東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

禿坂~瓶割坂

2011年02月05日 | 坂道

禿坂下側標柱 禿坂下側標柱の先 禿坂児童遊園手前 禿坂児童遊園先 自証院坂上を進み、次を左折すると、富久小学校のわきを下る坂となる。坂下で横道に出るが、すぐ近くに禿坂(かむろざか)の標柱が立っている。この坂はかなり長い坂で、この標柱の立っているところが坂下か不明であるが、このあたりがたぶん坂下であろう。反対側に進むとやがて靖国通りの富久町の交差点に出る。とりあえず、標柱から西の坂上を目指すが、写真はこの順に並んでいる。

この標柱のあたりはほぼ平坦で、大きく左へカーブしている。カーブした先の西富久児童遊園のあたりから緩やかな上りとなり、ほぼまっすぐに続いている。坂上側で少しうねっているところがよい。

坂上北側に東京医科大学の門があり、この通りは、医大通り商店街ともいうが、やや寂れた感じがする。

禿坂上側 禿坂上側標柱 禿坂上 禿坂上 標柱には次の説明がある。

「坂名の由来はさだかではないが、近吾堂版の『江戸切絵図』(大久保戸山高田辺之図)には『里俗カムロ坂』とあり、江戸時代後期には「かむろざか」と呼ばれていたことがうかがえる。」

近江屋板(=近吾堂版)江戸切絵図を見ると、自證院の門前とあり、ここの道が半円弧状になって、その右側の先がまっすぐに西へと延びているが、この道に、標柱の説明のように、△里俗カムロ坂、とある。半円弧状の左の道は源慶寺の前の通りで、茗荷坂の坂下に至る。尾張屋板にも同様の道筋があるが、坂マークも坂名もない。

明治地図には、成女学校の西側から北西へ延びる細い道があるが、ここが現在の禿坂となる道と思われる。坂上北側が東京監獄で、その東側一帯が市谷監獄であり、かなりの広い敷地であったことがわかる。

横関は禿坂とよばれる坂が都内に七つあったとし、そのうちの一つがこの坂である。禿とは、髪を短く切りそろえた子供をいうが、いわゆるおかっぱである。横関によれば、「おかっぱ」は河童のような髪形のことで、頭の天辺を丸くそり、周囲の髪を短くそろえて切った女の子の髪の形をいったが、禿とは河童のことであるとする。河童が大入道になったり、かわいい女の子の姿になったり、いろんな化け物になって人にいたずらしたので、その化けた場所が坂なら、その坂を禿坂といい、橋なら禿橋、屋敷なら禿屋敷、路上なら禿横町とか禿小路などとよんだ。

禿坂上側標柱 禿坂途中 禿坂下側標柱 禿坂下側 上記のように、横関説によれば、禿坂とは、河童が禿などになって化けてでた坂であるが、この坂もそんな伝説があったのであろうか。また、坂の付近には、きまって古池や川などのある、寂しいところの坂であったとしているが、ここにそんな池や川があったのであろうか。

「東京23区の坂道」に、以前の標柱の説明文がのっているので、以下に引用する。

「昔、この坂下の自証院の横に小さな池があり、水遊びにくる禿頭(おかっぱを短く切りそろえたような髪型)の童たちの姿が見られたことから禿坂と呼ばれるようになった。」

池または川があることは、河童禿伝説の基本のようであるので、この要件を満たしている。現在の標柱の説明文とかなり異なるようであるが、なぜいまのように変えたのであろうか。

岡崎は、この坂を蜘蛛切坂とし、別名を禿坂としている。その由来は渡辺綱の土蜘蛛退治に因むという。また、『御府内備考』の「自證院門前」に「一石橋 二ヶ所巾一間宛長三尺程宛 右町内中程ニ有之候尤掛渡年代相知不申町内持ニ御座候」とあることから、自証院門前に川が流れており、この川に河童が住むといわれたのであろうと推測している。

標柱のある坂下に戻り、そのまま東へ歩き、富久町の交差点にふたたび出て右折し安保坂を上る。

富久町西交差点から西側 富久町西交差点から西側 西側から富久町西交差点 左二枚の写真は安保坂上の富久町西交差点で西側の靖国通りを撮り、右はその先からこの交差点を撮ったものである。ここから新宿五丁目にかけて、瓶割坂という坂があったらしいが、そのような痕跡がなかなか見つからない。

横関によれば、大田南畝『一話一言』巻四十二に、「大久保久能町かめわり坂〔俗名〕の東、四谷自証院の西に霊亀山東長寺という禅寺あり・・・・・・」とあるという。このことから、かめわり坂は、源慶寺と東長寺との間の茗荷坂の頂上から、さらに西へ下る坂路であるとするが、上記の写真からわかるように、現在、茗荷坂の頂上から富久町西交差点を西側に渡ると、そこは、よく見るとむしろ、西へわずかに上るような道路になっている。

かめわり坂の由来としてなんと義経伝説に行きつきそうな説明があるが、これはあくまで伝説で、しかもかなり願望が込められたものであるとのこと。

このまま靖国通りを西へ進み、新宿三丁目駅へ。

今回の携帯による総歩行距離は9.8km。

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「切絵図・現代図で歩く江戸東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く昭和三十年代東京散歩」(人文社)
「大日本地誌体系 御府内備考 第三巻」(雄山閣)

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