ラコタ・インディアンの生まれであり、インディアン思想の研究をしているA・C・ロスさんの本「我らみな同胞」の紹介を続けます。
膨大な量がありますので、ところどころを抜粋で。
北米インディアンの世界に広く伝わる「われわれは星からやってきた」という口承伝説と、「われわれは東の島からやってきた」という口承伝説について、エドガー・ケーシーの語るアトランティスとインディアンの来歴を並べて、もしかしたら、われわれは本当にアトランティスからやってきたのかもしれないし、7つの星からやってきたのかもしれない、それを否定する理由はどこにあるだろうか?と問いかけています。
アトランティスに関する参照文献は別の記事にします。
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わたしは先にエドガー・ケーシーは集団深層意識と交信できる自然の能力をもっていたことに触れた。
彼はその能力を瞑想状態によって発揮する。
そして彼がその状態になっているとき、数回にわたり、深層意識の声が彼を通じて、「レッドマンは地上の二つの地点、北米とアトランティスに現われていた」ことを告げた。
これはまったくラコタの口承伝説と同じなのである。
アトランティスに関する様々の文書によれば、この大陸の沈没はおよそ10000年前だという。
しかしながら、これが沈没する前に、人々は警告を受けていた。
それに耳を傾けた人々は北米大陸に移住し、同じ赤肌をした人々と合流した。
エドガー・ケーシーはその無我の境の中で、「この移住はおよそ紀元前15000年に起こった」と語っている。
このようなことがらは、多くの現代人が信じているインディアンはベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に来たという説と矛盾する。
わたしも、ある人々はそのようにして移住してきたであろうことを疑うつもりはない。
エスキモーはこの海峡の両側に住んでいるのだ。
この人々は、ベーリング海峡を渡ったのだろう。
そして彼らは現在もその地域に住んでいるのである。
チャールズ・ベルリッツはその本「アトランティスの謎」のなかで、ポルトガルの探検家の発見を述べている。
「アゾレス列島(ポルトガル領の島々)と西アフリカの間にカナリア島というのがあるが、この島に最初に辿り着いたポルトガル人は、その島の人々がまったく船というものを持っていないため、いったいどうやってそこに居着くようになったのか、どこから来たのか、非常に不思議に思った。
そこでいろいろ聞いてみたあげく、ポルトガル人はこの人々は、10人の王によって統治される政府を持っているということを発見した。」
このことを知ったわたしは、プラトンの言っていた「アトランティスの最初の住人はポセイドンで、その妻はクレイトだったということ、この二人の間には五組の双子がいて、それがアトランティスを統治する王となった」ということを思い出した。
これはカナリア島でポルトガル人が発見したことと実に類似している。
この人々はもともとカナリア島にその起源を持っていたのだろうか?
彼らが船を持っていなかったのはそのせいなのだろうか?
ポセイドンを象徴するものは三叉の鉾(みつまたのほこ)である。
これと同じものがラコタの伝統のパイプの入れ物に見られ、これは純粋さを象徴している。
これは新生児がこの世に来る時、純粋な存在としてやって来るからで、そのしるしがその運び籠にビーズで飾ってあるのはそのためである。
これは「ラコタ族はアトランティスにその起源を持つ」ことを語っているのだろうか?
このようなものを他の部族に探ってみたわたしは、アパッチ族の道化の踊り手はこのしるしのついたかぶり物をしていることを発見した。
アパッチ族はこの道化の元の名を「精霊の山の踊り手」と呼んでいた。
そしてその口承伝説によれば、その山はもともと東にあったという。
さらに調査を続けるとわたしは、ペルーの山中にあるピラミッドの脇に巨大な三叉(みつまた)が描かれていることを発見した。
これに関する文献を調べてみると、この三叉は、太陽と金星が共に人々の頭上に来たとき、大いぬ座の「シリウス」を指すようになっている、ということであった。
このシリウスについて思い出したのは、メキシコにある古代マヤ文明のカバリト・ブランコと言う建造物のことだった。
この建物は、矢じりの形をしており、夏至の日に太陽と共に昇るシリウスを指しているのである。
大西洋の反対側のアフリカにあるドゴン族は、一族はシリウスと特別な関係があるという伝承を持っている。
ラコタの人々も、似たような星につながる起源の神話を持っている。
その話は、「われわれは七つの星からやってきて、ブラックヒルの中に置かれた」というものである。
この起源伝説は、「なぜ我々が当初からたった7つの氏族しか持っていないか、なぜわれわれの宗教にとって7という数が特別な意味をもつものであるか?」を説明しているのである。
わたしはこの話に非常に魅了され、調べをすすめ、その7つの星が「プレアデス」であることを確認した。
伝統のラコタの歴史を調べると、「秋になってこの星座が東の地平線に昇ると、われわれは本来の宗教的な儀式の地に戻ることになっていた。」とある。
クリーク族は「緑のトウモロコシの踊り」という神聖な踊りを踊る。
その時部族の人々は、7本のトウモロコシを集めるが、それぞれはこの部族を構成する7つの支族の7つのトウモロコシの畑から持ってくる。
これが行われないと、その踊りは開催できないのだ。
彼らの創造伝説の一つに、「自分たちは星からやってきた」というものがある。
それは7つの星なのだろうか?
オーセッジ族の創造伝説は「昔、自分たちは星に住んでいた。」とある。
「それは純粋で、高貴な人々だった。そして地球にやってきて、血肉を持つようになった。」
とある。
同様にイロコイ族の創造伝説も、「自分たちはもともと天上からこの地上に下り、血肉を得た。」と言っている。
ナバホ族の話では、「先祖たちが地上に浮上してこの世界にやってきたとき、先祖たちはこの地上にすでに神が住んでいるのを発見し、その神を暗闇の神と名付けた。
人々が、その神にどこから来たのかとたずねると、「自分の名はディリヘ、7つの星から来た」と答えた。
それはプレアデスのことである。」という。
ホピの創造伝説には、二本角の組合(Two Horn Society)というものがあって、そのメンバーはこの星座が中天に差し掛かると、天地創造の歌を歌う。
ホピ族も他の多くの部族のように、「自分たちは星からやってきた」と信じているのである。
メキシコの古代の町、テオティワカンには、石に十字が刻んであって、それは天上の7つの星と整列するようにデザインされている。
また(マヤ)・アステカの暦には、その下方に創造主の双子が描いてある。
これは男女の双子で、宇宙の中の二元性を現わしているのであるが、その双子の頭の上にはプレアデスの7つの星が描かれている。
(マヤ)・アステカの人々もまた、「自分達は星から来た」と信じているのである。
ラコタの口承の歴史は、「われわれはプレアデスから来た」と教えている。
いったい昔のラコタ族は、肉眼では6つしか見えないこのプレアデスが実は7つの星でできていると、どうして知っていたのだろうか?
人々がそれを知っているのは、自分たちはそこからやって来たからだろうか?
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写真は
上・ポセイドンの持つ三叉
中・アンデス山中の三叉の印(ベルリッツ著「謎の古代文明」より
下・「集団潜在意識の世界からもたらされた証拠はアトランティス大陸をこの位置にとらえている」と書かれた地図(本書より)
wiki三叉の鉾(みつまたのほこ)→トリアイナより
トリアイナ(希語:Τριαινα)は、トライデント(Trident)とも呼ばれる先端が三つに分かれた漁具あるいは武器の一種。
トリアイナとは、「三つの歯」を意味する。
ギリシア神話の海神ポセイドンが使用する三又銛、あるいは鉾としても知られる。
もともとは漁師が魚を獲るために使っていたこともあり、ローマ時代の剣闘士の一種であるレティアリィはこの武器と網を使用し、主として魚の兜をつけたムルミッロと試合を行った。
漢字表記では三叉槍(さんさそう)、また先端が戟(げき、ほこ)の場合は三叉戟(さんさげき)となる。
Wikiテオティワカンより
テオティワカン (Teotihuacan)とは、メキシコシティ北東約50キロの地点にあり紀元前2世紀から6世紀まで存在した巨大な宗教都市遺跡。
当時のアメリカ大陸では最大規模を誇っていた。
テオティワカン人の宇宙観、宗教観を表す極めて計画的に設計された都市で太陽のピラミッド、月のピラミッドそして南北5キロにわたる道(「死者の大通り」)が基点となり各施設が配置されている。
この都市で祀られた神々は、農業・文化と関係深いケツァルコアトルや水神トラロック、チャルチウトリケ、植物の再生と関係あるシペ・トテックなどである。
太陽のピラミッドの地下には、人類の起源の地との伝説のあるチコモストックをおもわせる七つの洞穴が枝状につながる洞窟があったので都市を建設する際の立地条件になったのかもしれない。
紀元前50年にテスココ湖の南方に立地したクィクィルコがシトレ火山の噴火によって埋まると急速に発展した。
都市の面積は約20平方キロメートルで、最盛期には、10万から20万人が生活を営み下水網も完備されていた。
メソアメリカの中心的都市として機能していた。
テオティワカンとは、「神々の都市」という意味で、これは後にこの地にやってきたアステカ人が命名した。
wikiアステカ文明より
アステカ文明は、先に興ったオルメカ・テオティワカン・マヤ・トルテカ文明を継承し、土木・建築・製陶・工芸に優れていた。
精密な天体観測によって現代に引けを取らない精巧な暦を持っていた。
同時期に隆盛を極めたインカ帝国とは間接交流があったのではないかと推定されているが、直接交流の実態は解明されていない。
メッセージどうもありがとうございました。
アドレスがなかったので、返信できませんでしたので、とりあえずこちらにて、お礼を申し上げます。