~Dedicated to Nさん(もとい、兄のようなM.S.さん)~
10月9日、今日は実兄の誕生日である。兄がまだよちよち歩きしていた頃の誕生日について、歌詞に織り込んだ曲がある。それが、松任谷由実の「ジャコビニ彗星の日」である。
夜のFMからニュースを流しながら
部屋の灯り消して窓辺に椅子を運ぶ
小さなオペラグラスじっとのぞいたけど
月をすべる雲と柿の木ゆれてただけ
72年10月9日
あなたの電話が少ないことに慣れてく
私はひとりぼんやり待った
遠くよこぎる流星群
この曲が収録された『悲しいほどお天気』が発売されたのは79年の暮れ、この時点でジャコビニ彗星はとうに過去のものだった。時代が限定されてしまうような特定の事物を歌詞の中に盛り込むことは、多くの作詞家・歌い手にとって、賭けのようなものだ。だが、ユーミンはこの賭けに成功している。ジャコビニ彗星の日、まだオムツも取れていなかった私にとってこの曲は、しし座流星群が見られた98年11月18日未明に亡くなった大村憲司さんへの思慕にもつながり、心の中にいつも郷愁に似た感情をもよおさせる。
よく知られていることだが、ユーミンは美大の学生だった。美大受験のためについた先生の言葉に「リンゴを描くんだったら裏まで描け」といった内容のことがあったそうだが、芸大に落ちて先生の期待に添えなかったことを申し訳なく思うあまり、以後先生に会えなくなってしまったユーミンは、この先生の教えを歌の世界でも忠実に守っているような気がする。このリアルさへの徹底が透明な空気感へと結晶化した名作が、私がユーミン作品で一番好きな「ランチタイムが終わる頃」である。
日向で語らう人々は急ぎ
また白いビルに吸い込まれる
私と鳩だけ舗道に残って
葉裏のそよぎをながめていた
かすかに響いて来る地下鉄に乗り
はやびけをしたい そんな午後です
OLの切なさを歌ったものとしてこれ以上のものを私は見たことがない。この2番の歌詞があるからこそ、1番の「手紙も出せぬほど忙しいのよ 話しかけられて微笑みかえす」というフレーズが鮮やかに私達の胸に刻まれ、ランチタイムと恋の終わりがうっすらと伝わってくる。
このように限定的な歌詞が音楽全体のドラマを強力に支配しているユーミンの歌世界は耐えられないとする向きもよく耳にする。勿論、私にも曲の好き好きはあるが、言葉にならない自分の気持を代弁してくれているようなカタルシスがユーミンにはある。
結婚後、売り上げ枚数の低迷期にユーミンが力を振り絞るようにして発表した『時のないホテル』は、ユーミンの冷徹なリアリズムがアルバム全体に行き渡っている。その中で私が特別に思い入れてしまうのが、「5cmの向う岸」である。
最初からわかってたのは
パンプスははけないってこと
歩きつつ彼と話すと
知らぬまに猫背になるの
話は飛ぶが、私の初恋の人は劇場版『銀河鉄道999』の鉄郎である。私自身はメーテルとは似ても似つかないが、以来私は自分より年下で背が低い人に憧れを持つというおかしな性向が身に付いた。と言っても、それは思春期までの実現性のない夢想の中でのことだったが。
しかし、クリスチャンになって何年も経った20代後半のある時、クリスチャンの既婚女性らの間でまことしやかに語られていたジンクスを耳にした。それは「結婚相手は、自分の初恋のタイプと一致する」というものだった。私は、鉄郎を思い、それがあまりにも現実とかけ離れていることにかぶりを振らざる得なかったが、ハタとあることに思い至った。
メーテルは鉄郎に「スリーナインに乗らない?」と誘い、機械の体が欲しかった鉄郎はこれに応じて「999」に乗る。だが旅を通じ様々な人との出会いを通して、人間の体で一生を全うしようと鉄郎は決意する。メーテルが連れて行った終着駅では、鉄郎は機械惑星の部品にされるべく手術台にかけられる。鉄郎はメーテルが自分を騙したことを知って毅然と睨むが、メーテルは鉄郎を手術台から解放し、母であるプロメシューム女王を裏切って、惑星を爆破して去る。
私にはその頃、会社に好きな人がいた。私が通っていた教会は当時イベントが多く、仕事との兼ね合いもあって私は消耗しきっていた。私は、彼に教会へ来て欲しい気持ちはあったが、同時にその熱狂主義的な色彩が彼には向かないだろう、という諦念も持ち合わせていた。
……何が言いたいか。つまりこんなことをふと想像したのだ。私は自分の好きな人を教会に誘うが、彼のことを慮って自分の手から相手を離し、自由にするのではないか…と。その後待っているのは、筋書き通りに行けば「別れ」しかない。
子供だったの 5cmの向う岸
二人とも渡れずに
若いころには人目が大事よ
もっと大事なやさしさを失くしても
気づかない こともある
勿論、作り話が生身の人間のためにあるわけではない。それに、私は今ではメーテルよりもエメラルダスの生き方に惹かれる。私は鉄郎でなくトチローを捜すべきなのかもしれない…。
山梨に来て7年弱。私は多くの人の励ましを受けて、今日、向う岸に渡ろうと決めていた。しかし結局、私からは切り出せなかった。私は彼の幸いを遠くで祈ることしかできない。でも、今は思う。これで良かったのだと。
*Special Thanks to 実兄、大村憲司さん、高野寛さん、S.N.さん、二人のH.S.さん、goodmanさん、えんたつさん、kaiさん、たにぴさん、山﨑武士牧師
10月9日、今日は実兄の誕生日である。兄がまだよちよち歩きしていた頃の誕生日について、歌詞に織り込んだ曲がある。それが、松任谷由実の「ジャコビニ彗星の日」である。
夜のFMからニュースを流しながら
部屋の灯り消して窓辺に椅子を運ぶ
小さなオペラグラスじっとのぞいたけど
月をすべる雲と柿の木ゆれてただけ
72年10月9日
あなたの電話が少ないことに慣れてく
私はひとりぼんやり待った
遠くよこぎる流星群
この曲が収録された『悲しいほどお天気』が発売されたのは79年の暮れ、この時点でジャコビニ彗星はとうに過去のものだった。時代が限定されてしまうような特定の事物を歌詞の中に盛り込むことは、多くの作詞家・歌い手にとって、賭けのようなものだ。だが、ユーミンはこの賭けに成功している。ジャコビニ彗星の日、まだオムツも取れていなかった私にとってこの曲は、しし座流星群が見られた98年11月18日未明に亡くなった大村憲司さんへの思慕にもつながり、心の中にいつも郷愁に似た感情をもよおさせる。
よく知られていることだが、ユーミンは美大の学生だった。美大受験のためについた先生の言葉に「リンゴを描くんだったら裏まで描け」といった内容のことがあったそうだが、芸大に落ちて先生の期待に添えなかったことを申し訳なく思うあまり、以後先生に会えなくなってしまったユーミンは、この先生の教えを歌の世界でも忠実に守っているような気がする。このリアルさへの徹底が透明な空気感へと結晶化した名作が、私がユーミン作品で一番好きな「ランチタイムが終わる頃」である。
日向で語らう人々は急ぎ
また白いビルに吸い込まれる
私と鳩だけ舗道に残って
葉裏のそよぎをながめていた
かすかに響いて来る地下鉄に乗り
はやびけをしたい そんな午後です
OLの切なさを歌ったものとしてこれ以上のものを私は見たことがない。この2番の歌詞があるからこそ、1番の「手紙も出せぬほど忙しいのよ 話しかけられて微笑みかえす」というフレーズが鮮やかに私達の胸に刻まれ、ランチタイムと恋の終わりがうっすらと伝わってくる。
このように限定的な歌詞が音楽全体のドラマを強力に支配しているユーミンの歌世界は耐えられないとする向きもよく耳にする。勿論、私にも曲の好き好きはあるが、言葉にならない自分の気持を代弁してくれているようなカタルシスがユーミンにはある。
結婚後、売り上げ枚数の低迷期にユーミンが力を振り絞るようにして発表した『時のないホテル』は、ユーミンの冷徹なリアリズムがアルバム全体に行き渡っている。その中で私が特別に思い入れてしまうのが、「5cmの向う岸」である。
最初からわかってたのは
パンプスははけないってこと
歩きつつ彼と話すと
知らぬまに猫背になるの
話は飛ぶが、私の初恋の人は劇場版『銀河鉄道999』の鉄郎である。私自身はメーテルとは似ても似つかないが、以来私は自分より年下で背が低い人に憧れを持つというおかしな性向が身に付いた。と言っても、それは思春期までの実現性のない夢想の中でのことだったが。
しかし、クリスチャンになって何年も経った20代後半のある時、クリスチャンの既婚女性らの間でまことしやかに語られていたジンクスを耳にした。それは「結婚相手は、自分の初恋のタイプと一致する」というものだった。私は、鉄郎を思い、それがあまりにも現実とかけ離れていることにかぶりを振らざる得なかったが、ハタとあることに思い至った。
メーテルは鉄郎に「スリーナインに乗らない?」と誘い、機械の体が欲しかった鉄郎はこれに応じて「999」に乗る。だが旅を通じ様々な人との出会いを通して、人間の体で一生を全うしようと鉄郎は決意する。メーテルが連れて行った終着駅では、鉄郎は機械惑星の部品にされるべく手術台にかけられる。鉄郎はメーテルが自分を騙したことを知って毅然と睨むが、メーテルは鉄郎を手術台から解放し、母であるプロメシューム女王を裏切って、惑星を爆破して去る。
私にはその頃、会社に好きな人がいた。私が通っていた教会は当時イベントが多く、仕事との兼ね合いもあって私は消耗しきっていた。私は、彼に教会へ来て欲しい気持ちはあったが、同時にその熱狂主義的な色彩が彼には向かないだろう、という諦念も持ち合わせていた。
……何が言いたいか。つまりこんなことをふと想像したのだ。私は自分の好きな人を教会に誘うが、彼のことを慮って自分の手から相手を離し、自由にするのではないか…と。その後待っているのは、筋書き通りに行けば「別れ」しかない。
子供だったの 5cmの向う岸
二人とも渡れずに
若いころには人目が大事よ
もっと大事なやさしさを失くしても
気づかない こともある
勿論、作り話が生身の人間のためにあるわけではない。それに、私は今ではメーテルよりもエメラルダスの生き方に惹かれる。私は鉄郎でなくトチローを捜すべきなのかもしれない…。
山梨に来て7年弱。私は多くの人の励ましを受けて、今日、向う岸に渡ろうと決めていた。しかし結局、私からは切り出せなかった。私は彼の幸いを遠くで祈ることしかできない。でも、今は思う。これで良かったのだと。
*Special Thanks to 実兄、大村憲司さん、高野寛さん、S.N.さん、二人のH.S.さん、goodmanさん、えんたつさん、kaiさん、たにぴさん、山﨑武士牧師
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