東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

荷風散策事始め

2010年01月07日 | 荷風

東京の街々をさまようように歩くなったわけから書きます。以下は、以前に書いてパソコンに保存していたものです。

わたしが永井荷風の住んだ偏奇館跡を六本木(旧麻布市兵衛町)に訪ねたのは、夏の暑さが未だ残る9月であった。その1~2年前から断腸亭日乗や日和下駄などの随筆やいくつかの小説を読んで荷風に親しみ始めていたのであるが、そのような者がよく陥る、作者ゆかりの地訪問願望を実現しようとしたのである。

当時、横浜に住んでいたわたしにとって、勤めが東京であるが、休日にわざわざ通勤と同じ時間をかけて東京まででかけることは相当の理由がない限りありえないことであった。その日は休日だったが虎ノ門で用事があり、それが昼前に終わり、午後があいたのである。

前日の遅くまでの仕事の疲れをひきづりながら、外堀通りにでて溜池方面に向かって歩き始めた。それでも、溜池の交差点から高速道路の下を六本木方面に向かって歩いていると、自然とわくわくしてくる。その高速道路が分岐するところ地下鉄六本木一丁目駅の手前左側に道源寺坂へ続く細い路があった。路に入ると、まず、西光寺が見えてきて、道源寺坂の標柱がたっており、道源寺坂を上り始めた。ここまでは調べていたとおりである。

ところが、道源寺の塀にそって上り坂上の標柱を左にみて右側の路に入ると、一帯は大きなビルで囲まれており、少し歩いただけで行き止まりになり、その先の崖下にはエスカレータなどで近代化された光景が見えるのである。細い路が偏奇館跡へと続いているはずであるのに、なにやらおかしいのである。引き返して標柱から先に進むと大きな通りに出てその雰囲気ではない。坂上に戻り、その近くにある公園らしき広場のベンチに座り、気を静めて地図をみるが、眼の前の風景と一致しない。位置的には先ほどの大きな通りであるので再びその辺を探したが分からず、結局、その通りにいた駐車場の警備員さんに訪ねると、先ほどうろうろした辺りを指して、そのようなものがあるとのことである。

半信半疑のまま歩いていき、歩道の脇に小さな四角柱の記念碑を見つけるに至ってようやく理解した。遅かったのである。偏奇館跡は跡形もなく消え失せていたのである。

その記念碑には、かつてあったであろう案内板と同じ文言がしたためられていた。

  偏奇館跡
  小説家永井荷風が、大正九年に木造洋風二階建の
  偏奇館を新築し、二十五年ほど独居自適の生活を
  送りましたが、昭和二十年三月十日の空襲で焼失しました。
  荷風はここで「雨瀟瀟」「墨東綺譚」などの名作を書いています。
  偏奇館というのは、ペンキ塗りの洋館をもじったまでですが、
  軽佻浮薄な日本近代を憎み、市井に隠れて、
  滅びゆく江戸情緒に郷愁をみいだすといった、
  当時の荷風の心境・作風とよく合致したものといえます。

  冀くば来りてわが門を敲くことなかれ
  われ一人住むといへど
  幾年月の過ぎ来しかた
  思い出の夢のかずかず限り知られず
                「偏奇館吟草」より

  平成十四年十二月       港区教育委員会

「軽佻浮薄な日本近代を憎み」がなんとも空々しい。おい、このざまはどうなんだ、こころの中で一人毒づき、記念碑を見つめながら立ちつくすばかりであった。そして、ふと我に返って、まわりを見わたすと、その通りは東京のどこにでもあるような道で、何もないのっぺらぼうの相(かお)をしているのである。そんなものはあずかりしらぬとばかりに、のっぺらぼうなのである。これから先、いたるところで、小泉八雲の如く、それはこんなかおだった?と無数ののっぺらぼうがあらわれるような気がしていっそうの絶望感に沈んだのであった。

後日知ったのだが、冨田均の「東京坂道散歩」によれば、むかしの偏奇館跡は現在の地形からいうと宙に浮いた位置であるとのことである。御組坂の標識のある坂から下ってきたその辺りは削りとられたのであろう。

気を取り戻し、つぎに、地下鉄で飯田橋駅に向かった。その日のために持ってきた重い鞄をコインロッカーに預けてから、神田川に沿って歩き始めた。目指すは荷風生誕の地である。

安藤坂を上り、その途中で左折し、川口アパート前でクランク状になった道を歩いていくと、案内板がたっており、そこから右に入った坂道の左側一帯が荷風の生まれた家があったところらしい。静かな住宅地である。当然のことながら、もはや荷風が「狐」で描いたような狐がでる雰囲気ではない。案内板のある道をさらに進んで左折し、金剛寺坂を下り、水道端の通りにでて左折し、牛天神を訪ねた。中島歌子の歌碑をみてから牛坂を下り、飯田橋駅に引き返した。

以上がわたしの荷風散策事始めの顛末である。

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