水の門

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一首鑑賞(83):福山理花「せっせと手紙書いてるだろう」

2021年06月02日 10時12分55秒 | 一首鑑賞
今の世にパウロが居たら昼も夜もせっせと手紙書いてるだろう
福山理花(『信徒の友』2020年10月号読者文芸[短歌]欄)


 クリスチャンには「信仰を豊かにする」と銘打たれたキリスト教月刊誌『信徒の友』を定期購読されている方も多いことだろう。忙しい毎日の中だとなかなか隈なく読み尽くすことができずに次の号が届いてしまう、なんてこともあるに違いない。私はどんな雑誌でも特集の方に目が行きがちで、『信徒の友』の聖書日課ページ「日毎の糧」欄をじっくり読むようになったのはここ四、五年くらいではないかと思う。「日毎の糧」欄には一日一軒各地の教会の紹介・祈りの課題が付記されているが、ここにも目が及ぶようになったのは確か私の所属教会の2019年9月1日の礼拝説教がきっかけだったように記憶している。掲出の福山の歌のように、「日毎の糧」欄を見てせっせと毎日葉書をしたためている〈葉書職人〉が各地にいること、中にはご自身の所属教会の礼拝出席者は一名ほどなのに堅く信仰に立って、各地の教会を励ます葉書を書き続けている方がいることに胸を打たれた。
 そうは言っても、朝の黙想時間に各教会の紹介を読んでマーカーを引いてちょっと思いを馳せる程度のことをしていた期間が長く続いた。転機は去年の11月15日にやって来た。その日の黙想で『信徒の友』2020年10月号の「日毎の糧」の10月15日の欄に紹介された山口の周防教会の祈りの課題を見て、戦慄した。曰く「ただ助けてください。全国で相次ぐ小教会の無牧・閉鎖。そこはあなたの故郷かもしれません。あなたの教会が安泰ならば、小犬にもパンを!」と。小犬にパン——これは、マタイによる福音書15章21〜28節に基づく訴えである。(——私は安穏としていた——!!)そして年度主題聖句のホセア書10章12節「恵みの業をもたらす種を蒔け 愛の実りを刈り入れよ。新しい土地を耕せ。主を求める時が来た。ついに主が訪れて 恵みの雨を注いでくださるように」が浮かんだ。私は祈りのうちにトラクト(N教会だより)とFEBCラジオの番組表を送ることに決めた。諸用に追われながらの生活で、『信徒の友』「日毎の糧」欄掲載の全軒にはとても送れないので、祈りながらいくつか教会を選び、手紙を添えて送る——そんなことを繰り返し、半年が経過したところである。
 N教会の皆さんは、私が聖書に物凄く詳しいという印象を抱いているようだが、これは別に能力とかそういう問題ではない。少し私の母教会の話をする。母教会では、同じグループの方の誕生日や洗礼日、あるいは特定の記念日でなくても折に触れ自発的にポストカードを贈る習慣があった。自分の気持ちや相手を励ます言葉、時には叱咤の言葉を、吟味の上で必ず聖句も書き添えて贈っていた。文章を書くのが上手な人や社交的な人に限らず、教会全体がこういう交流をしていたのである。ローマの信徒への手紙15章14節でパウロが「兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています」と書いているが、そうした交流を通じて、いくら自分がつぶさに聖書を読んでいても出会えない御言葉に幾度も〈邂逅〉した。
 ここまでの文章を読んだ皆さんが引け目とか圧迫感をお感じになっていないことを私は祈る。当然、私も最初は聖書に詳しくなかった。でも何とか主にある兄弟姉妹を励まそうと思い、色々な相手のことを考えて聖書をたくさん開いた。今あるのはただその結果なのである。求めれば与えられる、という御言葉は真実である。それでも「そんなに簡単に言わないで……!」と難色を示す方もいらっしゃると思うので、二つほど聖句を引いておく。
    *   *   *
わたしの愛する兄弟たち、思い違いをしてはいけません。 良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。 (ヤコブの手紙1章16〜17節)
    *   *   *
ヨハネは答えて言った。「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。 (ヨハネによる福音書3章27節)

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