かなり前のことだけど、強烈な思い出。
ぐっすり昼寝してるとき、大工さんが家に入っている時でその人に「お茶を入れて」と言われ、
腹が立ったことがある。
いま、ここから書くことは、
腹が立ったその時点より、後で気が付いたこと。
その時はそんなことには気が付いてない。
「昼寝してるのに、わざわざ起きて、そうしなきゃなんない」
と“思ってしまった”私だった。
なんで、そうしなくちゃなんない、となったかと後から検査すれば、
(そういうことは女がするもんだ)これが、
自分の中にあったからだ。
この世の常識にそういうものがあったとしても、
(もう無いか・・)
私自身にそういう(~するもんだ観)がなければ、
「イヤだ」と言うとか、目が醒めない振りをするとか、
「いま、昼ねしてるから、あなたやって」と言うとか、
「今、そうする気にならない」とか、普通に言えるはず。
世の中にそういう常識が在ろうとなかろうと、
本人になければ反応は起こらない。
けれど、私たちは無人島じゃなくて、
いろんな人たちの中で今の自分になってきた。一人残らず。
いろんな不合理な常識や、価値観のあるこの世で成長して来た。
いろんな大人を見て生きてきた。
いろんな情報にさらされてきた。
オーバーアクションのテレビドラマをたくさん見てきた。
神でもない、完璧でもない私たちが、
そういうものから影響を受けないわけがない。
ぐっすり昼寝してるとき、大工さんが家に入っている時でその人に「お茶を入れて」と言われ、
腹が立ったことがある。
いま、ここから書くことは、
腹が立ったその時点より、後で気が付いたこと。
その時はそんなことには気が付いてない。
「昼寝してるのに、わざわざ起きて、そうしなきゃなんない」
と“思ってしまった”私だった。
なんで、そうしなくちゃなんない、となったかと後から検査すれば、
(そういうことは女がするもんだ)これが、
自分の中にあったからだ。
この世の常識にそういうものがあったとしても、
(もう無いか・・)
私自身にそういう(~するもんだ観)がなければ、
「イヤだ」と言うとか、目が醒めない振りをするとか、
「いま、昼ねしてるから、あなたやって」と言うとか、
「今、そうする気にならない」とか、普通に言えるはず。
世の中にそういう常識が在ろうとなかろうと、
本人になければ反応は起こらない。
けれど、私たちは無人島じゃなくて、
いろんな人たちの中で今の自分になってきた。一人残らず。
いろんな不合理な常識や、価値観のあるこの世で成長して来た。
いろんな大人を見て生きてきた。
いろんな情報にさらされてきた。
オーバーアクションのテレビドラマをたくさん見てきた。
神でもない、完璧でもない私たちが、
そういうものから影響を受けないわけがない。