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ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

誕生日

2011-12-02 16:28:00 | ひとの幸福
今日は長女の誕生日。

生まれて初めて出産経験をした日。

本当に嘘のような話なんだけど、

あの日、分娩台でムニューッって出てきた瞬間、

「分身だ」って言葉がどこかからやってきた。

ホントにそういう感じだった。

!!!超超超超超!!!ビックリした。

そんなこと思うような人じゃないんだよ。当時の私。

そんな馬鹿げた非科学的なこと思うわけないのが当時の私だった。

(分身)なんてことを馬鹿げてると捉えてたからこそ、

びっくりしたんだろ。

当たり前だったらびっくりしない。

忘れられないこと。

分身て、今 広辞苑で見たら、生まれた子、という意味もあるから、

間違いじゃないんだろうけども。

でも、そんな言葉それまでに頭に浮かんだこともなかったし、

使ったこともない。でも、今になって思うと、

なんか象徴的な言葉だった。

長女はいろんなことが私と正反対だった。

下の子と比べると、

私の思い通りにならないことがいっぱいあった。

思い通りにならないなんて、そりゃそうだよ、と今は思うけども。

なので、本当によかった。

思い通りにならない娘で、私にとっては本当によかった。

小さな子と大人

2011-12-02 10:21:17 | ひとの幸福
一歳半の子供。

もし、この子の姿をおとなに置き換えたら可笑しい。

食事中(という意識は無いだろうけど)にふんぞり返ったり、

食事の合間にテーブルに上がろうとしたり、

スプーンを持ってテーブルをバンバン叩いたり、

それをポーンと放ったり、・・・

大人が寝そべっている顔の上も平気でよじ登る。

こんな大人を想像するとほんとに可笑しい。

一瞬一瞬を自由に思うがまま生きている。


この小さな子供と私たち大人の決定的な違いは、

他の人と調和していこうとするものの ある無し かな。

勿論無意識のうちにだよ。

寝転んでいるひとの顔の上を登るなんてことは、

思いつきもしない。

今そこでのひとの姿、現状をそのまま自然に受け入れて、

それに自然と出てくる調和していこうとする気持ち。

そのことに無理も犠牲もない心の在りようで。

それが大人。


オウムの勘違い

2011-12-02 09:58:11 | ひとの幸福
「人類救済計画」って言葉、本当にオウムのひとが言ったのか、

言わなかったのか知らないんだけど、

もし、言ったのだとしたら、

それを聞いた人の中には「お節介だよ」と思う人もあるかも。

救済してもらわなくったっていいよ、と思う人もあるかも。

人類の中には当然そのひとも入っているから。

どんなにいいことであっても、

ひとは人から こうさせよう っていうのを感じると、

引く気持ちが湧いてくる。

なかには意地でもそうするもんか、と思う人もあるかも。

ひとに させよう っていう気持ちには、

相手に自由意志があることが吹っ飛んでる。


彼は自分で最終解脱者だと言ったという情報も読んだことがあるけど、

自分で自分の事をそう思ったこともあるのかもしれないね。

勘違いしちゃったんだろうね。きっと。

ひとはよく勘違いするから。

勘違いしたことが無い人は一人もいないんじゃないかな。

あの河野さんが言ったそうだけど、

「間違うのが人間なんだよ」って。

ホントにそう思う。

それに解脱(悟りを開いた?)したひとは多分、

ひとが幸福に“なる”といいな、とは思うかもしれないけど、

ひとを幸福に“させよう”なんて、

そんなおこがましいことは思わないんじゃないかな。

たくさんたくさん勘違いという失敗をして、

そこから卒業してるだろうから。