笑顔浴

優しい時間

蝋燭

2014年12月16日 | Weblog

 

とうてい使い切れないぞと思った

ガラス容器に充填された蝋燭も

じわじわと ロウを溶かして終了し

5度目の冬にようやく新しい蝋燭に交代した。

蝋燭の残りが 命の残り時間に例えられるけれど

私の命は、あとどのくらい残っているだろう?

 

一人暮らしだった伯母が過夏に脳梗塞で自宅の2階で倒れた時

運のよいことに窓が開いており、しかも

助けを呼ぶ声に、隣の人が気付いてくれた。

それで、命を救われた。

命の恩人に、今年もご挨拶に行くと伯母(96)は決めている。

 

ある日脳梗塞→入院→退院→家に戻ることなく施設入所

この施設は、一人の外出は許可しない。

施設のヘルパーが同行するサービスがあるが

費用が発生するのと、人手不足のおりに申し訳なくて頼めないらしい。

用事があると、妹である母(87)に来てという。

母は、「車が無いけん来て」と私にいう。

母も私も、自分の歩行がおぼつかない。

伯母が寄りかかろうものなら共倒れで、

面会に差し入れを持参するのは問題ないが、介助は「NO!」である。

 

「電話で話して、感謝の贈物を手紙と一緒に 郵送すれば、いいじゃん!

 外出先で転倒して、骨折したら寝たきりになって、動けなくなるんだよ。

 そういう役を、私達に頼まないで!」と 本当は断りたい。

 

母   「なんで、雑用の時だけ私なん?」

伯母  「他におらんのじゃけん、助けてもらわんと仕方がない」

私に気を遣う母と、嫁ぎ先の親族が近くに居るのに 

甘えられない伯母の事情を察して、私は黙る。

そこに、将来の私の姿も重ねてしまう。

 

伯母は介助して欲しいと頼まない。

「目的地の近くまで、車で運んでくれ」と言っているのだ。

でこぼこな道でも1人で歩く

強い風でも転倒しない

荷物は自分で持つ

短距離は、一人で大丈夫、と言う

 

それで、私は、ドライバー役をする。

言いだしたら、説得しても無駄である。

それだけ、本人にとって譲れないことなんだろうと 想う。

訪問日を決める時も、1週間が待てないのは、

明日の命を信じない覚悟だろう。

 

私は、<危ない>という理由で、

自分のしたいことを取り上げられたことが 少ない。

マッさんに登場する大将の「やってみなはれ~」ではないが

周囲の人の、失敗したら、失敗した時に考える的な<受容>がありがたかった。

 

人生の責任をとるのは、その人自身だ。

したいと望むなら やってみればいい。

人生、死ぬまで 冒険じゃ。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする