河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

リニア新幹線、工事中止

2024-05-18 06:11:29 | 日記




リニア新幹線の工事が、一時中止になったというニュースが入りました。
場所は、岐阜県瑞浪市ということです。

私は、2024年4月15日のフェイスブックに、
「リニア新幹線なんて要らない」を書きました。

https://blog.goo.ne.jp/bisumark/e/88ff3395ce96e7394d7308dbe55130fd

それ以前、2021年7月9日の「河童の歌声」ブログに、
「丹那トンネルと函南町の悲劇」を書きました。
1934年(昭和9年)に開通した東海道線・丹那トンネル。
それは箱根の山を迂回していた、御殿場線に替わり、
箱根山の真下を貫く大工事でしたが、悲願であった丹那トンネル開通により、
所要時間は大幅に短縮されたという画期的なトンネルでした。

というと、いい事尽くめなんですが、
それが為に、丹那トンネルの真上にあった、
水の豊かだった函南町の水は、一気に抜けてしまったという悲劇でもあったのです。

それと全く同じ事が、岐阜県瑞浪市でまた起きてしまったのです。
「そら見た事か」
「だから言わんこっちゃないだろう」と思うのは私だけではないでしょう。

それどころか、リニア新幹線のルートは、
中央アルプス、南アルプスといった、本州の背骨といった山脈の真下をぶち抜く、
自然破壊を巻き起こす大問題でもあるのです。
自然は一旦破壊されるともう元には戻れません。
自然破壊を起こした為に戻れなくなった問題は、もう誰にも戻せないのです。
その責任は、などという人間の理屈など、言っても意味はありません。
人々はその大変化を、ただただ茫然と受け入れるしか無いのです。
いくら後悔しても、二度と戻れないのです。

水が抜けるなんてだけの問題か、というと、
それ以上に地殻変動を誘う、トンデモない取り返しのつかない、
日本列島の根幹を狂わす事態に・・誰がその答えを知っているのでしょうか?
一旦壊してしまった自然は、二度と元通りにはなれないのですよ。

だいたい、最も基本的な事として、
「狭い日本列島を、それほど目の色変えて移動する」
そんな意味などないでしょう。
在来の新幹線で充分でしょう。
何が何でも速く移動したいのであれば、飛行機で行けばいいでしょう。

それに時代が変わればインターネットが日本中の、ド田舎であっても
意思疎通が簡単に出来て、なにも人間がそこに行く必要がなくなるかも知れません。
本人が(その場)に行かなくてもよくなっているかも知れません。
テレビ画面で「やあ元気、じゃチョッと商談しましょうか」
そうなってから、あんな物造る必要なかったじゃないかと、気がついても、
というか、もう既にそう思っている人はかなり居る筈です。

自然は本当に大切に、絶対に手をつけてはなりません。
人間の存在など、とるに足らないものであり、
人類以外の動物、植物にとって、人間ほど厄介な狂った動物はいません。
「人間は万物の霊長」とは、それは狂人のたわ言です。
自然の前に、人間はひれ伏すべきだと、私はそう思っています。

リニア新幹線など、要りません。
それは恐るべき、悪魔のささやきですよ。



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理解不能・・パスカルの原理

2024-05-17 07:06:06 | 日記




パスカルの原理という言葉は、皆さん聞いた事はあると思います。
私も勿論知っています。
ですが、私はその原理がどうにも理解できないのです(涙)

上図で、細い方のシリンダーに➀の力を加えると、
太い方のシリンダーにも同じ力➀が加わる。
しかし、太い方のシリンダーの面積が細い方の2倍だと、
そこの加わる力は2倍➁になるという、アレです。

そんなバカな~ッ!
小っちゃい力で押したもんが2倍になるか~?
そんなのって、どう考えても理解できないよな。
指1本の力で世界最大の戦艦・大和(7万トン)も持ち上げる事が出来るのです。
理解できるって方がおかしいよ。



でも、この原理があるから自動車はブレーキを踏むと止まるんですね。
ですから、私は自動車を運転しながら絶えずこの原理が頭から離れないのです。
「俺は今、少しの力でブレーキペダルを踏んだ。
でも時速50キロで走ってた車は減速して停まった」
「ホンのチョッとしか踏まなかったのに、重さ1,5トンの車が停まった。」
絶えずそういった思考回路が私の頭の中を駆けずり回っているのです。
(そんな訳ある筈ないだろ、バカ)


「アルキメデスの原理」というのもあります。
しかし、こっちは普通に理解できるのに・・・
アルキメデスは王様から
「俺の金の王冠なんだが、何か金ではない金属が使われている気がする。
アルちゃんよ、お前これ解明できないもんかね~?」
アルちゃんは悩んだ。
こんな難問をどう解いたらいいのだ??

そして風呂に入った時に浴槽からあふれ出る湯を見て、ハッと気がついた。
物体を水に沈めると、物体の体積分の水が浴槽からあふれる。
物体は体積が同じでも比重が違う、というのに気がついた。
「解ったぞ解ったぞ」と叫びながら素っ裸で飛び出して行ったという
有名な例え話は、皆さんも一度は聞いた事があるでしょう。
それだったら、単純に理解できるのですけどね~・・・



パスカルの三角形という、これまた訳の分からないのがあります。
分る人には分かるけど、分からん奴には永久に理解できない。



で、それの数式というのがこれだよ。
もう、忌まわしいとしか言いようが無い。
こんな事考える奴とは、お知り合いにもなりたくない。

高校の数学のセンコーが言ってやがった。
「数学というのは、答えがたったひとつだけしかない。
そこがいいのだよ、素晴らしいんだよ」って。
うるせーってんだ、な事ど~だっていいんだよ、俺は。



窓辺にたたずむ乙女、彼女は今、いかなる事に想い悩んでいるのだろうか?
千々に乱れる女心・・嗚呼・・

答えはたったひとつ、それがど~したッ!
アルキメデスがどうした、パスカルがどうした!
いいか、俺の前に数字なんて見せるんじゃね~ぞ、ヤイ分かったかッ!



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友人の墓参りに房州へ

2024-05-15 04:39:56 | 日記
先月75歳で亡くなった友人の墓参りに5人で行って来ました。
私は3人だけだと思っていたら、千葉に着くと総勢5人だったのでした。

まずは東金のY君の家へ。
私は5時15分に家を出て、東金に7時過ぎに到着。
「俺の車は5人乗れるから」と言っていたY君の車は、古車、
おまけにバッテリー上がりで使えず、
キャンプ道具満載で2人しか乗れない私のクラウンと、
栃木県足利から来たN君のトヨタ高級車の2台で向かう事になりました。



最初に向かったのは、五井の近くの八幡宿だったか?のK君の墓でした。
右端が今回の発起人、千葉の写真師Y君。
その隣2番目が、たった46歳で急死したK君で、
彼はヒッチハイクの達人で、持ち金50円で北海道に1ヵ月も行ったり、
ヒッチハイクで知り合った人に誘われてアメリカに何ヵ月も行ったりした、
我々の仲間では伝説の男でした。



K君の墓で左から、今回の発起人、千葉の写真師Y君。
彼はK君が亡くなった時に、「あいつが居たから、あいつが居たから」
(現在の俺が在るんだ)と言って泣き崩れた姿は忘れられない。
本当に、あの時ほど(悲しい)と思った事は無かった。
2番目は、横浜のY君。後は大田区からのK君。
手前に私、右端は足利からのN君。
みんな頭が淋しくなってる(笑)

そこからは高速道路・館山道を鋸南町方面へ、120キロで飛ばす。
私は土地勘が無いので千葉の写真師Y君の指示のままに。
着いた先は、鋸南富山だったような・・・
そこは房総半島のかなり先で、まるで何にも無い、ド田舎でした。
亡くなったN君が、よく「私の出身は房州です」と言っていた訳がよく理解できました。
都会である千葉とは全然違って、何にもないのが(房州)なんです。
「あ~こういったトコで彼は育ったんだな」とド田舎房州を眺めたのでした。

後で地図を見たら、そこは安房勝山駅の近くでした。



2011年に私は新宿の歌声喫茶で知り合った大阪からの、
猫が大好で「世界の猫グッズ博物館」の為に来た女性と、
前日は船橋の歌声喫茶ゴリで一緒に唄い、船橋に一泊して、
翌日、安房勝浦へと一緒に行ったのでした。



今回の主目的は、この男Nの墓参りです。
墓には(ぐい飲み)が置いてあります。
それは私達の仲間であった唯一の女性Aさんが、作った物です。
彼女は岐阜(土岐市)で家業であった陶芸の道を継ぎ、
現在は息子さんも陶芸家としての道を歩んでいるみたいです。

写真学校時代、彼は横浜の相鉄線、和田町のアパートに住んでいました。
そこから遠くない場所に私は住んでいたので、
何度も彼のアパートに行きました。
6畳一室の本当に汚い彼の部屋は、真ん中に万年床の布団が敷いてあり、
部屋に入ると、万年床までピョーンと飛んで行って、そこからは何処にも行かれないのです。



そこで彼はバカみたいにバンジョーをかき鳴らす生活をしていました。
小便は部屋の長し台に排泄、写真の定着液、停止液は窓から外に捨て、
故に外の土には雑草一本も生えていなかった。

ある日、彼は「渓流釣りがしたい」と会津若松に突然引っ越し。
写真館に入り、会津若松城(鶴ヶ城)の旅行客の記念写真を撮っていましたが、
そこを辞めたあとはタクシードライバーになりました。
私が飯豊連峰単独縦走に行ったのは、20年以上前だったか?
私の宿で彼と会いました。それが彼との最後でした。

チョッとどもりの彼は、ある日、居酒屋でケンカになり、
負けたのが悔しくて家からオノを持って来て、警察沙汰になった。
嘘か本当か、初体験の女性は、小学校時代の担任の先生だったとか。
いいよな~、そんな素敵な初体験を俺もしたかったよ。

墓所に行くと、そこには彼の兄(90歳)が私達を待っていました。
もう、み~んな老人達なんですね。
しかし、写真学校時代の仲間達13人のうちで、
これで4人が亡くなってしまいました。
全員が千葉に係る人で、残る今回の発起人Yだけです。
それは本人も自覚しているのですが、もう千葉はやめてほしい。
というのは房総半島は広大で、今回の私の車の走行距離は600キロ。
大阪に行くより遠いのです。

その夜は銚子のラブホテルへ独り泊り。
12000円でしたが全然、良かったのです。
もう二度とセコイ、ビジネスホテルなど泊まる気にはなれません。
部屋・ベッド・浴槽・テレビ・全部が広くて嬉しい。
しかも面倒な予約など無関係。
これからは絶対にラブホテルにします。



そこで目当てだった動画を撮る事が叶いました。
ワンカットいいのが撮れればいいのです。
帰宅は3時前、いい風呂に入って思うのは、「房州」
みんなそれぞれ「想い」のある場所ってあるんだよ。
今回は、(あいつ)の想う、房州を感じたのでした。

長居よ、さようなら。
俺はお前との付き合いはそう多くはないけど、
俺はお前の事は忘れないよ。
お前は、いい奴だった。
そう思ってる女も、きっと居ると、俺は思ってる。
じゃーなー。





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アレクサンドル・デュマ

2024-05-06 06:50:46 | 読書


アレクサンドル・デュマと聞いて、それが誰か即答できる人はどのくらい居るのでしょうか?

アレクサンドル・デュマ(1802年ー1870年)68歳。
彼はフランスの作家です。
「モンテクリスト伯」「三銃士」を書いた作家です。

デュマを語るには、父親であったトマ、アレクサンドル・デュマから語らなければなりません。



トマ、アレクサンドル、デュマはフランス人の侯爵が父親で、カリブ海ハイチで、
奴隷であった女との間にムラート(白黒混血)として北フランスで生まれました。
母が死んだ後、他の3人の兄弟と共に、実の父に奴隷として売り飛ばされますが、
トマは父親がフランスへ帰国すると買い戻されて私生児として認可されフランスに行きます。
そこでナポレオン軍に入隊し、数々の武勲をあげ、陸軍中将にまで出世します。
町の有力者であったフランス人の娘と1792年(30歳)で結婚。
この夫婦からデュマは1802年に生まれます。
ですからデュマは1/4黒人の血が入った、クォーターなんです。



これはデュマの生家です。
父はナポレオンとの仲が不仲になり資産を全然残せませんでした。
しかし父親の友人であった将軍のお蔭で1823年(21歳)で職を得る事ができました。
その時、隣人であった娘を誘惑して、翌年私生児を産ませました。
これが後に(小デュマ)と呼ばれた息子です。
本当に手が早いんですね。
1831年には他の女性との間に女児を産ませ、
1840年には女優と結婚したのです。
しかし、劇作家としての夢は追い続け、観劇をし続けていました。

1836年に新しいメディアである新聞が発行されるようになり、
デュマはそれに「三銃士」「モンテクリスト伯」を連載し、名声を確固たるものにします。
しかし、収入も莫大なら、金遣いも莫大な人物でした。



それからのデュマは順風満帆とはいかず、数々のトラブルに見舞われます。
しかし、巨額の資産を得て、私邸モンテクリスト城を建設します。
晩年はそれらの資産も失っていたようです。

ですが「モンテクリスト伯」を初めとする数々の名著。
その影響力は今でも健在と言ってもいいでしょう。



デュマを(大デュマ)と言い、その子供デュマを(小デュマ)などと言います。
小デュマ(アレクサンドル・デュマ・フィス)1824年ー1895年(71歳)
彼の若い頃、周囲からの偏見は、その後の作風に大きく影響を及ぼしました。



20歳の頃、7人もの大金持ちのパトロンを持つ高級娼婦マリー・デュプレシと出会い、恋に落ちます。
マリーは間もなく病死しますが、彼女との思い出を「椿姫」として出版し、
これが小デュマの代表作となりました。

私にはアレクサンドル・デュマの存在は大きなものがあります。



そうです、私が世界一の小説と思う「モンテクリスト伯」です。
フランス製の6時間半に及ぶビデオを何度も繰り返し観てるうちに、
遂に5回目の読破が、また始まってしまったのです。

一字一句の持つ意味の深さに感動し、恐れを抱く時もあるのです。
この小説界の金字塔を、日本のテレビドラマ・映画にしたのがあるみたいですが、
そんな恥も外聞も無い、姑息な行為はどうか永遠にやめてほしい。
あれは人種の違う東洋人などがやってはならない行為です。
白人が宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘をやってる様なものです。
そんなバカバカしい映画を、観たいなどとは絶対に思いません。
それと同じです、バカバカしいにも程がある。恥を知りなさい。

アレクサンドル・デュマ。本当に素晴らしい。
貴方の居ない文学界など・・・


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桁外れのハリウッドスター

2024-05-05 14:41:12 | 芸能
過去に、北海道小樽の石原裕次郎記念館や、
伊豆の加山雄三ミュージアム(共に既に閉館)に行った事があります。
そこには日本を代表する大スターの普段の生活を再現するコーナーがあり、
「なるほど大スターともなると凄いものだな」と思ったものです。



しかしある時、ネットでハリウッドスターの、
ジョン・トラボルタの私邸を映像で見た時は、
それこそ腰を抜かさんばかりに驚愕しました。





自宅がジェット機の格納庫みたいな家だったのです。
彼の飛行機好きは子供時代からで、今では大型ジャンボジェット機も所有してるそうです。
そして、それをトラボルタ本人が操縦するそうです。





私はこの俳優の名前は知っていたし、
彼が「サタデーナイトなんとか?」といったダンス映画でスターになった事は知っていました。

しかし、あの如何にもイタリア人っぽい顔も好きになれなく、
どうでもいい俳優でしかありませんでした。
今回、ネットで見たらやはり父親がイタリア人でした。
その程度でしかなかったジョン・トラボルタという俳優が、
いくらハリウッドスターであるとはいえ、まさかこれほどまでの大富豪だとは。

日本で大スターとか言われる俳優が10人でも、彼には敵いません。
日本と世界にはこれほどの差があろうとは知りませんでした。
それも、私から見れば大した事ないだろうと思っていた俳優が、なんです。
やっぱり日本などというのは、東洋の一小国でしかないのですね。
石原裕次郎がベンツ300SLを所有しようが、
加山雄三がクルーザー船、光進丸を所有しようが、
トラボルタのジャンボジェット機所有に比べると、可愛いものです。
お遊び程度です。

人は生まれる国も時代も、人種も性別も家族も選べません。
日本という東洋の小国でスターになれた人は、そこそこラッキーでしたが、
アメリカでスターになれた人は、本当の意味でラッキーであり、
生まれてきて本当に良かったという人種ですね。

まあ、数十億人に一人という確率であり、
連日連夜、宝クジ一等賞に当たり続けている人生。
大谷翔平が、その人なんですね。

でもまさか、ジョン・トラボルタなんて人がそうだとはな~・・


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