東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

茗荷坂下~谷道~水道通り(2)

2011年05月31日 | 散策

藤寺の先 庚申坂下手前 庚申坂下 切支丹坂下 藤寺前から歩くと、やがて向こうにガードが見えてくる。しばらく歩くと、その手前左(東側)に庚申坂下が見える。幅広でしっかりとした感じのする階段坂である。坂下はちょっとずれているが四差路となっており、坂下の反対側にトンネル(ガード)が線路を横切るように西へ延びている。右の写真のように、その先に出口が見えるが、切支丹坂の坂下である。庚申坂は、切支丹坂ともよばれていたが、現在は、こちらが切支丹坂とされている。切支丹坂の西側に江戸時代初期から中期にかけて切支丹屋敷とよばれたキリスト教徒を収容した牢屋があり、かなり広かったという。この坂下の四差路がこの谷道の第2のポイントである。

尾張屋板江戸切絵図(東都小石川絵図)を見ると、藤寺の東にある北東に延びる道に、キリシタンサカ、とあるが、これが、現在の庚申坂である。この坂下から東南へ神田上水まで延びる道がある。これが現在の谷道と思われる。この谷道は、江戸時代には、藤寺と庚申坂下との間が分断されていたようで、坂下から北西へちょっと延びる道があるが、藤寺の手前で行き止まりとなっている。近江屋板も同様。

江戸切絵図でキリシタンサカの坂下は南西へと延びているが、途中、荒木坂からの道が合流し、さらに延びて西の方へ緩やかに曲がってから七軒屋敷の方へと続いている。荒木坂からの合流点が現在と同じ位置とすると、この西側が、現在、切支丹坂とよんでいる道筋であろうか。

庚申坂上 庚申坂下ガード ガードの先 「きりしたん巡礼」159頁写真 庚申坂を上り、坂上を直進すると、春日通りで、通りの向こうは吹上坂上である。ここに、小石川高等小学校跡の説明板や旧同心町の旧町名案内や街の案内地図が立っている。引き返し、階段を下る途中、谷道を見下ろしながら、このあたりに、獄門橋という、ちょっとおどろおどろしい横溝正史の小説ふうの名の橋があったのだろうかと思う。山田野理夫「東京きりしたん巡礼」(東京新聞出版局)の切支丹屋敷をめぐる記述を思い出したからである。

切支丹屋敷は南北に長い長方形で、屋敷周辺に三百三十間の空堀(堀口一間、深さ一間一尺)がめぐらされていた。東方の表門と手前の獄門橋が結ばれていた。獄門橋はのちにその名が嫌われて庚申橋と改められたというが、庚申坂と同じ由来であろう。同書の見返しにある三井高遠蔵「切支丹屋敷図」をみると、切支丹屋敷の輪郭がわかる。正門の先に庚申橋があり、裏門前に七軒屋敷通りが見える。

著者が、戦後、切支丹屋敷の調査に着手したころには、まだ獄門橋、庚申坂などの面影を辿ることができたという。右の写真は、同著159頁にある切支丹屋敷前・旧庚申橋周辺の写真であるが、戦後まもない頃のこのあたりの風景がよくわかる貴重なものである。これは庚申坂を背にして東から庚申橋を西に見て撮ったものであろうか。そうだとすると、この写真の奥に切支丹坂があるはずである。この風景は、しかし、地下鉄とその車輌場の建設で失われている。

獄門橋について『御府内備考』の小日向之一、総説に次のようにある。「獄門橋は切支丹屋敷元表門通りにあり、幽霊橋ともいへり、むかし山屋布にて刑罪ありし頃、この橋のほとりへ梟首せしよりかくいふと、【改撰江戸志】」
この橋でさらし首にしたことに由来する名のようである。

明治地図(左のブックマークから閲覧可能)を見ると、庚申坂下を西へ切支丹屋敷方面に向かう道があり、この道を横切って川が北から南へと流れていたようであるが、ここにかかっていた橋が庚申橋(旧獄門橋)であるかもしれない。そうだとすると、庚申橋のあったところは、現在のトンネルの中のどこかかもしれない。また、漱石が『琴のそら音』で描いた道、荷風が『日和下駄 第九崖』で描いた道は、いずれも、庚申橋を渡る道ということになる。

ガードの先 谷道の階段 谷道 水道通り近く 谷道 水道通り近く 庚申坂下を左折し、ガードを通り抜けてさらに進むと、右にややカーブする。このあたりから左側は石垣になっていて、その上が土手のように盛り上がり、樹木が植えられているが、その手前の端に土手の上へと続く階段がある。こういった階段に出会うと、つい上ってみたくなるが、しかし、階段前には門扉があり、入ることができない。地図を見ると、土手の向こうには丸の内線が走っているので、線路が通っているだけであろうが、未練が少し残る。

ここから先は、左側が石垣となってその上が樹木であるが、丸の内線が開通するまでは小石川台地のきわの崖であったのかもしれない。右側が地下鉄の車両工場で、静かな感じの谷道が続く。前回はこのあたりまで来ている。やがて水道通りに出る。
(続く)

参考文献
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大日本地誌大系御府内備考 第二巻」(雄山閣)

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