ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

昨日到着

2013年01月20日 03時48分27秒 | 探検・冒険
こっちの時間の昨日、町に到着した。

到着したといっても、目的地であるウルカクトックではなく、出発地点であるケンブリッジベイだ。実は年末に出発して五日目に、二台用意したストーブの両方とも調子がおかしくなってしまったのだ。ストーブに不安を抱えたまま、何百キロもの無人荒野に突入することはできない。そこで、ケンブリッジに一度戻って、知り合いにコンロを借りて、すぐに再出発し、ウルカクトックではなく、北米大陸のケント半島を3週間ほどうろうろしていた。

もともと今回は冬の北極を天測で旅できるのか確かめることが目的だったので、ウルカクトックにはさほどの執着はなかった。だからストーブが危なくなった時点で、すぐに計画を変更した。

しかし、結果的にはウルカクトックに行かなかったことで、逆に今回の旅はより奥深いものに変わったような気がする。たぶんウルカクトックを目指していたら、そのまま頑張って到着できていたと思う。しかし、到着で来てよかった、よかったで終わっていただろう。じっくり天測に取り組む時間もなかっただろうし、冬の北極を自分なりに味わう余裕もなかったはずだ。しかしケンブリッジベイ周辺を放浪することに計画を変えたことで、自分に中で冬の北極を旅することの意味がはっきりと見えてきた。どこかを目指すことを放棄することで、新たな旅のスタイルを手に入れたような気がしたのだ。

それにしても冬の北極は予想以上に気象条件が厳しい。天測は10日に一回できるかどうかというぐらい、チャンスが少なかったし、やはり実地でやってみると、今回採用したシステムは実用的でないことも分かった。用意した装備も冬だと厳しいことも分かり、検討課題が次々と明らかになった。寝袋なんかすごい。太陽がなくて永久に乾く機会がないものだから、汗がじわじわ綿の中で凍ってどんどんでかくなっていく。

あとナビゲーション。いやー怖かった。冬にGPSをもたない。それだけで北極を旅することは何倍も難しくなり、実に奥が深くなる。なんとも面白いのだ。そして何より、今後の冬の旅のテーマが明確になったことが、一番の収穫だった。実際に旅をすることで、新たな旅の姿が浮かんでくる、今回の旅はそんな素晴らしい体験になった。早く日本に帰って、すき焼きが食べたい。今はそんな気持ちでいっぱいだ。

ちなみに写真はない。出発直後に霜が内部に侵入し、それがテント内で溶けて、使えなくなってしまった。これもまた、次回の検討課題のひとつである。

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明日出発

2012年12月17日 04時34分47秒 | 探検・冒険
明日、現地時間17日に、ケンブリッジベイを出発することにした。
目的地は同じビクトリア島にあるウルカクトックという集落だ。ケンブリッジベイよりも規模が小さく、4~500人しかいない小さな村らしい。

当初はクグルトゥックという別の集落に行くつもりだった。クグルトゥックには北米大陸に海を渡り、小さな島々が連なる海岸線を西進しなければならない。今年は結氷が遅く、海氷の状態に不安があったので、ここ数日、イヌイットたち会って情報を集めまくった。島や岬の間は海流がつよく結氷がおそいので、そういう危険個所を迂回しなければならない。するとルートどりが非常に複雑になる。イヌイットたちは、自分たちが教えたルート通りにいけば大丈夫だろうと言うが、GPSもなく、暗闇の中を天測ですすむ身としては、ちょっと無理だなと判断し、クグルトゥックはやめた。

ウルカクトックは前半半分は島の上を行き、その後は島のない広い湾内を歩くので、結氷の問題はあまりない。ただ陸上を歩くのは海の氷を歩くより大変なので、たぶん時間がかかるだろう。あとウルカクトック周辺は白熊の棲息域なので、これも避けていた理由だった。まあ、北極を歩く以上、熊のリスクは避けては通れないので、これは仕方がない。

目的地までは530キロで、40日以内に到着する予定だ。昨日、装備と食料のパッキングをしたが、非常に重い。去年、レゾリュートからジョアヘブンを歩いた時より重いかも。去年より日数は少ないが、一人なうえ、天測の道具などもあるので、日数の割には荷物が増えてしまったのだ。




今回つかう主な装備たち



今回の主な食べ物たち


荷物の思い前半に、大変な陸上のパートがくるので、最初の三週間は非常にしんどいだろう。でも、星でナビゲーションして旅をするのは、とても楽しみ。馴染みの星なんかができるんだろうが、何日か見てたらやはり飽きるのだろうか。それも含めて楽しみではある。

到着は新年以降のこととなります。みなさん、よいお年を。

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ケンブリッジベイ滞在中

2012年12月12日 02時59分01秒 | 探検・冒険
すっかりご無沙汰になってしまったが、現在、カナダ北極圏のケンブリッジベイという集落に滞在している。ここに来たのはもう二十日ちかく前になるだろうか。当地は随分前から太陽の昇らない極夜の世界に入っている。しかし昼間は思ったよりも明るい。太陽が昇らないと言っても、地平線下の太陽本体からの陽光がある程度は届くため、午前10時ぐらいから午後2時ぐらいまでは、普通に視界が開ける。寒さもまださほどではなく、大体マイナス32度ぐらいで推移している。マイナス50度ぐらいを予想していたので、少し拍子抜けだ。

しかし、一時的に明るくはなるものの、あっという間に暗くなるので、一日が異常に短く感じる。人間やっぱり暗くなると、いやーそろそろ夜だから、夜飯食って、日記でも書いて、寝るかという気分になるのだが、時計を見るとまだ午後4時で愕然としてしまう。一日が終わるまであと八時間もあるのか。いったい何をすればいいのだ!

とはいえ、装備の補強や、天測の訓練や、買い出しやらで時間があっという間に過ぎていき、全然遊んでいる暇がない。

昨日まで訓練のため、12、13キロほど離れたところで一週間ほどキャンプをしていた。寒さに慣れることや、持ち込んだ装備や燃料の消費量のチェックなどが目的で、昨日、村に帰ってきたところである。

キャンプ中にも装備関係でいろいろ課題が見つかり、これから対策を練らねばならない。食料のパッキングなどにも数日かかる。情報収集もしなくてはならない。出発は二十日ごろを予定しているが、準備に忙殺されそう。こんな予定ではなかったのが。

ちなみにこれからどこに行くかというと、まだ決めかねている。キャンプ中はもろもろの事情からクグルトゥックという村にしようかと思っていた。ケンブリッジベイからは、だいたい500キロ前後離れたところに、ジョアヘブン、クグルトゥック、ウルカクトゥックという三つの集落があり、出発前は現地でいろいろ情報を集めてから目的地を決めようと思っていたのだ。

しかし、昨日、ちょっと小耳にはさんだところによると、今年は海の結氷が遅いらしい。クグルトゥックに行くには海に氷が張らないと無理なので、もう少し待たねばらなないかもしれない。そうすると極夜が終わっちゃう。

ちなみに懸案だった天測であるが、いろいろ工夫した結果、かなり精度が増してきて、概ね実用に耐えうる技術を獲得したと自分では思っている。出発前は六分儀の扱い方と計算方法だけを習得しただけだったので、どうなることやらといった感じだったが、なんとかなりそうだ。冬の北極の旅は、星の世界の旅に他ならない。そのことを訓練キャンプ中に発見した。星を見て自分の行き先を決めることで、今まで知らなかった世界が開けそうな予感がして、ものすごく楽しみだ。

ちなみに写真はキャンプ中にがんがん作ったイグルー。一人でも三時間ちょいで作れるようになった。


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ケンブリッジベイ滞在中

2012年12月12日 02時59分01秒 | 探検・冒険
すっかりご無沙汰になってしまったが、現在、カナダ北極圏のケンブリッジベイという集落に滞在している。ここに来たのはもう二十日ちかく前になるだろうか。当地は随分前から太陽の昇らない極夜の世界に入っている。しかし昼間は思ったよりも明るい。太陽が昇らないと言っても、地平線下の太陽本体からの陽光がある程度は届くため、午前10時ぐらいから午後2時ぐらいまでは、普通に視界が開ける。寒さもまださほどではなく、大体マイナス32度ぐらいで推移している。マイナス50度ぐらいを予想していたので、少し拍子抜けだ。

しかし、一時的に明るくはなるものの、あっという間に暗くなるので、一日が異常に短く感じる。人間やっぱり暗くなると、いやーそろそろ夜だから、夜飯食って、日記でも書いて、寝るかという気分になるのだが、時計を見るとまだ午後4時で愕然としてしまう。一日が終わるまであと八時間もあるのか。いったい何をすればいいのだ!

とはいえ、装備の補強や、天測の訓練や、買い出しやらで時間があっという間に過ぎていき、全然遊んでいる暇がない。

昨日まで訓練のため、12、13キロほど離れたところで一週間ほどキャンプをしていた。寒さに慣れることや、持ち込んだ装備や燃料の消費量のチェックなどが目的で、昨日、村に帰ってきたところである。

キャンプ中にも装備関係でいろいろ課題が見つかり、これから対策を練らねばならない。食料のパッキングなどにも数日かかる。情報収集もしなくてはならない。出発は二十日ごろを予定しているが、準備に忙殺されそう。こんな予定ではなかったのが。

ちなみにこれからどこに行くかというと、まだ決めかねている。キャンプ中はもろもろの事情からクグルトゥックという村にしようかと思っていた。ケンブリッジベイからは、だいたい500キロ前後離れたところに、ジョアヘブン、クグルトゥック、ウルカクトゥックという三つの集落があり、出発前は現地でいろいろ情報を集めてから目的地を決めようと思っていたのだ。

しかし、昨日、ちょっと小耳にはさんだところによると、今年は海の結氷が遅いらしい。クグルトゥックに行くには海に氷が張らないと無理なので、もう少し待たねばらなないかもしれない。そうすると極夜が終わっちゃう。

ちなみに懸案だった天測であるが、いろいろ工夫した結果、かなり精度が増してきて、概ね実用に耐えうる技術を獲得したと自分では思っている。出発前は六分儀の扱い方と計算方法だけを習得しただけだったので、どうなることやらといった感じだったが、なんとかなりそうだ。冬の北極の旅は、星の世界の旅に他ならない。そのことを訓練キャンプ中に発見した。星を見て自分の行き先を決めることで、今まで知らなかった世界が開けそうな予感がして、ものすごく楽しみだ。

ちなみに写真はキャンプ中にがんがん作ったイグルー。一人でも三時間ちょいで作れるようになった。


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北極圏徒歩旅行終了

2011年07月07日 13時27分33秒 | 探検・冒険
本日午前10時頃(カナダ中部標準時間)、ジョアヘブンを出発してから43日ぶりに人間に遭遇した。その2人はベイカーレイクに在住する推定年齢60歳くらいの中の良さそうな老夫婦で、ツンドラ荒野を延々と横断し、間もなく最終目的地ベイカーレイクの町を目指し小さな丘に登っている我々の目の前に突如現れた。いや、ちがうな、ジョアヘブンを出発して、たしか3日後くらいに、ジョアヘブンの住民たちがたくさん参加する釣り大会に出くわし、二日間ほどお世話になった上、その翌日にはカリブー狩りにでかけたにもかかわらず一頭も仕留められなかった家族とも出会っているから、正確にいうと、本日37日ぶりに人間と遭遇し、今現在はベイカーレイクのホテルでパソコンをぱちぱちとたたいている。

というわけで、長かった北極圏徒歩旅行は無事、本日終了。詳しい報告は、いずれどこかの媒体で作品として発表できると思うので、その時にまたこのブログでもお知らせします。
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ベイカーレイクへ出発

2011年05月22日 13時54分39秒 | 探検・冒険
今回の旅の最終目的地であるベイカーレイクに向け、24日に出発することになった。本当は21日に出発するつもりだったのだが、準備が間に合わず22日に延ばし、しかし気付いたら22日は日曜日で郵便局が閉まっているため使わない装備を郵送で遅れないので、しょうがなく23日に延期したのだが、23日はビクトリアデーとかいう祝日らしく、この日も郵便局があいていないことが予想されるため、やむなく24日まで出発が伸びてしまった。

しかしホテルは一泊225ドルもするので、明日の朝にチェックアウトする予定である。その後は出発までの二日間を、生協の横にでもテントを張ってキャンプ生活の予定である。町中でキャンプをするのもなんだか、町中と行っても、このあたりは町というより荒野の中に無理矢理、住宅を並べているという感じなので、テントを張っても全然違和感はなさそうである。

計画だと、ベイカーレイクまでは最大50日の予定。50日かかるとすると、到着は7月13日ぐらい。もう夏だ。日本は梅雨明けの頃だろうか。また到着したら更新します。
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なぜか腰痛

2011年05月18日 06時11分44秒 | 探検・冒険
ジョアヘブン到着後、徹底的ともいえる引きこもり生活を続けている。朝起きてマーガリンとイチゴジャムをたっぷりと塗ったパンやサンドイッチ、ヨーグルト、バナナなどで食事をとり、再び睡眠し、起きて再び食事をとり、排泄し、といった一連の行為を日がな続けている。村に着いてから三日間は何もすまい、と決めていたが、本当に何もしないとは思わなかった。汚い話しで恐縮だが、食べている量が半端ではないため、排泄の量も半端ではない。連日、三回か四回は排泄し、その都度たっぷりと出るので、これでは食べている意味がないと頭を抱えてしまうほどだ。今の私は全長174センチの一個の消化、吸収、排泄器官と化してしまっており、その他の能力を完全に失ってしまっている。

まだほとんど見て回ってないが、ジョアヘブンの町はとても小さい。一応、カナダという先進国であるので、アジアの山村のように貧しい雰囲気は感じないのだが、なにせ周囲数百キロメートルは他に町がなく、人間や物資の往来は飛行機に限られるので、スーパーは町に二軒あるものの、売られている商品の種類は貧弱である。驚くべきはその値段で、一ℓのフルーツジュースが5カナダドル、500gのソーセージは10ドルくらいするので、ちょっと買い物するだけで、日本円にして4千円とか5千円はすぐに飛んで行ってしまう。ホテルの食事は夕食が45ドルもして手が出ないので、やむなくスーパーで弁当やら缶詰やらを買って食べている。

どういうわけか腰痛に苦しんでいる。60日間も重いソリを引いていた行動中はぜんぜん気にならなかったのに、町で休養に入ってから、重い腰の痛みに悩ませられている。ホテルのふかふかのベッドが腰痛悪化の一因であるような気が。といっても、高い料金を払って床で寝るのもしゃくに触るので、現時点では腰痛が悪化するのを黙って眺めているしかない。

さっさとベイカーレイクにむけて出発しろということだろうか?
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ジョアヘブン到着ならびに大宅賞

2011年05月15日 23時19分27秒 | 探検・冒険


レゾリュート出発から60日目の昨日、最初の目的地であるジョアヘブンに到着した。現在はジョアヘブンに一軒だけある、アムンゼンホテルという昔の大探検家の名前がついた、一人あたり225ドルもするたいそうなホテルに宿泊中である。歩いて10分のところにあるスーパー「ノースマート」で、これまで二ヶ月間食べられなかったフルーツや生野菜、ビスケット、パン、甘いお菓子、しょっぱいお菓子などなどを160ドルほど購入し、昨日から断続的にそれらを食べている。その結果、今朝はすでに二回もトイレの上に座り、現在三回目の波が来ているところである。

レゾリュートではネットの環境が悪く、出発時にブログの更新ができなかった。ときどきのぞいてくれている方々にはご迷惑をおかけしました。

ところで拙著「空白の五マイル」が今年の大宅壮一ノンフィクション賞を受賞いたしました。取材のご協力くださった方々、応援してくださった方々に改めてお礼もうしあげます。授賞式は6月17日とのことですが、わたしはジョアヘブンで1週間ほど休養ののち、最終目的地であるベイカーレイクに向けてツンドラ無人荒野を旅することにしています。ベイカーレイク到着は7月になるかならないかというあたりだと思われますので、式のほうは残念ながら欠席せざるをえません。関係者の方々にはご迷惑をおかけしまして、申し訳ありません。ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。
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イカルイット帰還

2011年03月11日 03時42分45秒 | 探検・冒険
フロビッシャー湾沖合での計9日間にわたる耐寒訓練を終了し、本日、イカルイット(正確にはイカルイットの隣のエイペックスという集落)の宿に戻ってきた。耐寒訓練といっても、基本的にはテントの中でコンロをがんがん焚いて、本などを読みつつぬくぬくと過ごし、午後に数時間あたりをぶらつくといった程度で、訓練というより、極寒地でのキャンプ生活への慣れと、装備の点検のほうにより大きな意義があった。実際、放っておくとなんでも氷ってしまうので、クマスプレーなど氷らせてはいけない装備をどうやって保持するかとか、テントも極地用のでかくて使ったことがないようなやつなので、それを風が強い状況下でどう立てるかとかがなんとなく分かり、非常に有意義な期間だった。

写真は訓練中に一日だけばっちりと現れたオーロラ。

それにしても宿に帰ってきて、さっそくシャワーを浴びて、きれいさっぱりした後に、いままで来ていたフリースのにおいを嗅いだ時は、思わず吐き気をもよおした。脂ぎった極地用の特殊食料と、特にキャンプ中においしくいただいていたオイルサーディンの魚臭い悪臭がこびりついており、ひどいことになっている。9日間でこの状況なのだから、本番の50日間の旅行のあとは、いったいどうなるのだろう。

今後の予定としては12日に出発地点となるレゾリュートベイに移動。レゾリュート沖の氷の氷結状態を見極めた上で、キングウイリアム島のジョアヘブンへ向けて出発となる。今年のレゾリュート沖の氷結状態は最悪らしく、2月に犬ぞりでほぼ同じルートを行く予定だった極地探検家の山崎さんは、いったんレゾリュートに引き返したようだ。

山崎さんのブログ
http://hidedogs.blog.eonet.jp/hidedogs/

今回のわたしたちの旅の模様をもっと詳しく知りたい人は、わたしのブログより同行している荻田泰永くんのブログのほうが詳しいので、そちらを見ましょう。

荻田くんのブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ogita_exp





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エドモントン

2011年02月25日 23時50分37秒 | 探検・冒険
現在、カナダのエドモントン付近に滞在中。ザック一個分くらいあるマイナス40度仕様の巨大化繊シュラフや、見たこともないくらい分厚いソレルの、マイナス50度仕様の防寒ブーツ、そのほか、ミトンやら熊よけ用のフレアガンという派手な空飛ぶ爆竹やら、極地探検用の特殊仕様装備を次々と購入中だ。一方、ソーセージやナッツ類、ドライフルーツ関係、自宅でもよく食べる韓国製の辛ラーメンなど食料方面も抜かりなく入手しており、現在、装備の量は段ボールにして8箱分くらいになっている。そのうちの一つはジョアヘブンという旅の中継地となる村に送った。

面白いのは、南部にすむ多くのカナダ人が北極圏の土地について知識がほとんどないことだ。今日、荷物を送りにいったエドモントンの近くのカムローズという町の郵便局のおばさん二人は、ジョアヘブンという村の名前すら聞いたことがなく、「どこ、それ? カナダなの?」とキャーキャーはしゃいでいた。

明日はオタワに移動し、世界的極地冒険家のリチャードウエーバー氏から極地探検専用のソリと食料を購入する予定である。ウエーバー氏は明日ノルウェーに向かうというので、我々は空港で待ち合わせする予定にしていた。だが、さっき氏から来たメールによると、氏の飛行機は14:30に出発する便であるらしく、我々がオタワに到着するのは13:30なので、どうやら空港で会うのは難しそうだ。

空港で会えなかったら、どうやってソリを受け取ろうか。というか、どうやって氏と連絡をとったらいいんだ? こっちはもう深夜で、われわれの乗る便は超早朝なので、氏と連絡をとる時間がほとんどないのである。トランジットの時に電話をかけるしかないが、ちゃんと家にいてくれるだろうか。心配だ。
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ニューギニア写真

2010年09月06日 18時40分18秒 | 探検・冒険
古いメディアの中に2001年のニューギニア探検の時の写真を発見した。この探検隊はFさんというクライマーが発案した遠征で、わたしもFさんのカリスマ性に心酔し、大学卒業直後に参加した。ちょっと変わった峠恵子さんという女性歌手がもうひとりいて、今考えると、なんとも風変わりな三人組による探検隊だった(三人の中では自分が一番まともだと断言できる)。

日本からヨットで出航し、グアム、テニアン島や、ふんどし姿の島民が暮らすウォレアイ島という、どこの国なのかよく分からない島々に帰港しながら、太平洋を縦断した。ニューギニア島西部のインドネシア領イリアンジャヤに到着後、島で最も大きなマンベラモ川という、ジャングルの中を蛇行する巨大河川をボートでさかのぼった。

計画は同島最高峰、カールステンツ・ピラミッド(4884メートル、5030メートルという説も)北壁を新ルートから登るという野心的なものだった。カールステンツ・ピラミッドは、アイガー北壁初登頂やセブンイヤーズインチベットで知られるハインリッヒ・ハラーが初登頂した山である。非常に格好いい石灰岩の岩山だ。しかし、わたしたちが遠征した時期は、ちょうどイリアンジャヤ州の独立をめざすゲリラ組織OPMが活発に活動していた時期で、スペイン人の旅行者が拉致されただとか、警察署が襲撃されて5人が死亡し、銃が奪われただとか、物騒なことこのうえないニュースが相次いでいた。カールステンツ・ピラミッドの麓の村イラガはこのゲリラ組織が根城とする村だったので、結局、同峰の登攀は断念し、二番目に高いトリコ―ラという山の北壁を登った。





トリコ―ラ北壁、500メートルの巨大な石灰岩

面白かったのは、この独立ゲリラ組織がニューギニア島民の民族衣装であるペニスケースと、あとなぜか赤いバンダナを着用して、ゲリラ活動をおこなっているという話である。自分たちの文化と政治的運動の意義を世界に知ってもらうため、拉致した外国人にもペニスケースの着用を強制していたらしい。この話をきき、ぜひ彼らの村にも行ってみたい! と当時の若かった私は思ったものだ。もちろん10年たった今でも、その気持ちはいささかも揺らいでいない。

なお冒頭の写真は、中央高地のどこかで出会ったペニスケース着用の由緒正しきニューギニア島民。写真を撮りたいというと、快く引き受けてくださり、弓をひくポーズなどもして下さった。

ちなみにこの遠征では、その後、カールステンツ・ピラミッドを登るチャンスが再び巡ってきたのだが、隊長のFさんの興味が、フクロオオカミという絶滅したはずの有袋類がまだ生き残っているという話にうつってしまい、山などそっちのけになってしまった。そんなことがあり、それじゃあ話が違うじゃないかということで、わたしは先にひとりで帰国した。

ニューギニアには今も探検隊が入りこんでいない地域が残っている。5千メートル近い、面白いそうな山もたくさんあるが、現在のスポーティブなクライマーはこういうワイルドな地域にはあまり興味を示さないようだ。北極もいいけど、ニューギニアももう一度行きたい。体が二つあれば同時進行できるのだが。

ちなみにこの時一緒だった峠さんとは、先日、約10年ぶりに再会。峠さんはこの時の探検をまとめた本を出版しているので、興味のある方はご一読を。

ニューギニア水平垂直航海記 (小学館文庫)
峠 恵子
小学館

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北極はいかに冒険されるべきか

2010年05月27日 08時59分36秒 | 探検・冒険
日本で最後の北極冒険家、荻田泰永さんが北磁極の旅から戻り、東京の方にやって来たので、雑誌の記事に載せるためにインタビューさせてもらった。その後、極地に何度も行っているテレビ関係者、極地に行ったことがないのにその歴史についてはめっぽう詳しい雑誌編集者など3人が合流し、新宿のさびれた居酒屋で大いに盛り上がった。

議題は、極地における冒険の今日的意義とその意義を損なわしかねない諸条件の解決策について。つまり、カネさえ払えば極点すら飛行機で行けるようになった現代において、極地における旅はどのようにおこなえばより創造的な、本物の冒険になるのか、という点についてである(最近、たまたまコンパした旅行業界関係者の某添乗員によると、700万円払えばよぼよぼのじいさんでも南極点に行けるらしい。氷の下でスコットが泣いているに違いない)。

極地における冒険が、冒険的でないように見えてしまう主な原因は次の二つ。飛行機による物資の輸送およびピックアップ=救助体制と、衛星携帯電話の使用が、ほぼ無批判に計画遂行の前提条件となっていることだ。できるだけ他人からの援助なしに自力で行為を完結させることが、現代における美しい冒険のひとつの条件になっていることから考えると、この二点はできるだけ排除するのが望ましい。ただ飛行機を使わないとなると、極点からの復路も歩くんですか、という点が問題になってくる。復路の分の食料や燃料までソリで引いて極点まで歩くのは難しいので、飛行機を使わないとなれば途中に自力でデポを設けるしかないのだが、荻田さんによると北極の氷は海の真中に漂流する物体にすぎないので、帰る時にデポを見つけることは不可能だという。

じゃあ極点からのピックアップは必要悪として認めるにしても、衛星携帯電話の使用はどのように考えたらいいだろう。電話で外部との接触手段を保つということは、いざという時に助けを呼べるということを意味する。冒険の意味が命を危険にさらすことにより何かを得ることにあるのなら、電話の保持は冒険をすることの意義自体を損なわせてしまうのではないか、と指摘することは可能なのである。しかし極点からピックアップしてもらうことを前提に計画をたてるなら、現実的には飛行機を呼ぶために衛星電話は必要になってくる。

しかし生き物を食って山々を散策するという独自のスタイルで登山行為の意味を追及している雑誌編集者H氏は、ピックアップの日にちをあらかじめ決めておいて、それに間に合わないようなら自分で帰って来ればいい、という単純な解決策を披露し、なかなか斬新だと極地関係者をうならせた。おまけに氏は「財布を持たずコメを20キロ担いで、家から北極に行って帰ってくる」という究極形も提示。道中、働き、生き物を食べ、ノグソをし、舟を作り、アザラシを殺し、その肉を氷の上にデポし、極点に到達し、「いやー、北極に行くのに20年かかったよ」と言って自宅に戻ってきたら、それはかっこいいというわけだ。

まあ、そりゃそうだけど、できることとできないことがあるわけで、私がやったツアンポー峡谷の旅も、最も美しいのはインドかネパールからチベットに密入国して、ツアンポー峡谷の無人地帯を完全踏破というのが最上だなと思ったが、それはできなかった。結局、登山や冒険は極めて個人的な行為なのだから、どのようにおこなえば納得できるかたちにおさまるか、自分なりの妥協点を見つけることが必要である、というなんの面白みもない結論を得て飲み会は終わったのだった。

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ツアンポー峡谷の報告会

2010年02月08日 21時24分12秒 | 探検・冒険
12月から1月にかけておこなったツアンポー峡谷の探検について、2月26日の地平線会議で報告させていただきます。

場所は高田馬場の新宿区スポーツセンター。500円。

最奥の村ギャラから前人未到のツアンポー峡谷核心部60キロを単独で踏査(しようと)した冒険についての報告会です。今回、ゆえあって写真はあまりいいのが残っていないため、7年前に探検した時の写真やら、使い古した地図やら、過去の探検隊の記録やら、小道具もいくつか用意してなんとか場を持たせたいと思います。

時間などの詳細は地平線会議のHPで。http://www.chiheisen.net/

興味のある方は、ぜひ来てください。近くの中華料理屋で二次会もありますので、婚活中の女性におすすめです。
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北極バカ

2010年02月07日 10時27分16秒 | 探検・冒険
自称北極バカ、荻田泰永さんと新宿で飲んだ。さ来週からカナダ北極圏1400km単独徒歩行に出かけるという。

彼と出会ったのはもう、7、8年前になるだろうか。確か地平線会議で顔を合わせたのがきっかけだった気がする。当時から北極バカですと自分のことを紹介していたが、今回の旅で北極圏は十回目。ここまで来ると北極バカというより、ただのバカの可能性も出てくるが、その分、本物であることは間違いない。でも、そんなに同じ所に行って飽きないのだろうか。「北極は夏になると氷が解けるので、氷の状態が毎年変わるのが魅力」とのこと。聞いてもよくわからんが、極地は行ってみたい。

やはりホッキョクグマが一番怖いらしい。最近は地球温暖化でホッキョクグマの住むところがなくなりつつあります、といった映像がテレビでよく流れているが、「歩いている方からしてみたら、もうちょっと減ってくれても良いのにというくらいいっぱいいます」

来年はいよいよ北極点単独無補強徒歩到達という世界三人目の偉業に挑むそうだ。がんばって欲しい。

   *   *

ドキュメンタリー映画「マン・オン・ワイヤ―」をついに見た。

フィリップ・プティの綱渡りは、冒険が芸術にまで高められた稀有な例だと思う。とても美しかった。ただ年をとり、皮膚の張りが失われた今の彼が同じことをやっても、美しいものとはならなさそう。美しい冒険には、若さというのも必要らしい。


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豚の丸干し

2010年01月12日 15時29分29秒 | 探検・冒険
チベット探検から先日帰国した。

目的はラサから東に約500キロ、世界最後の空白部と呼ばれるツアンポー峡谷の核心無人地区の完全踏査だった。ツアンポー峡谷の探検はかれこれ十年以上前から取り組んでいて、今回の旅はその総決算の意味合いが強かった。

許可なくチベットにもぐりこんだことから、旅はいささかスリリングなものとなった。詳細については雑誌や本にまとめるつもりなので、このブログには書きません。発表できる時にまたお知らせしますが、簡単にいうと地獄のようなツアンポー峡谷をなんとか脱出し、生き延びるのに必死だった。

写真はこの旅で見たもっとも強烈な風景。ギャラという村の近くで木に豚が何匹も干されていた。内臓を切り取って、塩をもみこんで乾燥させているのだというが、豪快すぎる!
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