ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

フレンチトースト

2013-01-08 17:20:00 | 日々の暮らし・思い出
前にひとを身体だとばかり捉えて、心と捉えない云々と書いたことがあるけど、

私はついつい心のことばかりに気が行って、

身体をおろそかにする風があるよう。

夫はよく口内炎になるんだけど、見せてもらうと酷い状態で、

それを見ると私の身体は反応して鳥肌が立つ。

でもその時だけですぐに忘れて料理にも気を配らない。

夫が食べづらそうにしてるのが視野に入ると、

あっ、そうだ、口内炎だっけ、と思い出す。

彼は痛いだのなんだのとと連呼しない。全てにおいて言葉は少ない。

男は黙ってサッポロビールだ。それにかまけて?

彼の辛さを“思い知ってない”自分なんだと昨日、本当に反省した。

そのせいか、今朝起きた時、(フレンチトーストを作ろう)が頭に浮かんだ。

そして卵液を作ったりパンを切ったり、準備しておいた。

そのとき、ここのところトーストを食べてない夫に気がついた。

彼の朝ごはんは彼が自分で用意してヨーグルトやらバナナやらトーストを食べている。

きっと口内炎にはトーストの角張ったカリカリが痛くて食べてなかったのかも・・とやっと気がついた。

その理由で食べてなかったのかどうかはわからないけど。

フレンチトースト食べる?と聞いたら、食べたいなぁと思ってたんだと彼。

よかった。

わたしよ、思い知れ!




ピアノと洗濯ハンガー ②

2013-01-08 17:09:47 | 日々の暮らし・思い出
ピアノを弾こうとして、うまく弾けない時、(イヤッ!)と心がなることと、

洗濯ハンガーのピンチが絡まって、(イヤッ!)と心がなることは同じだなと思う。

洗濯ハンガーの場合、自分にとっては外部である洗濯ハンガーそのものの改良で、

(イヤ!)を解消できることがある。

ピアノも自分の快適さの為に改良できるか?これは無理かな。

いや、電子ピアノを買う前に、ジャパネットで私、

曲を弾くために弾く順番に鍵盤が赤く光るという鍵盤楽器を買ったことがある。

そのチラシを見てピアノを弾けるようになりたいという願いに火が点いて、

これなら弾けるようになるかもしれないと思ってそれを買ったのだ。

だがしかし、それは面白くなかった。

やってみて面白く感じなかった。

そんなのは邪道でやっぱりピアノはピアノで改良される必要なんかない。

人が変わることだけをピアノは望んでいる。


ピアノと洗濯ハンガー

2013-01-08 17:06:30 | 日々の暮らし・思い出
洗濯物を干しながら、思った。

ピアノを弾こうとして、うまく弾けない時、(イヤッ!)と心がなることと、

洗濯ハンガーのピンチが絡まって、(イヤッ!)と心がなることは同じだなと思う。

洗濯ハンガーのピンチ絡みについての思いについては以前に書いたけど、

それを書いたことは私にとっていい経験だったよ。

やろうとすることが出来ない時に(イヤッ!)となるような心の状態に自分が在るということなんだ。

その時点・瞬間にそれを(出来ない自分)という事実を受け入れられない自分で在ること。

ここで自分が二つに分かれている。出来ない自分とそれを受容できない自分との。

実行者・身体(出来ない自分)と観察者・こころ(それを観ている者)とがいるわけだけど、

観察者が観察者になってない。判断者になっている。

観察者が観察者になっていたら、自分は二つに分かれていない、“一つという状態“になっていると云えると思う。

これは無邪気という言葉でも表わせる心の状態かな。

(出来ない自分)を出来ないのだと“受容している状態”。

在りのままでいい、というその在りのまま状態。

自分を責めるという心境などもこういう状態になってないということだろうと思う。

また、この観察者が真に観察者になることが、

常に自分の意識を自覚している状態ということかと思う。


言葉が・・・

2013-01-08 17:00:01 | 本を読んで
「生命は事後的に見ればきちんと設計されていたように見える。

デザイナーがあるようにみえるけれど、

関係しながら分化を進め、つながりながら全体としてある秩序を“つくれてしまう”こと

が生命現象の最大の特性・・」

・・とは福岡伸一ハカセの「せいめいのはなし」の中の言葉で、

世界を秩序として捉えたいという脳の癖、希望でもあるんです、というのもあった。

なので、世界には設計図・デザイナーなどないというのが主旨なんだと思うんだけど・・・

つながりながら全体としてある秩序をつくれてしまう、

そのことが生命現象の在りようだということはハカセも云っている。

・・ということは、どの生命も全体で一つなんだということを知らないうちにわかっている存在なんだ、

ということじゃないかと思う。

つくれてしまうという言葉がそう言っている。

福岡ハカセが云ってるんじゃなくて言葉が云っている。




分子の役割

2013-01-08 16:56:54 | 本を読んで
「せいめいのはなし」の中の内田樹さんとの対談で、

福岡伸一ハカセがこう言っているのがある。

「一つの分子がたった一つの役割しかしていないというのは、

長年生物学が陥っていた隘路(あいろ・狭い路、支障、難点)でもあるのです。

実は分子が一つの役割だけをしている、つまり1パーツ1機能というのはある種の幻想で、

新しいチームの中に入ると、新しいパスをするようになる。

様々な状態で文脈次第で別のことをするのが私たちを構成している分子なのです。」

・・・一つの分子も人間の意識の働き方も全く同じだなと思う。

私は夫の前では妻という役割をしているし、義父の前では嫁という役割だし、

娘の前では母親という役割をしている。

けれど、そういう役割をするということだけじゃない。

それはあまりにも大雑把な説明かな。

娘も二人居るし、夫の娘たちもいる。

その娘その娘、その時その時、違う私が現れる。

母という役割?だけではない。

隣人の前では隣人という役割をしている。

とにかくそれぞれ接する人の前では

自然にそれなりの人になってしまうことを人は誰でも実に自然に巧みにしている。

ついさっきまで親しい感じの対応が相手の一言や態度で一変することなんかはテレビドラマでもよく見る。

一人の人間は周りの人とそのつどそのつどパスをし合いながら、

独特のその人になる・・んだろうな。


なんだかね~

2013-01-08 16:48:55 | 日々の暮らし・思い出
夫が繋がったよ、(パソコンが)と言ってくれたのでこうしてる。

やぁ、こんにちは、という感じ。

朝やってみて動かなかったので夫にそう言ったら、そうかぁ、と。

夫のパソコンも繋がらなかった。

よくわからないのだけどモデムがどうこういうことなのかもしれない。

夫もそれほど詳しくないようで、この前繋がった時も、

なんだかわからないけど繋がったって言ってた。

なんだかわからないけど出来ちゃった、というのは始末が悪い。

次に出来ない時になんともしようがない。

車で初めて行く所へ偶々道に迷わず着けてしまうと、

次に行く時わからない・・というようなことと似てる。

夫や私にわからなくても、何かしらわけがあるのだと思う。

アインシュタインじゃないけど、神はサイコロを振らない。

確率で出来たり出来なかったりするわけじゃない。

そう思うんだけどね~・・・

私があまりにもおまかせだし、カタカナはちんぷんかんぷんだし・・・