの世の準備場所までは死にかけたり、生死の境をさ迷った人は行くことが出来るという。

それによるとなぜか共通して、目の前に道があり、そこを歩いて行くとあの世の入り口である洞窟がある。

洞窟へ入っていくと今度は長いトンネルである。

なおも進んで行くと急に道が狭くなり、高さも低くなり、その非常に狭苦しい所をやっと出ていくと、やがて向こうにポツンと明かりが見えて、先を急ぐとようやくそのトンネルが終わり、新しい世界が目の前に広がる。


右手は海岸、左手は山である。

道はさらに曲がりくねってうねうねと続き、どんどん行くと一本の小川があり、橋がかかっている。

その橋を過ぎると、行く手にポツポツと家が見え、煙が出ている。

火を焚いているということは、家々に人がいるという証拠である。


そこはまるでどこもかも村の様で、この世と違う情景はまるでないという。

ここがあの世へ旅立つ準備場所なのである。


そこでは自分の正体を見ることが出来るのは犬だけである。

犬だけが自分に吠えかかる。

そうするとそこで暮らしている人達は、何かおかしなものが来たというわけで、自分に灰などいろいろなものを投げつける。

それが体中にべたべたと付いて取れない。

いくら手で払っても離れない。

生死をさ迷った人の話だと、これらのものはそこから戻って来る時、先ほどのトンネルの一番狭い所、ようやく体が通れる所を通る時に全部体から落ちてしまうという。


この世の犬も、人間には見えない魔物が来るとわんわんと吠える。

すると人々はそこへ向かって灰を投げたりするのだが、その時に付いた灰も、魔物が逆にこの世からあの世へ戻る時には、同様に取れてしまうということになるのだろう。


すべての霊はあの世へ行く前に必ずそこへ行く。

川へ登る魚の場合も、やはりそこへ通じている川があって、その川を遡上していく。


魚の群が沿岸に寄って来るというのは、人間に出会うために来るのだが、

もう一つはあの世へ行くためにやって来るのである。

海を回遊する魚や深海魚、海獣の霊は、海の中のどこかに穴があり、そこを通って行くと、あの世の準備場所とも言うべき所へ行くことができるという。

また鳥類の霊は、送られた場所から飛び立ってそこへ行く。

このようにすべての霊は、そこからあの世へと昇天するのである。


こうして霊は最終目的地であるあの世へ着く。

本当のあの世は、人間の霊は何度も往復しているのだが、生身の人間でそれを見て戻って来たという人はいない。

しかしあの世については古くから多くの伝承があり、あの世の世界の外殻を映し出すことが出来る。



準備場所から昇天する時、霊はそこにある一番高い山の頂上まで行き、さらに上へ飛び上がる。

そこにはこの世と同じような山々があり、海があって、人々も神々もそこで暮らしている。

この世に人の里と神の里があるように、あの世にも人の里と神の里があるのである。

あの世もまた、この世と同じような生活環境の場である。

しかし天空を境にしてこの世とあの世が位置しているため、反対になっている部分がある。


まず季節が逆である。

だからこちらが冬であれば、むこうは夏になる。

かつては夏場に亡くなった人にはあの世は冬なんだからというので、皮衣を着せ、冬の用意をさせて埋葬したという話もある。


それから昼と夜が逆である。

こちらが昼の時は向こうは夜である。

だから神がみへ祈る時には午後からするもので、午前中やってはいけないという。

午前十時に祈りを始めるとあの世は夜の十時。

神様もそろそろお休みになる時間である。

夜の六時だと向こうは朝だから、起きてすっきりさわやか神様にお頼みすることが出来る。

だから神々への祈りは午後からすることになっている。


あの世もこの世と同じように生活しやすい所とそうでない所が当然ある。

人の里でも神の里でもそれは同じである。

この世であまり良くない行動をした人というのはあの世であまり環境の良い所には住めない。

それに見合ったような生活をしなければならない地域に追いやられてしまう。


しかもそういう人はなかなかこの世へ帰って来ることができない。

またこの世でかなり悪いことをしでかした人間の霊は砂漠や氷河のような所での生活を強いら
れ、しかも無期懲役というか、この世へ帰ってくる見込みはほとんどなくなる。


その逆にこの世で良い行いをし、徳もあり、人々の人望も厚かった人間の霊は、あの世のとても住みやすい所で暮らし、祖先神から声がかかり、比較的早くこの世へ戻って来ることが出来る。

このことは神様の場合も同じで、人に危害を加えた熊の神様の霊はあの世で長く暮さねばならず、なかなかこの世へ戻って来ることができないという。

こう言うとあの世というのは長居は無用の所だと考えられがちだが、決してそんなことはない。

ただ、アイヌの人たちはこの世の良さ、この世の楽しさを強調する。



アイヌの人たちが想像した宇宙観・世界観は、この世とあの世から成り立っている。

天災も動物も亡くなった人も、すべてこの世とあの世との関係、そして人と神との関係、あるいは人と器物との関係で説明することが出来る。

そしてこの世でもあの世でも、すなわち宇宙に存在するすべての現象の中で人間が関わることの出来ない、どうなろうと手をこまねいて見ている他に方法が無いというものは一つとしてない。

自然災害であれ、流行病であれ、飢饉であれ、どんな事態が人間の前に繰り広げられようとも、人間はそのことについて祖先に祈り、神と話し合うことで、あらゆる状況に対して主体的な関わりを持つことが出来るのである。


すべてのものは「神様」と「人間」と「そうでないもの」との3グループに分かれる。

そして3つのグループには能力的な上下関係があり、それぞれ他のグループに対して優劣関係、能力の強弱がある。

この三者の霊魂が、「この世」と「あの世」の二つの世界に存在するのである。


そして三者が協力共存してこそ宇宙の平和、世界の安穏がはかれるのだと考えた。

三者は他のグループに対して、持っている能力を充分に発揮して応援し、自分達に与えられた援助や力には誠意をもって感謝しなければならない、という礼儀を人々は発想するかたわら、

表面的で形だけの応援や感謝に対してはそれ相当の仕打ちをすることもできるように配慮した。

従って「神のグループ」と「物のグループ」との間に挟まれた人間というのは、扇の要のようなものだ、と自らの役割を自覚する人々は、他の2グループから常に厳しい視線を浴びているかのように、多種多様な祭りを行ってきた。


器物の霊送り、飼い熊の霊送り、収穫を祝う感謝祭、祖先供養、春と秋の大祭、これらすべての祭りとは結局のところ鎮魂のためのものであり、そのために人々は時には厳かに、時には歌い舞い狂うように、たくさんの祭りを企画し、演出し、実施して来た。

言うならば盛大な祭りはこの世のだけでない、あの世をも含めた全宇宙の大祭だと言える。

「まだ若いから」、「もう年寄りだから」などと言わず、アイヌの人たちはいつも前向きに、“より人間らしい人間”を目標に真剣に生きてきた。

人の一生とはそのためにあると考え続けてきたのである。


           (引用ここまで)


            *****

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腹八分目の思想・・藤村久和「アイヌ・神々と生きる人々」(2)

2012-04-11 | アイヌ
藤村久和氏の「アイヌ・神々と生きる人々」という本を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。 


           *****


           (引用ここから)


この世のなかには、神がいて人間がいて、それから人間よりも劣るものがいるのだが、とにかくこの世は神と人間が結託したらもうこれで怖いものはない。

この世に存在する三分の二が人間と神なのだから、残りの三分の一がいかに抵抗しようともそれは無駄なことである。


しかしもし人間と第3のグループが結託したら、神は浮き上がってしまう。

また神が人間よりも力の劣るものと結託したら人間が浮き上がってしまう。


だから一番肝心なのは神と人間が仲良くなる、非常に深い付き合いをすることである。


このことをアイヌ語では次の様に言う。

「カムイーオカイークスーアイヌーネヤッカーオカイーエアシカイ。

アイヌーオカイークスーカムイーネヤッカーオカイーエアシカイールウエネ。」

(神がーいらっしゃるーからー人間もー(無事に暮らして)いることがーできる。

人間がー大勢いるからー神様もー(役目を推進するために)おわすことがーできるのーですよ。)


アイヌの人たちは、腹八分目の考え方をする。

地位とか名誉、名声というのは、自分が自己主張したからといって得られるものではない。

それは多くの人に支えられて初めて現れるのである。

アイヌの人たちは自分から地位などを求めて恥も外聞もかなぐり捨ててそれに猛進することはしない。

根本のところでは神も人間も一つの大きな輪の中にいるということで、それがこの世の中であり、その中で暮らしていると考えるのである。

自分の仕事がうまくいく、人との付き合いで共同で何かを作る、あるいはものごとを進めることができたとしたならば、それはそうした長所を持っている神が自分に味方をし、自分により働きやすいような状況なり場なり、雰囲気なりをもたらしてくれたからだと考える。

ああ、俺は仕事を一つやった、というのは、実は自分自身の力ではなくて、その憑き神の力で出来たのだと考え、謝辞なども「自分の憑き神とともに私は感謝いたします」、という言い方をする。

「クーコルートゥレンーカムイーコーオンカミーカムイーヤイタイケークーキーシリーネナ」

(私のー憑き神とー共にー神にー礼拝をー、神にー感謝をー私がーするー有様―ですよ。)


アイヌの人たちは、一歩控えめな見方をする。

ある意味では自分を非常に冷静に見つめている。

先に述べた「腹八分目」の考えである。


動物を殺していると一般に受け取られているアイヌの「霊送り」は、実は殺しているのではなく、この世の仮の装いである肉体と霊とを切り離し、その霊をあの世へ送ることなのである。

そして人々が熊を獲る度に、丁重にその霊を送ることで、熊の神様の霊は、熊の装いでいつでも喜んで人々の前に現れる。


神様の霊は、肉体をこの世に残していく。

当然のことながら、それは人間が食料としていただく。

熊の肉体は、熊の神様の霊が持ってきたお土産なのである。

それに対してこちらもお土産をもらったからお礼をする。

供物を奉納する。

すると、それを持って熊の神様の霊はあの世でまた他の神様に伝える。

今度は別の霊が、喜んでやって来る。

だからこそ、人々はわざわざ「霊送り」をするのである。

そしてそういう循環があると考えるからこそ、人々は「霊送り」を続けるのである。


熊などの動物に限らず、人々は自分達と関わり、役に立ったすべてのものの霊を送る。

たとえば舟やお椀はぼろぼろになって使えなくなると、送る。

どんな小さなものであれ、アイヌの人たちは自分達に役だってきたものには、感謝の言葉を捧げて送る。

古くなったから送るというものには、古いといっても霊がまだその中にあるので、小刀で傷を付けるなどして使用できないものにする。

そうすると霊はその物から離れてあの世へ行けるのだという。

葬儀の際にはお墓に入れるござに傷をつけるのはこの考えからである。

「長い間ご苦労様でした。ゆっくり休んでください。」

と感謝の言葉を述べたあと、家の外にある「ヌサ」と呼ばれる所にそれらを持っていく。

「ヌサ」というのは、送られる霊があの世へと旅立つ場所であり、それぞれの家が一つづつ持っている。

そこはその家がこれまでに送ったクマやキツネなどの頭骨がきちんと飾られている、神聖な場所である。

その「ヌサ」へ、送る器物を持っていって、「ヌサ」を守る女神に後のことをお願いし、お任せする。

年月がたつと、それらがだんだんとたまってきて、結構場所もとるので、今度は村共同の霊送りの場で、「チバ」と呼ばれる所へ持っていく。

あるいは臼などは、巨木を用いて作ったものだから、山の大きな樹木の側に置いて、あとのことはその樹木の神様にお願いする。



動物の霊を送るのには、山で捕ったものを送るのと、山で幼い獣を生け捕りにしてそれを村へ持ち帰って育て、大きくなってからその霊を送るという二種類がある。

「熊送り」と言われているもの、正しくは「熊の霊送り」は後者の方である。

どちらにせよ、霊を送るには、山で動物と出会うことが先決である。

動物と出会うのには、山へ行ったからといってすぐ出会えるものではない。

その人間がそれなりの徳を積んでいて、「この人は霊を粗末にしない人間だ」と認められる時に、神様(動物)の方からその人の方へと向かうのだという。

だから山猟をして、必ずしもみんなが猟があるとは限らない。

おなじ山へ行っても動物に遭遇する人とそうでない人がいる。

遭遇する人というのは、それなりの徳を積み、神様に選ばれた人なのである。

神様も色々な人間を見ながら、「この人間はよさそうだ」という方へ近づいてくるという。


人間の方も「熊猟に行く」、「鹿猟に行く」とは言わない。

「お迎えに行く」、「お出迎えに行く」と言うのである。


人の里というのは、家が建っているところの周辺と、もう少し離れた人の行かないような部分を含む。

小動物が捕れるような所、あるいは大きな動物もそこへ来るかもしれないというような場所というのは人里に含むのである。

それに対して神の住居地域があって、そこはその神々(動物)が行動する範囲なのだが、それが神の里なのである。

そして人の里と神の里の接点がある。

そしてそれから先へは、神様をお迎えに行くのである。


沿岸の方に船を出すのは、これは人の里である。

ところが「沖の方へ行く」というのは、「沖の神様を迎えに行く」のである。

「沖漁をしにいく」、「カジキマグロを捕りに行く」、「俺たちの腹を満たすために獲物を捕って来る」というような考え方ではない。

「もうそろそろ神様がお出ましになるのだから、我々がお迎えに行くのだ」という考え方である。


        (引用ここまで・続く)


          *****




ああ、そうだ、人は本来、このようであったはずだ、という思いでいっぱいになります。

人が生きるということは、このように世界との調和に満ち、優雅に、気高く、優しく、美しいものであったのだという思いに満たされます。


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アイヌの作法・・藤村久和「アイヌ・神々と生きる人々」(1)

2012-04-07 | アイヌ
藤村久和著「アイヌ、神々と生きる人々」を読んでみました。

ゆっくり読みたい良い本でした。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

本を手に取りますと、まずカバーに梅原猛氏の推薦文が書いてありました。



     *****

    (引用ここから)


人の一生を変えてしまうような出会いは、そう人生に何度もないが、わたしは藤村久和氏とそのような出会いを数年前にもった。

わたしは、日本の基層文化をとく鍵がアイヌ文化にあると漠然と考えていたが、藤村氏との出逢いによってそれはまちがいないと確信し、今その仮説を追求中である。

わたしの日本文化論は藤村氏との出逢いによって、新しい展開を得たのである。

藤村氏はいわば私の学問的恩人の一人なのである。


藤村氏は、まだ若い前途洋々たるアイヌ研究者であるが、彼の研究方法は大変変わっている。

アイヌ語をしゃべり、アイヌの伝承をよく知っているアイヌのじいちゃん、ばあちゃんを見つけると、彼はそこへ通いつめ、便所掃除までして、そのじいちゃんばあちゃんと親しくなり、その結果、じいちゃんばあちゃんは藤村氏を信用して、それまでだれにも語らなかったアイヌの伝承を語るのである。

そして彼はそれを一生懸命に学び、ついにその古老のように、アイヌ語でユーカラを歌い、アイヌのカムイノミの儀式を自ら行うことが出来るようになるのである。

それは従来の同情と侮蔑の混ざった目でアイヌを見、一段高い所からアイヌを研究する学者たちとは全く違った研究の仕方である。


今まで、アイヌは日本人と全く異なった人種であり、その結果言語も文化も宗教も全く異なった民族であると考えられてきた。

しかしこれはまったく大和民族の傲慢さが産み出した考え方であることが次第に分かって来た。


アイヌは土着の日本人であり、アイヌ文化は、日本の土着文化がもっともはっきり残存したものとして、日本文化と深い関わりを持っている。

自然人類学においては、この考え方は明らかにされてきた。

言語学や民俗学の研究は、まだそこまで行っていないが、わたしは21世紀までにはっきり実証されると思う。


この藤村氏が、長い間のアイヌの人たちとの尊敬と愛情に満ちた交わりを通じて知り得た、アイヌの宗教や世界観は、日本文化の根底をなしている宗教や世界観であり、

それを読むひとは自らの魂と思想の根底を見る思いがするにちがいない。


アイヌ文化研究は、日本文化研究のもっとも重大な要点であり、すべての日本人に関わりを持っているのである。

どちらかといえばものを書くことを億劫にしていた藤村氏が、多年の研究の結果を一冊の本にしたことは、まことに喜ばしい。


        (カバー推薦文・ここまで)


       *****


それでは、藤村氏の世界を少し拝見してみたいと思います。


        *****


     (引用ここから)


人間というのはどうあるのが本当なのだろうか?

これはアイヌの人たちの考え方を知る上で重要なテーマである。


(今の)人間はそれぞれ自らの欲求のもとに自分の好きなことをしているが、それは本来あるべき姿とは違うのではないか?


人間には人間としての役割がある。

すなわち神様やあるいはその人よりもっと能力の低い人たち(=道具類のこと)、あるいは人でも神でもないものとの関わり合いの中で、人間としてそれなりの役割を果たす必要がある。

人にはそれぞれ一人一人いろいろな生き方があるだろうが、まずそういう人間としての役割をこの世の中で全うすべきではないだろうかーーーとアイヌの人たちは考える。


「アイヌ」という言葉の対になっている言葉として「カムイ」がある。


「神のグループ」があり、「人間のグループ」がある。

そしてもう一つのグループがあると彼らは考えている。


それは神とも人間ともつかないものである。

では化け物かと思われるかもしれないが、そうではなく、「人間の能力よりも劣るもの」がそれにあたる。


石、河川、丘、あるいは沼、海、山などの自然は神の造ったものだと考えられる。

これらの神様の造ったものは「神のグループ」に含まれる。


一方人間よりも力が弱い劣るものというのは、主に人間が木や金属や石、動物の皮などをそれなりに加工して作った品物、日用品である。

これが「第3のグループ」になる。

つまり人間以上にすごい力をもっている神と、人間の仲間と、人間の能力にも及ばないもの(=日用品)、この三者が世の中で互いに育みあっている。

この三者で世の中は一体化していると考えている。


そういう考え方をすると、人間というものは神と関わりを持ち、人間の力に及ばないものとも関係を持たなければならない。


茶碗であれ、テーブルクロスであれ、それなりに人間の暮らしに役立っている。

そういうものに対しては壊れたから捨てるという考え方ではいけないことになる。

不要になったから捨てようというのではなく、今まで自分達の生活に大いに役立っていたものだ。

そこで最後ではあるけれども、たった一言でも感謝の言葉を述べる。

あるいは常日頃からそういった気持を自分の心に持ち合わせていることが大変大事なことである。

神というのは人間より能力が強いから強者である。

人間を真中にすると「第3のグループ」というのは弱者である。

人間というのは、強者や弱者と互角に付き合い、対等な付き合いをして、時には強い者に文句を言い、弱者を救う、一つの正義の味方のようなものとして、人間というものがある。

しかし単純に「俺は偉いんだ」という思い上がった考え方はすべきではない。

なぜなら神が見守っていてくれて、そしてその人の周りに色々なものがあるために、その人が豊かになるからである。

だから人間は勝手に生まれて、勝手に生きて、勝手にすきなことをやっていればよいというものではないんだよーーーということを、アイヌのおばあさん方はよく言うのである。



アイヌの人たちが人と神をどこで分けているのかというと、この定義付けは大変難しい。

分かりやすく言うと、人間が素手で立ち向かえない相手、それが神であると言っていいと思われる。

たとえば燃え盛る火は人間の素手で消すことは出来ない。

あるいは落雷も両手で支えることは出来ない。

したがってそういう自然現象などは神様になる。

風、雨、雪、こういう類はすべて神様と考えられている。

死んだ人も神の範疇に入る。

また浮遊している魂も神様のグループに入っている。

これは人間は魂をつかみこともできないし、死者を蘇生させることも出来ないからである。


動物も神と認められる。

植物の中でも毒をもっているものは神である。

巨木も神という称号を与えられている。

家も神様で女性だと考えられている。

私たちが家の中にいるというのは、家の神様の絹衣の裾に私たちが覆われていることになる。


神様というのは、自分達の生活にとってそれがなければ生活しにくいもの、人の生活に深く入り込んでいて切り離せないものが神様のグループに入るのである。

人間にはそれぞれ個性、能力があるのだから、わけへだてすることは不必要である。

むしろ仲間意識というか、手をつなぐことに大きな意味合いがある。

それと同じことを神様もやっている。

だから神様には上下ランクはない。

人間の方にも上下ランクはない。

そして仲良くすること、手をつなぐこと、それぞれの能力を発揮するような場所を作ること、それがこの世の人間社会でも、神の世界でも必要なのだということである。




神には人を守らなければならないという義務がある。

守った義務に対して、当然というわけではないが、お礼を受ける権利がある。

人間の方は神様に守ってもらう権利がある。

それと同時に神様にお礼をしなければならないという義務が生じる。


神と人間とはそういう関係にあるのだが、

人間が神との関係をきちんと保ち祀ってあげているのに、神様がなんら返礼してくれない、見守ってくれないという場合には、人間から報復措置をすることもできる。

その神様の悪口雑言などを言って、告訴するのである。

その時は火の神様を通じて、神の裁判所とでも言うべき所=神の国に告訴をし、その裁きは神にお任せする。

神同志の裁判の結果は、一般的には夢に現れ、夢の中で神様の方が謝るという形をとる。

また急に獲物が自分達の所に転がり込む、思わぬ幸いが転がり込む。

これは悪かったということの代償として、神からもたらされたものだというふうに考える。

悪い病が流行る時、村の上手と下手、入口と出口の所に大きな「ヌサ」という御幣をたてて、病気の神様の休息所を設ける。

その休息所である「ヌサ」を統治する神様は女性である。

病気の神様というのは、年中旅行しているのだが、いつも食べ物を持っていないそうである。

そこで村としては村中から穀類、お酒、干魚などを寄せ集めて対応の準備をするのである。

「この村は貧しくて病気の神さまとして充分な働きは何もできません。海の彼方にあるという国にはとても食べ物が豊かであると聞いています。またそこには悪い心の持ち主もいるそうです。ですからそちらへお行き下さい。」

村人はこのように病気の神様に伝えてくれるよう、休息所である「ヌサ」の女神にお願いする。

あとの接待はその女神に一任するのである。


その後、村に何も起こらなければいいのだが、そこで村人が一人死んだということが起こると今度は大変である。

「あなたをこの世の中の一番の能力者と信じて、そして私どもはあなたにすがることしか出来ないのに、あなたは私たちの村人の命をとうとう取られるようなことをしてしまった。

あなたの力を過信したわれわれもいけないかもしれないが、依頼を受けたあなたがそういうことをやってくれなかったこともいけない事だ。

とにかくあなたについては、わたしどもはもう信用できない。

これから以降、我々はあなたについては祀ることも出来ないし、このあなたのなされようをこの世の果てまでも我々は語り伝えるだろう。

あなたと私どもとどちらが正しいか、どちらが理にかなっているか、自分の職務を遂行しなかったのはどちらか、我々は火の神をつうじてあらゆる神々に訴える。

そしてあなたの地位や名誉をぜんぶはく奪しましょう。

それくらいやっても我々は飽き足りない。」

と言って、休憩所で病気の神を接待した「ヌサ」の女神にさんざんの文句を言う。

そして、こう続ける。

「とは言っても、あなたは一生懸命ちゃんと見守ってきてくれたにも関わらず、そのあなたの眼のすきまを狙い、良からぬ神がこういう不詳事を招いたに違いない。

だから本当に悪い奴はそいつなのだ。

一つあなたはそいつを探し、神がみの間でそいつをさんざんやっつけて、二度と悪いことをしないように神の前で目を見据えて懲らしめてください。

その神が何の神かということは私どもには分からないし、神のやることは神にお任せする。

必ずやあなた方は私たちの意を汲んで、私たちの期待するようなことをやってくれるでありましょう。

我々はただそれをひたすら願うものである。

あなたがそれをやってくれるとしたら、あなたのすばらしい能力を今度は我々は末代までも語り伝えるでありましょう。」

と今度は褒めるのです。


       (引用ここまで・つづく)


            *****


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ヤマト民族はどこから来た渡り者だ?・・結城庄司・アイヌ宣言(4・終)

2012-04-05 | アイヌ
1980年に書かれた結城庄司氏の「アイヌ宣言」のご紹介を続けます。

力強く、説得力がある、魅力的な言葉だと思います。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


           *****


          (引用ここから)




アイヌ民族の独立の願望を捨てたウタリ(同胞)は、同化政策のウイルスに侵されているのである。

アイヌ民族がヤマト民族に同化するということは、アイヌ民族の祖先を捨てることである。


現在でもウタリは“内なるアイヌモシリ(大地)”をもって生活しているのである。

我々の祖先がヤマト民族のシャモに奪われた莫大な大地とその自然資源は誰のものでもない、

我々民族の共同体のものである。

コシャマイン戦争、シャクシャイン戦争、クナシリ戦争は多くのウタリにとって、アイヌモシリに侵略するヤマト民族との大きな戦いであった。

この歴史的な戦争は我々民族の誇りである。

そして多くのウタリと共にコシャマイン、シャクシャインの血の流れを受け継いでいた祖先は、アイヌモシリを守り切れなかった。


アイヌとシャモは仲良く暮らす。

これはシャモ、アイヌばかりでなく、世界の人類民族はそうでなければならない。

だが残念なことに日本列島は人種的な偏見や民族差別があまりにも多く、日常的に精神的な抑圧を植えつけている。

我々の祖先からの教えは、隣人を差別することをきつく戒めてきたのである。


人類は民族として平等でなければならない。

もちろん、そうであるための人間社会を創造するのに努力しているのであって、われわれ祖先のアイヌ社会の歴史はそうであった。

この社会を破壊したのが侵略者ヤマトのシャモたちだったことを忘れてはならない。


共同体の人間社会の思想はアイヌ民族のほんらいの姿である。

自然を共有することも、大ロマンをうたっているユーカラにもその精神文化として語り伝えているではないか。


さらには自然を共有することは人間社会の事だけであってはならない。

動物、植物と、あらゆる生物の共存を含めての精神がなくてはならない。


“いまさらアイヌもシャモもないではないか”、という言葉の裏を考えれば、「アイヌ人も日本人」と言っているのと同じであるが、

この言葉の意味の中には、アイヌ民族としての主体性、ウタリの主張を認めようとしない、意地の悪い思想が隠されている。

一見平等で差別の無いような印象は受けるが、われわれは常にこの手段で騙され続けてきたことを思いだせば、考え着くところがある。


第二次世界大戦が敗戦するまでは、「皇民化教育」が施されていた。

小中学校の教科書に「ヤマトタケルノミコトは東に“蝦夷(エゾ)”を討ち、、」と「蝦夷征伐」の話を日本国家が子ども達に教育として教えていたのである。

“蝦夷”はつまりアイヌ民族のことであるから、アイヌ征伐を学校で教えていたことになる。

「アイヌ人も日本人」とシャモが言うとすれば、アイヌ民族の歴史などを尊重する態度ではなく、むしろ日本人の論理でシャモの側に吸収合併してしまい、

アイヌ民族が元来要求することの出来る権利を捨てなさい、あるは放棄しなさいと言うのと同じである。


日本人「ヤマト民族」そのものは、純血の民族ではない。

日本人の血液から、日本原住民のアイヌの血と朝鮮人の血と中国人の血を抜いたらどのような血液が残るというのか?


天皇一族なんかは日本の原住民ではないことは明らかであるのに、いつの間にか日本人の元祖であるかのようにでっちあげて歴史を歪曲して来たのである。

アイヌは日本原住民としての純粋な文化圏を有していて、広範な地域に散在していた人間集団であったと見るべきであろう。

生産手段は農耕を主体とするものではなくして、狩猟漁や採集が主な生産手段であったので、このような生産区分の仕方をすると、ヤマトは農耕民族、アイヌは狩猟民族と分けることが出来よう。

それぞれに独立した文化圏であったと思うのである。

農耕民族も自然相手の生産であったろうが、宗教の面で特に異なるようである。


狩猟民族であるアイヌの場合は大自然全部が拝む神がみであり、多神教の宗教である。

人間以外は動物も植物ももちろんのこと、宇宙の太陽、月、星、雷、あらゆるものがカムイである。

人間と生物が一体となった自然神教であるとも言える。

日本原住民のアイヌにしてみれば、天皇の祖先はどこから来た渡り者か知らぬが、日本列島における万世一系という天皇の思想は本物ではないことは明確であるだろう。

ヤマト朝廷は、朝鮮を奴隷国としながらも、その国の文化の恩恵に与っている。

一方では朝鮮民族を農耕奴隷として買い入れたり、朝鮮国をたびたび支配して来たのであった。

またその一方では東国に向かって「蝦夷征伐」と称して侵略戦争を仕掛けてきたのであった。

その度に日本原住民を農耕奴隷としてきた。

このようにしてヤマト朝廷は建国され、天皇一族は日本を支配して来たのである。


          (引用ここまで・終)


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