レフトルストイ著「アンナカレーニナ」の
冒頭部分を引用する先生が何人もおられて
調べてみたら、日本語訳した人も何人もおられました。
海外の絵本でも 歌でも 小説でも エッセイでも
言葉を食材のように調理する その技の巧みさで
作品の出来栄えが違うのは当然で、
翻訳家としての名声も、
その味わいの深さなのだと想像しています。
◆1964年 原卓也訳 (中央公論社)
「幸福な家庭は、みな同じように似ているが
不幸な家庭は、不幸なさまも それぞれ違うものだ」
◆2008年 望月哲男訳 (光文社古典新訳文庫)
「幸せな家族は、どれも みな同じようにみえるが
不幸な家族には、それぞれの不幸の形がある」
「アンナカレーニナ」は
ロシア高官の妻だったアンナが
恋をして多くを得て、同時に多くを喪失し
最期は列車に飛び込んでしまう。
夫も、恋人も不幸な結末に向かう一方で
思い通りにならない人生に対して
堅実な男女が結ばれて幸せになる物語
(ざっとした要約ですいません)
これまでの翻訳者が<家庭>と訳してきたのに、
望月氏が<家族>という言葉に変えたのは
個人主義が浸透した現代人向けの選択だったのかなあと想像します。
時代によって刻々と変化する部分があっても
根っこは変りようがないもの
<家庭>って どんなもんや
<家族>って どんな関係や
どんな悩みであっても、そこに
関係性の葛藤が潜んでいるのを
実感する今日この頃です