酔眼独語 

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麻生とメディアの「迷走二人三脚」

2009-07-02 05:49:51 | Weblog
 麻生首相も自民党も大新聞も、一体どうなっているのだろう。迷走に続く迷走を繰り広げ、最後には開き直る。政界は妖怪の棲家だと思っていたら、いつの間にか本丸が溶解していた。一度や二度の選挙で体質改善などできそうもない。困ったことだ。

 「首相、来週にも党役員人事」「首相、党役員人事を断念」「首相、人事断行の意向」「首相、党人事を断念」 これは6月27日以降、今月2日付けまでの朝日新聞の見出しである。

 麻生のぶれを指摘する前に、この紙面の大揺れについてきちんと釈明すべきではないか。見出しの変遷に象徴される、報道内容の混乱は何に由来するのか。想像は付くが、これはメディア自身が解説しなければならない問題だ。他人に説明責任を求めるだけでは、信頼と権威? を失墜させるだけだろう。

 迷走の原因の最たるものは、麻生の優柔不断さと実行力の乏しさである。でも、こんなことは就任以来分かっていることだ。そんな麻生が言うことを真に受けてはいけない。子どもでも分かりそうなことが、なぜメディアで常識化されないのか。

 1日の会見で麻生は「(党役員人事について)私の口からただ一言も『やる』と聞いた人はいないと思う」と述べている。各紙に目を通したが、これに対する反論はない。こんなことを言われて、黙って引き下がる記者とは何なのか。

 もっとも、かの大先生も君臨されるようなメディアには、もっと深謀があるのかもしれない。麻生が観測気球的に漏らした一言を、針小棒大に党内にいい回り、反感を煽り立てて麻生の意図をくじく、などの作戦である。

 1日付けの毎日が1面で報じた「東国原 入閣で調整」などがその代表格だ。

 いろいろな動きを伝えるのはメディアの役割だ。確定的でない情報でも、動きとして伝えることに価値があるケースは多い。だが、今回の自民党人事をめぐる一連の報道は、推測と思惑だけでつくり上げた「妄想報道」というべきだ。

 「どす黒いまでの孤独」とは麻生の名せりふ? だが、メディアの迷走を見ているとそれが本当だとよく分かる。だれも麻生の直接取材をしていない。会見やぶら下がりで、埒もない質問を繰り返しているだけだ。

 かくして、麻生とメディアの迷走二人三脚は、退陣まで続くことになる。
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