「シアワセの変遷」というタイトルの
江國香織さんのエッセイを読みました。
これほどすっきりと、まだ整理できていないけど
私のシアワセも 確かにそうだ!と同感したので
JAFMateに掲載された1ページ分の要約をメモしておきます。
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幸せとはなにかと尋ねられたら
10代の私なら「自由でいること」と答えた。
自由に憧れても、自由の本質が孤独であることまで理解してなかった。
20代の私なら「お風呂と本さえあれば」
お風呂好きが高じて、入浴時間が8時間。
嫁ぐ時、母に<ウチでは両生類を飼っていた>と言われた。
30代の私なら「愛し愛される事」
恋愛は愉しいが、幸せと呼ぶには強烈で危険すぎると気づかなかった。
40代の私なら「仲間がいる事」
仕事を通じて仲間だと思えることが嬉しかったが、
四季同様、異動とか引っ越しとか家庭の事情で 仲間は移ろう
ここに至ってようやく
幸せを自分の外側に求めてはいけないことがわかった50代
自分に五感があって、今日も世の中を観察できるのが
今の私の幸せらしい。
朝、目覚めるだけで幸せ
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私の20代のシアワセは、
「働いて賃金を貰える」社会人になれたことだった。
職場に銀行の人が来て、私名義の通帳を作った午後
どう使うかは、私が決められると気づき、幸福感に包まれた。
現金で、幸福のすべてを手にできると思った。
40代の「仲間がいる事」は、そうだなあ~と思う。
今でもそれは続いており、仲間と感じられる嬉しさは特別じゃ。
「仲間」と呼ぶには恐れ多い先生や先輩や、
優しい人や尊敬する人々の近くで、甘えて過ごす時間も シアワセ。
私は60代を生き始めたので 更にこの続きがある。
視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚はだんだん鈍麻し
肉体の機能は、あてにならなくなった。
私のシアワセは「思考すること」に変わりそうな気配です。
70代のシアワセは、・・・
70代になったら考えてみましょうわい。