二日前に「信」といういう字 というタイトルで書いたけど・・
やはり、「人」 の 「言」 とは、
人の言葉、ということなのか・・・
人の言葉は 認識・意識・こころを表現するもの。
事実ではなく。
「今日、雨が降った」という表現で考えると、
実際、今日は雨が降らなかったのに、降ったと書いたとしたら、
それは事実ではない、という意味の事実ということではなく、
今日雨が降ったという現象があったという実際を
言葉で表現すると「今日、雨が降った」となるわけで、
その表現は“言葉”であって、現象・事実・実際そのものではない、
ということを言っている。
言葉はひとの意識から発生するもの。
その日に雨が降ったとしても、
それを見たり、雨音を聞いたり、人から聞いたり、感じたり、
・・しなかった人にとっては、
「今日、雨が降った」という言葉は口から出ない。
信じるの 信 は
「今日、この町に雨が降った」という言葉を聞いて、
今日この町のどの地点でも、どの時間にも、
雨が降らなかったとしても、
この人はそう言っている、と聞くことなのかと思う。
そういうことを言うことで、この人は何を言っているんだろう、
自分に何を伝えたいのだろう?
そう聞く心には否定がない。
そういうことが、信じる の 信 なのかな、
・・と前回書いてから、思った私であった。
やはり、「人」 の 「言」 とは、
人の言葉、ということなのか・・・
人の言葉は 認識・意識・こころを表現するもの。
事実ではなく。
「今日、雨が降った」という表現で考えると、
実際、今日は雨が降らなかったのに、降ったと書いたとしたら、
それは事実ではない、という意味の事実ということではなく、
今日雨が降ったという現象があったという実際を
言葉で表現すると「今日、雨が降った」となるわけで、
その表現は“言葉”であって、現象・事実・実際そのものではない、
ということを言っている。
言葉はひとの意識から発生するもの。
その日に雨が降ったとしても、
それを見たり、雨音を聞いたり、人から聞いたり、感じたり、
・・しなかった人にとっては、
「今日、雨が降った」という言葉は口から出ない。
信じるの 信 は
「今日、この町に雨が降った」という言葉を聞いて、
今日この町のどの地点でも、どの時間にも、
雨が降らなかったとしても、
この人はそう言っている、と聞くことなのかと思う。
そういうことを言うことで、この人は何を言っているんだろう、
自分に何を伝えたいのだろう?
そう聞く心には否定がない。
そういうことが、信じる の 信 なのかな、
・・と前回書いてから、思った私であった。