ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

ピアノの練習と・・・

2013-01-05 17:45:09 | ひとの幸福
ピアノ練習しているのは何をしてるかというと、体得を目指して練習してる。

練習しているとき、自分の指の癖とかあって、

弾き方の違うスタッカートなんかがなかなか出来ない。

ずっとピアノを弾いてない指はスタッカート無しで弾きたがる。

それをそうじゃないんだよ、こうして弾くんだよと指に覚えさせる。

何度も何度もやって。

(すぐに出来る人もいるんだろうけど、私の場合はそう。)

新しい癖付けをする。

楽譜のこういう印の時はこう弾く、ということを身体が覚えるまでやる。

(スタッカートが弾ける)という表現が云っているのは、

そういう指の“状態”です、ということで、体得というのは一つの身体の“状態”といえるかと思う。

(ひらがなが書ける)という表現も同じで、そういう頭や身体の“状態”です、ということ。

その時に書ける、ということではなく、

常にそういう“状態”に在るということ。

「体得」って身体や心や頭の一つの状態を云っている言葉かと思う。

何かのことで腹が立っている人はその時に腹立っているのだけど、

そういうことで腹が立つ心の“状態”に在るということ。

そういうことに腹が立つような体得をしてるといってもいいと思う。

なので、そういう場合には腹が立つという体得があるので、

自転車に乗れるのと一緒で、

自転車にまたがると運転できてしまうように、自動的になってしまうもの。

自動装置を外さないと(そういうこと)に対し腹が立たなくなるということにならない。

もし腹が立たなくなることを体得したいなら、

腹が立つ意識のカラクリをわかって、それがナンセンスだということがわかることと、

やはり練習なんだろうか。

何度も何度も自動装置が働いて運転してしまっても、

その度に、あ、またやった、あ、またやった、と気づくのが練習といえるのかもしれない。

ピアノと一緒で実行できるに練習要る。

腹が立つのも人の言葉で心が傷つくのも同じようなもんだと思う。

心が傷つくように体得してる。

別に悪いことじゃないけど、快適に生きたいなら変わることはできる。

今日はバイエル17番をやった。

出来るようになるのはとても嬉しい。

蹴鞠

2013-01-05 17:06:05 | 新聞を読んで
今朝の毎日新聞に京都市の下鴨神社の「蹴鞠」という行事についての記事があった。

「蹴鞠」というのは平安時代の貴族の遊びだそうで、

相手が受けやすく、長く続くように蹴ることが作法なのだそう。

う~ん、いいね~。

サッカーは相手より点を多く取るという遊びなんだろうけど、蹴鞠は違う。

サッカーが二つの世界であるのに対して、

蹴鞠は一つの世界という感じ。

蹴鞠は(敵・味方)というのはなくて、両方で一つで、

勝ち負けを競うゲームじゃなくて、

長く続けるのがゲーム。


受け取れない鞠を蹴ったらそこでゲームセット、だったのかなぁ。

蹴る方が受け取れない鞠を出したら、

それを受けて蹴る側は、

「そんな鞠じゃ蹴れないよ」と文句を言った人もあったかもしれない・・・

それで喧嘩になったりして・・・

目に見える“形の仕組み”が一つになっていても、

それをやる人の目に見えない“心の仕組み”も、

そうなってないとやはり二つの世界になるのかもしれない。

形は二つの世界であるサッカーでも、

勝っても負けても心が健やかだったら・・・

負けるそのことが成長に繋がるんだし・・・

まぁ、何がなんでもどうでもいいか・・・





痰 と 喉

2013-01-05 09:31:58 | 日々の暮らし・思い出
こんなタイトル美しくないかな・・・

痰が絡んで出そうとする時、喉の辺りに引っかかっている痰を喉は呑み込もうとする。

意識して(出したい出したい)と、ガァーってやるんだけど、

喉は私の意志に逆らって、そこに在る物を呑もう呑もうとする・・そんな感覚がある。

身体というものが意志を持っている感じ。

身体がそうなっている・・という感じ。

テーブルで箸が落ちそうな時、さっと身体全体で箸を落とさないように動くのも、

身体の意志という感じがする。

そういうとき、意識して拾おうなんて思う前に身体が動くもんね。

そういう場合は身体の意志と意識の意志が一致してるからいいんだけど、

痰に関して喉の意志と意識の意志が一致しない。

けど、喉はそれを気管に入れたくないという強い意志でそうなっているのかな。

そうだよね、きっと。

身体全体を統括して見ている脳の中枢神経の意志が働くんだろうな。

そういうものに対して、私が出したい出したい、と頑張っている・・のかもしれない。

さぁ、また頑張ろう!