男性向けラブコメにおけるヒロインのタイプとして、まず挙げられるのが主人公との庇護関係から見た母型と妹型だ。
母型は主人公への無償の愛を示し、主人公の自立を促すのではなく、現状肯定型が基本となる。『ああっ女神さまっ』のベルダンディ、”文学少女”シリーズの天野遠子、”物語”シリーズの羽川翼など。主人公の世話を焼く幼馴染系もこの範疇。
妹型は主人公の庇護の元に存在するタイプ。本来はヒロインを庇護する強い主人公像だったが、現在は関係性のみで何らかの問題の解決を要しないことが多い。『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の黒猫、『とらドラ!』の逢坂大河、『ハヤテのごとく!』の三千院ナギなど。
庇護関係が生じない対等な関係の場合、ツンデレ化しているのが顕著だ。『Fate/stay night』の場合、母型=セイバー、妹型=間桐桜、対等=遠坂凛となる。ラブコメは基本的に関係を進展させない前提なので、ツンデレ属性は作者にとって非常に便利と言える。ツンデレでない場合、積極性に欠ける非常に奥手なキャラクターというパターンとなる。
ラブコメがハーレム化している現在ではこの3つの関係に収まらないキャラクターも多い。これは主人公との新たな関係性という形ではなく、関係の薄い立ち位置にヴァラエティに富んだヒロインを配する技法によるものだ。メインヒロイン格に対して、サブヒロイン的なポジションにあたる。
『僕は友達が少ない』の場合、三日月夜空と柏崎星奈がメインヒロインで他はサブヒロインという形だが、7巻で志熊理科が踏み込んでみせたのもサブヒロインという位置だからできたことだ。
ラブコメの場合どうしても主人公との関係性で類型化してしまう。ハーレム系でなければ、主人公とヒロインの関係を進展させることが可能なので類型化は避けられるが非ハーレム系ラブコメは絶滅寸前となっている。
空気系(日常系)の利点は男性主人公がいないためこうした類型化を避けやすい点にある。『らき☆すた』では泉こなたを主人公に想定した関係性で分類可能だが(母=高良みゆき、妹=柊つかさ、対等=柊かがみ)、『ひだまりスケッチ』などこうした関係性から脱した作品も少なくない。
こうした図式はもちろんストーリーものでも当てはまり、男性主人公である程度恋愛要素を含む場合類型化が生じることとなる。スポーツやバトルなど恋愛要素に頼らないものは別として、ヒロインの魅力をアピールしたい場合主人公を男性にしないという選択が必要となる。(『ダーティ・ペア』あたりが日本でははしりか。その後、『スレイヤーズ』など。コミックでは『あずまんが大王』以前には思い当たるものがない。)←と書いたが『風の谷のナウシカ』があった。
女性主人公ユニットで大ヒットしたのは『美少女戦士セーラームーン』で、元は少女マンガ。アニメも少女向けだが男性ファンも多く獲得した。女性ユニットバトルヒロインがその後数多く生まれたが、原作コミックは少女マンガベースだった。コミックは四コマ系を除くと男性向けで女性主人公を立てることを嫌う傾向が強いことが伺える。
『魔法使いのたまごたち』というコミックを読んだ。全寮制の魔法学校に入学した少女6人の物語で、よく出来ている。特にキャラクター造型がしっかりしている印象を受けた。少年シリウスという雑誌に連載され、全3巻で完結となっているが、ストーリー的にはもっと膨らませられた感じだ。男性向け雑誌への連載としては不向きだったのかもしれない。
似たようなタイトルで『魔法使いの娘』も非常に印象深い作品だった。こちらはウィングスという女性向け雑誌に連載された作品。『ここはグリーン・ウッド』の那州雪絵によるもので、主人公は那州らしいガサツなヒロイン。バトル系では男性向けでもこうしたヒロイン像の主人公は珍しくないが、逆に言えばバトル系などに限定されているとも言えるだろう。
ハーレム系ラブコメのワンパターンの関係性にうんざりしがちなだけに、もっと多様なヒロインの立て方を期待したいのだが。
母型は主人公への無償の愛を示し、主人公の自立を促すのではなく、現状肯定型が基本となる。『ああっ女神さまっ』のベルダンディ、”文学少女”シリーズの天野遠子、”物語”シリーズの羽川翼など。主人公の世話を焼く幼馴染系もこの範疇。
妹型は主人公の庇護の元に存在するタイプ。本来はヒロインを庇護する強い主人公像だったが、現在は関係性のみで何らかの問題の解決を要しないことが多い。『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の黒猫、『とらドラ!』の逢坂大河、『ハヤテのごとく!』の三千院ナギなど。
庇護関係が生じない対等な関係の場合、ツンデレ化しているのが顕著だ。『Fate/stay night』の場合、母型=セイバー、妹型=間桐桜、対等=遠坂凛となる。ラブコメは基本的に関係を進展させない前提なので、ツンデレ属性は作者にとって非常に便利と言える。ツンデレでない場合、積極性に欠ける非常に奥手なキャラクターというパターンとなる。
ラブコメがハーレム化している現在ではこの3つの関係に収まらないキャラクターも多い。これは主人公との新たな関係性という形ではなく、関係の薄い立ち位置にヴァラエティに富んだヒロインを配する技法によるものだ。メインヒロイン格に対して、サブヒロイン的なポジションにあたる。
『僕は友達が少ない』の場合、三日月夜空と柏崎星奈がメインヒロインで他はサブヒロインという形だが、7巻で志熊理科が踏み込んでみせたのもサブヒロインという位置だからできたことだ。
ラブコメの場合どうしても主人公との関係性で類型化してしまう。ハーレム系でなければ、主人公とヒロインの関係を進展させることが可能なので類型化は避けられるが非ハーレム系ラブコメは絶滅寸前となっている。
空気系(日常系)の利点は男性主人公がいないためこうした類型化を避けやすい点にある。『らき☆すた』では泉こなたを主人公に想定した関係性で分類可能だが(母=高良みゆき、妹=柊つかさ、対等=柊かがみ)、『ひだまりスケッチ』などこうした関係性から脱した作品も少なくない。
こうした図式はもちろんストーリーものでも当てはまり、男性主人公である程度恋愛要素を含む場合類型化が生じることとなる。スポーツやバトルなど恋愛要素に頼らないものは別として、ヒロインの魅力をアピールしたい場合主人公を男性にしないという選択が必要となる。(『ダーティ・ペア』あたりが日本でははしりか。その後、『スレイヤーズ』など。コミックでは『あずまんが大王』以前には思い当たるものがない。)←と書いたが『風の谷のナウシカ』があった。
女性主人公ユニットで大ヒットしたのは『美少女戦士セーラームーン』で、元は少女マンガ。アニメも少女向けだが男性ファンも多く獲得した。女性ユニットバトルヒロインがその後数多く生まれたが、原作コミックは少女マンガベースだった。コミックは四コマ系を除くと男性向けで女性主人公を立てることを嫌う傾向が強いことが伺える。
『魔法使いのたまごたち』というコミックを読んだ。全寮制の魔法学校に入学した少女6人の物語で、よく出来ている。特にキャラクター造型がしっかりしている印象を受けた。少年シリウスという雑誌に連載され、全3巻で完結となっているが、ストーリー的にはもっと膨らませられた感じだ。男性向け雑誌への連載としては不向きだったのかもしれない。
似たようなタイトルで『魔法使いの娘』も非常に印象深い作品だった。こちらはウィングスという女性向け雑誌に連載された作品。『ここはグリーン・ウッド』の那州雪絵によるもので、主人公は那州らしいガサツなヒロイン。バトル系では男性向けでもこうしたヒロイン像の主人公は珍しくないが、逆に言えばバトル系などに限定されているとも言えるだろう。
ハーレム系ラブコメのワンパターンの関係性にうんざりしがちなだけに、もっと多様なヒロインの立て方を期待したいのだが。
最近のラブコメなんかだと、そうしたテンプレを俯瞰する形でキャラは組まれてるんだろうなーと。
三類型以外のヒロインが「メインヒロイン」であるパターンとなるとあまり想像できませんが(エヴァのレイも母型/妹系を横断している感じですし)、例外となるとすると、いっそ「男性が求めない」女性像、完全に男性の価値観と剥離したヒロインがいてもいいかもしれないなとはよく感じます。
結果的に主人公を肯定する、男性の想定する物語(広い意味での価値観の中で)のヒロイン、というパターンから逃れている例はあまりありませんし。
非ハーレム系ラブコメは存在できない流れがある、みたいなのはまあ、これも感じますが(苦笑)、それだけテンプレとの距離感が微妙になってきている(もしくは固定されてきている)ということなのかもしれませんね。
キャラが立っているか否かを考えたとき、どうしても主人公との相対的な関係でしか「立たない」ようになってしまっているというか。
後は、ライトなコメディという体裁ではどうしてもヒロインとの関係を揺らし続ける運動が必要というのもあるのかもしれませんが、こんな事を言えるほどサンプルとしての数をこなしていません(苦笑)。
まあ結局だからどうしたって話なので、書き直す必要もないかなとw
to 名無しさん
ラブコメ=はしか説を唱えていて、初めて罹患する人にとっては黄金パターンが素晴らしいのは間違いないでしょうw
ただ完全なラブコメじゃなくてもラブコメ的要素の入った作品は多く、それらの作品まで手垢まみれのパターンだとげんなりしてしまいます。
男性向けに飽きたら女性向けコミック等を読めばいいだけとも言えるので、広い視野で見れば多様性はあるのですけどね。(もちろんそちらはそちらで別のパターンはあるわけですが)
また、私が空気系を心地よく感じるのもそうしたパターンを感じずに女性キャラクターを楽しめるせいでしょうがw
コミックやラノベが長期連載を前提にしている以上、ヒロインとの関係に様々な試練を与えたり、ヒロインの複数化を図ったりするやり方は妥当なのでしょうが、大半は安直なパターン化のように感じてしまいますね。まあヒットした作品はずるずると終わらせない業界でもあるので、特にコミックではなかなかパターンからの脱却は難しいのかもしれませんが。