ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

「空」 の見解 ★

2013-01-10 13:04:01 | 本を読んで
ダライ・ラマ14世の般若心経の解説がその本に出ていた。

「色即是空」の「空」とは、

すべての現象にはその自性(これは広辞苑には出ていない)による成立がない、という意味で、

「自性」とはそのもの自体の固定的な実体、他の存在と無関係な独立した実体のこと、

という意味らしい。

宇宙物理学者のナンタラさんも言ってたけど、

宇宙の法則とは(全ては相互作用でなっている)ということで、それと同じ内容かなと思う。

「空」の見解でこういうようなことも書かれたあった。

読んで、私が受け取ったことだけど。

「私」というものは無い・・何故ならそれが「私」だと指差せる固定的なものはないから。

私の解釈だけど、簡単な例で言うと、

ひとに自分のしたことを非難されたとき、悲しくなったとして、

悲しく思うのは、「私」という固定的なものがあると信じているからで、

その、自分のした事という現象は自性による成立ではないのが事実。

他の存在と無関係に存在する「私」なんて無いのが事実。

自分がしたこと=「私」のこと、ではない。

かといって、「私」という存在がないわけじゃない。

「私」に「全体」が現われた、といってもいいんだろうか。

現われている「私」は「全体の一部分」だといっていいんだろうか。


何かの出来事を(わたしのせいじゃない)と思うと、

気が楽になるという心理があるけど、

それも最初から完璧に100%気が楽なんじゃなくて、

ちょっと気になってから、時間的にその後で、

(わたしのせいじゃない)という意識が現れ、

そう思うと気が楽になるという状態になる。

(ちょっと気になる)という意識が在ったということ自体が、

「私」は「全体」の一部だと無意識的にわかっているということだ。

「私のせいじゃない」という意識が現れるのはその前提に、

「わたしのせいだ」があったからこそで、

まだ顕在意識経験の無い赤ちゃんは洋服が汚れて、母親があーあぁとため息をついたとしても、

わたしのせいじゃない、なんていう意識は現われないからね~。

この例の方がわかりやすいかな・・・

自分となんの関係もない人が凄く怒っていたのを見たとき、

わたしのせいじゃない、なんていう思いは浮かばない。

その少し前にその人になにか接した人は、

わたしのせいじゃない、という思いが浮かぶことがあるかもしれない。

最初の人は最初から無意識的な(わたしのせいだ)という思いが全くないから、

それを否定する思い(わたしのせいじゃない)が浮かぶわけがない。

否定することが出来るのは最初にその思いが在るから。

無いものに否定も肯定も出来ない。

えーっと、空の見解だっけ、この話?また脱線かな・・

意識と脳

2013-01-10 10:11:02 | 本を読んで
ダライ・ラマ14世と茂木健一郎さんとの対談の中に、

意識と脳の関係についての記述があった。

ごくシンプルに表現すると、今の科学では脳が意識を生み出しているのであって、

その考えと反対であるところの、意識が脳を変化させるということが立証されてない。

・・・ということになっているのだが、

これは茂木さんの発言・・・

「ここ何年間にわたって私たちが感じているのは、

私たちが自分の意識の状態を注意深く見守って、内観し、

自分自身の意識を把握するーーーそれをメタ認知といいますが、

自分自身の意識の状態を把握するような、そういう働きに注目すると、

新たな事実が発見されて、現在の理論全体を塗り替えうるのではないか、ということです。

すると意識が脳に影響を与えるというようなことを説明できる可能性があるかもしれないという気もしています。

われわれの直感からすると、それ(意識が脳に影響を与えること)がとても自然なことなので・・・後略」

理論は後から付いて来る・・こともそうだけど、

自分の意識をそのまま観察するということは、

口で言えばそれだけのことだけど、

そうしようとするだけで“ならない”のは意識が意識であるゆえなんだろうと思う。

作家の角田光代さんが餃子は作ろうと思えば作れるけど、

小説はこういうものを書こうと思ってもそうならないと言ってたけど、

コレも意識というものが意識であるゆえなのかと思う。

意識、心は顕在意識でどうこうなるもんじゃないからね~

ここまで書いて思い出した。10年も前かな、養老孟司先生の心と脳シリーズのビデオであったけど、

意識をぐーっと下まで掘り下げると、顕在意識の下には潜在意識があり、

そこには今までの自分に起こった意識が全て畳み込まれており、

その下には全てが一つで在るという意識がある・・・といったような内容のがあったと思う。ソレ。

私たちの顕在意識や潜在意識にはその一番底のその意識と繋がる回路が在るのかと思う。

誰でも時々はそこと繋がる。そんな感じかなと思う。

それは「空」とも表現できるものかもしれない。

私たちが自分の意識の状態を注意深く見守る=判断なしに観察する・・ということが、

それを実現する方法なのかと思う。

その“判断なし”ということがオイソレとは行かないところに生きる面白さがあるともいえるなぁと思う。