植物や動物はニッチ、分際をかたく持って生きている。
それは全体で秩序だった世界を作れてしまうという生命の在りようが在るから。
福岡伸一ハカセの本にはそんな例がいっぱい出ている。
或る虫はナンタラ草という草しか食べない、また別の虫はカンタラ草しか食べない、
そんなふうにどの虫も何故だかそうなっているので、飢え死にする事も無く続いている。
いくつかの種類の草を食べるという虫も在るだろうし、
いろいろなんだろうとは思うけど。
共に生きる、ということを当たり前にしている。
生命はそうなっているから、当然そうなる。
人間だけが共に生きていることを忘れ、分際以上のことをして生態系を壊してしまう。
なんでそういうことになったのだろう・・・
悪意で、生態系を壊したくて壊したんじゃないと思う。
物事の究極の在りようとは共に生きている、そのこと。
そういう表現も出来る。
共に生きているという究極の在りようで在ったら、継続して生きられる、
という原則を知らぬ間に忘れた。
やってきたことの結果は自分に降りかかってくるというのも、
法則通り。
共に生きて来なかったから、生きることを継続できないような状態になりつつある。
でも、やってみて気づく人たちがこの地球上に
たくさん現れて来ているのが今の時代なのかと思う。