◆4月10日
詩編119:54「この仮の宿にあってあなたの掟をわたしの歌とします」はNIVが好み。Your decrees are the theme of my song wherever I lodge.(私が宿るどこにおいても、貴方の掟が私の歌のテーマなのです)
◆4月11日
ヨハネ4:38「他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている」私は人が苦手で、母教会では主の御用に役立たないどころか告発する者だった。その私に神は病を与えて別の土地へ移住させ、伝道に勤しむ者とした。退けた石をも用いる主(詩編118:22)
◆4月12日
詩篇119:92「もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったら、私は自分の悩みの中で滅んでいたでしょう」(新改訳)。み教えには厳しく思える戒めもある。それが喜びとなり得るのは、み教えに従えるよう重荷を共に担って下さるイエス様がいらっしゃるから。主に感謝!
◆4月13日
新改訳の詩119:117「私をささえてください。そうすれば私は救われ、いつもあなたのおきてに目を留めることができ…」新共同25節「わたしはあなたの僕です。あなたが分からせてくださればあなたの定めを知ることができ…」御言葉の悟りは主の助けがあって初めて可能
◆4月14日
新改訳ヨハネ7:37「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」には、欄外に注釈として「いつもわたしのもとに来て、いつも飲んでいなさい」とある。やせ我慢せず何事においても、イエス様に尋ね求めていいんだな、と改めて思った。
◆4月16日
詩編121:5「主はあなたを見守る方 あなたを覆う陰」。主はただ「守る方」なのではなく私達を「覆う陰」であるのに注目。旧約の舞台は砂漠地帯。灼けつく陽射しを凌いでくれる陰はどれほど貴重なことか。続く6節「昼、太陽はあなたを撃つことがなく…」にも納得がいく
◆4月18日
ヨハネ9:24は、目の開かれた盲人にユダヤ人達が詰問する場面。新共同で「神の前で正直に答えなさい」とあるが、新改訳では「神に栄光を帰しなさい」と。詩編50:23「告白をいけにえとしてささげる人はわたしを栄光に輝かすであろう」(新共同)を想起させる言葉だ。
◆4月20日
詩編125:5「よこしまな自分の道にそれて行く者を 主よ、悪を行う者と共に追い払ってください」。自分の道が邪というのにドキリ。知恵者も愚者と共に滅びるとし「自分の口の言葉に満足する者の行く末」と釘を刺す詩編49が浮かぶ。自分の知恵を過信し易い私には痛い
◆4月22日
ヨハネ13:31パン切れを受け取ったユダが去ると主は「今や、人の子は栄光を受けた」と。5章41節の「人からの誉れは受けない」の御言葉を考えると驚き。〈栄光〉〈誉れ〉はNIVではglorifiedとglory。裏切るユダによって栄光を受けたと仰る主の慈しみ
◆4月25日
新改訳ヨハネ14:16「父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります」確かに聖霊はずっと私と共にいらした。教会を離れていた頃、人を嘲る罪を犯す前「罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない」 (創世4:7)が降ってきた
◆4月28日
ヨハネ17章の祈り。当時の弟子だけでなく「彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも」と前置きし、26節「わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます」 と祈るイエス。主がこれからも日々ご自身の恵み深さを現されるのは、約束なんですね。
詩編119:54「この仮の宿にあってあなたの掟をわたしの歌とします」はNIVが好み。Your decrees are the theme of my song wherever I lodge.(私が宿るどこにおいても、貴方の掟が私の歌のテーマなのです)
◆4月11日
ヨハネ4:38「他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている」私は人が苦手で、母教会では主の御用に役立たないどころか告発する者だった。その私に神は病を与えて別の土地へ移住させ、伝道に勤しむ者とした。退けた石をも用いる主(詩編118:22)
◆4月12日
詩篇119:92「もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったら、私は自分の悩みの中で滅んでいたでしょう」(新改訳)。み教えには厳しく思える戒めもある。それが喜びとなり得るのは、み教えに従えるよう重荷を共に担って下さるイエス様がいらっしゃるから。主に感謝!
◆4月13日
新改訳の詩119:117「私をささえてください。そうすれば私は救われ、いつもあなたのおきてに目を留めることができ…」新共同25節「わたしはあなたの僕です。あなたが分からせてくださればあなたの定めを知ることができ…」御言葉の悟りは主の助けがあって初めて可能
◆4月14日
新改訳ヨハネ7:37「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」には、欄外に注釈として「いつもわたしのもとに来て、いつも飲んでいなさい」とある。やせ我慢せず何事においても、イエス様に尋ね求めていいんだな、と改めて思った。
◆4月16日
詩編121:5「主はあなたを見守る方 あなたを覆う陰」。主はただ「守る方」なのではなく私達を「覆う陰」であるのに注目。旧約の舞台は砂漠地帯。灼けつく陽射しを凌いでくれる陰はどれほど貴重なことか。続く6節「昼、太陽はあなたを撃つことがなく…」にも納得がいく
◆4月18日
ヨハネ9:24は、目の開かれた盲人にユダヤ人達が詰問する場面。新共同で「神の前で正直に答えなさい」とあるが、新改訳では「神に栄光を帰しなさい」と。詩編50:23「告白をいけにえとしてささげる人はわたしを栄光に輝かすであろう」(新共同)を想起させる言葉だ。
◆4月20日
詩編125:5「よこしまな自分の道にそれて行く者を 主よ、悪を行う者と共に追い払ってください」。自分の道が邪というのにドキリ。知恵者も愚者と共に滅びるとし「自分の口の言葉に満足する者の行く末」と釘を刺す詩編49が浮かぶ。自分の知恵を過信し易い私には痛い
◆4月22日
ヨハネ13:31パン切れを受け取ったユダが去ると主は「今や、人の子は栄光を受けた」と。5章41節の「人からの誉れは受けない」の御言葉を考えると驚き。〈栄光〉〈誉れ〉はNIVではglorifiedとglory。裏切るユダによって栄光を受けたと仰る主の慈しみ
◆4月25日
新改訳ヨハネ14:16「父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります」確かに聖霊はずっと私と共にいらした。教会を離れていた頃、人を嘲る罪を犯す前「罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない」 (創世4:7)が降ってきた
◆4月28日
ヨハネ17章の祈り。当時の弟子だけでなく「彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも」と前置きし、26節「わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます」 と祈るイエス。主がこれからも日々ご自身の恵み深さを現されるのは、約束なんですね。