【注】今月から新約聖書は New Living Translation(NLT)で読んでいます。
◆1月2日
新改訳創世記2:2「神は第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた」。7日目は休息の日。でも神は、御業の完成を宣言なさった。私達も日曜は主の御業を伝えるために、安息が与えられているんだなぁ。
◆1月3日
新改訳マタイ3:9「…あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです」。「(子孫)を起こす」はNIVでraise upで、育てるの意も。詩篇118:22「家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった」も想起させ、励まされる訳。
◆1月8日
マタイ6:26「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」。一般就労を失って12年。途中貯金も底をついたが、社会適応訓練で給料を頂き始め、そのうち障害年金も支給されるようになった。全て主の御手の内。
◆1月9日
新改訳創世記11:4〈そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから」 〉。人間の考えは浅はか。天に届く塔を建てようとしたまさにそのために、人間は全地に散らされることになった。
◆1月10日
新改訳マタイ8:2「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます」 とツァラアトを患った人。8:8「主よ。ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは直ります」と百人隊長。NLT16節に、イエスは単純なご命令(a simple command)で癒したとある。進み出た人達は主の御力を理解していた
◆1月17日
新改訳創世記21:10。女奴隷ハガルについてサラは「このはしためを、その子といっしょに追い出してください」 と言った。イエスを身籠ったマリヤが「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」(ルカ1:38)と慎み深く言ったのと対照的。
◆1月20日
創世記25章。イサクがリベカと結婚したのは四十歳の時(20節)。リベカはなかなか身籠もらず、エサウとヤコブを産んだ時には、イサクは六十歳になっていた(26節)。アブラハムとサラばかり注目されがちだが、イサクとリベカにとっても信仰が試されることだったに違いない。
◆1月22日
マタイ16:24。イエスの「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」との言葉に長年悩んでいた。自分の好み・生来の性格の全否定かと。NLTには〈give up your own way 我流を諦める〉と。主の方法に従って予期せぬ恵みに与ったこと多々ある。
◆1月29日
創世記37:28。兄弟に妬まれたヨセフはイシュマエル人に銀二十枚で売られた。トルストイ『復活(上)』を読んでいたが、主人公が若き日に手籠めにし百ルーブリを与えた女性が娼婦へと堕ちていく様が痛々しかった。イエスも銀貨三十枚で売られた。主は身を売る/売られる者の痛みもご存知。
◆1月2日
新改訳創世記2:2「神は第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた」。7日目は休息の日。でも神は、御業の完成を宣言なさった。私達も日曜は主の御業を伝えるために、安息が与えられているんだなぁ。
◆1月3日
新改訳マタイ3:9「…あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです」。「(子孫)を起こす」はNIVでraise upで、育てるの意も。詩篇118:22「家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった」も想起させ、励まされる訳。
◆1月8日
マタイ6:26「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」。一般就労を失って12年。途中貯金も底をついたが、社会適応訓練で給料を頂き始め、そのうち障害年金も支給されるようになった。全て主の御手の内。
◆1月9日
新改訳創世記11:4〈そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから」 〉。人間の考えは浅はか。天に届く塔を建てようとしたまさにそのために、人間は全地に散らされることになった。
◆1月10日
新改訳マタイ8:2「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます」 とツァラアトを患った人。8:8「主よ。ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは直ります」と百人隊長。NLT16節に、イエスは単純なご命令(a simple command)で癒したとある。進み出た人達は主の御力を理解していた
◆1月17日
新改訳創世記21:10。女奴隷ハガルについてサラは「このはしためを、その子といっしょに追い出してください」 と言った。イエスを身籠ったマリヤが「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」(ルカ1:38)と慎み深く言ったのと対照的。
◆1月20日
創世記25章。イサクがリベカと結婚したのは四十歳の時(20節)。リベカはなかなか身籠もらず、エサウとヤコブを産んだ時には、イサクは六十歳になっていた(26節)。アブラハムとサラばかり注目されがちだが、イサクとリベカにとっても信仰が試されることだったに違いない。
◆1月22日
マタイ16:24。イエスの「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」との言葉に長年悩んでいた。自分の好み・生来の性格の全否定かと。NLTには〈give up your own way 我流を諦める〉と。主の方法に従って予期せぬ恵みに与ったこと多々ある。
◆1月29日
創世記37:28。兄弟に妬まれたヨセフはイシュマエル人に銀二十枚で売られた。トルストイ『復活(上)』を読んでいたが、主人公が若き日に手籠めにし百ルーブリを与えた女性が娼婦へと堕ちていく様が痛々しかった。イエスも銀貨三十枚で売られた。主は身を売る/売られる者の痛みもご存知。