午後阿佐ヶ谷駅北口からバスで鷺宮駅前下車。
妙正寺川は、以前、水源の妙正寺池から鷺宮駅前まで歩いているので、今回は駅前の八幡橋から下流に向けて歩くことにする。とりあえずの目的地は中野区のはずれ(新宿区の落合公園)である。
道路が両側に川沿いに延びている。歩いてしばらくすると、川のフェンスに沿って植え込みが続いているので安心する。
鷺宮駅の上流側では確か緑がまったくないところが続いており、それで、前回はここで川沿い歩きを止めた記憶があったからである。緑がないと殺風景となり、歩いていてもなんとなく楽しくない。
川を見ると水量がかなり少ない。やはり水源の妙正寺池の湧水量が減っているからであろうか。
歩いていくと、植え込みの緑が途切れているところも多い。こうしたところでは舗装の隙間から伸びている雑草でもほっとする。短いが遊歩道となっているところもあり、変化に富むコースではある。
途中、第四中学の手前の太陽橋で途切れているので、左に進みすぐに右折し、中学のわきを通り、川沿いの道路に戻る。ちょっと歩くと、環七通りでまた途切れている。手前の公園でちょっと一休み。暑くなってきたので一枚脱いで体温調整。
歩道橋で通りを越え、住宅地を通って川にでる。洪水対策の工事のため川が見えないところが続いている。
しばらくすると、右手にこんもりとした森が見えてくる。中野区 平和の森公園である。
石段を上り中に入ると、池があって鴨も泳いでいる。さらに奥の一段高くなったところに大きな広場がある。広々としている。
中野刑務所があったところで、現在、この公園と下水処理場になっている。隣接の法務省研修所内に煉瓦づくりの建造物が残っているが、刑務所の正門らしい。
ここが車谷長吉「刑務所の裏」(後の「密告」)の舞台である。
『私のアパートのある位置は、中野刑務所(旧豊多摩刑務所)北側の裏塀の下に妙正寺川が流れていて、その川と西武線の線路とに挟まれた貧民街だった。敗戦直後に建築されたと思われる老朽木造アパートが、細い路地の両側に犇(ひしめ)いていた。』(車谷長吉「飆風」文春文庫)
これは昭和四十年代の話であると思う。もう40年も前のことである。
わたしは車谷長吉を二三年前の一時期かなり熱心に読んだ。きっかけは「赤目四十八瀧心中未遂」(文春文庫)であった。以前からなんとなく気にかかっていた作家であったが、古本屋の百円コーナーで見つけたので読んでみたのである。おもしろかった。読み始めるとほぼ中断せず一気に読み終わった。久々におもしろい小説を読んだ気がした。その後、文庫本をこんどは新刊で買い込みほとんど読んだ。
公園を出てから沼袋駅方面には行かず川沿いにさらに進む。
(続く)
参考文献
昭和三十年代東京散歩(人文社)