東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

雁木坂

2011年11月15日 | 坂道

雁木坂上 雁木坂上 雁木坂上 雁木坂上 前回の甲賀坂を下り坂下を左折し、池田坂にもどり、ここを上り坂上を左折すると、雁木坂の坂上である。しばらくほぼ平坦であるが、やがて緩やかにまっすぐに西へ下る。坂下は、甲賀坂と同じくお茶の水橋から延びる広い通りであるが、下記のように坂の位置がはっきりしないので、ここがこの坂の坂下であるか確かでない。

二枚目の写真のように、左手に日本大学病院があるため救急車が止まっている。坂上に標柱が立っているが、そのわきの標識に、小桜通りとある。三枚目の写真の突き当たりを右折すると池田坂の下りである。

標柱に次の説明がある。

「この坂を雁木坂といいます。今はその面影はありませんが、昔は急な坂で雁木が組まれていたといいます。雁木とは木材をはしご状または階段状に組んで登りやすくしたもので、登山道などに見られます。『新撰東京名所図会』には「駿河台西紅梅町と北甲賀町の間を袋町の方に行く坂を雁木坂と称す。慶応年間の江戸切絵図をみるに、今の杏雲堂病院の前あたりに「ガンキ木サカ」としるされたり」と書かれています。」

尾張屋板江戸切絵図(飯田町駿河台小川町絵図/1863年)を見ると、幽霊坂(紅梅坂)を上り道なりに進み突き当たりを左折し、次を右折すると、カンキサカがあり、現在の道筋と同じである。その上に子フクロ丁とある。近江屋板(嘉永二年(1849)版)には、同じ道筋に△厂木坂とあり、その上に小袋丁とある。

横関によれば、雁木坂とは石を組んだ段々の坂で、きわめて急坂のため階段になった坂である。標柱の説明によれば、急な坂のため雁木を組んで階段状にしたことが坂名の由来である。雁木の具体的な説明はないが、麻布台飯倉の雁木坂の標柱の図が参考になる。雁木坂は一般的に石段でかなりの急坂であるが、ここはそんな面影はまったく残っていない。本当に雁木を組んで階段にしなければならないほどの急坂であったのか疑問が生じるほどである。

雁木坂上側 雁木坂中腹 雁木坂中腹 雁木坂下 横関は、この坂を「千代田区神田駿河台二丁目、日大病院前辺にあった「七つ雁木」の坂であったが、今は、池田坂の頂上から西へ行くゆるやかな坂みちとなってしまった」と説明している。

石川は、この坂について日大病院前を東南に下る緩やかな坂みちとし、岡崎は、同じく病院前を東に下る坂、いまはほとんど傾斜がないとしている。確かに上の一枚目の写真を見ると、池田坂上からかなり緩やかであるが上り坂で、「東京23区の坂道」も「池田坂の坂上から、西に緩やかに上る短い坂道」としている。

上記によれば、この坂は病院前から東へと池田坂上に下る坂となるが、これについて疑問が生じた。というのは、一~四枚目の写真のように、日大病院前から緩やかではあるが西へちょっと長めに下っており、近江屋板の坂マーク△の頂点の向きから雁木坂は西から東へ上る坂といえるからである。病院前から西へ下る途中に雁木に組んだ階段があったと考える方が地理的にも無理がないのではと思ったのである。横関の説明を読んでもどちらに下る坂かわからないが、ここでは、一応、近江屋板を根拠にして、病院前から西へ下る坂としておく。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)

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