笑顔浴

優しい時間

視力

2012年11月23日 | Weblog

この頃、視力を失った人とお話する機会が多くて

いづれ、私にもそういう状況にならないとは断言できないので

自分のこととして支援団体をさがしています。

 

生まれた時から視力のないかたから、

色を言われても、色がイメージできない

物と物の重なりがイメージできないと教えてもらいました。

目からの情報が脳の中で言語と結びつかないとすれば

どのような理解なのかしらと想像します。

 

難病や糖尿病、緑内障などで失明に向かっているかたから

いつまで、今の生活を維持できるだろうという不安を教えていただきます。

仕事を失ったら暮らしはどう変わるのか、家事や育児をどうしよう。

離婚や、児童施設の利用で、家庭がバラバラにならないか

メールやスマホ 映画や美術、旅行も、勉強も料理も、ファッションも 

楽しみを失うばかりで、こうしている「今」という時間でさえ息苦しい時間となり

何も手につかないそうです。

 

目が見えなくなって数年、物の陰影もよくわからなくなったというかたから

歩行訓練して一人で外出する夢をうかがいます。

同行支援する人に資格が必要で、

人数が少ないから 予約がなかなかとれない。

とれたとしても通院や銀行など必要な行事で消えてしまいます。

だから、

飲食店に送迎つきで付き合ってくれる友人に本気で感謝している。

友人に恵まれた人だからでしょうか

「視力も聴力もない、日本版ヘレンケラーの人たちがいるでしょ

私はまだ、耳が聞えるから 会話を楽しんだり音楽を聞くことができるもの

もっと、可能性にかけてみたい」とおっしゃいました。

 

失ってみて初めて恩恵に気が付くことばかり・・・

揃っているのが、あたり前だと思うと、ごく自然で、

存在している意識すらありません。

一生、視力を失わないにこしたことはないけど

失っても、そこから始める勇気と、

時々思い出してくれる友人づくりは

今日から、努力できることだと 思っています。

 

 

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