東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

森内名人防衛(2013年第71期将棋名人戦)

2013年06月08日 | 将棋

第71期将棋名人戦七番勝負第5局(2013年5月30,31日)で森内俊之名人が挑戦者羽生善治三冠(王位・棋聖・王座)に勝ち、通算4勝1敗となって、名人位を防衛した。

今期の名人戦は、第一局で後手森内名人が勝ち、これが今回の名人戦の流れを決めたようだ。その後、第二、三、四局は、先手(森内、羽生、森内)が勝ち、昨年までのような先手必勝パターンが続いたが、第五局で後手の森内名人が勝って防衛を決めた。

勝敗と戦型は次のとおり。

1 後手 森内○(相懸かり)
2 先手 森内○(相懸かり)
3 先手 羽生○(角換わり・相腰掛銀)
4 先手 森内○(変則的相矢倉)
5 後手 森内○(相矢倉)

問題の第一局は、先手羽生の攻め・後手森内の受けから難解な終盤戦に突入し、羽生の方に詰めろ逃れの詰めろの筋がでたりしたが、森内がしっかり読み切って勝った。(羽生の2七銀が働かなかったのが敗因?)。森内にとっては後手番で先勝というよいスタートであった。

第二、三、四局は、先手の森内、羽生、森内が勝ち、いずれも先手が圧倒的な内容で勝った。これで、森内の3勝1敗。

第五局は、BSでの渡辺三冠(竜王・棋王・王将)の解説によると、後手森内の△3七銀が新手で、これまでもこの銀打ちは別の局面で指されたが、この局面では初めてで森内の研究手順であろうとのこと。この解説は、素人にもわかりやすく現在のプロ棋士の研究の内容を紹介し(ほんのさわりであろうが)、秀逸であった。結局、この銀打ちと、その前の△6五歩との組み合わせが好手だったようで、後手が危なげなく勝ちきった。これで昨年と同じように後手番で防衛を決めた。

森内・羽生戦は、先手の勝率がよいことで有名で、前期は先手の5勝1敗、前々期は5勝2敗であったが、今期は先手の3勝2敗。森内は、先手番で確実に2勝し、前期から先手で負けなしで、後手番でも2勝し、充実した戦いぶりであったが、これとは対照的に、羽生が元気なさそうに見えたのが印象的であった。

これで、両者の対戦成績は森内の56勝66敗、名人戦での対戦成績は森内の23勝23敗。名人戦七番勝負の成績は森内の5勝3敗。

名人獲得数は、森内8期、羽生7期となって、森内が1期リードし、木村義雄と並んで、歴代第三位となった。

歴代名人獲得数は次のとおり。

大山康晴 18期
中原 誠  15期
木村義雄  8期
森内俊之  8期
羽生善治  7期
谷川浩司  5期
塚田正夫  2期
升田幸三  2期
佐藤康光  2期
丸山忠久  2期
加藤一二三 1期
米長邦雄  1期

これを見ると、大山18期、中原15期は、大記録であるとあらためて感じる。森内と羽生を足してようやく中原の記録である。森内、羽生がどれだけ、中原の記録に迫ることができるのか、これからの興味の一つである。

この40年間の名人戦7番勝負の結果は次のとおり(将棋連盟HP)。

31 1972 中原 誠 4-3 大山康晴
32 1973 中原 誠 4-0 加藤一二三
33 1974 中原 誠 4-3 大山康晴
34 1975 中原 誠 4(1持)3 大内延介
35 1976 中原 誠 4-3 米長邦雄
36 1978 中原 誠 4-2 森 雞二
37 1979 中原 誠 4-2 米長邦雄
38 1980 中原 誠4(1持)1 米長邦雄
39 1981 中原 誠 4-1 桐山清澄
40 1982 加藤一二三 4(1持)3 中原 誠
41 1983 谷川浩司 4-2 加藤一二三
42 1984 谷川浩司 4-1 森安秀光
43 1985 中原 誠 4-2 谷川浩司
44 1986 中原 誠 4-1 大山康晴
45 1987 中原 誠 4-2 米長邦雄
46 1988 谷川浩司 4-2 中原 誠
47 1989 谷川浩司 4-0 米長邦雄
48 1990 中原 誠 4-2 谷川浩司
49 1991 中原 誠 4-1 米長邦雄
50 1992 中原 誠 4-3 高橋道雄
51 1993 米長邦雄 4-0 中原 誠
52 1994 羽生善治 4-2 米長邦雄
53 1995 羽生善治 4-1 森下 卓
54 1996 羽生善治 4-1 森内俊之
55 1997 谷川浩司 4-2 羽生善治
56 1998 佐藤康光 4-3 谷川浩司
57 1999 佐藤康光 4-3 谷川浩司
58 2000 丸山忠久 4-3 佐藤康光
59 2001 丸山忠久 4-3 谷川浩司
60 2002 森内俊之 4-0 丸山忠久
61 2003 羽生善治 4-0 森内俊之
62 2004 森内俊之 4-2 羽生善治
63 2005 森内俊之 4-3 羽生善治
64 2006 森内俊之 4-2 谷川浩司
65 2007 森内俊之 4-3 郷田真隆
66 2008 羽生善治 4-2 森内俊之
67 2009 羽生善治 4-3 郷田真隆
68 2010 羽生善治 4-0 三浦弘行
69 2011 森内俊之 4-3 羽生善治
70 2012 森内俊之 4-2 羽生善治
71 2013 森内俊之 4-1 羽生善治

むかしからの将棋ファンだが、上の表を見ると、記憶にない名人戦も多く、いつも関心を持っていた訳でないことがわかる。そんな中で、第36期(1978)中原対森の名人戦はよく憶えている。仙台での第一局目の朝、森が剃髪姿で登場したからである。そのためかわからないが、森が中飛車で快勝した。しかし、結果は、4勝2敗で中原防衛。この名人戦はNHKの特集番組で放送されたこともあって記憶に残っている。

次は、なんといっても第40期(1982)加藤対中原戦である。持将棋、千日手を含む激闘の末、加藤が4勝3敗で中原から念願の名人位を奪取した。持将棋一回、千日手二回であったように憶えているが、このため、決着がついたのは、7月も終わりごろであった(たぶん)。その最終局の終盤、秒読みの中で中原玉の詰みを発見した加藤は、その後、その局面をあちこちで何回も解説していた。まさに会心の一局であった。

この頃、中原(その前は大山)が余りにも強すぎ、私は、どちらかというと、判官びいきから大山や中原に番勝負で挑戦しては負け続けた加藤や米長のファンで、この結果に独り拍手喝采をした。

しかし、次の年、加藤は若き挑戦者谷川に負けた。これで、谷川時代と思われたが、そうでもなかったことが上の表からわかる。谷川は二期保持しただけで、第43期(1985)に挑戦者中原に負けた。その後、中原が三期連続して保持し、第46期(1988)に谷川が中原から奪い返し、二期保持したが、第48期(1990)に中原が谷川からふたたび奪取し、三期保持した。このように、中原は、加藤に名人位を奪われた後、復活し、計六期保持したことからもわかるように、加藤に負けたときまだ絶頂期にあったと思われる。それを負かした加藤もまた絶頂期であった。

その後、第51期(1993)に米長が中原にようやく勝ち、悲願の名人位を獲得したが、次の年、羽生が奪い、これで世代交代し、以降、羽生世代がいまに至るまで名人位を独占している。途中、第55期(1997)に谷川が羽生から奪取し、一期だけ復位している。

谷川については、名人戦で中原と羽生(世代)との間に挟まれて双方から苦しめられ、不運であったような印象を受ける。よくいわれる谷川の悲劇性である。しかし、谷川が中学生で四段となったときのことは、羽生のときよりも鮮明に憶えている。四段になってすぐの頃と思うが、東京12チャンネルのお好み将棋対局で加藤一二三と対戦し、先手谷川がひねり飛車でがんがん攻め、結果は負けだったが、鮮烈なデビューで、一将棋ファンの記憶にけっこう強烈に残っている。

時代は変わって、今年、プロ棋士五名とコンピュータソフトが対戦する第2回電王戦が行われ、結果、一勝三敗一引き分けでプロ棋士側の負けとなった。何局かをリアルタイムで観戦したが、第一局目の阿部光瑠四段がよかった。阿部四段は、明らかに序盤でソフト側の無理攻め(桂はね)を誘う指し回しを見せ、快勝した。結果的に、これがプロ棋士側の唯一の勝ち星となった。この時点で、プロ棋士側がやはり勝ち越すのではないかと思ったが、第二、三局目が負けとなった。第四局目の塚田九段はガッツのあるところを見せた。双方入玉模様となり通常なら駒の点数で勝敗が決まるところ、ソフト側が勝っていたが、ソフト側にその対策がなかったようで無意味なと金づくりを始めてしまい、これを機に塚田九段が攻めて大駒をとって持将棋に持ち込み、引き分けにした。

勝敗は最終局に持ち込まれたが、結局、A級棋士三浦弘行八段も負けてしまった。後手番のソフト側がプロ棋士も驚くような無理攻めをし、勝ちきったが、解説によると、三浦八段の方にこれという悪手はないとのことだったので、無理攻めではなく、細い攻めをつないで勝ちにつなげたといった方がよいようである。

しかし、この第5局目のソフト側のハードウエアは異常な構成であった。なんでも東大にあるコンピュータ700台ほどをつないだらしいが、そんなにしてまで勝ちたいのかと思った。プロ棋士側は気にしていないようであるが、不公平感が残った。二、三年前に清水市代女流棋士がコンピュータと対戦したときもソフト側は何十台かのコンピュータにより合議制で指し手を決めたが、そのときもおかしいと感じ、重量制限にすべきなどと思ったりした。

人間側は合議制ではなく一人であるから、ソフト側もハードウエアは物理的に独立した一個のマシンとすべきである。ただ、将来、CPUの発達などから、現在の700台のコンピュータの性能を持つ同サイズの1台のコンピュータが登場するかもしれないが、それは技術の進歩であり、仕方のないことである。

以上、電王戦に対する人間側びいきからの感想である。

ところで、電王戦第五局目の立会人の田丸九段がニコニコ中継でおもしろいことをいっていた。羽生と森内が、二十代の頃(二十年ほど前)、将来、人間はコンピュータに負けると予想し、その時期は、2010年、2015年頃としたとのことで、今年(2013)は、ちょうど、その中間にあたる。

今回の結果からいうと二人の予想がほぼ的中したことになるが、このことは、二人ともコンピュータの「読み」と人間の「読み」とがそんなに違うものではなく、正確性ではコンピュータが勝ることを直感的に見抜いていたように思えて、はなはだ興味深い。

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