「このごろ、安心と安全が併称されることが
多いけれど、それに、奇妙な感じを持っている。
危険に対して安全であるためには
何より、安心しないことだ。
野生の動物は、安全のために 常に危険を警戒している」
(PHP 「不安はうまく飼いならそう」より
森毅先生 1928年 - 2010年)数学者、京都大学名誉教授)
もう10年も前に 森教授は示してくださった。
考えてみれば、その通りだ。
安心できて、しかも安全な空間を求めてやまないのは
不安の無い状態が、とても楽なのだ。
しあわせだなあ~と感じるのだ。
不安が安全の対価であるとしても、
しんどくて できれば考えたくない。
何かに頼って、安心して暮らしたい。
たとえ幻想の中でも、ひと時 ほっとする喜びを
誰でも知っている。
不安は、自分への信頼で小さくすることができる。
自信がないゆえに、知識や技術や周囲の人間に頼ろうとする
過度な期待に対しては どれも、たかが知れている。
期待は、怒りの導火線になっても、安全にはつながらない。
だからといって、暗い毎日を過ごしたのでは、つまらない。
ありのままの本日の私を頼りに生きるのが良い。
安全のための不安を抱きながら、
過剰な不安に、飲み込まれてはならぬ。
そこそこに、ほどほどに、
「転ばぬ先の杖」で ささやかに満足しよう。