バスーンふぁんたじあ

アマチュアバスーン吹きのメモ書き。

師匠

2024年08月08日 | 音楽

  8月7日は、バスーン奏者田中雅仁先生の命日だ。2002年8月7日、カナダ・バンフで開催されたIDRSの大会におけるコンサートを成功させたその夜、帰らぬ人となった。

  私は1990年から田中先生からご指導をいただいた。その当時は東京に住んでいたので、月に一度師匠(田中先生)のご自宅にて、1時間ほどのレッスンだった。地元静岡に帰ってからは数カ月に一度、最後の2年ほどは伺うことができなかった。それでも、年に一度でもよいからレッスンに行きたいという思いと、リードを作ってみたいという思いは捨てられず、2002年8月頭に、懇意にさせていただいていた楽器店の方から、田中先生がバンフに行かれる前に楽器の調整に来店することを教えていただき、その日に合わせて上京し師匠にお会いすることができた。

 少しの時間だったが、リード製作を教えていただけるようお願いし、バンフから戻られたらリードレッスンをしていただく約束をしていただけた。しかし、その8月の9日ごろだったと思うが、同じく楽器店の方から師匠の訃報が届いた。

 私が師匠の演奏を初めて聴いたのはCD「Romantic Bassoonworks」だった。その演奏の虜になり何度も繰り返し聴いていた。ちなみにブログ名は、師匠のCD「BASSOON FANTASIA」からいただいている。

 

  師匠が活動拠点を海外から日本へ移してから初の演奏会を上野東京文化会館の小ホールで聴き、その生の音の響きと音楽に圧倒された。そのとき一緒に演奏会に行った、知り合いで桐朋学園大学で田中先生に師事されていた方が、師匠の楽屋まで挨拶に行くのに同行し、その方から師匠に弟子入りしたい旨を伝えていただき、後日連絡をさせていただくということで、レッスンにつくことができた。

 師匠が亡くなられてから、私は師匠最後のCD「BASSOON BRILLANTISSIMO」を毎日聴き続けた。おそらく10年以上は。

同時に、他のバスーン奏者のCD 等は一切受け付けられなくなってしまった。リードも、師匠の音に近づくためにはどうしたらよいか、を模索し続けたし、楽器も師匠が最後に吹いていたピュヒナーを使い続けている。しかし、5、6年ほど前から、やっと他の奏者の演奏に興味が出てきて、リードも自分の体力や技術にあったものに変化していき、楽器もピュヒナーにこだわり続ける必要もないだろう、と考え方が変わってきた。

 しかしながら、バスーン奏者田中雅仁氏は、そのCDを初めて聴いたときから、初めてホールで演奏を聴き、レッスンで間近にその音を聴き、そしてCDでしかその音を聴くことができなくった今でも、私にとっては神さまであり、ヒーローであり、憧れの演奏者であり続けている。

 もうすぐ還暦の私であるが、ここまでバスーンを続けられたのも、リードを作り続けられているのも、わずかな時間ではあるが師匠の弟子の末席に座ることができたからだろう。

 今年は、師匠の二十三回忌。いつまでも師匠の音楽が世界中に遺り続けますように。

 

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