奇想庵@goo

Sports, Games, News and Entertainments

感想:『虚数の情緒―中学生からの全方位独学法』第I部

2009年11月12日 23時24分06秒 | 学問
虚数の情緒―中学生からの全方位独学法虚数の情緒―中学生からの全方位独学法
価格:¥ 4,515(税込)
発売日:2000-03


1000ページを越える大著。3部構成より成り、2部で数学、3部で物理学を扱う。中学生向けではあるが、そこから現代科学の最先端までの道筋を示す。また、数学や物理学のみならず文学や歴史学などの知識にまで及ぶ教養書的側面も持つ。
まだ全体の1/4しか読み進めていないが、各部ごとに感想を記すことにする。

第1部は「独りで考える為に」と名付けられている。中学生向けに、なぜ勉強するのかといったことが書かれている。
数学や物理学については論理的に書かれている本書であるが、事がそれ以外の分野に及んだとき、いきなり論理性を著しく欠いてしまう。これを読んで反面教師にするとか、ツッコミの勉強にするとかの目的で書かれていないとすると、中学生や高校生がこの第1部を読むのは百害あって一利なしと思えてしまう内容だ。
なぜなら、数学や物理学に精通すれば、論理的な思考が出来るようになると思っていたら実際はこの有様なのだから。数学や物理学を論理的に捉えられるのに、一端その分野から離れれば全く論理性に欠いてしまうとはどうしたことか。

西洋かぶれに対する非難があちこちで見られる。お歳を召した方ならまだしも、ネットで調べたところ1956年生まれだという。
「人類史上初の活版印刷の開発者グーテンベルグ」という記述を見たときから、どうしたものだろうと思ってしまったが、専門分野を除けば博学という印象は受けない。
例えば、「マスコミ」に対する批判。これは世間一般でなされる「マスコミ」批判と変わらない。だが、論理性があるのなら、十把一絡げに「マスコミ」と括って批判するのが愚かなことだと気付きそうなものだ。
もちろん、卓見に富む指摘もある。それでも全体として評価が一面的過ぎることが非常に気になった。いろんな考え方があって、それぞれにどんな背景でそうした考え方が引き継がれてきたのかについての考察がなく、闇雲に日本的な或いは東洋的な文化を褒めちぎったりするきらいがある。

偏狭的なものの見方が多い。その背景にはコミュニケーション能力の欠如があるのではないか。
「個性なるものは、容姿や衣服などの外見的なものにはない、寧ろそうした外見的なものこそ個性に相反するものである事を知らねばならない」と語っているが、個性の本質はむしろ外見にこそ表れる。顔の美醜はともかく、その人がどう生きてきたか、何を思って生きてきたか、そうしたものはちゃんと外見に表れる。むしろ本人の意識しない部分まではっきりと。身体のケアから筋肉の付き方まで生き様を表している。服装や身だしなみ、装飾品なども同様だ。
人の個性とは、その人だけで成り立つものではない。人との関わりの中でこそ現れるものだ。そして、人との関わりとは自分をどう見せるかであり、どう見られるのかを考えなければ成立しない。外見を見ただけでその人となりは伝わる。それを見抜く力もまたコミュニケーションである。
2部に書かれていることだが、「『読み書き話す』という言語を操る能力の中で、最も程度の低いものが、会話能力である」と述べている。確かに、読み書きできなくとも話せる人はいる。だが、最も能力が必要なのも会話能力だろう。読みや書きは時間を掛けて行う場合が多いのに対して、話すのは瞬時の対応を迫られる。状況判断やタイミングなど適切に話すことは非常に多くの要因を考えて行う必要がある。
こうしたコミュニケーション能力軽視は、専門分野以外での偏狭的な発想に繋がっていると考えられる。これは著者に限らない。日本人の知識人の多くに顕著に見られる悪癖だろう。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿