前回の妻恋坂の中腹横に、二枚目の写真のように、短い階段があり、そこから上が北へまっすぐにかなり緩やかな上り坂となっている。途中ちょっと勾配がつくがそれでも緩やかで、坂上にまた階段がある。ここが立爪坂で、写真のように、短い坂で、坂下と坂上が階段になっている珍しい坂である。
一枚目の尾張屋板江戸切絵図(小石川谷中本郷絵図 文久元年(1861))を見ると、妻恋坂の途中から北へまっすぐな小路に立爪サカとある。近江屋板にも△立爪サカとある。いずれも坂上は突き当たりで左折のみのL字形の道であり、これは、現在も同じである。
別名を芥坂といったようで、『御府内備考』には次のようにある。
「芥坂 芥坂は妻恋坂の中腹より北へ通る小坂なり、その辺芥を捨る処なれば里俗呼名となせり、」
同じく三組町の書上に次のようにある。
「一坂 幅五尺余、高四間余、登拾五間、 右坂の脇崕下芥捨場に致候間、里俗に芥坂と相唱申候、尤町内持に御座候」
ただし、岡崎は、この書上を別のところの坂の説明として引用している。
横関は、この芥坂を「文京区湯島三丁目の妻恋坂の北側の横町を、もとの三組町へ上る坂。立爪坂とも」とする。上記の三組町の書上を、この坂の説明として引用しているが、石川も同じである。この坂名は、上記のように、他のゴミ坂と同様で、芥捨場であったことに由来する。
また、横関によれば、立爪坂という名について、胸突坂などと同じように、急坂を意味するとし、立爪というのは、「爪立ちする」「爪先で歩く」という意味で、急坂を上って行く姿勢と解釈している。いまの立爪坂は、そんなに傾斜はないが、昔はさぞ急であったろうと推測している。
坂上の階段がその名残りをわずかに伝えているのかもしれない。
(続く)
参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大日本地誌大系御府内備考 第二巻」(雄山閣)