ダライ・ラマ14世の般若心経の解説がその本に出ていた。
「色即是空」の「空」とは、
すべての現象にはその自性(これは広辞苑には出ていない)による成立がない、という意味で、
「自性」とはそのもの自体の固定的な実体、他の存在と無関係な独立した実体のこと、
という意味らしい。
宇宙物理学者のナンタラさんも言ってたけど、
宇宙の法則とは(全ては相互作用でなっている)ということで、それと同じ内容かなと思う。
「空」の見解でこういうようなことも書かれたあった。
読んで、私が受け取ったことだけど。
「私」というものは無い・・何故ならそれが「私」だと指差せる固定的なものはないから。
私の解釈だけど、簡単な例で言うと、
ひとに自分のしたことを非難されたとき、悲しくなったとして、
悲しく思うのは、「私」という固定的なものがあると信じているからで、
その、自分のした事という現象は自性による成立ではないのが事実。
他の存在と無関係に存在する「私」なんて無いのが事実。
自分がしたこと=「私」のこと、ではない。
かといって、「私」という存在がないわけじゃない。
「私」に「全体」が現われた、といってもいいんだろうか。
現われている「私」は「全体の一部分」だといっていいんだろうか。
何かの出来事を(わたしのせいじゃない)と思うと、
気が楽になるという心理があるけど、
それも最初から完璧に100%気が楽なんじゃなくて、
ちょっと気になってから、時間的にその後で、
(わたしのせいじゃない)という意識が現れ、
そう思うと気が楽になるという状態になる。
(ちょっと気になる)という意識が在ったということ自体が、
「私」は「全体」の一部だと無意識的にわかっているということだ。
「私のせいじゃない」という意識が現れるのはその前提に、
「わたしのせいだ」があったからこそで、
まだ顕在意識経験の無い赤ちゃんは洋服が汚れて、母親があーあぁとため息をついたとしても、
わたしのせいじゃない、なんていう意識は現われないからね~。
この例の方がわかりやすいかな・・・
自分となんの関係もない人が凄く怒っていたのを見たとき、
わたしのせいじゃない、なんていう思いは浮かばない。
その少し前にその人になにか接した人は、
わたしのせいじゃない、という思いが浮かぶことがあるかもしれない。
最初の人は最初から無意識的な(わたしのせいだ)という思いが全くないから、
それを否定する思い(わたしのせいじゃない)が浮かぶわけがない。
否定することが出来るのは最初にその思いが在るから。
無いものに否定も肯定も出来ない。
えーっと、空の見解だっけ、この話?また脱線かな・・
「色即是空」の「空」とは、
すべての現象にはその自性(これは広辞苑には出ていない)による成立がない、という意味で、
「自性」とはそのもの自体の固定的な実体、他の存在と無関係な独立した実体のこと、
という意味らしい。
宇宙物理学者のナンタラさんも言ってたけど、
宇宙の法則とは(全ては相互作用でなっている)ということで、それと同じ内容かなと思う。
「空」の見解でこういうようなことも書かれたあった。
読んで、私が受け取ったことだけど。
「私」というものは無い・・何故ならそれが「私」だと指差せる固定的なものはないから。
私の解釈だけど、簡単な例で言うと、
ひとに自分のしたことを非難されたとき、悲しくなったとして、
悲しく思うのは、「私」という固定的なものがあると信じているからで、
その、自分のした事という現象は自性による成立ではないのが事実。
他の存在と無関係に存在する「私」なんて無いのが事実。
自分がしたこと=「私」のこと、ではない。
かといって、「私」という存在がないわけじゃない。
「私」に「全体」が現われた、といってもいいんだろうか。
現われている「私」は「全体の一部分」だといっていいんだろうか。
何かの出来事を(わたしのせいじゃない)と思うと、
気が楽になるという心理があるけど、
それも最初から完璧に100%気が楽なんじゃなくて、
ちょっと気になってから、時間的にその後で、
(わたしのせいじゃない)という意識が現れ、
そう思うと気が楽になるという状態になる。
(ちょっと気になる)という意識が在ったということ自体が、
「私」は「全体」の一部だと無意識的にわかっているということだ。
「私のせいじゃない」という意識が現れるのはその前提に、
「わたしのせいだ」があったからこそで、
まだ顕在意識経験の無い赤ちゃんは洋服が汚れて、母親があーあぁとため息をついたとしても、
わたしのせいじゃない、なんていう意識は現われないからね~。
この例の方がわかりやすいかな・・・
自分となんの関係もない人が凄く怒っていたのを見たとき、
わたしのせいじゃない、なんていう思いは浮かばない。
その少し前にその人になにか接した人は、
わたしのせいじゃない、という思いが浮かぶことがあるかもしれない。
最初の人は最初から無意識的な(わたしのせいだ)という思いが全くないから、
それを否定する思い(わたしのせいじゃない)が浮かぶわけがない。
否定することが出来るのは最初にその思いが在るから。
無いものに否定も肯定も出来ない。
えーっと、空の見解だっけ、この話?また脱線かな・・