東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

森内将棋名人位に復位(2011)

2011年06月23日 | 将棋

森内俊之九段が羽生善治名人に挑戦中の第69期将棋名人戦7番勝負の第7局で勝ち、通算4勝3敗となり、名人位に返り咲いた。

今期の名人戦は、挑戦者がはじめ三連勝し、すぐに復位を決めると思われたが、名人がそれから巻き返し三連勝し、名人位の行方は、最終局に持ち越されていた。

第七局目は振り駒で先手後手が決められるが、振り駒の結果、森内九段が先手で、横歩取りとなった。私的には、森内が封じた51手目が印象に残った。2時間に及ぶ大長考であったからである。5三桂左成。これと8二歩の二択とテレビでは解説していたが、感想戦で8二歩はまずい変化があると森内が云ったとのこと。封じ手は、その後の4五銀を期待したものらしく、その後の変化を読んで大長考となったのか。森内75手目の4四角が好手だったらしい。

この二人の対戦成績は先手の勝率がよいとのことで、先手となった森内九段が有利かと思ったが、そのとおりとなった。

今期の名人戦の勝敗と戦型は次のとおり。

1 先手森内○(横歩取り)
2 後手森内○(急戦矢倉)
3 先手森内○(ゴキゲン中飛車)
4 先手羽生○(相矢倉)
5 後手羽生○(横歩取り)
6 先手羽生○(相矢倉)
7 先手森内○(横歩取り)

先手の5勝2敗であり、上記の定説のとおりとなった。戦型では、先手が森内のとき、横歩取りで2勝1敗、対ゴキゲン中飛車で1勝。先手が羽生のとき、矢倉で2勝1敗。という結果から、森内は後手のときの矢倉対策、羽生は後手のときの横歩取り対策に課題を残した(へぼ将棋ファンの感想)。

二人の名人戦7番勝負における対戦成績は次のとおり。

54 1996 羽生善治 4-1 森内俊之(羽生防衛)
61 2003 羽生善治 4-0 森内俊之(羽生奪取)
62 2004 森内俊之 4-2 羽生善治(森内奪取)
63 2005 森内俊之 4-3 羽生善治(森内防衛)
66 2008 羽生善治 4-2 森内俊之(羽生奪取)
69 2011 森内俊之 4-3 羽生善治(森内奪取)

名人戦7番勝負で二人はこれまで6回対戦しており、3勝3敗の五分。二人の間での名人位の奪取、防衛は、奪取4回、防衛2回で、奪取、すなわち、挑戦者勝ちの回数が多い。

森内は、第65期名人戦で名人位を防衛し、通算5期獲得ということで、18世名人の称号を得ている。羽生は、次の年の名人戦で名人位を奪取し、19世名人の称号を得ている。

他棋戦では羽生が圧倒的な成績を残しているが、名人戦に限っていえば、羽生と森内は五分五分の対戦成績である。森内の順位戦・名人戦での活躍が目立つ。

クリックすると拡大します 左は、「将棋世界」付録の2000年棋士名鑑にある森内のプロフィールである。11年前のもので、森内はまだ無冠であった。当時のタイトル保持者は、佐藤康光名人、藤井猛竜王、谷川浩司棋聖、羽生善治四冠(王位・王座・王将・棋王)。三十代になってから名人などのタイトルをとった。

ところで、題名は忘れたが、以前、将棋に関する本を読んだら、森内は、将棋は先手有利という信念を持っているらしく、また、将来もし先手必勝の定跡ができたらつまらなくなると思うが、それに対して、羽生は、そのときはルールを変えて打ち歩詰めありにすればよい、などと云ったとか。

このへんのはなしになると、神の領域で、ただ畏れ入るしかなく、へぼ将棋ファンとしては、そういうことを論じる時代になったのかと感心するほかない。中原・米長・加藤が活躍していたころには、先手有利云々というはなしは聞いたことがなかったような気がするからである。ただ、昨年度のプロ棋士の公式戦通算で後手がわずかに勝ち越した(これまでは先手の勝ち越しが続いていた)そうなので、先手必勝は、まだまだ先のことであろうか。

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