前に新聞を見ていたら、こんな記事を発見しました。
江戸時代のUFOの記事です。
朝日新聞6月8日の別刷りにありました。
*****
(引用ここから)
(略)
江戸時代の日本にも、空飛ぶ円盤としか見えないような不思議な絵が残されています。
この絵は文政8(1825)年に書かれた「兎園(とえん)小説」という随筆のなかに「うつろ舟の蛮女」という名で出てきます。
「享和3(1803)年、常陸国(茨城)の“はらやどり”という浜の沖合に、長さ5.5メートルほどのお香の入れ物のような形をした舟が現れ、中には箱をしっかり抱えた異様な服装の女性が乗っていた。
舟内には、外国の文字のようなものも書かれていた。」
とあります。
この奇妙な絵は、民俗学の分野ではそれなりに知られ、柳田国男がその正体を、ひょうたんではないかとする論文を書いたり、作家の渋沢龍彦がうつろ舟を主題にした小説を書いたりもしています。
現代でも、この絵の謎ときに挑む科学者がいます。
岐阜大学工学部の田中嘉津夫教授は、うつろ舟の情報があると日本中どこでも出かけていき、当時の地名が載っている伊能忠敬の原図まで調べ上げましたが、この舟が流れ着いたはずの“はらやどり”という浜は、茨城県のどこにもありませんでした。
また以前の文献にすでにそっくりの話が出てくることも発見しました。
つまり「兎園小説」の「うつろ舟伝説」はでっち上げの可能性が高いことが判明したのです。
田中教授は「南総里見八犬伝」などで知られる滝沢馬琴があやしいと睨んでいます。
というのは、「兎園小説」の作者が馬琴だからです。
今年、茨城県で新たなうつろ舟の絵がみつかりました。
絵に描かれている女性を調べたら、地元に伝わる「金色姫」という、養蚕に関する伝説に出てくる女神像と酷似していることが分かりました。
「金色姫」には、繭の形をした舟で海に流された、という伝説があり、「兎園小説」の出版後ですが、馬琴が「金色姫」の錦絵の刷りものを作っていたということも分かりました。
田中教授は「金色姫伝説から養蚕関連の話を取り去って、うつろ舟伝説がつくられたのではないか?」と推理しています。
どうも宇宙人の乗り物ではなさそうですが、なにをヒントにこんな奇妙な乗り物を考えついたのか。
江戸の空飛ぶ円盤の謎はいまだ完全には解かれていません。
(引用ここまで)
*****
記事の文意としては、UFOではないように書かれていますが、、当時の絵を見ると、どう見てもUFOに見えます。
舟に書かれていた文字というのも、神代文字かもしれないし。。
金色姫という養蚕の神様の名前も、とてもかわいらしいと思いました。
養蚕と言えば“おしらさま”しか知らなかったので、金色の小さなお姫様のことももっと知りたくなりました。
それにしても、この絵の女性は、“小さなお姫様”というような雰囲気でもありませんが。。
wikipedia「虚ろ舟」より
虚舟(うつろぶね)とは茨城県大洗町(北茨城市とも語られる)沖の太平洋に突如現れたとされる、江戸時代における伝説の舟である。
『兎園小説』(1825年刊行・江戸の文人や好事家の集まり「兎園会」「耽奇会」で語られた奇談・怪談を、会員の一人曲亭馬琴がまとめたもの)に『虚舟の蛮女』との題で図版とともに収録され今に知られているほか、兎園会会員だった国学者・屋代弘賢の『弘賢随筆』にも図版がある。
その虚舟は海から流れて漂着したが人々に恐れられ、再び海に流されてしまったという。
空飛ぶ円盤の江戸時代的表現ではないかとされているが不明。
虚舟の様子
•虚舟は鉄でできており、窓があり(ガラスが張られている?)丸い形をしている。
•虚舟には文字のようなものがかかれている。
•中には異国の女性が乗っており、箱をもっている。
江戸時代のUFOの記事です。
朝日新聞6月8日の別刷りにありました。
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(引用ここから)
(略)
江戸時代の日本にも、空飛ぶ円盤としか見えないような不思議な絵が残されています。
この絵は文政8(1825)年に書かれた「兎園(とえん)小説」という随筆のなかに「うつろ舟の蛮女」という名で出てきます。
「享和3(1803)年、常陸国(茨城)の“はらやどり”という浜の沖合に、長さ5.5メートルほどのお香の入れ物のような形をした舟が現れ、中には箱をしっかり抱えた異様な服装の女性が乗っていた。
舟内には、外国の文字のようなものも書かれていた。」
とあります。
この奇妙な絵は、民俗学の分野ではそれなりに知られ、柳田国男がその正体を、ひょうたんではないかとする論文を書いたり、作家の渋沢龍彦がうつろ舟を主題にした小説を書いたりもしています。
現代でも、この絵の謎ときに挑む科学者がいます。
岐阜大学工学部の田中嘉津夫教授は、うつろ舟の情報があると日本中どこでも出かけていき、当時の地名が載っている伊能忠敬の原図まで調べ上げましたが、この舟が流れ着いたはずの“はらやどり”という浜は、茨城県のどこにもありませんでした。
また以前の文献にすでにそっくりの話が出てくることも発見しました。
つまり「兎園小説」の「うつろ舟伝説」はでっち上げの可能性が高いことが判明したのです。
田中教授は「南総里見八犬伝」などで知られる滝沢馬琴があやしいと睨んでいます。
というのは、「兎園小説」の作者が馬琴だからです。
今年、茨城県で新たなうつろ舟の絵がみつかりました。
絵に描かれている女性を調べたら、地元に伝わる「金色姫」という、養蚕に関する伝説に出てくる女神像と酷似していることが分かりました。
「金色姫」には、繭の形をした舟で海に流された、という伝説があり、「兎園小説」の出版後ですが、馬琴が「金色姫」の錦絵の刷りものを作っていたということも分かりました。
田中教授は「金色姫伝説から養蚕関連の話を取り去って、うつろ舟伝説がつくられたのではないか?」と推理しています。
どうも宇宙人の乗り物ではなさそうですが、なにをヒントにこんな奇妙な乗り物を考えついたのか。
江戸の空飛ぶ円盤の謎はいまだ完全には解かれていません。
(引用ここまで)
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記事の文意としては、UFOではないように書かれていますが、、当時の絵を見ると、どう見てもUFOに見えます。
舟に書かれていた文字というのも、神代文字かもしれないし。。
金色姫という養蚕の神様の名前も、とてもかわいらしいと思いました。
養蚕と言えば“おしらさま”しか知らなかったので、金色の小さなお姫様のことももっと知りたくなりました。
それにしても、この絵の女性は、“小さなお姫様”というような雰囲気でもありませんが。。
wikipedia「虚ろ舟」より
虚舟(うつろぶね)とは茨城県大洗町(北茨城市とも語られる)沖の太平洋に突如現れたとされる、江戸時代における伝説の舟である。
『兎園小説』(1825年刊行・江戸の文人や好事家の集まり「兎園会」「耽奇会」で語られた奇談・怪談を、会員の一人曲亭馬琴がまとめたもの)に『虚舟の蛮女』との題で図版とともに収録され今に知られているほか、兎園会会員だった国学者・屋代弘賢の『弘賢随筆』にも図版がある。
その虚舟は海から流れて漂着したが人々に恐れられ、再び海に流されてしまったという。
空飛ぶ円盤の江戸時代的表現ではないかとされているが不明。
虚舟の様子
•虚舟は鉄でできており、窓があり(ガラスが張られている?)丸い形をしている。
•虚舟には文字のようなものがかかれている。
•中には異国の女性が乗っており、箱をもっている。
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