東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

新坂(市ヶ谷駅前)~三年坂

2011年08月21日 | 坂道

新坂下 新坂下 新坂下 新坂中腹 前回の帯坂下を左折し、ちょっと歩くとJR市ヶ谷駅前の交差点であるが、ここを左折すると新坂の坂下である。ここから西南へまっすぐに上っている。勾配は中程度よりやや緩やかといったところか。駅前の繁華街であるが、それでいて落ち着いた雰囲気もある。

西側坂上近くに標柱が立っており、次の説明がある。

「この坂を新坂といいます。新しく作られた坂ということでしょう。江戸時代の地図をみますと、ここに道はなく、人々は東側の帯坂や西側の三年坂へ迂回しなければなりませんでした。しかし、明治二十三年(一八九〇)三月の『東京市区改正全図』には三等道路として、この道を通す計画が書き込まれています。大正元年(一九一二)の「東京市麹町区地籍地図」では、この道を地図上で確認できます。」

新坂上側 新坂上側 新坂上側 新坂上 尾張屋板江戸切絵図(東都番町大絵図)を見ると、市ヶ谷御門から南へ上る帯坂と、その西側の三年坂との間に、確かに道はなく、近江屋板も同様であるので、ここは江戸から続く坂でないことがわかる。

明治地図を見てもないが、戦前の昭和地図を見るとある。標柱の説明からすると、明治後半ごろにできたものであろうか。

ただし、単に新坂という坂名がついていることだけで、歴史的に新しい坂であるか否かは判断できない。坂ができた当時新しければ、新坂という名が付けられたからである。新坂は都内にたくさんある(横関で20)が、江戸時代の新坂(たとえば、赤坂の新坂)もあるし、ここのように明治になってからできた新坂もある。いつできたか判然としない新坂(南麻布の新坂)もあるが、これはちょっと不思議である。

坂上は、前回の帯坂まで歩いてきた二七通りであり、この通りを横切って南に延び、その先は、やがて善国寺坂へ至り、新宿通りにつながる。

三年坂上 三年坂上 三年坂上 三年坂上側 新坂上を右折し西へちょっと歩き、一本目を右折すると、三年坂の坂上である。細い坂道がまっすぐに北へ下っている。勾配は新坂よりもなく緩やかである。

尾張屋板江戸切絵図(東都番町大絵図)を見ると、市ヶ谷御門の近くの帯坂の西に△三年坂とある。近江屋板も同様。岡田屋嘉七板御江戸大絵図にも「三年サカ」とある。帯坂と同様に江戸時代から続く坂である。

坂上近くに標柱が立っているが、次の説明がある。

「この坂を三年坂といいます。
『新撰東京名所図会』には、「下六番町の方より土手三番町の中間を貫き土手際に降る坂をいう。三年坂は現今通称する所なるも三念寺坂を正しとす。むかし三念寺といえる寺地なりしに因り此名あり。然るに俗間誤りて三年坂と称し、」とかかれています。」

『御府内備考』には次の説明がある。

「三年坂 市谷御門のうちより六番町へ上る坂をいふ。寛永十三年御郭出来の時、あらたに開けるゆへ三年坂と名付しよし。【南向茶話】名貞雄が云、右の説いぶかし。今本郷元町にある楽王山三念寺は正しく此所にあり。今の高木氏・榎本氏等のやしきは三念寺の舊(旧)地なるよしを聞は、うたがふらくは夫ゆへの名にはあらずや。【江戸紀聞】」

三年坂中腹 三年坂中腹 三年坂下 三年坂下 三年坂も都内にはたくさんあり、横関は、次の六つの坂を挙げている。(⑦はここで追加したが、旧東京市内でない。)

①台東区谷中五丁目の観音寺の築地塀の奥にある坂(別名蛍坂)
新宿区の神楽坂の途中から本多横町の通りを筑土八幡に向けて下る坂
③神楽坂駅近くの早稲田通りから下る江戸川橋通りの坂(別名地蔵坂)
千代田区霞ヶ関の財務省南側の坂
⑤千代田区五番町の市ヶ谷駅近くの坂
港区の我善坊谷坂を下り直進し左折して上る坂(三念坂)
杉並区の善福寺川尾崎橋近くの坂

横関によれば、三年坂と呼ぶ江戸時代の坂が旧東京市内に六ヵ所ばかりあり、いずれも、寺院、墓地のそば、または、そこから見えるところの坂であるとし、昔、この坂で転んだものは、三年のうちに死ぬというばからしい迷信があった。お寺の境内で転ぶとすぐにその土を三度なめないと三年のうちに死ぬという迷信があり、坂はころびやすい場所であるので、お寺のそばの坂は、特に人々によって用心された。こうした坂が三年坂と呼ばれたという。

この坂も、尾張屋板江戸切絵図には寺はないが、切絵図にある高木、平野の両家の所に本郷に移転した楽王山三念寺があった。

横関は、上記の『南向茶話』による、寛永十三年にあらたに開かれたため三年坂と名付けたという年号由来説に対し、いつまでも強情を張っているとし、江戸の坂の名は、ほとんど江戸っ子が付けたもので、寛永十三年にできたから三年坂というような名前の付け方はしなかった。これはいかにも上方趣味で、江戸っ子好みではない。もしそうだとすると、五年坂や七年坂や九年坂もあってよいはずだが、そういう坂はないと批判している。

ここは、三念寺のそばの坂であったので、三念寺坂と書き、それが三念坂となり、三年坂に変化したとする。

石川は、上記の『新撰東京名所図会』による、三念寺坂が正しく、誤って三年坂とよんだとする説に懐疑的で、三年坂は横関と同じく上記の迷信からきているとする。

坂下を左折し、外濠公園を通って四谷駅へ。

今回の携帯による総歩行距離は10.2km。

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「大日本地誌大系御府内備考 第一巻」(雄山閣)

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