水の門

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歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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一首鑑賞(17):小島ゆかり「神は人をあるいは人は神を得しゆゑに」

2015年10月03日 16時09分38秒 | 一首鑑賞
神は人をあるいは人は神を得しゆゑに苦しからんか 雲よ
小島ゆかり『ヘブライ暦』


 小島は三十代の半ば、先に単身渡米していた夫のもとに子供達を連れて赴いた。『ヘブライ暦』には、東海岸ボルチモア郊外に住んだ二年間に作られた歌が多く収められている。
 歌集題から察せられる通り、ボルチモアでの生活は小島にユダヤ人社会との接触をもたらした。その中で生まれた情感は、戸惑いに類するものが少なくなかったようだ。ユダヤ教徒の友人達の立ち居から見えてくる「イスラエルの神」は、小島にとっては時に理解の及ばないものであったらしく、嘆息のような首掲の一首を詠んでいる。
 神学者の北森嘉蔵は『聖書百話』においてノアの物語に言及する。神は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることがいつも悪い事ばかりであるのを見て、「主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め」たとある(創世記6章5~6節 口語訳)。北森は主著『神の痛みの神学』で、「神の愛が罪への反応として現れるとき、それは神の怒である。しかるに神はこの怒の対象たる我々を愛し給うた。かく怒を克服せる神の愛こそ神の痛みである」と述べ、イエス・キリストの十字架刑は「罪人に死を命じ給うべき神とこの罪人を愛せんとし給う神とが闘った」ことと結論づけている。
 小島の歌に戻ろう。神は人を造り出したために苦しんだ――これは聖書通りの神様の姿である。しかしおそらくは日本の伝統的な価値観の内にいる小島の目には、ユダヤ人を傍から見て「人は神を得しゆゑに苦しからんか」とも映っているのだ。――完全な義の神であるがゆえに我々を見て痛み苦しむ神を、神として仰ぎ見るがゆえに人は苦しむのではないか――。だが、小島の歌は問いかけとも逡巡ともつかぬ形に留められている。それは、「自由や平等や未来や、世界や個人のこと」を真剣に考える機会を与えてくれた、宗教の違う友人達の信仰と暮らしに、豊かさ、まぶしさ、そして幾分の矛盾――を小島が感じたからであろうことが、あとがきから読み取れる。
 果たして私達自身は、神からの喜びを証しする生き方ができているだろうか。
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