東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

百反坂

2015年01月12日 | 坂道

今回は、大崎駅周辺から西へ上る坂を巡ってから、その南側にある戸越銀座近くの坂を上った。

百反坂下 百反坂標識 百反坂下 百反坂下 午前大崎駅下車。

南口から地上に降りて山手線を左に見ながら南へしばらく歩くと、信号のある交差点に至るが、T字路になっていて、右(西)へ二車線の道路が延びている。この道が百反坂で、交差点のあたりが坂下である(現代地図)。品川区大崎二丁目12番と西品川三丁目21番との間を西へ上る。

坂下の交差点の近くから坂上側を撮ったのが一枚目の写真で、歩道の端に柱状の標識が立っている(二枚目の写真)。品川区教育委員会によるもので、次の説明がある。

『この、現在「ひゃくたんざか」と呼ばれている坂は、古くは「ひゃくだんざか」と呼ばれていた。このあたりは、目黒川に向かって傾斜している台地の端にあたり、その傾斜が段々になっていることから名づけられたという。
 「百」とは、「数が多いこと」を意味する言葉で、「段々が多いこと」から「百段」になり、のちに「百反」に転化したものと考えられている。』

靖国通りの九段坂の由来として坂の段々の数を意味するという説があるが、標識の説明はこれと同じである。むかし(江戸期)の坂は、多くが段々坂であったのかもしれない。尾張屋板江戸切絵図の坂マークは多数の横棒からなるが、これは段々坂が一般的な坂の形態であったことを連想させる。

三枚目の写真は、交差点の反対側(南)の歩道から坂上側を撮ったもので、緩やかに右にカーブしている。四枚目は、ちょっと歩いてから坂下側を撮ったもので、坂下は、ほとんど勾配がなく、かなり緩やかである。

坂下付近には、JR線路を横断する踏切があったが、昭和43年頃に百反隧道、百反歩道橋ができたことで踏切は閉鎖された(品川区HPの品川の坂百反坂)。現在、坂下の山手線側は工事中で、歩道橋はなく、百反隧道も閉鎖されている。

百反坂中腹 百反坂中腹 百反坂中腹 百反坂中腹 坂下から上って、最初の信号の手前から坂上側を撮ったのが、一枚目の写真で、このあたりから緩やかながら傾斜がはじまっていて、また、緩やかに左へちょっとカーブしている。

二枚目は、さらに上ってから坂上側を、三枚目は、そのあたりから坂下側を撮ったものである。

四枚目は、さらに上から坂上側を撮ったもので、こんどは緩やかに右へカーブしている。

この坂は、現代地図を見てもすぐにわかるが、かなりくねくねとうねっている。坂下のちょっと上で右へ緩やかにカーブし、最初の信号のところで左へ緩やかにカーブし、その上で右に緩やかにカーブしている。

このブログで紹介してきた坂は、それ以前に訪れたことのある坂がほとんどであったが、この坂は、今回、初めて訪れた。ユニークな坂名であるが、その由来となった段々の痕跡などなく(当然であるが)、むしろくねくねと曲がっているのが特徴である。

百反坂中腹 百反坂中腹 百反坂上 百反坂上 さらに坂上側に歩くが、一枚目の写真のように、坂上に向けて緩やかな右へのカーブが続いているが、それが終わり坂上の手前でこんどは左にちょっとカーブしている。

そのちょっと上側から坂下側を撮ったのが二枚目である。緩やかな弧を描いて下っている。

さらに歩いて撮ったのが三枚目で、このあたりでほぼ平坦となっているので、坂上であろう。ここを右折する道があるが、ちょっとした勾配で下っている。

四枚目は坂上から坂下側を撮ったもので、坂上手前の小カーブが見える。

坂下から坂上まであたりを見渡しながら歩くと、坂の両側で印象がかなり違うことがわかる。坂の左側(南)はむかしながら(比較的)の街並みだが、右側(北)は高層ビルが並んで超近代的街並みであるので、好対照である。北側は歩道のわきに広場や埋め込みがあって余裕のあるつくりであるが、それでもなにか物足りず、無機質で冷たい感じであるのに対し、南側は狭くて古めかしいが、なにかほっとしたようなところがある。異な感覚かもしれないが、やはり古い方に愛着を感じてしまう。

百反坂上 百反坂上 百反坂下 御江戸大絵図(天保十四年(1843)) 坂上をさらに進み、その進行方向を撮ったのが一枚目の写真で、坂上の先でもきれいな弧を描いてカーブしている。

さらに歩いてから撮ったのが二枚目で、平坦な道になっているが、緩やかな小カーブが見える。

坂上から先は、両側ともに昭和の街並みであるが、ここは百反通りと呼ばれている。

この後、戸越銀座の平和坂からの帰りに、貴船神社前を通ってこの坂の中腹に出て坂を下ったが、三枚目は、その途中で撮ったものである。

四枚目は、御江戸大絵図(天保十四年(1843))の部分図(西端南端付近)である。上(北)から江戸湾に流れ込んでいるのが目黒川である。川のすぐ左(西)にテキスト挿入した「大崎駅」付近の西側にはなにもなく、その下側に、上から矢口道、戸越道、大井道、と示されているだけである。この坂がこれらの道とどう関係するのか、品川区HPの江戸時代の道などで調べたが、不明である。

明治44年(1911)発行の地図を見ると、大崎町と品川町との境界にこの坂がある。坂下は山手線を横断し、東へ目黒川の近くまで延び、坂上は、西へ桐ヶ谷の方へと延びている。坂下の先を除き現在とほぼ同じである。

この坂は、坂下から坂上の先までみごとにくねくねと緩やかなカーブを繰り返しているが、都心の坂としては珍しい。似たような坂として、代官山駅近くの目切坂が思い浮かぶが、この目切坂は狭い一車線の坂道であるのに対し、この坂はちゃんとした二車線である。農道の名残であろうが、拡幅された後もそのむかしの道筋を残しているようで興味深い。

品川区HPの百反坂のデータによれば、この坂は、 延長が約400m  最大勾配が約4.3%(2.5度)である。そんなに勾配はないが、けっこう長く、歩きがいがある。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「東京市15区・近傍34町村⑱荏原郡品川町・大崎町全図」(人文社)

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