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今日の話は昨日の続きで、20年近く前の話です。
1988年12月6日付けの毎日新聞は「人知れぬ悩み:香りアレルギー、電車やエレベーターで、化粧品の香りだけでかゆくなる人も多い」と題する記事の中で、化粧品会社「アクセーヌ」の事業部長、宮原幹夫さんは「香り商品の代表格である化粧品の場合、10人に1人がアレルギーを起こすが、その原因物質として最も多いのが香料」とおっしゃっています。
「社外から疲れて、本社に帰って来ると、パット感じ、リフレッシュしたような気分になり、一日の生活にリズムがつくような感じ」「香りによる刺激はキー・パンチャーのミス率を減少させることが確認された」「オフィス空間に香りを流してストレス解消に役立てたい」「ショールームに香りを流してイメージアップをはかろう」「会議中にレモンの香りを流すと会議の能率が上がる」などという断片的な情報や一過性の調査結果を基に、次々とこの種の機器やシステムを導入していくところは技術に偏りがちなわが国の大きな問題であろうと思います。
私は「香り」にある種の治療効果があることを否定するつもりはありませんし、ほのかにかおる香水の効用を否定するものではありませんが、問題なのは空調施設を利用してある意図のもとに化学物質を不特定多数の人々のいる室内に供給するというアイデアです。
私はこのような問題意識を持って、1989年の秋頃からおよそ2年間、「香り」に関する新聞記事を見てきましたが、香りの効用をうたい、香りが快適生活を約束するかのようなPRまがいの記事が次から次へと登場する中で、これらの風潮に疑問を呈した意見はほとんどありませんでした。
私の目にとまったのはわずか2つの記事だけでした。一つは1990年9月2日付けの朝日新聞の「天声人語」で、もう一つは1991年5月10日付けの日本経済新聞に掲載された立教大学教授の北山晴一さんという方のエッセイ「もの観高く…無臭化社会」です。
北山さんは「先日、新聞で大手建設会社がオフィスでのテクノストレスの緩和のために、空調を利用して人工の香りを流すことを開発した、という話を読んだ。これには驚きどころか、恐怖を感じた。人間の感覚の中で最も敏感なきゅう覚を職場で一律に管理しようというのである。こうゆう発想は他の国ならファシズムと呼ばれるだろう」とおっしゃっています。
建設会社にも室内環境の専門家はいるでしょうし、化学会社や化粧品の会社には人工の香料の専門家がいるはずです。また、建築学科を有する大学は数多くありますし、住居学という講座を設けている大学もあります。労働衛生の専門家の中には、空調関係の専門家がいるはずです。厚生省、労働省、建設省の本省あるいはそれらの付属研究機関には空調関係の担当者や専門家がいるはずです。空調関係の企業団体もあります。このような専門家の方々がこうした新しい傾向にほとんど声をあげないのはどうゆうわけなのでしょうか?
日本は「治療志向の国」なので事故が起こり、犠牲者が出るまでは研究者も行政も腰を上げないというのでしょうか?
今日の話は最初にお断りしたように、20年近く前の話です。人と人との関係、人と機械の関係に加えて、国際競争の激化、労働時間の延長や雇用形態の変化など労働環境は2000年以降さらに厳しさを増しています。家族関係も劣化してきたように感じます。このような現状への対症療法として、癒し系ビジネスやスピリチュアルなビジネスなどを含め、「人の心へアクセスするビジネス」が増えてきていることが気がかりです。
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またちょくちょく拝見させていただきます。
労働環境の整備というと、「どうしたら社員が今よりもっと効率的に、バリバリ働けるか」という視点でしたか考えられない日本の状況がとても残念です。
「どうしたら社員がもっと人間らしくく、仕事にやりがいをもって働けるか」という視点で取り組めたらもt
社会全体が悪循環しているのですね。
このブログにご関心いただきありがとうございます。環境問題(住環境、労働環境問題を含めて)はmemaidoさんのテーマである「金融問題」と直接、間接に関係のある問題です。
私の2月2日のブログ「環境問題の原因も解決も経済のあり方、社会のあり方の問題だ!」
http://blog.goo.ne.jp/backcast2007/e/958902406a0d6a270c73f2aef67afce6
をご覧ください。
あすかさん、
私も似たような経験をしたことがあります。コメントの投稿は修正できないのでしょうか。5月2日のブログのコメントをご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/backcast2007/e/7b660aa23463f411d0839b57ada71a24
スウェーデンが20世紀に高福祉・高負担でつくりあげた「福祉国家」は人にやさしい国家(社会的側面と経済的側面の充実)でした。しかし、21世紀にスウェーデンがめざすビジョン「緑の福祉国家」は人と環境の両方にやさしい国家(社会的側面、経済的側面そして環境的側面の充実)への転換です。
一方日本の21世紀のビジョンは、20世紀の「経済成長」を基本的にはそのまま延長したと考えられる「持続的な経済成長」です。ですから、「悪循環」というよりも、ビジョンを遂行するためには20世紀と同様に「住環境や労働環境」は二の次ということではないのでしょうか。そうでないことを望みますが・・・・
空調を利用し一斉に香りを流す発想というものはファシズムのようかもしれませんね。。。
たとえ仕事の効率が上がる香りを流したとしても、その香りが好まれなければ、意味がないことですから。
おっしゃられますように、21世紀になり、癒しビジネスは当たり前になっております。
私は、アロマテラピーの講師活動をしておりますが、なぜ、日本人にアロマテラピーが受け入れられるのか考えていただくようなお話もいたします。
正直、私も「人の心へアクセスするビジネス」が増えてきていることは、とても気がかりであります。
なので、私はこれを通しながら気付かされることもありましたし、また癒しを求める根本的な原因が解消され、癒しビジネスがなくてもいい社会になるよう願いたいと思っております。
アロマテラピーなどの自然療法というものは、ご存知かもしれませんが、海外では国家資格とし代替医療としても行われております。
しかし、日本では民間資格の為に「癒し」という形でしか取り入れられないのが現状です。
以前に比べますと、西洋医学と照らし合わせながら、ホリスティック医学として自然療法を取り入れる病院なども増えてまいりました。
ホリスティック医学は、人間を心・身体・エネルギーなどの面から総合的に捉え、これらをすべてよい状態に整えていくいう考え方です。
同じく、アロマテラピーもホリスティック医学のひとつで、身体と心は密接につながり、病気やけがも心を変えていくことによって共に癒されていく。と、考えます。
そして、癒すのは、他の誰でもない。自分自身ということ。
私は、西洋医学を否定するわけではありませんが、頭痛がするから頭痛薬を出す。と、いう考え方はどうかと思うのです。
頭痛が起きるにもいろんな原因があり、通常の病院であれば、その原因を探ることなんてされません。
ヒポクラテスは、芳香療法・マッサージの効能にも深い理解を示しておりました。
それは、「癒し」としてでなく「健康になる」ということで。
なので、ヨーロッパなどでは「心」=「身体」という考え方が根強く残っていると思います。
しかし、17世紀に哲学者デカルトが「心」=「身体」は別だ。
ということで、近代科学の興隆の中この考え方が広く受け入られてしまいました。
しかし、今ではヒポクラスの考え方に戻りつつあります。
なので、今の時代は癒しビジネス全てが「癒し目的」でなく「医療」という新しい取り入れ方をされる転換期でもあるのかな。と思っております。
自然療法なるものが、国家資格となる時代が来たならば・・・。
「癒し」で行うビジネスか「医療」として行うビジネスかハッキリと区別されてくると思いますので、今「癒しビジネス」が蔓延しているのは、仕方のないことかもしれません。。。
(何だか上手くまとまらず、すみません><)