ゲーム開発メーカーである「アルファ・システム」の全掲示板が閉鎖された。コアなゲームファンを除けばほとんど知名度もないであろう一企業の掲示板の閉鎖だが、ひとつの時代の終わりを感じる出来事だ。
公式サイトはかなり古くから設置されているが、一躍注目を集めたのはプレイステーション用ゲーム『高機動幻想ガンパレード・マーチ』の発売後のことである。宣伝費がほとんどゼロという中で、無名のソフトが口コミを中心に広まり、CESAの日本ゲーム大賞優秀賞などの評価を得た。その原動力のひとつがアルファ・システムサイト内に置かれた公式サイトであった。ガンパレが発売された2000年は、コンシューマ専用オンラインゲームの先駆けであるセガの『ファンタシースター・オンライン』が発売された年でもあり、ようやくインターネットが身近なものとなってきた時期である。ガンパレの口コミでの普及の一翼を担ったのはネットで発信するようになったプレイヤーたちであり、彼らにとって良くも悪くも公式サイトの存在は大きかったのは確かだ。
ガンパレの公式サイトに初めて訪れたのは発売から半月ほどたった2000年10月中旬だったと思う。きっかけは、ゲーム雑誌の中で唯一ガンパレに注目し、異常なほどプッシュし続けた「電撃PlayStation」誌に公式サイトのことが書かれていたことだ。公式サイトで何より驚いたことは、メインの掲示板で来訪者に、ゲームの開発の中心人物のひとりである「やがみ」さんが、直接多くのレスを返していたことだ。当時は本当に”ど”が付くほどマイナーなゲームであり、だからこそできたことだろうが、ほとんど全てのコメントに対し丁寧なレスを返していた。「初めまして」といったものから、入手できない、こんな攻略をした、バグがあるといった様々な発言に非常に真摯に対応されていた。そのためそこに集った者たちは同志のような感覚となり、なんとしてでもガンパレを広めようという気分になった。
そうした盛り上がりが功を奏し、徐々に認知されだした12月に事件が起こった。「世界の謎」掲示板でガンパレの設定を使ったゲームが行われた。
このゲームには多くのプレイヤーが挑み、大いに盛り上がったのは事実だが、一方で特異な公式の裏設定が次々と暴露されたことに反発するものは少なくなかった。ファンの幅が非常に広いゲームだっただけに、その一部にだけ受け入れられる形となってしまった。
しかし、試みとしては斬新で、熱心に参加したプレイヤーにとっては非常に心に残るものとなった。開発者側の出した「謎」にプレイヤーが協力して挑み、知力を振り絞って考える事はそう体験できることではない。あの当時だからこそできたことだったのは間違いない事実だ。
賛否両論かまびすしかった謎ゲームが終わり、年が明け、沈静化するかと思われたが、今度は「ファンパレ」と呼ばれる掲示板に舞台を移し、今度はファン同士で盛り上がるという状況となった。品薄で入手しにくかった時期が過ぎ、広く普及したことが原因だが、とにかく大きなパワーが感じられた。書き込みが殺到し、シリアス、ギャグ、キャラ萌え、ショートストーリー、ガンパレと全然関係ない話題まで幅広い内容だったのに、荒れることがほとんどなかったのは今では本当に考えられない。ファンにとって蜜月の3ヶ月だった。その後、ファンは個人サイトに分散していった。
こうした盛り上がりが、ガンパレを一ジャンルに押し上げ、CDドラマやアニメ化といった流れに導いた。そして、昨年システム的な続編に当たる『絢爛舞踏祭』、今年にはガンパレの正統な続編『ガンパレード・オーケストラ』3部作を発売した。ガンパレのヒットなしには生まれなかったであろうこれらの作品でも掲示板が設置され、ゲームデザインを担った芝村氏自らがレスをしたが、残念ながら昔のような盛り上がりには至らなかった。
ガンパレは、作り手と受け手の距離をここまで近付けた稀有な例である。それは理想ではあるが、お互いにとって非常に難しいことでもある。当時無名に近かったからできたことではあるが、有名になっても生かせるノウハウはあったのではとも思う。ゲームに限らず、作り手と受け手とのコミュニケーションが重要な時代である。ゲームに限らず、ブログなどを利用してその距離を縮めようと努力している。
アルファ・システムの掲示板閉鎖を伝えるコメントに、「皆様に良質のゲームをお届けできるよう、より一層社業に努めて参ります」とある。プレイヤーと良質の関係を築くためにはまずいいゲームを作ることが必要となる。『絢爛舞踏祭』『ガンパレード・オーケストラ』といった作品は、いい部分、面白い部分、ユニークな部分もあったが、全体としては物足りなさを感じてしまった。掲示板の存在が理由ではないが、ガンパレからの継続性が必要とされてしまい、斬新さを描けなかったかもしれない。アルファ・システムにとっては囲い込みをしていたお得意様を切ることになるため、大きな決断だったに違いない。
それと同時に感じたことは、日本の掲示板文化が「2ちゃんねる」の侵食によって激しく衰退していることだ。匿名掲示板の有効性はもちろん理解するが、その流儀が一般の掲示板にまで広がり、こうした公式サイトや個人のファンサイトなどの存立さえ揺るがしかねないように思う。好ましく思わないSNSの台頭の要因もそこにある。今回の閉鎖はある種の「終わりの始まり」のようで残念に思う。これは杞憂に終わってくれればいいのだが・・・。
公式サイトはかなり古くから設置されているが、一躍注目を集めたのはプレイステーション用ゲーム『高機動幻想ガンパレード・マーチ』の発売後のことである。宣伝費がほとんどゼロという中で、無名のソフトが口コミを中心に広まり、CESAの日本ゲーム大賞優秀賞などの評価を得た。その原動力のひとつがアルファ・システムサイト内に置かれた公式サイトであった。ガンパレが発売された2000年は、コンシューマ専用オンラインゲームの先駆けであるセガの『ファンタシースター・オンライン』が発売された年でもあり、ようやくインターネットが身近なものとなってきた時期である。ガンパレの口コミでの普及の一翼を担ったのはネットで発信するようになったプレイヤーたちであり、彼らにとって良くも悪くも公式サイトの存在は大きかったのは確かだ。
ガンパレの公式サイトに初めて訪れたのは発売から半月ほどたった2000年10月中旬だったと思う。きっかけは、ゲーム雑誌の中で唯一ガンパレに注目し、異常なほどプッシュし続けた「電撃PlayStation」誌に公式サイトのことが書かれていたことだ。公式サイトで何より驚いたことは、メインの掲示板で来訪者に、ゲームの開発の中心人物のひとりである「やがみ」さんが、直接多くのレスを返していたことだ。当時は本当に”ど”が付くほどマイナーなゲームであり、だからこそできたことだろうが、ほとんど全てのコメントに対し丁寧なレスを返していた。「初めまして」といったものから、入手できない、こんな攻略をした、バグがあるといった様々な発言に非常に真摯に対応されていた。そのためそこに集った者たちは同志のような感覚となり、なんとしてでもガンパレを広めようという気分になった。
そうした盛り上がりが功を奏し、徐々に認知されだした12月に事件が起こった。「世界の謎」掲示板でガンパレの設定を使ったゲームが行われた。
正確に言えば、世界でも何十人かに与えられた、ゲームよりも面白いもう一つのゲーム
というところでしょうか。プレイヤーが賭けるのは時間と知力、テーブルはこのBBS。報酬は不明。
参加費用はガンパレード・マーチ。
対戦相手である向うはハンデとして、まったく論理矛盾のない行動計画書だけを残しています。
対戦相手がいないテーブルで、ノート相手に、世界最高峰の知的遊戯が行われていると
考えるのはいかがでしょう?
たぶん、世界中さがしたって、こんな静かで深刻な戦いはないと思いますが。
このゲームには多くのプレイヤーが挑み、大いに盛り上がったのは事実だが、一方で特異な公式の裏設定が次々と暴露されたことに反発するものは少なくなかった。ファンの幅が非常に広いゲームだっただけに、その一部にだけ受け入れられる形となってしまった。
しかし、試みとしては斬新で、熱心に参加したプレイヤーにとっては非常に心に残るものとなった。開発者側の出した「謎」にプレイヤーが協力して挑み、知力を振り絞って考える事はそう体験できることではない。あの当時だからこそできたことだったのは間違いない事実だ。
賛否両論かまびすしかった謎ゲームが終わり、年が明け、沈静化するかと思われたが、今度は「ファンパレ」と呼ばれる掲示板に舞台を移し、今度はファン同士で盛り上がるという状況となった。品薄で入手しにくかった時期が過ぎ、広く普及したことが原因だが、とにかく大きなパワーが感じられた。書き込みが殺到し、シリアス、ギャグ、キャラ萌え、ショートストーリー、ガンパレと全然関係ない話題まで幅広い内容だったのに、荒れることがほとんどなかったのは今では本当に考えられない。ファンにとって蜜月の3ヶ月だった。その後、ファンは個人サイトに分散していった。
こうした盛り上がりが、ガンパレを一ジャンルに押し上げ、CDドラマやアニメ化といった流れに導いた。そして、昨年システム的な続編に当たる『絢爛舞踏祭』、今年にはガンパレの正統な続編『ガンパレード・オーケストラ』3部作を発売した。ガンパレのヒットなしには生まれなかったであろうこれらの作品でも掲示板が設置され、ゲームデザインを担った芝村氏自らがレスをしたが、残念ながら昔のような盛り上がりには至らなかった。
ガンパレは、作り手と受け手の距離をここまで近付けた稀有な例である。それは理想ではあるが、お互いにとって非常に難しいことでもある。当時無名に近かったからできたことではあるが、有名になっても生かせるノウハウはあったのではとも思う。ゲームに限らず、作り手と受け手とのコミュニケーションが重要な時代である。ゲームに限らず、ブログなどを利用してその距離を縮めようと努力している。
アルファ・システムの掲示板閉鎖を伝えるコメントに、「皆様に良質のゲームをお届けできるよう、より一層社業に努めて参ります」とある。プレイヤーと良質の関係を築くためにはまずいいゲームを作ることが必要となる。『絢爛舞踏祭』『ガンパレード・オーケストラ』といった作品は、いい部分、面白い部分、ユニークな部分もあったが、全体としては物足りなさを感じてしまった。掲示板の存在が理由ではないが、ガンパレからの継続性が必要とされてしまい、斬新さを描けなかったかもしれない。アルファ・システムにとっては囲い込みをしていたお得意様を切ることになるため、大きな決断だったに違いない。
それと同時に感じたことは、日本の掲示板文化が「2ちゃんねる」の侵食によって激しく衰退していることだ。匿名掲示板の有効性はもちろん理解するが、その流儀が一般の掲示板にまで広がり、こうした公式サイトや個人のファンサイトなどの存立さえ揺るがしかねないように思う。好ましく思わないSNSの台頭の要因もそこにある。今回の閉鎖はある種の「終わりの始まり」のようで残念に思う。これは杞憂に終わってくれればいいのだが・・・。
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