酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

把瑠都に「帰れ」コール

2012-01-20 05:55:40 | Weblog
 大相撲初場所12日目、結び二番のあっけなさに各紙がブーイングを浴びせている。把瑠都と日馬富士がともに立会いの変化で勝ったのがお気に召さないようだ。

 ≪199センチ、188キロの巨体を左へひらりと飛ばせた把瑠都。稀勢の里の首根っこを押さえつけると、新大関は勢い余って横転した。1秒0で、把瑠都が優勝へ大きな星をさらった。

 客席から怒気を含んだ「帰れ」の連呼。ため息も残る中、今度は結びで日馬富士が変化で横綱を送り出す。現役時代、敢闘相撲で鳴らした土俵下の中村審判長(元関脇・富士桜)も「看板の2番があれじゃ、お客さんは怒るよ」とこぼした≫=毎日jp=。

 「怒気を含んだ帰れの連呼」とすんなり書いているのがきになる。「帰れ」とはどういう意味か。「国へ帰ってしまえ」という趣旨だろう。つまらないプレーにブーイングを鳴らすのは当たり前だが、外国人を的にした「帰れ」はいただけない。

 国技館ホールの周囲を飾る優勝額は、今場所からすべて外国人力士にものになってしまった。横砂大関は6人中4人までが外国人、幕内全体では36%が外国勢である。体格、体力に優れた彼らが、出世するのは仕方がない。対抗できない日本人力士がだらしないのだ。

 稀勢の里は頭を下げすぎていた。白鵬は横綱、あれぐらいの変化を残せないようでは双葉山を超えるなど至難の業といえよう。

 新聞が大相撲をスポーツ面に乗せている以上、勝った側をくさすより負けた方の奮起を促すのが筋ではないか。あの野村克也(原典は松浦静山)も言っているではないか。「負けにに不思議の負けなし」と。

 外国人力士の相撲が荒っぽく、味がないのは師匠の指導が悪いのだ。というより、把瑠都や琴欧洲に相撲を覚えられたら大変なことになると考えているのではないか。白鵬みたいなのが次々と出てきては、日本人力士のつけ入るすきがなくなるからだ。

 外国人力士をヒール扱いする今の風潮が続けば、相撲はやがてプロレス化する???
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