写真はMy楽器、ピュヒナー・アルテベルト。
中・高とホルンを吹いていたが、大学に入ったらクラリネットを吹きたいと思っていた。高校の吹奏楽部の顧問の先生にお借りしたカール・ライスターの吹くモーツァルトのクラリネット協奏曲のレコードを聴いて虜になってしまったのだ。そのレコードのB面はギュンター・ピースク演奏のモーツァルト・ファッゴット協奏曲だったが、そちらはたまに聴く程度で、へぇ、ファゴットってこんな音なのか、と思っていた。
大学に入りオーケストラの門を叩いたが、クラリネットに初心者はいらねぇ、とあっさり断られてしまった。そして、断られた横で練習をしていたバスーンの先輩に、じゃあ、この楽器やってみたら? と誘われたのが、私のバスーン始めであった。
じゃあ、やります。と返事をした次の日には新大久保の方にある楽器店の人が早速楽器を持ってやってきた。そのときの楽器はシュライバーであった。どの機種だったかは覚えていない。
2年ほどそのシュライバーを吹いたが、何となく物足りなくなってきて、楽器店のクリニックで知り合った音大生の方からピュヒナーを譲ってもらうことになった。そのピュヒナーは音量も大きく、今思えば芯のしっかりした派手な音色の楽器だった。2年半ほど吹いたころ、大きな壁にぶつかった。市民オケに入って吹いていたのだが、楽器のコントロールが全くできていない自分がそこにいた。pp然り、音程然り。自分の演奏技術の未熟さが一番の原因だが、まるでじゃじゃ馬に翻弄されるカウボーイの如きであった。
一時は、もうバスーン吹くのをやめよう、とまで落ち込んだ。あるとき、その市民オケにトレーナーとして指導にみえていたプロオケ奏者の方に相談したところ、楽器を替えてみるのもいいよ、とアドバイスを受け、ピュヒナーを下取りに出し、そのころ販売が始まったヤマハの812を入手した。
楽器を替えて、本当によかったとそのとき思った。音程も取りやすくなり、ppも断然出しやすくなった。楽器を吹く楽しみが戻ってきた瞬間だった。あのとき、楽器を替えていなかったら、もしかすると今楽器を吹いていなかったかもしれない。
その後、何年かして田中先生に出会い師事し、楽器も田中先生が選定されたヤマハ811に乗り換えた。811の方が音色が明るく、自由に吹ける感じがする。
このように色々なメーカーの楽器を渡り歩いて最後にたどり着いたのは、写真のピュヒナー・アルテベルトだった。この楽器は、現在のノナカ仕様になる前の楽器で、ウォーターチューブではなく、ハイEキーも付いていない。
この楽器は、田中先生が晩年ヘッケルからピュヒナー・アルテベルトに楽器を替えられたとき、最初に田中先生が手にされた楽器で半年ほど先生が使用されていた。先生は、ピュヒナー氏が田中先生用に特別に楽器を作られるということで、この楽器を手放したわけだが、縁あって私がその楽器を入手することができた。
アルテベルトは、ヤマハに比べると音色がかなり柔らかい感じがする。それとppをきれいに出すことができる。吹き方やリードの調整の仕方にもよるのだろうが、ヤマハだと、ppでE2やF2をのばすとき、少しでも息の量が足りなくなってくると、音がぶら下がってしまったのだが、アルテベルトではこれが起きなかった。音量ではヤマハの方が勝っていたように思うのだが、このごろボーカルを先述のヘッケルGVCDE1に替えたことで、音量も出るようになった。
ヤマハ811は、知人に譲ってしまったのだが、今思えば手元に置いておけばよかったと後悔している。このさき、アルテベルトから他に楽器を替えようとは思わないが、ときどきヤマハを吹いてみたいと思うことがあるからだ。今自分で作っているリードとボーカルで吹いたらどんな音がするのだろう、と妄想してしまうことがある。これでは昔の彼女に未練たらたらの情けない男のようだ。いかん、いかん。